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神宿ル劍  作者: 竹河参号
03章 雷鳴に沈む王城
36/78

08.開戦の狼煙

 戦争とは、とかく金と物資と時間を消耗する。

 開戦を決心したからといって、翌日からハイ戦争します戦闘しましょうとはならず、まずは宣戦布告や事前交渉といった作法に則る必要がある。殺し合いにあって『作法』とはいささか奇妙ではあるが、これは戦禍を制御するための措置である。最低限の作法さえ守られなくば、敵味方双方が『()らねば()られる』という危機感に駆られ、非人道的な戦術や卑怯な戦法が行使されるようになり、戦禍が無秩序に拡大することとなる。その意味では、アレスタ率いるボルツ=トルガレンは、かなり思い切った行動だったと言えよう。

 また、今回はベルキュラス全土から兵を募った。各地から押し寄せるように集結する兵士たちのために、兵糧や軍備を調達する必要があり、そのための期間が必要となる。

 そういう訳で、王女エレナによるアレスタ征伐令は、六月一日に発布されることとなった。

 主将は王女エレナ、それを執政官モラド公とレオール領主プロスペール侯が副将として補佐することになる。プロスペールがばらまいた檄文に、まず呼応したのがカーチス領主ダリル伯、オムノス領主カスパル侯だった。加えてヴェスタ伯、カルダーラ子爵、アドリアン男爵といった宮廷貴族の生き残りが次々に馳せ参じた。純粋な兵力規模としては、領主貴族たちに比べるとやや劣るが、それでも心強い味方であることには変わりない。

 一方、ザミア領主マルセル伯、イルコーン領主ランドルフ伯からの応答はなかった。檄文が届かなかったのではなく、意図的な無視だった。引き換えに、双方の領地からボルツ=トルガレンの制圧した天領に軍団が向かっていることが判明し、以後両者はアレスタ側についたと見做されるようになった。ここに天領自体が加わることで、ベルキュラスは文字通り両断される形となる。また宮廷貴族のうち、エーゲン侯、ドルフ伯、ルクルト男爵などの軍兵がアレスタ側にいるという目撃情報が入り、生存確認された貴族兵団は、そのすべてが王女軍あるいはアレスタ軍に編入されたことになった。



 さて、ヴァルク傭兵団である。王女の危機を幾度も救った武功者たちとして、王女軍の緒将から注目を浴び始めた団もまた、その旗色を明らかにしなければならない立場に置かれた。

 これに難色を示したのが、団長カルドクだ。政治情勢がどうあれ、そういうしがらみと無縁に戦える立場こそが『傭兵』という職業の強みであり、また『権力に迎合することなく、戦力を求めている民草の求めに応える』というのが、先代からの方針だった。故に、戦争参加を強制される(・・・・・)という現状にこそ不満を抱いていた。必ずしも戦争に意欲的な団員だけとは限らず、彼らの心情を汲んだという意図も大きい。

 とはいえ、理想とは往々にして、現実に打ち砕かれるものだ。少なくとも団としてどう動くのか、彼は決断を迫られた。



「――さて、お前らも知っての通り、これから嬢ちゃんの率いる王女軍と、アレスタって野郎の率いる反乱軍との戦争が起こる」



 エリュミア砦に到着してから三日目の朝、チムの刻(午前十時ごろ)。今にも雨粒を溢しそうな重く厚い雲の下、砦の大部屋を借りて団員一同を集めたカルドクは、むっつりとした顔で口火を切った。

 エレナもクライドも同席していなかった。あくまでヴァルク傭兵団の構成員のみが集められた大部屋で、一同はカルドクとラグの話を黙って聞いていた。



「身分とか諸々の関係上、エレナ様ご本人ではなく、モラド執政官様との契約になりますが……まぁエレナ様の口利きもあるんで、好待遇で契約が取れるのは間違いないっス」



 書類を片手に、ラグが補足する。間違いなく朗報と言っていいはずのそれを、しかし彼は平素と変わりない表情で述べた。



「――つまりそいつァ、『それに足る危険を背負わされる』って意味だ」



 即座に釘を刺したカルドクの言葉に、団員たちはざわざわと不安げな声を上げ始めた。

 ゴーシュも同席していなかった。あくまでも外部協力者でしかない彼は、諜報員として別口で契約する段取りになっているらしい。



「これまで俺らがやってきた、魔物の間引きだの害獣駆除だの、そういう細々した依頼とァ訳が違ェ。同じ人間同士での、どでかい規模での殺し合いだ」

「向こうは『反乱軍』って肩書がある以上、どうしても悪者になります。こっちを皆殺しにして、『自分たちを悪者呼ばわりする連中』を駆逐する必要があるんス。つまり――」

「『()らなきゃ()られる』――そういう覚悟で(・・・・・・・・)剣を向けてくる連中(・・・・・・・・・)を相手にしなきゃならねェ、って話だ」



 そしてカルドクは、不機嫌そうに顔をしかめたまま、しばらく団員たちを指差しながら何事かを数えていた。が、芳しい見立てはできなかったらしく、やがて諦めたように指を下ろした。



「まァ、甘めに見積もって――半分ってとこだな」

「何がっすか?」

「この戦争の後、お前らが生き残る人数(・・・・・・・・・・)だ」



 しびれを切らし尋ねた団員の一人の問いに、カルドクはさらりと返した。迷うことなく、きっぱりと告げられた宣言に、団員たちはいよいよざわついた。士気を大きく削ぎかねない爆弾発言を、しかしラグも苦い顔をしたまま黙認していた。

 カルドクが「お前らはこの仕事で死ぬ」と宣告したことなど、これまで一度もない。無論、日頃から「俺らの仕事に『絶対安全』なんつーモンはねェ」と口酸っぱく言っている。そもそも、誰かしらの犠牲を必要とするほど大規模な仕事がなかった、というのもある。だが、グレームル三体を相手取った時でさえ、この団長は『死の覚悟』を強要しなかった。

 そんな男が、「半分は死ぬ」と言い切った。一同の脳裏に、ジャンの顔がよぎった。日数にして、たった六日前だ。一週間も経たずにいなくなる(・・・・・)など、誰も想像していなかった。ジャン本人とて思っていなかっただろう、自分たちと同じように。



「さっきも言った通り、戦争ってなァどうしたって『殺し合い』だ。相手か、自分か、どっちかが死なねェと終わらねェ。こっちもそうだが、相手もそうだ。そういう死に物狂いの連中を相手に、『絶対に誰も死なない』なんて世迷言は約束できねェ。

 ――つまり、お前らのうち、半分は確実に死ぬ。下手すりゃそれ以上死ぬ。俺含め、誰の安全も担保できねェ。俺らが今から乗ろうとしてる仕事ってなァ、そういうもんだ」



 カルドクの諭しに、誰も反論できなかった。死にたくない、誰だってそうだ。この戦争に従事することになるすべての人間が――敵も味方も関係なく、誰もが同じ思いを抱いている。それが互いに武器を執って、大規模な殺し合いを演じるわけだ。どっちの誰が強いだの弱いだの、そんな低次元な話ではない。誰もが平等に理不尽の坩堝(るつぼ)へと投げ込まれ、生きて這い上がるべく足蹴にしあう、底なし沼だ。見知らぬ味方が、隣の仲間が、自分自身が助かる保証など、あるはずもない。



「だから――俺らに付いていきたくない、そんな戦場で死にたくないってんなら、ここで団を辞めてもいい」

「えっ」



 重苦しい雰囲気の中、自然と俯いていた一同は、故に続くカルドクの言葉に意表を突かれた。思わず漏れ出た間抜け声は、誰のものだったのか。顔を上げた一同が見たのは、腕を組んでふんと鼻を鳴らすカルドクだった。



「いわゆる『退職金』ってやつっス。今この場で団を辞める人には、手切れ金を渡します。額はそれぞれ、これまでの働きに応じて変えさせていただきますけど、最低でも、一人につき金貨十枚は約束します。モラド様から前金はいただいてるんで、貰いっぱぐれる心配はありません。……『死にたくないけど金がないからしぶしぶ』なんて心配は、必要ありません」



 そう言って、ラグはばさりと埃避けの布を取り払い、一同に金貨の山を見せた。貧乏傭兵団とはおよそ縁のない量の輝きが、一同から言葉を奪った。

 金を理由に、この二人は逃げ道を作った。逃げたいならそれでいい、わざわざ支度金まで渡してやると、この二人はそう言っている。ならば、本人たちはどうなるのか。



「……団長とラグさんは、乗るんすか」

「おう、乗る。相手は王様を殺したギャクゾクってヤツらしいが、んなこたァどうでもいい。俺らの知ってる嬢ちゃんにとっちゃ、他でもねェ両親を殺された仇ってこった。

 ご身分がどうこう以前に、同じ釜の飯食った嬢ちゃんを見捨てられるほど、腐った男にゃなりたくねェ。――その程度の理由(・・・・・・・)で戦える(・・・・)

「今このベルキュラスは、エレナ様の勢力とアレスタの勢力で真っ二つっス。向こうに行きたい理由があるわけでもないし、下手に日和見を決め込んで中途半端に巻き込まれるよりかは、最初から旗色明らかにしていた方が、幾らかマシでしょう」



 団員の一人クレイが、おずおずと投げかけた問いに、カルドクは迷いなく返した。ラグは理知的に判断しているように見せかけているが、明らかに屁理屈の類だった。この二人は、最初から逃げるつもりがない。この二人だけは、絶対に逃げられない。



「あの執政官って爺さんから、圧かけられたとかは」

「言われはしたぜ。『王女殿下の窮状を知ってて見捨てるつもりか』ってな。

 もちろん、主のために戦うのが仕事の騎士だったら、黙って従うしかないとこだが――あいにく、俺ら傭兵(・・)は違う。名誉で腹は膨れねェ」



 団員の一人グライスの問いに、カルドクは白々しく返答した。思わぬ答えに、団員たちは目を白黒させた。



「その通りだろ? 名誉だの栄光だの、そんな形のねェもんのために戦える、上等な人間サマじゃねェ。今日のおまんま(・・・・)のために、明日の女遊びのために――いつかこさえる手前(てめェ)のガキのために。そういう理由で、戦ってカネ貰うのが、傭兵ってもんだ。

 ――つまり、『こんなとこで死にたくない』って思ってる奴ァ、この場で逃げ出してもいい。それにケチつける資格なんざ、俺らにゃねェんだよ」

「養ってるご家族がいる方は、今のうちに申告しといてください。もし戦死した場合も、遺族補償金って形で送金します」



 畳みかけるような二人の言葉に、団員たちは思わず閉口した。それを黙って見守ることができるのは、ただ一人だった。



「……おい、リョウ。お前は――」



 団員の一人グランが、一同の一番後ろで静かに見守っているだけの崚へと振り返った。



「……いやいいわ、どうせ嬢ちゃんの味方しに行くんだろ」

「いやそこで引っ込めるくらいなら、一応訊いてくださいよ……」



 が、発言の途中でばかばかしくなったらしく、呆れ顔を向け始めたため、崚のツッコミを買った。「どうせ答えが分かってるから参考にならねぇ」などと思うくらいなら、最初から訊かないでほしい。

 一斉に向けられた視線に、ほんの少しだけたじろぎつつ、崚は肩をすくめて口を開いた。



「……俺はまぁ、往きます。往けます(・・・・)。畳の上で孫に囲まれて死にたいとか、もっとどでかいこと(・・・・・・)を成したいとか、そんなご立派な志はまったくないです。いつどこで死んでも誰も困らない、その程度の人間です。

 ――なんで、今やれることを、やりたいことをしにいきます。それが他人様を殺すことになろうと――他人様に殺されることになろうと」



 どうせその程度の(・・・・・・・・)末路しかない(・・・・・・)

 その答えは、果たして団員たちの満足に足りただろうか。納得を得られただろうか。そんなはずはない、所詮は自己満足だ。それこそ、他人様の役に立つはずがない。果たして、誰一人として納得しきった表情にならないまま、やれやれと視線が逸れていった。



「――ったく、しゃーねぇなぁ」

「じゃ、ハラ決めるかぁ」

「お前ら、文字書けない連中は早めに申告しとけよ。団長もラグさんも、これから大忙しなんだからな」

「へぇーい」



 ごりごりと肩を鳴らしたり、腕を伸ばしたり。カルドクとラグ、そして崚を除く二十三人全員が、いつも通りの様子で振舞い始めた。部屋を出る者も、脱退を申し出る者も、ついに誰一人として出なかった。

 流石に皆無は予想外だったらしく、ラグが念を押すように口を開いた。



「……いいんスね? 戦況によっては、僕ら全員捨て石にされる作戦だってあり得るっス。それを承知の上で、残るんスね?」

「ここで団長やラグ坊を見捨てれるほど、男の腐った連中にもなれねーよ」



 カルドクに次ぐ傭兵団の最古参であるカルタスが、それを否定した。



「俺らはまぁ、色々経歴あるけど――どいつもこいつも、はみ出し者の寄せ集めだ。(くわ)持ってるより剣持ってる方がいいって家出した、穀潰しのロクデナシばっかりだ。先代や今の団長に拾ってもらってなきゃ、どこぞで盗賊やって、討伐される側になってたのが関の山だ。

 この団に転がり込んで、ようやく他人様の役に立つ仕事ができてる――その俺らが、ここでこの団と、あの嬢ちゃん見捨てちゃ、本当にどうしようもないだろ」

「……分かりました」



 慇懃を取り払ったカルタスの言葉に、ついにラグは折れた。カルドクはそれを、むっつりとしかめ面で聞き届けていた。



「じゃ、最後に一つ言っとくぞ。――この戦争で、お前らはたぶん死ぬ。が、死にたがりは要らねェ(・・・・・・・・・・)



 いかにも名言を吐いた風でキメ顔を見せつけるカルドクだったが、団員たちは「は?」と一様に困惑の表情を浮かべるばかりだった。隣で聞いていたラグでさえ、「またぞろ変なこと言い出したぞ」と呆れている。その反応はカルドクの気分を大きく害したが、しかしすでに吐いた言葉を引っ込めるわけにもいかず、仕方なく言葉を続けた。



「相手は死に物狂いで殺しに来る、だからこそ助かる保証はねェ。でもな、『どうせ死ぬから適当でいいや』なんて気持ちで仕事をする奴ァ、それこそ必要ねェんだよ。くたばる最期の瞬間まで、生きて仕事を成し遂げることを考えて戦え。――どこで脱落する(・・・・)ことになろうが、それだけはきっちり肝に銘じとけ」






 ◇ ◇ ◇








 真新しい鎖帷子、金属製の頑丈な装甲、丈夫な革の手袋(グローブ)、深緑のロングコート……

 オルステン歴七九一年は六月一日、ヌーの刻(午前八時ごろ)。レオール領のさらに東奥、ラモー城の兵舎の一角で、ずらりと目の前に並べられた装備を前に、さしもの崚も思わず息を呑んだ。



「俺だけ、こんなに色々貰っていいのかよ」

「ヴァルク傭兵団の面々へは、個別に支度金が供されている。お前への特別待遇は、あくまで職人への特注だけだ。他の団員方は各自で支度してもらっているだけで、額自体は変わりない」

「ふーん」



 崚の問いかけを、クライドが遠慮無用とばかりに切って捨てた。ベテランの傭兵たちならともかく、崚は防具甲冑の勝手など知らない。下手に自己裁量などと放り出されるよりは、職人に聴取してもらい、最適なオーダーで作ってもらう方がありがたいのは事実だ。崚個人への特別待遇ならともかく、支度金自体は全員に配られているのであれば、誰に憚る必要もない。その職人も、レオール領で召し抱えられている窟人(クヴァル)の職工というのだから、至れり尽くせりもいいところだ。

 崚はシャツの上から鎖帷子を着込み、その上からロングコートを羽織ると、順に装甲を身に着け始めた。右腕は装甲付きの手袋(グローブ)肘当て(クーター)のみとし、一方で左腕は上下の腕鎧(ブレイス)籠手(ガントレット)を組み合わせ、腕全体を装甲で覆うことにした。これなら、咄嗟に左腕で防御することができ、致命傷を免れるだろう。――右手に刀を構えている戦闘時はともかく、平時は左側に重心が偏っている。少し注意した方がいいかも知れない。



「そんな軽装で大丈夫なのか? 支度金なら、もう少し余裕があるだろう。もっと頑丈な金属甲冑(プレートアーマー)とか――」

「いきなりそんなもん着込んだところで、重さに慣れないだろ。メインは鎖帷子、要所に装甲を着けとくくらいで、ある程度運動性は確保しとこうかなって」



 クライドの心配を切り捨てつつ、崚は装甲を着込んでいった。全身を覆う金属甲冑(プレートアーマー)は、軽量化されたものでも二十キロを超える。彼のような一端の騎士ならともかく、慣れていない崚が着込んだところで、体力を消耗してまともに動けなくなるのが関の山だろう。クライド自身、着込んでいる甲冑は随所を鎖帷子で軽量化したものだ。ずっと着ていればそのうち慣れるかもしれないが、敵がそれを待ってくれる理由などない。自重で疲弊してまともに戦えませんでした、では本末転倒だ。

 両脚はブーツの上から、足鎧(サバトン)脛当て(グリーヴ)膝当て(ポリン)を組み合わせたものを両脚一組分。腿当て(キュイス)は鎖帷子で誤魔化すことにした。これなら防御だけでなく、遠心力により蹴りの威力が上がる。崚の体形に合わせてオーダーメイドで作ってもらったので、装備するときは手足を突っ込んでベルトで締めるだけ。軽装は、この手軽さも強みのひとつだ。

 ついに装備完了し、手足を振って着け心地を確認する崚。なるほど、思いの外動きやすい。窟人(クヴァル)の鍛冶師の評判が高いというのも頷ける。



「……流石に兜くらいは着けたらどうだ? どうせ髪を隠しているんだし、あるのとないのでは大違いだぞ」

「蒸れるし重いし締まると痛いからやだ。――てコトで、これ作ってもらった」



 しかし、その首より上は無防備だ。さすがにあんまりじゃないかと不安を覚えたクライドに、崚は最後に残された布織物を見せた。鉄紺色の布地に、幾筋もの鎖が織り込まれ、きらきらと光を反射している。



「……鎖を織り込んだのか? そんな、妙に手の込んだモノを……」

「やってくれたんだからいいだろ。『その程度でいいのか』ってケロッとした顔で言われたよ」



 顔をしかめたクライドをよそに、崚はぐるりとそれを頭に巻いた。ご丁寧に、留め金まで用意してくれている。それなりに精巧な作業を必要とする装備のはずだが、事も無げに了承し用意してくれたあたり、素人目にも技術の高さが伺えた。



「まぁ、いい。準備ができたなら、行くぞ」

「おう」



 クライドの言葉に、崚は腰のベルトに佩刀を差し込むと、彼に続いて部屋を後にした。これから、主将エレナによる激励の式がある。






 ◇ ◇ ◇






 一方、エレナは私室にいた。

 ラモー城にて割り当てられた一室、そこで椅子に座り、じっと瞑目していた。目の前のテーブルには、一振りの細剣が鎮座している。磨き上げられた美しい鋼の刀身に、鍔元に大きな宝玉を埋め込んだ、美麗な剣が横たえられている。

 ――“水精の剣”。ベルキュラス王室に伝わる、もうひとつの秘宝。

 “水の乙女”に由来するこの剣に認められた者が、次代の王たる資格を得るという。すでに死した父王カルザスが、自らの命を擲って真っ先にモラドへ回収を命じた剣。王権を象徴する至宝として、その正当性を保証する威光として、決して無くてはならないモノではあるのだが――

 それを手に取るために、エレナは多大な勇気を必要とした。王権の象徴。何と虚しい響きだろう。かの“水の乙女”が、こんな戦乱のために、この剣を用意したはずもない。その美麗な剣に意識を遣るたび、鍔元の淡い輝きを目に入れるたびに、絵姿しか知らないはずの“乙女”から、厳しい叱責を浴びているような錯覚を抱いた。



「――エレナ様、お時間です」



 するりと入室したエリスが、エレナの背中に声を掛けた。もはや逃げられぬと、エレナは観念した。すぅと息を吸って、吐いて。エレナは剣を掴むと、立ち上がり腰に提げた鞘へと押し込んだ。



「ありがとう、エリス。――行きましょう」

「はい」



 そして振り返り、さっそうと部屋を後にした。その後を追うエリスが何か言いたげな表情をしていたが、しかし二人は言葉を交わすことなく、無心に足を動かし続けた。






 ◇ ◇ ◇






 チムの刻(午前十時ごろ)。前日の大雨は、大気にじっとりとした湿気を与え、重苦しい空気となって残り続けていた。燦々と降り注ぐ陽光を遮るように、分厚い雲が空のところどころを漂っている。今は晴れているが、再び雨が降り出すかもしれない。

 ラモー城には、王女派の軍勢が各地から押し寄せている。今現在到着している兵団だけでも、ヴェスタ伯、カルダーラ子爵、アドリアン男爵ら宮廷貴族の手勢を加えて、計二万六千五百。すぐにでも進軍すべく正門外で整列し、主将エレナの登場を待っていた。ここに、カーチス領主ダリル伯から七千、オムノス領主カスパル侯から八千の兵が合流する手筈となっている。総勢、四万一千五百。兵卒、騎士、傭兵。立場は様々、装備も様々だ。「王女エレナを(たす)け、逆賊アレスタを討伐する」という目的意識だけが、彼らを一方向に向かせていた。

 崚は、ヴァルク傭兵団がいる列に紛れ込んだ。すでに全員が整列し、エレナの登場をじっと待っていた。クライドはまた別の騎士隊として整列することになるため、すでに別れている。ざわざわと喧騒が辺りを包む中、カルドクだけは無言で仁王立ちしていた。

 砦の大門から、エレナが姿を現した。第一副将モラドに案内される彼女は、流線形を描く特注の鎧を身に纏っている。兜を着けていないその姿は、全身鎧(フルプレート)と言えなくもないが、部分的に軽量化されているのが見て取れた。そも緊急時の防護用であり、彼女自ら最前線で戦う想定ではない。

 エレナが兵士たちの前、壇上に立った。兵士たちの視線が一斉に突き刺さる中、緊張で息を呑む彼女に、モラドが拳大の機器を差し出した。



「エレナ様、こちらの拡声器をご利用ください。御身の声を、兵士たちの隅々まで届けます」



 声を遠くまで届かせる魔導具らしい。それを受け取ったエレナは、改めて兵士たちに視線を向け、深呼吸をひとつしてから、拡声器を持って口を開いた。



『――兵士の皆さん、第四二代鎮守(ベルキュラス)カルザスが娘、ベルキュラス王女、エレナ・ティル・ベルキュラスです。まずは、わたしのために各地から集まってくれたことを、心から感謝します』



 微かな震えを込められた声が、拡声器を通じてわんわんと響いた。二万六千五百の兵全員が、その言葉に耳を傾けた。



『先日、五月七日、我が湖聖騎士団の将軍レイナード・アレスタが謀反を起こし、我が父を、主君たるカルザスを殺害しました。そして今、その屍を踏みつけ、王都を我が物顔で支配しています。

 そして恥ずべきことに、そのアレスタに呼応し、王国に反旗を翻した者共がいます。先だって降伏勧告を申し渡しましたが、返答は拒絶されました。彼らは力尽くでこの国を蹂躙し、非道徳を(ほしいまま)に重ねています。彼らを野放しにすれば、このベルキュラスは――“水の乙女”が復興し護り続けたこの国は、荒廃すること間違いありません。

 ――ベルキュラス王女として、逆賊レイナード・アレスタの征伐令を発令します!』



 王女の宣誓に、兵士たちはがやがやと騒ぎ始めた。それは動揺ではなく、興奮の類だった。続く決定的な言葉を待ち侘びるかのように、喧騒は広がっていった。



『この国の未来は、皆さんの奮闘に懸かっています! わたしとともに、ベルキュラスの未来のために戦い、正しい秩序を取り戻してください! このわたしと一緒に、勝利と栄光を掴み取りましょう!!』

「おおおーっ!!」



 叫ぶように放たれた言葉に、兵士たちは咆哮を上げた。ある者は武器を掲げて声高に叫んだ。ある者はガチャガチャと盾を叩いて音を鳴らした。楽隊はそれぞれに携えた楽器を一斉に吹き鳴らした。勝利と栄光。その言葉に誰もが心動かされ、興奮のままに天地を轟かせた。

 一方、それを見届けたエレナは静かに退きつつ、すっと傍に控えた第二副将プロスペール侯へ、拡声器を押しやるように渡した。興奮に沸き立つ兵士をよそに、どっと疲弊したような表情を浮かべていた。



「お見事です、エレナ様」

「……ありがとう」

「馬車の支度をします。あちらの天幕でお待ち下され」



 プロスペールの称賛にも、力ない声で返したエレナは、そのまま天幕へと足早に歩いていった。まるで今の顔を、兵士たちに見られたくないと言わんばかりに。プロスペールは、それを黙って見届けた。

 行軍命令と馬車の支度を部下へと命じるプロスペールへ、じっとりとした視線を向ける者があった。モラドだった。



「――あれは貴様の唆しかね、第二副将閣下」

「……だとすれば?」



 不機嫌に顔をしかめたモラドの詰問に対し、プロスペールは白々しい表情を見せた。



「勝利と栄光? とぼけるな。砂人(オグル)の征伐にすら否を唱えられたエレナ様が、あのようなことを本心で言われる筈があるまい。もっともらしいお題目で、あのような言葉を述べさせたのではあるまいな」

「ですから、それが何だというのです」



 重ねられるモラドの詰問を、しかしプロスペールは真正面から言い返した。副将二人の異変を兵士たちに悟られないように、二人は声を低くしたまま冷静に口論していた。冷静であろうと振舞い続けていた。



「残念ですが、第一副将閣下、私は何も誑かしてはおりませんよ。あれは真実、エレナ様ご自身がお考えになった言葉だ。『ベルキュラス王女にして次代の女王として、兵士たちの士気を鼓舞すべき』とお考えになったのでしょう。実に正しいご判断だとは思いますがね」



 意外そうに、そして不快げな表情を見せるモラドの応答を待たず、プロスペールは続けた。



「本心では、戦争など望まれていない――それはその通りでしょう。()それが何だ(・・・・・)というのです(・・・・・・)? 今のエレナ様に、そんな選択肢は与えられない。他ならぬ我々がその選択肢を取り上げ――いいや、エレナ様のご身分が、端からそれを許していない。

 望む望まざるにかかわらず、エレナ様は戦争を起こさざるを得ない。アレスタの首を刎ねるその瞬間まで、それまでのあらゆる流血が(・・・・・・・)肯定されなければ(・・・・・・・・)ならない(・・・・)。我らが主将殿下は、御自らそれを理解なされた――それだけのことでしょう」

「貴様――」

「そこで御身が憤られて、それこそ何の意味があるのですかな」



 思わず掴みかかりそうになったモラドを、プロスペールが静かに手で制した。ここで兵士たちが異変を察知すれば、それこそ事態の悪化に直結する。それを思い出したモラドは、ぐっと自制した。



「綺麗事で政治は務まらぬ。そんなことは、他ならぬ閣下や私たちが、何より知悉していることでしょう。エレナ様もまた、我らと同じ舞台に上がられたということです。

 エレナ様はついに、政治という舞台へと――この絢爛にして酸鼻極まる悲喜劇の舞台へと、御自ら足を踏み入れたのですよ」



 プロスペールの言葉に、モラドは何も言い返せなかった。彼女をこの醜悪極まる世界へと引き摺り込んだのは、他ならぬ自分たちだ。



水精の剣

 ベルキュラス王国に伝わる宝剣

 “水の乙女”に連なる国宝であり、使い手に水の権能を与える

 刀身ではなく、鍔の青い宝玉こそが力の核だという


 ベルキュラスの王権の象徴であり

 この剣に認められた者が、次代の王となるという

 いかにも貴族好みの、美々しい物語だ


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