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神宿ル劍  作者: 竹河参号
03章 雷鳴に沈む王城
32/78

04.破滅の雷鳴

 ライヒマンの公判が始まったのは、王都到着から二日後のことだった。

 被告本人であるライヒマン、被害者であるエレナ、その護衛として間近で関わったクライドが主だった証言を行ったが、崚ら傭兵たちがその様子を直接見聞きすることは許されなかった。あくまでも独立した証言者として、他の証言を聞くことで事実誤認が生じてしまうことを避けているのだろう。存外しっかりした司法制度なんだな、と崚はどうでもいい感想を抱いた。

 とはいえ、ある意味崚こそが最も重要な証言者であり、最も緊張すべき立場にあった。何しろ、ライヒマンの裏切りを暴いた張本人なのだから。



「被告が王女殿下を謀っていることを、貴様はどうやって知った? その経緯を説明せよ」

「はい。――エンバ・ガーヴルと対面した際、被告が『虫共が入り込んだ』と符牒を用いて会話をしたこと、ガーヴルの『虫共を撒いておけ』という言葉を、王女殿下にお伝えしなかったことから、何かしらの謀略があると疑いを抱きました。

 その後、ガーヴルの配下から『義兄妹の誓約と偽装し、殿下自身を花嫁として捧げさせる婚礼の儀式を執り行っている』と聞き、また巫女シーラ様からも同様の証言を頂いたことで、被告とガーヴルが共謀して殿下を陥れようとしていたことが明らかになりました。――以上です」

「……貴様は、砂人(オグル)の言葉を話せるのか? 被告は、それを知っていたか?」

「いえ話せません。でもなんか、諸人(ヒュム)砂人(オグル)の双方に通じてます。砂漠入りして初めて知ったので、被告も知らなかったはずです」

「…………何故……?」

「分かりません……」



 そんなやり取りで、二回りは年上でありそうな判事と揃って頭を抱える様子があったとか、なかったとか。

 とはいえ、これで傭兵たちはお役御免だ。ボルツ=トルガレンの一件についても、捜査協力を依頼されることはないようだし、あとは報酬を貰ってカーチス領の砦に帰るのみだろう。



「――なんか、意外とあっさり終わったなー」

「……文句でもあんのか……」



 ヴェームの刻(午後二時ごろ)を過ぎた頃。カルドクやラグとともに聖戈騎士団の兵舎に引っ込み、椅子に座ってだらりと脱力する崚を眺めつつ、ジャンがぼやいた。



「いや、文句って程じゃないけどさ。もうちょっとこう……『王女サマを救った英雄!』みたいな扱いを受けてもいいんじゃねぇかなー、ってさ」

「……そういうの、あとあと面倒臭いだけだぜ……」

「イヤな考え方するヤツだよな、リョウ……っていうか、だらけ過ぎじゃね? そんなに疲れるもん?」

「俺が一番プレッシャーかかる立場だったってぇの……」



 呆れた顔を向けるジャンに対し、崚はだらりと力ない声で訴えることしかなかった。終わってしまえば呆気ないものだったが、そんなものは結果論だ。言葉ひとつ間違えれば、それで審理が根底からひっくり返る可能性もある。およそ彼の人生で初めて、緊張による腹痛を覚えるという嬉しくない経験を得た。



「……なんか緊張が解けたせいで、膀胱も緩くなった気がするわ。便所ってどこだっけ?」

「きったねぇヤツだな! ……なんかオレも行きたくなってきた。一緒に行こうぜ」

「どの口でほざいてんだお前」



 やいのやいのと言いつつ、二人は立ち上がった。心と体のありようを切り離すのは難しいものだ。






 ◇ ◇ ◇








「……水洗式だった……」

「王都って進んでんなー……」



 便所から出た崚とジャンは、驚愕と衝撃に呑まれ、それぞれに感嘆の言葉を零した。なお驚きの理由が異なることに、どちらともが気付いていなかった。

 いわゆる『ボットン便所』であったヴァルク傭兵団の砦とは異なり、領都や王都などの都市部では、水洗式の便所が主流である。つまりそれは上下水道が完備されているということでもあり、崚に「異世界も、案外舐めちゃいけないもんなんだな」と小さな感心を抱かせた。この異世界に来てからおよそ三ヶ月、下水道がなくて当たり前の生活にもすっかり慣れたものだが、割と久々であるはずの水洗式便所にもつい先ほどまで違和感を覚えなかったあたり、慣れとは恐ろしいものである。あるいは、緊張で周囲に気を配る余裕がなかったのかも知れない。



「……なぁ、せっかくだから探検とかしねぇ?」

「何だその無駄に旺盛な好奇心は。うっかり禁足区画に踏み込んで、無礼討ちされたいならどーぞ」



 服の裾で手を拭いていたジャンが、ふと何事かを思いつき、にひひと悪戯少年のような笑顔を浮かべて崚に提案した。

 が、残念なことに相手は崚で、つまりその手の稚気に乏しい男だった。ノリの悪い返答を寄越す崚に対し、ジャンはあからさまに頬を膨らませて抗議した。



「何だよ、つまんねぇヤツ! せっかくの王宮だぜ!? 伝説の武器で溢れ返ってる武器庫とか、秘密の隠し部屋とかありそうでワクワクするじゃん!」

「王宮に何を期待してるんだお前は。もしものことがあったら、俺はお前を囮にして逃げるからな」

「え、駆けっこならオレの方が速いと思うぜ?」

「そこで張り合ってくるなよ……」



 崚の減らず口に対し、ジャンが大真面目に返してくる。確かに敏捷性で言えばジャンの方が上手であり、単純な競走なら彼に軍配が上がるだろうが……崚としては別に足の競い合いをしたいわけではなく、「万一の事態なら遠慮なくお前を見捨てるぞ」という忠告であっ



 ぼこぉん、という轟音が二人の耳を塞いだ。



 同時刻(・・・)複数箇所(・・・・)での爆発が大気を震わし、極大の音と衝撃となって王宮じゅうを襲った。その衝撃は、まったく備えていなかった少年二人を突き飛ばして余りある威力を伴い、二人をして思わず身を竦ませた。崚は真実、誰かに突き飛ばされたのかと錯覚した。



「な、なんだ!?」



 物理的な衝撃から立ち直り、しかし精神的な動揺から立ち直れていないジャンが喚声を上げる。同じように立ち上がった崚に、それに応えている余裕はなかった。

 一ヶ所ではない(・・・・・・・)。崚が首を巡らせ見回した範囲内ですでに三ヶ所、もうもうと火の手が上がり始めている。がやがやと怒号を飛ばし合うような喧騒が、不完全燃焼の黒い煙とともに風に乗り、崚のもとへ届いていた。たった今気付いた彼の目視で三ヶ所ということは、もっと多いし(・・・・・・)もっと増える(・・・・・・)

 それだけでは終わらなかった。ばこん、と爆音とともに煉瓦造りの壁の一角が吹き飛び、もうもうと上がる土煙から、二つの黒い影が飛び出した。



「――いたぞ! 例の傭兵共だ!」

「げぇーっ!?」



 黒い影――黒ずくめのローブを纏った二人の賊が、崚たちを視止め速やかに戦闘態勢に入った。ジャンが殊更に大仰な悲鳴を上げるも、それで止まってくれそうな輩ではない。此方は二人、彼方も二人。機を逃さず踏み込んだ賊二人に、崚たちも仕方なく応戦するしかなかった。

 二人の賊は崚とジャン、それぞれに相対するように吶喊した。ローブの下に、ちらりと鎖帷子のような鎧が見える。駆けながら懐から短剣を取り出した賊に対し、崚は貫手を突き出した。賊の短剣と崚の貫手とが交差した瞬間――崚の腕がぐるりと捻れ、賊の腕に絡みついた。



「なにっ!?」



 予想外の動きに思わず動きの鈍った賊の腕、その裾を崚が掴み、ぐるりと逆回転で引き戻す。腕を逆しまに捩じ上げられる勢いで、賊が思わず体勢を崩した。すかさず崚がその背後に回り込み、賊の首を力ずくで締め上げた。うぐ、と賊の口から苦悶の声が溢れた。



「さて、まずは所属とご氏名を伺おうか!?」

「ぐ……言うと、思ってか!」

「あっ――そッ!」



 あくまで口を割る気はないらしい。たっぷり時間をかけて尋問、などという余裕はなかった。即座に判断した崚は、その腕を掴んで抵抗しようとする賊の頸を抱え込み、

 そして力いっぱい捩じった。



「ごぉっ」



 ごきり、と骨が擦れる重い音とともに、賊の頸が真後ろ(・・・)を向いた。およそ頸椎周辺で鳴ってはいけない類の音とともに、捩じ上げられた喉笛が塞がり、声ならぬ空気の抜ける音が残った。賊はだらりと全身を弛緩させ、それきり動かなくなった。

 崚は首を巡らせ、周囲を見回した。果たして追撃してくるものはおらず、ひとまず無事なジャンがいるのみだった。



「……えげつねぇ殺し方するなぁ……」

「どの口が! もっとクリーンな対処法を披露していただきたいもんだな!」



 そのまま賊の体躯を打ち捨てる崚の所業に、うげぇと呻くジャンは、一方で自分自身も返り血に塗れている。どうやら対手の得物を奪って反撃したらしい。なかなかどうして、この少年も手練れだ。そして返り血の量からして、やり口もえげつない。



「そっちからは、何か訊き出せたか」

「いんや。利き腕獲った(・・・)と思ったら、トドメ刺す前に舌噛んだよ。今すぐ治療すれば、助かるかもしんないけど――」



 崚の問いに、ジャンはかぶりを振った。その足元にある(・・)のは、確かに夥しい量の血を吐いて伏す賊の姿だった。曰く、舌を噛めば即座に自殺できるというのは、フィクションが広めた嘘らしい。今すぐ止血し治療を施せば、あるいは助かるかも知れないが――ジャンが言葉を切った通り、そんな余裕はない。この規模ならおそらく、王宮全体で(・・・・・)このような混乱が拡大している。たかが賊の一人二人に、構っている暇などない。



「とにかく一旦戻るぞ。このまま追い込まれて嬲り殺しァ勘弁だ」



 言うが早く、二人は駆け出した。誰が、何故、どうやって――そんな疑問を抱いている余裕はなかった。意図的に脳裏から追い出しながら、崚は無心に足を動かした。






 ◇ ◇ ◇






 ――時間を少し遡る。



 ヴェームの刻(午後二時ごろ)。ライヒマンの公判にて証言を済ませたエレナは、離宮の中庭にて、王妃セシリアとのティータイムにいそしんでいた。つまるところ、ほぼ三ヶ月ぶりの母娘対面である。

 話題は当然、エレナが身を隠していた間、ヴァルク傭兵団の砦で過ごしていた間のことに集中する。毎日が目新しいことの連続で、慌ただしくも愉快な、きらきらするような日々だった。



「そう、あの男の子に面倒を見てもらったのね」

「王妃様、それは正しくありませんわ。『エレナ様があの連中の面倒を見てあげられた』が正しい事実ですの」

「もう、エリスったら」



 中庭の一角、四人の衛士に囲まれた東屋(ガゼボ)でエレナの話を聞きながら、しみじみと語るセシリアの言葉を、エリスが目を剥いて訂正した。それを苦笑しながら制止するのも、この約三ヶ月ですっかり慣れたやり取りだった。

 崚のことである。エレナの世話役(の、ようなもの)を始めとして、様々な形で活躍した彼のことを、セシリアも認知していた。なおその第一印象は「不思議な髪色をした子だわ」というものだったが、セシリアがそれを発言する機会がなかったのは、僥倖と言っていいだろう。つまり崚かセシリアか、どちらかの首が物理的に飛ぶところだった。



「エリスったら、ずっとこの調子なんです。顔を合わせるたびに文句を言い合って」

「そうなの? エリスはもしかして、あの子を好いているのかしら?」

「んな――!? おたっ、お戯れは、お止しになって下さいまし!!」

「そう? 『嫌よ嫌よも好きのうち』というじゃない?」

「詩人まがいの世迷言にございます!!」



 のほほんとした、冗談なのか本気なのかよく分からないセシリアの言葉に、エリスはキィィーと金切り声を上げた。テーブルの上で菓子を頬張るムルムルが、ゆらゆらと尻尾を揺らしていた。

 確かに、好意的な関係とはとても言い難い。毎度のように目くじらを立てるエリスの態度もさることながら、明らかに彼女を自覚的に挑発している崚にも問題があるだろう。であるのに、お互いがお互いの態度を承知の上でやり取りを交わしているような、不思議な了解が確かに存在する。ある種運命的というか、奇跡のような波長の噛み合わなさと言ってもいいかもしれない。



「冗談ではありませんわ。あの無礼者、何度言ってもエレナ様への不敬を改めない! 戦功があればこそ許されるような――いいえ、わたくしは一度も許しておりません。エレナ様が殊更に寛容でいらっしゃるからこそですわよ!」

「でも、敬意はちゃんと……――まぁ、ないかも知れないけど……でも、気を遣ってくれてるのは分かるよ」



 ふん、と苛立たしげに鼻を鳴らすエリスの言葉を否定しようとしたエレナは、「でも敬意はちょっと感じないかなぁ……」と内心で同意してしまい、否定の術を失った。何とか取り繕ってあげようとしたエレナの試みは、即座にエリスに見抜かれた。



「エレナ様はお優しすぎるのです! ああいう者は、まずはエレナ様への敬意とその表し方について、礼儀作法をきっちり叩き込まなければなりませんの!」

「そうかしら? 武功者ならば、細かな作法など後回しでいいでしょう。まず相応しい褒章が必要ではなくて? アークヴィリア卿とも仲が良いようだし、たとえば騎士叙勲とか」

「それこそ冗談ではございません! あんな粗暴な――いえ、腕は良うございますが……その、悪気はない連中ですが……と、とにかく! 騎士などという身分に値する連中では――」

「――まったくその通りだ」



 声を荒げるエリスの言葉に重ねるように、若い男の声が三人の耳に届いた。

 咄嗟に声のした方を見やれば、黒髪の若い男が、中庭を突っ切るように歩いてきた。王弟ベルナルドの長男、王位継承権第三位エドウィンであった。一同のいる東屋(ガゼボ)へと大股でずかずかと歩み寄りながら、父譲りの鷹のような鋭い目つきで、一同を睨んでいた。



「……エドウィン……」

「これはこれは王妃殿下、ご機嫌麗しゅう。久々に晴れやかなお顔を拝見することが出来て、喜ばしく存じます」



 東屋(ガゼボ)まで辿り着くと、彼はさっとセシリアの前で恭しく膝をつき、挨拶を述べた。慇懃で、しかしどこか白々しい、含みのある言葉に、セシリアは悲しげな表情を浮かべた。



「エドウィン、そんな他人行儀にならなくても。わたしたちは伯母と甥の間柄なのだから」

「いいえ、王妃殿下におかれましては、あるべき礼節を忘れてはなりません。殿下はこの国で最も尊い妻、王配にございますゆえ」

「エドウィン……」



 セシリアの言葉を叩き落とすように否定すると、彼はついでエレナに視線を向けた。



「エレナ様、王位継承権第一位殿下、この度は無事の御帰還をお喜び申し上げます。泥を啜って生き延びられたようですな?」

「……何が言いたいの?」



 貼り付けたような薄笑いとともに述べられる、棘のある言葉に、エレナは眉をひそめた。エドウィンの薄笑いに、悪辣な色が増えた。



王弟(ちちうえ)から伺いましたぞ。何でも傭兵共に混ざって土に塗れ、泥臭い飯を食って凌いだそうですな? まったく嘆かわしい話だ。奴輩共は、御身に流れる血の尊さを解っていないらしい」

「――エドウィン、彼らはわたしたちの窮地を救ってくれたの。それ以上悪く言うつもりなら、わたしも承知できないよ」



 嘲るようなその言葉に、エレナは目つき鋭く言い返した。

 これは傭兵たちというより、エレナへの挑発だ。『薄汚い傭兵共に縋った惰弱な姫』と、遠回しに嘲笑しているのだ。案の定、エドウィンはふんと鼻を鳴らすだけだった。



「フン、どうだか。礼儀も弁えない、金に汚い、卑しい傭兵共が、あのライヒマンめと――あるいはボルツ=トルガレンなる賊共と繋がっていないと、誰が証明できるというのです? 殿下のその恩情が、仇で返されることがないといいですな?」

「エドウィン様、さすがにそのような――」

「誰が貴様の発言を許した!?」



 思わずエリスが口を挟んだ瞬間、エドウィンは目を剥いて吼えた。その形相は、エリスをひぃっと委縮させて余りあるものだった。テーブルの上のムルムルが、即座にぐるぐると唸り声を上げる。



「エドウィン!」

「貴様は誰の前でものを申している!? 尊きベルキュラス王室の許しもなく、偉そうに口を開くな! 貴様こそ礼儀を弁えろ!」

「も――申し訳、ございま――」



 慇懃な態度から一変、怒髪冠を衝かんとばかりに罵声を浴びせるエドウィンに対し、エリスはすっかり震え上がってしまった。突然炸裂したエドウィンの赫怒に、セシリアはおろおろとするばかりだった。



「殿下もだ! あのアークヴィリアめを、咎人の末裔なぞを厚遇するに飽き足らず、薄汚い傭兵共に目をかけるなど! そんな体たらくで、王室の威光が保てると本当にお思いか!? 我らは尊き“水の乙女”を戴く、由緒正しき王権の主であるのだぞ!」

「クライドは、彼の忠誠と働きを認めているだけで――」

「その甘ったれた好意の結果が、ライヒマンめの造反であろうが!」



 ついでエレナにさえ向けられた赫怒に対し、彼女は何とか言い返そうと試みたが、エドウィンの気勢を削ぐには至らなかった。ライヒマンの一件を持ち出されては、彼女も口を噤むしかない。荒ぶるエドウィンを鎮める術を持たず、セシリアも口を噤んで見守るばか



 ぼこぉん、という轟音が一同を襲った。



「――母さま!!」



 エレナは咄嗟に身を乗り出し、母を押し倒すように覆い被さった。二人で東屋(ガゼボ)の陰に押し込むように隠れ、次々と起こる爆発音が止むのを待った。



「な、なんだ!? 何事だ!?」

「エドウィン様、お伏せに!」



 突然の事態に狼狽するエドウィンに対し、いち早く動いたのはエリスだった。半ば強引に手を引き、エレナと同じように東屋(ガゼボ)の陰に身を隠す。護衛をしていた四人の衛士も同じように東屋(ガゼボ)の陰に隠れる中、どごんどごんと、爆発音が遠雷のように響き渡っていた。

 やがて爆発音が止んだころ、エレナとエリスは揃って首を出し、互いに周囲を見回した。すでに離宮の内外、あちこちで火の手が上がっている。ひとまず周囲に怪しい影がないのを確認すると、二人は身を屈めたまま、セシリアとエドウィンの手をそれぞれに引っ張り、離宮の建物へと移動を始めた。



「え、エレナ!?」

「伏せたままで! ここ(・・)はまずい、すぐに動かないと!」



 事態の急変に付いていけないセシリアを強引に黙らせつつ、エレナは身を屈めたまま歩いた。ムルムルが先導するように滑翔し、エレナらの周囲を衛士たちが護衛しながら足早に進む。急ぎつつも、なるべく体を屈めて――()の射線を避けて――

 幸運なことに、建物に辿り着くまで何者の襲撃もなかった。これで終わるはずがない。衛士たちを除けば、エレナもエドウィンも帯剣しておらず、無防備そのものだ。無手で賊と相対する必要がなかったのは、間違いなく僥倖と言ってよく――



「ぬぅっ!?」



 建物の陰から躍り出た黒い影に、衛士の一人が咄嗟に剣を振り上げ、その刃を受け止めた。それを合図とするかのように、建物の陰という陰からぞろぞろと黒い影が姿を現した。その数は――優に十人を超えている。衛士四人で凌げる数ではない。



(――しまった……!)



 エレナは己の失態を悟った。離宮の中庭など、戦闘行動を想定された設計ではない。そんなところに留まっていれば、侵入者にとっては格好の的だろう。無論、侵入された側としても容易に想像でき、それを避けるために一刻も早く(・・・・・)手近な建物に(・・・・・・)避難したい(・・・・・)

 ――つまり、エレナは誘い込まれたのだ。彼女がここまで想定して動くことを計算の上で、嵌められたのだ。






 ◇ ◇ ◇








「何が起きやがった?」



 鎮守王城のあちこちで火の手が上がるのを、カルドクら傭兵たちは兵舎の一角で見守っていた。戸口から身を乗り出すように周囲を見渡し、しかし一向に外へ飛び出さぬ様子に、動揺しきったラグが声をかけた。



「ぼ、僕らも出た方がいいんじゃないっスか?」

「んなこた分かってらァ。武装指示か、その連中を片付ける(・・・・)か、どっちかしやがれ!」

「ぜ、全員武装準備ぃ!」

「もうしてまーす」



 おろおろと狼狽するラグをよそに、団長(カルドク)と団員たちは泰然と――しかし緊張感を保ったまま待機していた。ラグが指示するよりも早く、武装を整えていた団員たちの一部が、黒いローブを着た襲撃者の遺骸を退ける作業に取り掛かった。どろどろと流れ続ける血だまりが、兵舎の床を汚していた。

 このまま兵舎内で待ちぼうけていても、やがて火に囲まれて窒息死するのは明白であり、一刻も早くどこかしらに移動しなければならない。その程度のことは承知していたが、しかし動けない理由があった。彼らは、団員たちの集合を待っていた。何の前触れもなく起きた事変、当然に傭兵たちの誰も備えてなどいない。それぞれ思い思いに散策していた傭兵たちは、慌てて兵舎に戻る必要に駆られた。必然として、居残っていた連中は、それを受け入れ武装準備まで防衛してやる必要があったのだ。

 しかし、それももうじき終わる。外に出ていた連中は、ほぼ全員が(大なり小なり傷をこさえていれど)無事に戻り、今こうして武装を整えている。あとは、崚とジャンの二人だけだ。



「団長、その傷止血しなくていいんすか?」

「あ? ツバつけときゃ治んだろ、こんなもん」

「バケモンかよ……」



 団員の一人が、カルドクの体躯のそこかしこにある創傷を指して言った。爆発と同時に侵入と攻勢を開始した襲撃者たちの一部が、当然のように傭兵たちを狙い急襲したのだが、カルドクは何とこれを無手で迎撃した。賊の攻撃を真正面から受け止め、叩き伏せ、他の団員たちによるトドメを強引に実現したのだ。外出していた者を含めても、傭兵たちの中で最も重傷を負っているはずだが、当人はけろりとした顔で仁王立ちしている。真正面から攻撃を食らいつつ、しかし致命傷を避け的確に反撃するのも、技術のうちと言ってよいか、どうか。

 と、そんな傭兵たちのもとに駆けてくる姿が二つあった。未だ成長途上の、カルドクより頭一つ二つ小さい姿は――誰あろう、崚とジャンだった。



「団長! ラグさん!」

「戻ったか! 怪我は!?」

「何とか無事です!」



 上司の言葉に、崚は息を荒げて返答した。これで全員集結だ。団員の一人エタンが、戻って来たばかりの二人に声を飛ばした。



「ジャン、リョウ、さっさと武装しろ! たぶん防具まで着けてる時間ねーぞ!」

「刀だけ下さい!」

「あいよ!」



 崚の要請に、エタンは荷物の一角からサーベルを見つけ出し、すぐさま投げて寄越した。特徴的な形状だけに、見つけるのも早くて便利だ。崚はベルトの脇にぐいと鞘を押し込むと、周囲を見回して襲撃者がいないのを確認してから、室内へと踏み込んだ。立場上崚が下働きなので、できる限り荷物運びを務める必要がある。……が、すでに団員たちが手分けして荷物を抱えており、崚が負担すべきものはほぼなかった。



「よし、出んぞ! 全員ついてこい!」



 同じように、ジャンが最低限の支度を整えたのを確認すると、カルドクが一同に向かって号令を飛ばした。応、と返すなり、傭兵たちは揃って兵舎を飛び出した。

 そこかしこで火の手が上がり、庭木は漏れなく燃え燻っていた。煉瓦造りの壁のあちこちが破壊され、血とも漆喰とも判別のつかない汚れが、埃に塗れながら燻っている。どんな道具を使い、どんな手段で実現したのか――思考を馳せる意味はなかった。

 行く宛などなかった。大部分が瓦礫と化しつつある鎮守王城で、雑多な人間が右往左往していた。突然の事態に誰もが動揺し、冷静さを失っている。文官、雑兵、騎士、そして黒装束の賊……それらの生きている人間よりも、死んでいる肉塊の方が多い。黒装束の死体は数えるほどしか見えなかった。すでに制圧したのか、目標は別の場所にあるのか。傭兵たちの周囲に、生きている賊は見当たらなかった。

 物陰から黒装束が飛び出した。それを即座に大剣で両断しつつ、カルドクは低い呻き声を上げた。



「……やべェな、こりゃ」

「そりゃ見て分かるでしょこんな状況!」

「そういう意味じゃねェよバカ。――()ちんぞ、こりゃ」

「えぇっ!?」



 カルドクの宣言に、ラグはほとんど悲鳴じみた声を上げた。

 兵法を正しく勉強した者など、この貧乏傭兵団にはいない。それでも、「こりゃ無理だろう」という諦観が、全員に伝播した。そも鎮守王城自体が、防衛戦に向いていない。城塞としての能力は外郭に依存しており、王都内部に侵入された時点で()ちたも同然だ。しかも現状は、王城内部から火が上がっている――つまり最初から侵入を許していたわけで、それを自己鎮圧する能力は皆無と言っていい。襲撃勢力がどれほどの規模かは分からないが、相当なやり手(・・・)であることは確かだ。このままこの城に留まっていても、待っているのは死だけだろう。



「ど、どうすんスか!?」

「……一緒に骨埋める義理までは無ェ、巻き込まれる前にさっさとずらかる(・・・・)ぞ。

 ――お前ら! 今から厩舎に行って、馬と馬車を確保しに行くぞ!」

「そ、そこは向こうも押さえてるんじゃないっスか!?」

「んなこたァ承知の上だ。そのまま蹴散らして、無事な分を何とか分捕(ぶんど)るしかあるめェ。――お前らきっちりついてこい! 遅れた奴ァ、そのまま見捨てるかんな!」



 言いつつ、カルドクは即座に踵を返して厩舎へと向かった。ぞろぞろと慌ただしく付いていく傭兵たちの中で、一人足を止めたままの男がいた。

 崚だった。カルドクの命令を理解しつつ、それでも後ろ髪引かれる思いが、彼の足を止めていた。このままでは、あいつが――あいつらが――エレナらが危ない。

 たかが傭兵が出張ってくる局面でないことは解っている。己一人が駆け付けたところで、事態が変えられないのも解っている。すでに手遅れに(・・・・・・・)なっている可能性(・・・・・・・・)だってある。それでも――迷う崚の姿を見咎め、カルドクが即座に怒号を飛ばした。



「リョウ、それとジャン! 嬢ちゃんとこ行って、安全を確保してこい! できれば騎士の兄ちゃんとも合流してからな!」



 えっと驚愕したのは、当の崚だけではなかった。いきなり名指しされたジャン、そしてラグもぎょっとした表情を浮かべている。



「ふ、二人だけ!? 無茶でしょ!」

「どうせこいつァ勝手に動くだろ。下手に人数割くよか、動きは身軽な方がいい」

「人が独断専行する前提でもの喋るの止めてもらっていいですか!?」



 焦るラグの言葉に対し、カルドクはヘンと鼻を鳴らした。にべもない言いように、思わず抗議の声を上げた崚だったが、命令無視や独断行動した覚えなど――あった。割と決定的な行動に限って、独断で動いた覚えばかりだ。「どうせ言うこと聞きゃしねェ」と言い捨てられる程度には、身勝手に振舞っていたのだった。

 思わず閉口した崚の肩を掴み、カルドクは低い声で言った。



「こっちは先に()を確保しといて、ギリギリまで待ってやる。どうしても難しけりゃ、別ルートで何とか脱出しろ。生き延びさえすりゃ、連絡はあとで何とかなんだろ。

 ――ダメだった(・・・・・)ときゃァ、そのままバックレろ」

「――それは――」



 言い捨てるカルドクに、崚は思わず言葉を詰まらせた。それは――その指示は、『すでに死んでいた場合』のみを指しているのではない。『助けるのが難しい場合』、つまりまだ生きている状態であろうと――



「死人に義理立てすんのは傭兵(おれら)の仕事じゃねェ。まず手前(てめェ)が生き延びて、助けられる人間だけ助ける。そんだけ考えろ」



 言葉にならぬ抗議を上げようとした崚を、カルドクの力強い言葉が捻じ伏せた。有無を言わさぬ力強さに、崚は反論の言葉を失った。



「行こうぜ、リョウ。時間はあんまりない」

「荷物はこっちで預かっといてやる。死ぬなよ、坊主」

「…………分かりました。行ってきます」



 すでに覚悟を決めて準備を整えたジャン、崚から得物以外の荷物をひったくるように受け取った団員の一人アルバンの行動に、崚はようやく覚悟を決めた。考えている余裕はない。こうして迷っている時間が延びるほど、成功率は下がる。

 すうと息を吸って、吐いて。崚は顔を上げてジャンと目を合わせると、即座に駆け出した。







「ほ、ほんとに大丈夫っスか……?」



 一方、残された傭兵たち。改めて厩舎へと歩みを進めるカルドクに対し、ラグが不安げに問いかけた。



「さァな。――うめェこと、アイツ(・・・)に見つけてもらうのを祈るしかあるめェ」

「アイツ?」

「こっち着いたときに、一応連絡はしといた。この騒ぎだ、アイツも動くはずだろ」



 言いつつ、カルドクは煙る天を仰いだ。この手の荒事について、奴の手腕を疑ったことはないが、こと(・・)がうまく進むかどうかは、神頼みでしかない。



蛇の手

 無仁流柔術のひとつ

 手首を素早く捻り、敵の手を絡め取る


 剣を握れば、攻防一体の技と化すように

 複雑だが応用が利き、様々な状況で使える

 状況に囚われない柔軟さこそ、技術の粋である

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