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神宿ル劍  作者: 竹河参号
03章 雷鳴に沈む王城
33/78

05.弑逆

「――ふんッ!」

「ぐっ!?」



 エレナの目の前で、黒装束の賊が背後から(・・・・)刃を浴びた。くぐもった悲鳴を最後に、賊はどうと倒れ、それきり動かなくなった。

 その向こう側にいたのは、豊かな黒い髭をたくわえ、鋭い目つきで剣を構える壮年の男――ベルキュラス王カルザスだった。



「父さま!」

「陛下!?」



 自ら剣を執り賊に立ち向かう姿に、エレナのみならずエリスも驚愕の声を上げる。

 ただ、彼は一人はなかった。傍らの騎士たちが次々に賊を斬り伏せる中、影のように控えていた男が歩み出た。ウーゼントルム侯エグモントである。



「皆様、ご無事ですか」

「え、エグモント……!」



 突然の大騒ぎの中、常と変わらぬ冷徹な顔に、エドウィンは分かりやすく安堵し気を緩めた。黒装束の賊が次々に斃れ、ついに動くものがなくなったのを確認すると、カルザスはエレナらに視線を遣り、ようやくその表情に安堵の色を見せた。



「みな、怪我は無いようだな」

「――衛士、たちが……」



 エレナの意識は、先に斃れた衛士たちに向いた。エレナらという護衛対象を抱え、自分たちの倍を超える人数を相手に、彼らの敢闘は叶わなかった。僅かでも有利な位置取りのために、揃って離宮中を逃げ回り、その果てに四人ともが死んだ。傷口からどくどくと血を流し続ける彼らの遺骸を前に、彼女はぐっと声を堪えた。



「つまり、彼らは任を果たしたということです。悼むのも、称えるのも、ひとまず後にいたしましょう」

「……はい……」



 しかしウーゼントルムが、その隙を許さなかった。事態は火急である。今はとにかく、使命を最優先して行動するしかない。言葉にならぬ圧力に、エレナは抗うことができなかった。



「エレナ、お前はセシリアを伴い、この王城を脱せよ」

「へ、陛下!?」

「――それは……!」

「“剣”は、モラドに回収させている。王都を脱した後、合流を果たせ。これ以上離れることは、お前も限界(・・)のはずだ」



 カルザスの命令に、セシリアとエレナは驚愕した。それは、「この鎮守王城を放棄する」という宣言も同然である。それに、王妃(セシリア)を伴えと王女(エレナ)に命じているということは、カルザス自身は――



「――あとは任せたぞ、エグモント」

「承知いたしました」

「か、閣下まで! どうして……!」



 近習であるはずのウーゼントルムでさえ、目を伏せてカルザスの言葉を拝領するを見、エリスも目の色を変えて説得を試みた。

 しかし、女たちがこぞって王の暴挙を止めんとする中、覚悟を決めた男二人は頑として揺らがない。エドウィンだけが、おろおろと狼狽するばかりだった。



「――なるほど、そう動くのか」



 ひどく不機嫌な声が、一同の言葉を呑み込ませた。

 一同はばっと背後を振り向いた。そこにいたのは、カルザスによく似た顔立ちの、しかし鷹のように鋭い目つきの男――王弟ベルナルドだった。埃と煤に塗れながらも健在で、手勢の騎士たちを幾人も伴いながら現れた。



「父上!?」

「ベルナルド様……!?」



 予想外の登場に、エドウィンさえ驚愕している。そんな息子に構うことなく、ベルナルドの視線はまっすぐカルザスを射貫いていた。最後に入室した騎士が、がたんと扉を閉めた。



「……ベルナルドよ。これ(・・)は、お前の仕業か?」

「冗談はよせ、兄上(・・)。ベルキュラス王室たる我々が、この鎮守王城を疵物(きずもの)にさせるようなことがあってはなるまい。己の手であれ、他人の手であれ。

 ――だが、こういった局面で兄上がどう動くか……興味がなかったといえば、嘘になる」



 カルザスの静かな問い――静かであろうと務めながら問われた言葉を、ベルナルドはふんと鼻を鳴らして否定した。

 そして王弟(ベルナルド)は佩剣を抜いた。それを合図とするかのように、手勢の騎士たちも次々と剣を構える。突然の暴挙に、何も知らないエドウィンがぎょっと腰を引かせた。



「ち……父上……?」

「城を枕に討死に、か。古めかしく、そして素晴らしい選択だ。将としては(・・・・・)な。……だが、王国そのものを守護すべき“鎮守(ベルキュラス)”として、相応しい振舞いではあるまい。

 あるいは――王たる己が(・・・・・)ここで死しても(・・・・・・・)構わない(・・・・)、そんな理由でもあるのかな?」



 ベルナルドの剣はゆっくりと、しかし迷うことなくカルザスに向けられた。敵意に満ちたその視線はもはや、国王に対するものでも、血を分けた兄に対するものでもなかった。






 ◇ ◇ ◇








「行くのはいいけど、場所とか分かんの!?」



 先頭を駆ける崚に対し、ジャンが声を飛ばした。



「正直分からん! クライドとの合流が先だろうな!」

「じゃあそっちは!?」

「兵舎なら何とか! 後は足で捜すしかねえ!」



 駆けながら、崩落した廊下を右へ左へ。近衛隊なら、たしか蛟竜騎士団の配下だったはずだ。瓦礫を躱しながら、崚は大雑把な地図を脳裏に思い起こしながら走っていた。



「たしか、ここが蛟竜騎士団の――」



 抗戦する騎士と黒装束たちの隙間を駆け抜けながら、二人は兵舎へと踏み込んだ。破壊目標として優先度が低かったのか、それとも威力が足りなかったのか、蛟竜騎士団の兵舎は比較的形を保っていた。しかし壁のあちこちが燻り、どす黒い煙をもうもうと放っている。ここからは探す手立てがない。呼び叫んで応答を求めるか、それとも――と思案したその瞬間、ぼかぁん、と兵舎の壁が吹き飛んだ。



「おわっ!?」

「ぎゃーっ!?」



 咄嗟に怯んだ二人の空間を埋めるように、瓦礫ががらがらと雪崩れ落ちた。もうもうと上がる煙と埃の中、崚はジャンの姿を見失った。



「ジャン、無事か!」

「無事だけど無事じゃねぇ!」



 崚の呼び声に、ジャンが怒鳴り返すように叫んだ。ひとまず叫ぶ元気はあるようだが、まさか――



「今、そっちに――!」

「来んな!!」



 瓦礫を力ずくで踏破しようとした崚を遮りながら、ジャンが叫んだ。同時に、何かがどさりと倒れたような重い音がした。

 間違いない。ジャンは今、賊と交戦している!



「んなろっ! ――こっちは何とかする! リョウはそのまま、騎士の兄ちゃんを探せ!」

「……分かった!」



 迷っている余裕はなかった。目的は、あくまでクライドとエレナとの合流だ。――崚はジャンを見捨てることにした。

 兵舎の中に、生きている人間はいなかった。崚からはそう見えた。瓦礫の傍で数名が倒れているのを見つけただけだった。気絶しているだけかもしれないが、生存を確認している余裕はない。生きている仲間を見捨てた崚に、生きているかどうか分からない他人を救う資格はなかった。見覚えのある姿ではなかった。ただそれだけで、彼ら全員が見捨てられた。

 ――これ以上は煙に巻かれる。崚は咄嗟に手拭いを解き、口元に巻き直した。二階に踏み込もうとして、上階は探すだけ無駄だと思い直した。兵舎の隣に大きな建物があるのを、踊り場で見つけた崚は、即座にその窓から飛び出した。土くれの地面を選んで飛び込むように降り、ごろごろと転がりながら衝撃を逃す。即座に立ち上がった崚は、痛む体を鞭打ちながら建物へと踏み込んだ。

 その建物の損耗度は、兵舎と大差なかった。そこかしこがぶすぶすと燻り、砕けた窓から黒い煙を放っている。何の施設だろうと思案している暇はなかった。崚の進路、曲がり角の先で爆炎が迸った。それに呑まれながら吹き飛んでいく黒々とした姿は、城の者か賊の者か。崚は駆けながら刀を逆手に抜き放ち、

 互いの喉元にぴたりと当てて立ち止まった。

 明るい橙色が、己の喉元に当てられている。見覚えのある色だった。それを支える柄も、それを握る手も、その顔も碧い瞳も明るい金髪も、すべて見覚えがある。



「――リョウ!? 無事だったのか!」

「よう、元気そうだな! 心配して損したぜ!」



 クライドだった。彼の方も崚の白髪を視止めたらしく、咄嗟に長槍を引っ込めた。同じように刀を引っ込めながら、崚は軽口を飛ばした。とりあえず外へ出るぞ、と無言のジェスチャーをしながら、崚は踵を返した。



「状況は把握できているか!? カルドク団長らはどうしている!?」

「それが――」



 崚の背を追いつつ、クライドが問うた。崚がそれに答えようとした瞬間、物陰から黒い影が飛び出した。短剣を構えた黒装束は、騎士のそれではない。咄嗟に応戦しようとした二人は、



「ごぇっ」

「えっ」



 その首元に何かがとすんと突き刺さり、衝撃で横っ飛びに吹き飛んでいくのを思わず見守った。賊は壁にぶつかったきり、ぴくぴくと悶えるようにうごめくことしかできなかった。

 その喉元に、崚は即座に刀を突き込んだ。ぞぶりと嫌な感触を手元に残し、賊はがくがくと痙攣すると、やがて力を失いだらりと手足を垂らした。崚はその首元に、短矢(ボルト)のようなものが刺さっているのを見つけた。

 一方、クライドはその射線の元に視線を遣った。果たして、そこには人影があった。賊たちとは異なる黒いロングコートを纏った褐色肌の偉丈夫が、その腕に仕込み弩を構えている。その人物の姿を、彼らは久々に見た。どこで会った何者なのかを思い出すのに、しばし時間を要した。



「――君たちか」

「ご、ゴーシュ殿!?」



 黒衣の人物――ゴーシュは二人の姿を視止めると、仕込み弩を構えた腕を下ろした。驚愕するクライドの叫びに、崚も思わずぎょっとして視線を遣った。



「えっゴーシュさん!? 何で!?」

傭兵団(きみたち)がこの王都に来たことは、団長から連絡を受けていた。それが今日、この騒ぎだ。混乱に乗じて侵入し、君たちの安否を確認しに来たという訳だ」



 周囲を警戒しつつ、ゴーシュは二人のもとに歩み寄る。不幸中の幸いだ、と安堵の表情を浮かべたクライドに対し、



「――とか言いつつ、実は賊の一員だったりしませんよね?」



 崚はゴーシュへと切先を向けた。

 およそ味方へ向けるものとは思えない、冷え冷えとした視線に、隣のクライドがぎょっと目の色を変える。



「リョウ、それは――!」

「この大混乱を勘定に入れたとしても、ずいぶん動きが良すぎる。誰かの手引き(・・・・・・)がなかったってのは、ちょっと無理があるんじゃないすか?」



 慌てて止めにかかったクライドを無視し、崚はゴーシュを睨み据えた。崚はこの人物の詳細を知らない。カルドクの旧知の仲として、相応の手腕の持ち主らしいという、間接的な認知しかない。そもそもからして、『情報屋』などという胡乱な職業だ。カルドクさえ知らないところで、どこぞの反社会的勢力と繋がりを得たという可能性は、決して無視できない。



「――君の疑念が正当だろうな。そして私には、その疑いを晴らす手段もない」



 その思考を見抜いたのか、ゴーシュは静かに肩をすくめた。しかし、その所作を無表情でやるものだから、冗談にしても笑いようがない。ロボットが『落胆した時の動作』としてコマンド実行したかのような、納得感と違和感のちょうど中間に置かれた不快感を拭えなかった。こういう矛盾に対する不快感を、『不気味の谷』と呼ぶのだったか。人に向けるには相応しくない表現だが、この時の崚にはそうとしか認識できなかった。

 真面目くさったゴーシュの反応に、音を上げたのは崚の方だった。ばかばかしくなった崚は、力なく切先を下ろした。



「――っちっくしょ。その言いようが、一番の反証じゃないっすか」

「……? 今のは事実確認で、客観的な根拠たり得ないと思うが……」

「そこで勝手に引っかかるの止めてもらえます!?」



 他人を疑うのだってエネルギーを使う。諦めた崚の反応に対し、ゴーシュは真顔で疑問を投げ、崚のツッコミを買った。エリスとは違う方向性で、この人とも何かと噛み合わない。



「ところで、団長らはどうしている? はぐれたのか?」

「団長たちは馬車を押さえて、脱出準備をしてます。俺らは、こいつとエレナと合流するために捜してた最中です。

 ――誰が何しでかした(・・・・・)か、って意味では、全然さっぱりです」

「――そうか……」



 ゴーシュの問いに対し、崚はクライドを指差しつつ端的に説明を返し、それを横で聞いたクライドは分かりやすく落胆した。敵の正体が知れないというのも、不安を煽るものだ。何か手掛かりがあればという期待は、儚く破れた。

 一方、ゴーシュは『俺ら』という説明に、複数人での行動を察し、そして二人しかいないことに違和感を覚えた。



「君一人ではないのか? 他の者はどうした」

「――そうだ! ジャンとさっき、向こうではぐれて――」

「了解した、そちらには私が行く。君たちは王女殿下の安否確認に向かえ」

「わ、分かりました!」



 咄嗟にジャンのことを思い出した崚が、思わずゴーシュに縋るような視線を向ける。果たしてゴーシュは蛟竜騎士団の兵舎へと視線を向け、二人に指示を飛ばした。いち早く応答したクライドが、それ以上待っていられないとばかりに駆け出す。崚は慌ててその後を追った。



「急ごう! この混乱では、一刻も惜しい!」

「場所は分かんのか!?」

「確か、セシリア様とともに離宮にいたはずだ!」



 ――つまり、それなりに距離があるってことじゃないのか。そんな崚の疑念を押し退けるようにクライドが駆け、崚もまたその後を追うしかなかった。

 たっぷり十分、二人は全力疾走で駆け抜けた。崚は脇腹が裂けそうな痛みを覚えた。かつて美しい装飾で覆われていたであろう――今はもう見る影もない建屋を前に、崚は前を走るクライドを強引に制止させた。



「と、まれ!」



 咄嗟に肩を掴まれ、下半身が慣性で滑るように停止したクライドは、勢いのまま振り返った。その顔には不満と焦燥がありありと浮かんでいたが、同時に汗と埃に塗れていた。



「何だ、一刻も、惜し、のに――」

「そうやって、息、上がってっからだよ!」



 互いにぜぇはぁと息を上げながら押し問答。クライドの抗議を、崚は息も絶え絶えに否定した。



「……焦んのは分かる。一刻を争うし、一瞬の油断が命取りだ。だからこそ、ここぞという時の前に、きっちり息、整えんだよ。咄嗟に、息継ぎで動けませんでした、なんて、クソみたいなオチに、ならないために!」

「――ふーっ……はーっ……――すまない。頭に血が上っていたようだ」



 息を吸って、吐いて。そこかしこで火の手が上がる中、両の肺に酸素を入れ直した二人は、冷静さを取り戻した。

 そして、二人は建屋へと踏み込んだ。廊下のそこかしこに黒装束の死体と、僅かに騎士らしき死体があった。多くの扉が開け放たれたままで、そこにドレス(の、ようなもの)を着た死体を見出すたびに、二人は心臓が止まりそうな錯覚に襲われ、それが黒髪でないことに安堵を覚えた。それを何度繰り返したか、二人は数えていられなかった。

 やがて二人は、ひとつの部屋に辿り着いた。埃と煤に塗れていながらも、その扉はきっちりと閉ざされている。向こう側で喧騒のようなものが聞こえ、クライドはいち早くその取っ手に手を掛けたが、素早く崚が制止した。即座に振り返ったクライドに対し、崚は無言で「一旦止まれ」と訴えた。



「せーので蹴破るぞ。何かあったら、とりあえず俺が気を引く。お前はエレナを最優先しろ」

「――分かった」



 喧騒は錯覚ではない。この扉の先には、生きている誰かがいる。二人は小声で互いの動きを了解し、息を整えると、扉から一歩離れた。



「いち、にの――さん!」



 崚の合図と同時に、二人は目の前の扉を力いっぱい蹴破った。二人の戦士による渾身の一撃を、豪奢なだけの扉が押し止めることはできず、ばかんとあえなく吹き飛んだ。



「――エレナ様!!」

「エレナ!」



 凹みながら押し退けられる戸板を突き破るように、二人は即座に踏み込んだ。

 ――果たして、エレナはそこにいた。返り血を浴びた姿で、ぺたんとへたり込んでいた。首から上も下も、その五体にも欠損はなかった。その目が虚空を映し、表情が凍り付いていることを除けば。

 彼女は血だまりの中心にいた。夥しい数の死体がそこに有った。エレナに縋り、ぶるぶると震えるエリスを除けば、立っている者は一人だけだった。エレナに相対するように屹立する人物、燃えるような赤毛の後姿を、崚はいまひとつ思い出せなかった。

 死体の海に、崚はふと違和感を抱いた。何かが(おか)しい。普通の死体じゃない。――それが()のせいだと、気付くのに僅かな時間を要した。

 首が刈られている。全ての首と胴体とが切り離され、文字通り泣き別れになっている。例外は一つもなかった。胴体と首があべこべに転がされ、その断面からびゅうびゅうと紅い血を噴いていた。まるで一流の料理人が捌いた肉のように、筋肉の潰れた跡がどれ一つとしてない。その断面は恐ろしいほど綺麗に切り離されていた。

 見覚えのない顔があった。見覚えのある顔があった。首だけになったそれらは、少しずつ色を失い、紅い血の池に浮かぶ岩塊のようだった。



「――陛下!!」



 クライドが叫び、崚は反射的にその視線の先を追った。見覚えのある黒髭の首が、最期の絶望を映すかのように天井を仰いでいた。






 ◇ ◇ ◇






 ――時間を僅かに遡る。

 佩剣を抜き放ち、まっすぐに兄王(カルザス)へと向けるベルナルドに対し、ウーゼントルムが遮るように進み出た。



「……殿下。このような状況で、冗談はお止しいただきたい」

「冗談? 冗談だと? ハッ、貴様が言うのか、エグモント! 王が自ら死するのを止めもせぬのが、騎士たる者の役目だとでも!?」



 冷徹な表情を崩さずに述べるウーゼントルムの言葉に、ベルナルドは即座に噛みついた。その言い分は正当だろう。王を守るのが騎士の役目であり、その死を良しとするのは善徳たり得ない。仮に、王が戦死という結末を選ばざるを得ない状況だとしても、それはその王個人ではなく、国家の将来を見据えた決断であるべきであり、つまり後任(・・)の存在を前提とする。

 そしてベルナルドの目には、その後任の存在が見えていた。現王カルザスの娘エレナ、王の背後で震えている小娘だ。つまりこの男は、正式な手続きも儀式もなしに、勝手に次代の王を定めた。この国の未来を支えるべき存在に、よりによって、甘ったれの小娘を選んだのだ!



「――ベルナルド。お前には解らぬことだ」

「貴様はいつもそれ(・・)だ!!」



 カルザスの諭すような言葉を、ベルナルドは声を荒げて糾弾した。王に対する敬意も、それを取り繕う虚飾もかなぐり捨てて叫んだ。



「秘匿された使命――闇に葬られた真実――そんなものをお題目に、俺を玉座から遠ざける! この歳になって、そんな安い嘘に騙されるとでも!? 聞き分けのいい子供か何かと勘違いしているのか!?」

「ベルナルド、それがこの国の使命なのだ。叔父上もまた、何も知らされずに没した。知らされないこと(・・・・・・・・)を良しとした(・・・・・・)。お前もまた、そうでなくてはならないのだ」

「そんな理屈で納得できるはずがないだろう!!」



 ぎらぎらと憎悪の輝きを宿すベルナルドの瞳を、カルザスは真正面から見据えた。彼の赫怒の意図するところを理解していた。野心の炎に呑まれた男の傲慢――それはある意味で正しいし、ある意味で正しくない。王室という最上位の貴種に生まれ、玉座の権力と栄光がその手に届くのであれば、欲しいと願うのも当然だろう。それが『使命』の一言で否定され、無理矢理に遠ざけられれば、不審に思うのも無理からぬ話だ。



「何が女王だ、馬鹿馬鹿しい! (かび)の生えた因習に盲従して、下らん御伽噺に従うことが政治(まつりごと)か!? 綺麗事で政治は務まらん! 貴様の言い分は、娘可愛さに玉座を(ほしいまま)にしているだけではないか!」

「――殿下……」

「そうではない――そうではないのだ、ベルナルド」



 躍起になって喚き散らすベルナルドの憤慨を、ウーゼントルムもカルザスも否定できなかった。彼の言い分は正論だろう。使命は使命で、政治は政治だ。その両者は折り合いがつかない――それどころか本来関連しないはずの話で、傍目に見れば不可解な理屈でしかない。

 故に、そんなベルナルドを否定したのは、この場にいる誰でもなかった。



「その通りですよ、閣下(・・)

「――!?」



 若い男の声が乱入し、一同は驚愕とともに振り返った。

 見れば、見覚えのある男が窓際に(もた)れかかり、腕を組んで一同を眺めている。燃えるような赤毛を後ろに撫でつけ、三騎士団の将軍だけが許される金剣紋章を胸に掲げた男――この鉄火場にあってなお平静という、あまりに不釣り合いな態度で、一同を悠々と見守っている男がいた。



「貴様――アレスタ!? どこから入って来た!」

「どこから? (おか)しなことを仰る。部屋に出入りするために、()というものがあるのでしょう?」



 驚愕に言葉を荒げるベルナルドに対し、しかしアレスタは涼しげな態度を崩さず、気取った様子で扉に手を向けた。一同がばっと扉に視線を集中させるも、その扉は相変わらず固く閉ざされている。誰かが入ってきた形跡など、誰も何も見出せなかった。――まさか、アレスタが(・・・・・)開けて閉めるまで(・・・・・・・・)誰も気付かなかった(・・・・・・・・・)とでも(・・・)



「貴様――!」



 ベルナルドの近習の騎士の一人が、素早くアレスタに飛びかかった。完全に一同の虚を突いた。誰もがそう思った。騎士はその剣を大上段に振り上げ、悠然と腕を組んだままのアレスタに振り下ろし――



「鈍い」



 吐き捨てるような言葉とともに、紫電が翻った。

 ――すぽん、と騎士の首が飛んだ。

 あっと驚いた顔のまま、騎士の首はころりと落ちた。誰もが思わず呆気にとられた。とても筋肉と頸椎で固く結ばれていたとは思えない、まるで小石が崖から転げ落ちるかような自然さで落ちると、床敷(カーペット)に当たってどすんと鈍い音を立てた。一拍遅れて、剣を掲げたままの体躯が、首のあった断面からびゅうびゅうと鮮血を噴き出しながら、力なくどさりと倒れた。ぞっとするほど美しい断面からどくどくと血が噴き出し、床敷(カーペット)をあかあかと汚し続けていた。

 アレスタは、相変わらず腕を組んで薄笑いを浮かべていた。得物を構えてすらいなかった。あっという間の所作に、誰もが愕然とした。この場で彼を警戒していない者などいなかった。最初に襲い掛かった騎士ですら、最大限の緊張感でアレスタに挑んだ。――それが、なんだ? こんなにもあっさりと、まるで家畜を捌くかのような手慣れた手つきで、人の首を刎ねることができるのか?



「まさか――これ(・・)は、貴様が仕組んだことか」

「えぇ、その通りですよ陛下。話が早くて助かります。閣下も、なかなか惜しかった」



 確信をもって問われたカルザスの声は、しかしわずかに震えていた。それに対し、アレスタはにこやかに返答した。鎮守王城そのものを崩落せしめるほどの大政変を、この男はまったく偽ることなく認めた。

 だが、「閣下も惜しかった」とはどういう意味だ? ベルナルドがアレスタに向けていた疑惑、そのうちのいずれを指しているのか? いきなりの評定に、当のベルナルドさえ当惑した。アレスタはそれに応えず、よっと窓から身を離して口を開いた。



「……さて。御兄弟の言い分を、第三者として聞かせていただきましたが――双方の主張に正当性があると、私めは愚考いたします。

 綺麗事で政治は務まらぬ、それはそうでしょう。“国”という巨大な生き物を維持させるためには、時に汚く、時に不誠実な手段を執らざるを得ないものです。『慣例的に女王の治世が良かったから女王を優先する』など、非現実的な世迷言と言ってよろしい。

 ――しかし、そのような世俗的な視座(・・・・・・)で廻っていないのがこの国(ベルキュラス)なのです。貴方はその悍ましい真相も知らずに、我儘を喚いているだけに過ぎない。欲しい玩具(おもちゃ)を与えられずにぐずる(・・・)幼児と、何一つ変わりませんな」

「何だと――!?」



 ごく自然体で語られる侮辱の言葉に、ベルナルドが目を剥いて喚声を上げた。その激情のままアレスタに斬りかかろうとしたベルナルドは、

 すぽん、とその首を飛ばした。

 怒りの形相のまま、ベルナルドの首が宙を翻る。そのままごろんと床に落ちたと同時に、その体躯が全身から力を失い、どさりと横倒しに倒れた。



「ち――ちちう、え?」



 エドウィンが、震え声で父を呼んだ。応えはなかった。激情を映すベルナルドの首が段々と血の気を失い、そして首から上を失くした遺骸が、びゅうびゅうと鮮血を噴き出し続けるだけだった。

 唖然とした近習たちは、その次の事態に反応すらできなかった。悠々と歩くアレスタの手元で、紫電がひとつ瞬いたかと思うと、次々に近習たちの首に紅い線が走り、そしてずるりと首が落ちていった。

 そこでセシリアがようやく悲鳴を上げた。エリスもそれに続いた。騎士たちの体躯がどさりと倒れる音を、絹を裂くような悲鳴がかき消した。それだけだった。目の前の惨状に対し、何の変革をももたらさなかった。

 カルザスとウーゼントルムは愕然としていた。その視線はベルナルドにも、騎士たちにも向けられていなかった。アレスタがようやく見せた得物――血を滴らせる黒い大鎌(・・・・)に釘付けになっていた。

 戦鎌(ウォーサイス)ではない。草木を刈るための鎌をひときわ大きく鍛えたそれは、命を刈り取る死神の得物。



「ばかな――それ、は――」



 そんなはずがない。それ(・・)は失われたものだ。よしんば“使い手”を再び得たとして、こんな形で振るえるはずがない。そのための存在(・・・・・・・)ではない(・・・・)。何故、何故、何故――どれだけ思考を巡らせても、その答えは出てこなかった。



「あぁ、それともうひとつ。陛下の言い分にも、『重大な瑕疵』がある」



 そこでようやく、アレスタの意識がカルザスらに向いた。演武のようにすらりと大鎌を構え、すうと目を細めるその視線は、敵対者に向けるそれではなかった。獲物に対する猛禽のそれだった。



貴方がた(・・・・)は、その始まりからして間違いなのだ」



 戦闘ではない。殺戮が確定していると言わんばかりの視線を、カルザスらに向けていた。



ヴィムの波濤

 魔戦士ヴィムが広めた、攻撃魔術のひとつ

 魔力を波のように放ち、敵をなぎ倒す

 術式が単純で扱いやすく、魔術の初歩とされる


 魔力とは、魔術を行使する源であり

 大小あれど、多くの生物が宿す形なき力である

 学者たちは、「世界を変革する意志の具現」と嘯いている

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