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神宿ル劍  作者: 竹河参号
03章 雷鳴に沈む王城
30/78

02.鎮守の王

 エレナ一行がホテル・イスヘシアの一室に通され、二刻ほど経った頃だろうか。イラの刻(午後四時ごろ)、どんどんと大部屋の扉がノックされた。

 近くにいた崚が、扉を開き応対する。そこにいたのは、胸元にベルキュラス近衛隊の紋章を掲げた兵士だった。



「なんすか?」

「王宮側の受け入れが整った。ヴァルク傭兵団の諸君は、王女殿下とともに、王宮へ参じていただきたい」

「了解です。――団長、ラグさん! 向こうの支度が整ったそうです!」

「おし、お前らも支度しろ!」



 崚の連絡に、カルドクが号令を飛ばし、傭兵たちがへいと勢いよく返事を返す。王女殿下のお供として王宮への参上が許可され、今か今かと気もそぞろに待ち構えていた一同は、すでに一刻前から装備を整えている状態であり、支度まで四半刻と経たずに完了した。

 傭兵たちがホテルの玄関に降りた頃、別室のスイートルームにいたエレナ、エリス、クライドの三名が姿を現した。すでに旅塵を落とし、その身を綺麗に清めている。いくら王の実子と言えど、国王と王妃を前に汚れた姿で対面するわけにはいかないのだろう。「僕らも身綺麗にしといたほうが良かったんじゃないっスか」と、今更のように狼狽え始めるラグをよそに、エレナはホテルマンの一人に向かって声を掛けた。



「急なお願いにも関わらず、ありがとうございました」

「いえ、王女殿下におかれましては、今後のご多幸をお祈りしたく……」

「書状の通り、費用は王宮宛てに請求してください」

「滅相もない。今後とも、どうぞ御贔屓に」



 わずか二刻前の、崚に対するぞんざいな態度とは打って変わって、歯の浮くような台詞を並べ恭しく頭を下げる様は、さすが商売人といった様相である。こういう態度を引っ張り出せる王女の権威というものは、やはり便利だ。






 ◇ ◇ ◇








「ほへー……」



 その間抜けな呟きは、一体誰のものだったのか。少なくとも王女と侍従、そして騎士のものではないだろう。

 色とりどりのステンドグラス、透き通った水晶(クォーツ)、それらを精緻に組み合わせて美しき模様を成す、磨き上げられた内壁――そも内郭からして、瑠璃(ラピスラズリ)を随所に埋め込まれている豪奢ぶりだ。ここまで来ると、この鎮守王城そのものは防衛目的の城塞ではなく、むしろ賓客に対する威厳の誇示を目的とした施設と見た方がいいだろう。近衛隊の紋章を掲げる武官の一人に案内され、広い広い廊下を埋めるベルベットの床敷(カーペット)を歩きつつ、ヴァルク傭兵団一行はきょろきょろと辺りを見回した。かつてタルロオアシスにてライヒマンに言い咎められた時以上の、おのぼりさん(・・・・・・)丸出しの行動だった。かの砂人(オグル)たちも、田舎傭兵たちの想像を容易く上回る文化人ぶりであったが、この鎮守王城は文字通り桁が違う。今踏みしめている床敷(カーペット)ですら、ヴァルク傭兵団の年収をどれだけ上回ることか。すれ違う文官の胡乱げな視線に気づき、何とか体裁を取り繕おうと試みているのは、ラグただ一人だった。なおカルドクと崚は自覚的に無視していた。

 やがて一行は、広間のひとつに通された。上座は一段高く据えられ、二つの椅子の背後に精緻な文様を織り込まれた絨毯が吊り下げられている。そこで一行を出迎えたのは、豪奢な礼服を身にまとった初老の男性だった。



「エレナ様、よくぞお戻りになられました! このモラド、心配で夜も眠れませなんだ!」

「ただいま、モラド。長らく心配をかけてごめんなさい」



 大仰に諸手を広げ、喜色満面という形容に相応しい表情で一同を出迎える老人ことモラドに対し、ムルムルが「きゅ!」と元気よく前脚の片方を挙げ、エレナはにっこりと微笑んだ。エリスとクライドがばっと頭を下げたあたり、三人(と一匹)の顔見知り――あるいは高名な人物なのかもしれない。無論その正体を知る由もないラグが、エレナに問うた。



「エレナ様、この方は?」

「おっと、失礼。名乗りが遅れたのう。儂はホレス・セオドール・モラド、このベルキュラスの執政官の任を頂戴しておる。カルザス陛下の御意を受けて官吏共を遣う、小間使いの頭のようなものじゃ」

「へー……」

「へーじゃない! この国の行政トップってことっすよ、この人!」

「げぇーっ!?」



 モラドの自己紹介に、最初は間抜け声を上げていたラグだったが、目の色を変えた崚のツッコミに悲鳴を上げた。よくよく考えれば、王女(エレナ)と親しい人物ということは、相応に地位のある人物に限定されるのではないか。慌てて礼節を取り繕おうとするラグだったが、悲しきかな田舎傭兵には礼儀作法など無縁の代物であり、おろおろと右往左往するのが関の山だった。

 そして何より幸いなことに、モラドはそれを笑い飛ばせる人物だった。



「ほほほ、エレナ様は愉快な連中と旅を共にしてきたようじゃな! 道中、さぞ賑やかであったとお見受けする!

 ――そう畏まらずともよい。先に述べた通り、カルザス陛下の無茶振りに振り回される役回りであるからしてな」



 茶目っ気たっぷりに返されたモラドの言葉に、ラグはようやくほっと安堵の息を吐いた。その隣で、カルドクが「ウチのバカが失礼しやした」とほざいていた。

 しかし不可解なのは、その行政トップがわざわざ姿を現したということである。あくまでも傭兵団の対応は、このモラドが務めるということだろうか。



「ところで、どうしてモラドが?」

「ええ、エレナ様が傭兵たちを連れていると伺いましたのでな、事前に少し説明をと」



 エレナの問いに、モラドは淀みなく答えた。『事前の説明』が必要になる出来事とは何だろう? ざわめく傭兵たちに向かって、モラドが再び口を開いた。



「おほん。これから諸君は、ベルキュラス国王カルザス陛下への謁見を許される。警備の都合上、一旦ここで武装解除をしてもらわねばならぬ。面倒ではあるが、我慢して従ってくれ。謁見が終われば、別室にて返すでな。

 陛下がお成りの際には、必ず片膝をついて面を伏せること。陛下のお許しがあるまで、顔を上げることも、言葉を述べることもまかりならぬ。

 陛下は寛大ゆえ、多少の粗相などお気になされぬ。だが決して、無礼を働くことはないように」



 その説明に、傭兵たちの間にさぁっと緊張感が走った。国王とは、つまりこの国そのものだ。そんな重大人物と面会する準備など、当然にできているはずもない。無論、彼ら自身に王を害する意図などあろう筈もないが、知らず不躾な態度を取って不興を買えば、即刻処刑もあり得るかもしれない。栄誉以前に、緊張感が圧倒的に勝っていた。

 傭兵たちは言われるがままに武装を解くと、ぞろぞろと入室してきた武官たちに手渡した。これも、緊張を与える一要因だろう。(くわ)(すき)、紙やペンよりも、剣や斧や弓の方が遥かに慣れ親しんできた傭兵たちにとって、それを手放し他者に預けるというのは、なかなかに不安を煽るものだ。そんな傭兵たちの不安をよそに、一人の文官が入室した。



「モラド閣下、陛下のご支度が整いました」

「うむ、ご苦労。――これよりカルザス陛下がいらっしゃる! 各々、先ほど言うたことを決して忘れぬよう!」

「全員整列(せいれ)ェツ!」



 モラドの言葉に、カルドクは鋭く号令を飛ばし、傭兵たちは即座に隊列を組んだ。「うむ、よく練兵されておるな」と感心の声を上げるモラドをよそに、当の傭兵たちは、緊張と高揚で心臓が早鐘のように鳴っていた。

 しばらくあって、がちゃりと部屋の扉が開かれた。すかさず、モラドが朗々と声を張り上げた。



「――第四二代鎮守(ベルキュラス)、カルザス・ヴァン・ベルキュラス陛下のお成りである!」



 即座に違和感を拾い上げた崚を置き去りに、エレナらがいち早く膝をつき、残る傭兵たちも慌ててそれに倣った。

 頭を伏せ、じっと床の床敷(カーペット)に視線を向ける一同の耳に、複数人(・・・)の足音が響いた。床敷(カーペット)による衝撃吸収を差し引いても、しずしずと大きな音を立てない歩きようは、なるほど粗野な傭兵たちとは一線を画す振舞いだと感じた。



「――勇者たちよ、面を上げよ」



 モラドとは異なる、深みのある声が傭兵たちに向けられた。それをモラドの言う『陛下のお許し』と受け取った傭兵たちは、おずおずと顔を上げた。

 一同の前には、合計五人の男女がいた。

 おそらく中心にいる男が、ベルキュラス国王カルザス陛下だろう。豊かな髭をたくわえた、厳かな雰囲気の人物である。齢十五のエレナの父親にしては、やや老けているように見受けられるが、健康そうな整った体格や眦の柔らかさは、なるほどこのお姫様の父親といったところだろう。日ごろの激務を表しているのか、エレナと同じ色の黒髪や髭のところどころに、白いものが混じっている。



「隣におられるのが、王妃セシリア様。そして左から順に、王弟殿下にして蛟竜騎士団の将軍ベルナルド・カイン・ベルキュラス閣下、聖戈騎士団の将軍エグモント・ヴィクトール・ウーゼントルム閣下、そして湖聖騎士団の将軍レイナード・アレスタ閣下じゃ」



 モラドが順に紹介を述べた。明るい茶髪の女性こと王妃セシリアは、なるほど目元がエレナに似ている。王弟ベルナルドとウーゼントルム将軍はそれぞれ年齢が近いように見えたが、鷹のように鋭い目つきでこちらを睨むベルナルドと、切れ長の怜悧な目つきで観察するのみのウーゼントルム将軍では、まったく異なる印象を覚えた。もっとも年若いのが、おそらくアレスタ将軍だろう。燃えるような赤毛を後ろに撫でつけた、齢三十を過ぎたあたりの、落ち着いた雰囲気の軍人だった。



(わ、わ、本物だ! リョウ、本物の王様だぜ!)

(知ってる。知ってるから引っ張るなッ)

(すっげー! 一生自慢できるぜ!)

(聞けよ!)



 崚の隣で膝をつくジャンが、興奮した様子で崚の脇腹を突く。このカルトナの市民でも滅多にない――それこそ、辺境の傭兵ではまず望めない希少な機会であるというのは理解できるが、今一つその高揚を共感できない崚にできることは、ジャンの手を払い落とすことだけだった。

 一方、エレナは膝をついたまま、国王に向かって恭しく頭を下げた。



「陛下、ただいま戻りました。長らく音信不通のまま、ご報告が遅れてしまい申し訳ありません」

「許す。砂人(オグル)諸氏族との対話はどうであったか」

「ここにいる方々のご協力のお陰で、交渉を取り付けることができました。こちらで席を設け次第、すぐにでも参じていただけるとのこと」

「よろしい。仔細は別途報告せよ。まずは、この勇者たちへの労いだ」



 相手が国王であり、エレナは王女である。つまり両者は親子であるはずなのだが、それにしては他人行儀に過ぎないだろうか? 傭兵たちはその違和感を声に出すことなく、しかし互いに顔を見合わせた。一応政治絡みの立場があるので、まあこの場では(・・・・・)そんなものかも知れない――そう納得できたのは、崚ひとりだった。



「――あのォ、ヘーカさんよォ」



 堪らず口をついて問い質したのは、事もあろうにカルドクだった。思わぬ行動に、ぎょっとする者が数名現れた。



「ちょ、団長!」

「貴様ァ、陛下の御前だぞ! 何を勝手に口を開いておるッ!」

「よい、許す。――まずは名を。申したいことがあれば、口にするがいい」



 咄嗟に止めに掛かる隣のラグ、目を剥いて怒声を飛ばすベルナルドをよそに、当のカルザスは鷹揚に応えた。そこで「あっやべ」とようやく無礼に気付いたカルドクだったが、吐いた言葉は呑み込めない。仕方なく、言葉を続けるしかなかった。



「あー……この、ヴァルク傭兵団の団長、あっ二代目、をやっとります、カルドクと言います。

 言いてェのは、その……王様ってこたァ、嬢ちゃ――王女サマの、親父さんってコトでしょう。そんなに堅苦しい言い方は、ちょっと無ェ(・・)んじゃねェですかい。もうちっと、こう……心配とか、何とか」

「何とかって何スかこの筋肉達磨!」

「うるせェ俺だって言葉選んでんだよ!」



 半ば悲鳴じみたラグの罵声を、カルドクが叩き落とした。慣れない敬語と礼節への緊張で、カルドクもいっぱいいっぱいだった。その騒がしい姿を見て、カルザスの目線がふっと緩んだ。



「……ふっ。道中、良き出会いに恵まれたようだな」

「はい、とても良い人たちです」



 父王の言葉に、エレナが柔らかな笑顔で応える。厳粛な建前を維持できなくなったカルザスは、ついに相好を崩し、親しげな様子で一同に語りかけた。



「すまんな、諸君。(まつりごと)に関わること故、親子である以前に『国王』『王女』という身分で応対しなければならんのだ。

 ――エレナよ、よくぞ無事に戻って来た。父として、お前の帰還を心から喜んでいる」

「はい!」

「積もる話もさぞ多かろう、この場では不足だ。モラド!」

「はっ、別室を用意しております。茶の用意も整えておりますので、詳しい話はそこで」



 カルザスの言葉に、示し合わせたかのようにモラドが呼応する。文字通り建前の礼節をかざすべき場は、これにてお開きといったところだろう。



「諸君。よくぞここまで、(エレナ)を守ってくれた。ベルキュラスの王として、そして父として、諸君の勇猛と忠義に感謝する」



 急激に弛緩した空気の中、カルザスが傭兵たちに向かって朗々と述べた。嘘偽りない感謝の言葉は、およそ平民に向けられるには最上級の栄誉に違いない。カルドク以下は慌てて礼儀を正そうとするも、そもそもそんな礼儀を持ち合わせていないことを思い出した一同は、黙って項垂れることしかできなかった。カルザスとセシリア、そしてモラドがにこにこと微笑みを浮かべる一方、アレスタは愛想笑いを崩さず、ウーゼントルムも無表情を守っていた。そしてベルナルドは、眉間のしわをいっそう深めるばかりだった。



「団長と参謀殿、そしてアークヴィリア卿は付いて来給え。他団員の諸君には大部屋を用意しておる。一足先に旅塵を落とし、ゆっくりと休み給え」



 モラドと文官の一人とがそれぞれに一同を案内する中、ふとカルドクが崚へ声をかけた。



「おい、リョウ。お前も来い」

「えっ。いや(ヒラ)団員なんだから向こうに」

「何すっとぼけてんスか。君が来ないと話が進まないでしょ」



 他の団員たちに紛れて逃げようとした崚を、上司二人はきっちり見逃さなかった。他でもない崚にとっては、これからが修羅場の本領である。






 ◇ ◇ ◇






 モラドに案内された一行は、別室――大きな長机がひとつ置かれた、会議室のような部屋に通された。

 そこで、一行はこれまでの顛末をカルザスらに語った。イングスへの道中で起きた死に蠢く(エンピエル)の襲撃、身を隠すため傭兵団の砦へと転がり込んだこと、グレームルを連れたボルツ=トルガレンの襲撃、ライヒマンの裏切り、エンバ・ガーヴルとの死闘、氏族長会議とシルヴィアの乱入、骸鳥の急襲――説明の主体は、代表者であるエレナだ。時折エリスやクライドが補足する程度で、傭兵たちが口を挟む隙はほとんどなかった。



「……王室をつかまえて雑用だと……!? 卑しい傭兵共が、貴種を何だと思っている!」

「エレナ様がご身分を明かせなかったんで、あの時はあれが落としどころだったんス……!」



 と、目を剥いて声を荒げるベルナルドの叱責と、絞り出すようなラグの言い訳が、ほんの少し話をかき乱した程度か。

 さて、カルザス本人は、王女(エレナ)の説明を黙って聞いていた。滔々と語るエレナの説明に対して、一切口を挟むことなく、「以上が、今回の顛末です」という言葉を最後にエレナが口を閉ざしたのを受けて、ようやく口を開いた。



「……まずは、ライヒマンの件。残念だったな」

「はい……」

「アークヴィリア卿も、よくぞエレナを救ってくれた」

「はっ。恐悦至極にございます」



 国王(カルザス)からの労いの言葉に、クライドがばっと首を垂れる。国家に忠を捧げる騎士としては、まさしく至上の栄誉だろう。言葉一つでその忠が報われるのだから、騎士という生態も存外安上がりと言っていいか、どうか。



「だから言ったのだ、陛下。あれ(・・)は信用ならぬと」

「言うな、ベルナルド。元はと言えば、謂れなき罪咎を見過ごし、やつを見捨てた我々にも責任がある」



 噛みつくような物言いのベルナルドを、カルザスがやんわりと宥めた。いつかエレナが語っていた、政争に敗北したことで冤罪を着せられた件だろう。確かに、そもそも『見捨てられた』という意識がライヒマンに――それを植え付けるような出来事がなければ、裏切りという行動に出なかったかもしれない。真相を知らなかったのか、知っていてなお止められなかったのか……過去の事実がどうあれ、今となっては何の意味もない。



「それで……君が、やつの代役として、砂人(オグル)諸氏族との交渉を務めてくれたわけだ」

「いえ、その……なんか、たまたま言葉が通じてるんで、なりゆきで……」



 急に水を向けてきたカルザスに対し、崚はもごもごと口ごもるしかなかった。崚としてはずっと普通に喋っているだけで、いまひとつ実感がないのだ。いや『本来の通訳が使えなくなった状況で、双方の言語を高精度に翻訳できる人間』という客観的な重要度は分かるのだが、崚自身の努力や研鑽とは程遠く、賞賛に足る行いとは思えない。



「他にも、イシマエルたちの対処など、多くの局面で貢献してくれました。彼が一番の功労者と言っても過言ではありません」

「ちょ、バ、やめろォ!」

「君こそやめなさいコラァ!」



 そんな崚の態度に、まさかのエレナから追撃があったため、崚は慌てて大声でかき消すように喚き散らし、ラグによって力ずくで口を塞がれた。この小僧、言うに事欠いて王様の前で、お姫様を『バカ』呼ばわりしようとしやがった!

 と、そんな賑やかな傭兵たちから目を離し、カルザスは話を戻した。



「――それで、あのシルヴィアの口利きで商取引の提案、と……あれ(・・)は元気だったか?」

「はい。相変わらず、頼りになるお姉さんでした」

「それは良かったわ。最近大公殿下と関係がよろしくないと聞いていたから、ずっと気がかりだったの」



 エレナの返答に、王妃セシリアが安堵の声を上げた。そういえば、シルヴィア曰くカルザスの妹の娘であり、つまり国王夫妻にとっては姪に当たる。実の父親と関係が悪いとあれば、身内として気がかりであろうが――実態は『ただの反抗期』と、本人がけろりとした顔で語っていた通りである。それを崚の口から明かすべきか、どうか。

 ともあれ、健勝ならば問題なしと、シルヴィアの話題はそこで終わった。口を開いたエレナの顔には、僅かな陰りが生まれていた。



「その……ライヒマンは今、どんな状況なんですか?」

「殿下らが帰還した故、明日以降から公判を執り行う手筈となっております。今は、大人しく取り調べを受けておるそうです」



 それに対し、返答したのはモラドだった。エレナとしては喜ばしいことと言っていいだろう。裏切者だったのは事実だが、本人の言い分も聞かず一方的に処断するような不公平は、決して容認できるものではない。



「ところで、ライヒマンとボルツ=トルガレンめの間には、繋がりがなかったのか? お前が襲われたのは、やつの画策ではないと?」

「と、思います……少なくとも、本人が取り調べでそう言っていないのであれば」



 カルザスから投げかけられた問いに、エレナは釈然としない回答を述べた。――確かに今から思えば、エレナを襲ったボルツ=トルガレンの所業の数々も、ライヒマンの策略だったという可能性は否定できない。しかし関係者が見る限り、当のライヒマン自身も戸惑っていたように見受けられる。あれらがすべて演技だとすれば、ライヒマンはとんだ名俳優だろう。



「……君たちはどうかね? 君たちから見て、やつらが通じていた可能性は感じたか?」

「ん゛~……どうっすかね……?」

「一歩間違えば、ライヒマンさん本人も巻き込まれてた状況っス。可能性としては低いんじゃないっスかね」



 カルザスは次に傭兵たちにも水を向けたが、カルドクもラグも、煮え切らない回答を述べることしかできなかった。死に蠢く(エンピエル)についてもグレームルについても、ライヒマンはずっと襲われる側にあった。身内(エレナ)を騙すための演技にしては、あまりにも体を張りすぎだ。知能など無きに等しいあの連中の矢面に立てば、諸共に殺される危険性の方がずっと大きい。

 ――何より重大な問題は、そうまでしてエレナをつけ狙うボルツ=トルガレンの目的だろう。砂人(オグル)諸氏族との和平を妨害したところで、ボルツ=トルガレン自身の利益になるとは言い難い。『カドレナの主権回復』という本来の理念において、いかなる利益にも寄与しない。連中は、何のためにエレナを襲い続けたのか?



(……あるいは、シルヴィアの言う通り、カドレナ主戦派の意向を受けて……?)



 それを口に出すべきか――やめとこう、と崚は口を閉ざした。迂闊な言葉を用いれば、今度はシルヴィア自身の立場が危うくなる。特に目の前のベルナルドなど、鬼の首を取ったように騒ぎ出す公算が高い。

 今一つ核心に至らない議論に、カルザスはアレスタへと水を向けた。



「アレスタ、どう思う」

「彼らの証言を尊重するならば、ボルツ=トルガレンの件は悪い偶然だったという可能性がありますな。

 あるいは裏で繋がっていたとしても、ライヒマン本人は捨て石にされたのやも知れませぬ。いずれにせよ、純粋な意味で協力関係があった可能性は低いかと」



 アレスタの意見は、客観的に言って無難な回答としか評せまい。だがそこに、これ見よがしに噛み付くものがあった。



「――ほぉーう。『悪い偶然』、か。物は言いようだな、アレスタ?

 身内に裏切者を抱えていたベルキュラスの使節を、都合悪く(・・・・)属領の賊徒が襲うと? 随分と裏切者を庇うのだなァ? それとも、庇っているのは賊徒めの方か? ん?」



 勿体つけた厭味ったらしい言い方をするのは、誰あろうベルナルドだった。ふんとわざとらしく鼻を鳴らす様子に、第三者のカルドクさえ思わず顔をしかめる。対してアレスタ本人は、その端正な顔に不快感を表さず、わずかに眉根を寄せるだけだった。



「……閣下は……いや、殿下は、この私を疑っておられると?」

「そう思っても構わんが、否定できる根拠はあるのか? なにしろ連中は貴様と同じ大公領の出身だ、親近感でも抱いているのではないかな?」



 『親近感』の主体は、果たしてどちらに掛かっているのか。どちらでもベルナルドの主張は成立する。『属領上がりの将軍』ことアレスタを吊るし上げるためなら、仔細などなんでもいい。

 あまりの暴言に、さすがの兄王(カルザス)も制止にかかった。



「止めよ、ベルナルド」

「いいや、止めんぞ。陛下は甘い。属領上がりのこの将軍が、この無法者の傭兵共が、裏で賊徒共と繋がっていない証拠でもあるというのか! 事ここに至って、疑わしきは片端から調べ上げねばなるまい!」



 しかし、ベルナルドの気勢は一向に衰えない。唾を飛ばして吼えるベルナルドに、さしものカルドクたちもぎょっと目の色を変えた。いくら王族といっても、まさか本人たちの目の前で、逆賊呼ばわりも同然の言葉を口にしていい道理があるものか。



「……殿下。確たる証拠もなしに、そのような暴言は……」

「貴様は黙っていろ、エグモント! どいつもこいつも証拠証拠と――そうして手を(こまね)いた結果がこれだ! 王位第一継承者の身が危ぶまれたのだぞ! このベルキュラス王家の、“水の乙女”の血を引く由緒正しき王家の威光が、(ゆるが)せにされたのだ! その一大事を見過ごし、いつまでも悠長に構えた結果が、破城槌となってこの王城を()とすことにならぬと、どこの誰が保障できる!?」



 思わず口を挟んだウーゼントルムの言葉すら遮り、ベルナルドは顔じゅうを口にする勢いで喚き散らす。烈火のごとき気勢は、もはや誰にも止められなくなっていた。

 よくない流れが成立しているのは事実だろう。崚の推測が正しいのなら、王宮でさえボルツ=トルガレンという反社会的勢力の全貌を把握できておらず、今回の襲撃を予知できなかったということになる。連中への対策として、秘密裏に移動しようとしていたにも関わらず、である。たまたまヴァルク傭兵団が居合わせ助けることができたから良かったものの、そうでなければ王女誘拐――あるいは死傷という椿事に至っていたことは、想像に難くない。行きつく先は、権威の失墜と社会秩序の崩壊……すなわちベルキュラス王国そのものの瓦解だ。紙一重の危機を現実に許してしまった以上、悠長に構えている余裕はない。



「――そこまで言うならば、お前がやつばら(・・・・)を捕えてみせよ」



 同じように考えたのか、カルザスはベルナルドをこれ以上制止することが叶わず、不承不承に言葉を紡ぐことしかできなかった。



「第四二代鎮守(ベルキュラス)として、蛟竜騎士団の将ベルナルド・カイン・ベルキュラスに命ずる。王国のため、ボルツ=トルガレンなる賊徒共を征伐せよ」

「是非もなく!」



 兄王(カルザス)の言葉に、王弟(ベルナルド)は威勢よく気炎を吐いた。その態度はまるで、敵対者に対するそれだった。



悪霊

 低位の邪悪な霊的存在の総称

 墓地や戦場跡に出没し、その怨念で生者を呪う

 言葉を発するものの、会話が成り立つことはない


 実体を持たず、尋常な武器では傷付けられないが

 法術には極めて弱く、たちどころに霧散する

 邪悪を祓ってこそ、一人前の神官である

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