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神宿ル劍  作者: 竹河参号
01章 厭世の異界紀行
3/40

03.初陣

 エギル山賊団は、カーチス領の南西一帯を縄張りにしている山賊団である。

 総勢五十人。その悪名は、領邦の外まで聞こえるほど高かった。たびたび近隣の村に降りては、食糧を奪い、金子を奪い、村人を殺し、女を犯す。領民からは蛇蝎のごとく嫌われ、討伐のため辺境伯から何度も兵団を差し向けられてきたが、しかしこれをすべて退けてきた。辺境伯の正規軍、雇われた傭兵団、時には同業の山賊団が名を挙げようと襲撃してきたこともあったが、すべて返り討ちにしてきた。

 首領エギルは狡猾な男だった。打ち捨てられた古い砦を根城にし、類稀な知略によって強固な防衛陣を構築していた。文字も読めず、学も碌にないはずの男だったが、同じごろつき(・・・・)共を束ねて、正規軍と渡り合えるほどの防衛陣を構築できたというのだから、まさに天賦の才といっていい。生まれさえ違えば、ひとかどの英雄としてベルキュラス王国史に名を残していたかもしれない。

 が、現実はそうではなかった。彼は天性の掠奪者だった。自ら汗水垂らして労働を行うよりも、その成果を横から奪うことを好んだ。栄光を以て領主や国家に仕える煌びやかな生活よりも、気ままに酒を飲み女を犯す享楽的な生活を好んだ。人には分際があるというが、結局のところ、彼も己の分際に従った生き方をしているのかもしれない。

 そのエギル山賊団の転機は、一つの依頼によって訪れた。

 当然、まともな依頼ではない。普通の仕事であれば、傭兵団なり冒険者ギルドなりに掛け合えばいい。それを悪名高い山賊団に依頼するというのだから、自然、後ろ暗い仕事だった。



「――五日後、『標的』がロロの森を通る。そこを狙え」



 ぐいと酒杯を呷るエギルの前で、その男は言った。頭巾(フード)を深くかぶり、厚手の外套(ローブ)に身を包む異様は、男の風体を悟らせない。

 砦の広間には緊迫した空気が満ちていた。頭巾の男とエギルとが相対し、その周りを手下共がぐるりと取り囲んでいる。押しつぶさんばかりの威圧の中、頭巾の男は泰然と立っていた。

 ――いや、これは本当に男なのだろうか? 外套で覆い隠された姿と、頭巾でくぐもった声音では、相手の性別すら怪しい。外套をひん剥けば正体が露になるだろうが、それをするために手下が何人犠牲になるか、知れたものではない。頭巾の人物がただ者ではないことを、エギルの長年の勘が告げていた。

 何より、意味がない。わざわざ貴族の子女を殺すために、大金を投じてくれるというのである。

 ぼうぼうに生えた髭をなでながら、エギルは下卑な笑みを浮かべた。



「ロロの森ね。ハ、俺たちにとっちゃ、庭みてぇなもんだ」

「言っておくが」



 楽な仕事だ、と悠長に呟くエギルに対し、頭巾の男は念を押すように言った。



「仕損じれば、貴様らの命はない」

「――このエギル様が、しくじるって言いてぇのか」



 侮るような物言いに、エギルが目の色を変える。呼応するように、手下共も色めき立った。頭巾の人物は、動揺した風もない。



「そう思っていれば、金など積まない」

「……ふん。分かってるじゃねぇか」



 頭巾の人物の物言いに、エギルは殺気を収めた。



「いいな、確実に殺せ」



 頭巾の人物は最後にもう一度念押しすると、踵を返して去っていった。手下の何人かが押しとどめようとしたが、エギルがやめさせた。

 頭巾の人物の気配が完全に消えると、広間の緊張はようやく解けた。



「――ふん。たかが小娘に、随分な熱の入れようだ」



 エギルは鼻を鳴らし、そして酒杯を呷った。何から何まで怪しい人物だったが、酒の趣味は悪くないらしい。前金とともに寄越された酒は、これまでになくエギルを上機嫌にさせた。『手下どもにもよく振舞ってやれ』と言われたが、この分ではエギル一人で飲み干してしまいそうだった。

 手下の一人が、不安げにエギルを見やった。



「親分、本当にやるんすか?」

「当然だ。ガキ一人()るのに、これだけ出してくれるんだぜ」



 エギルは、卓上に残された革袋を掲げた。エギルの大きな握り拳よりもさらに大きな革袋に入った金貨が、ちゃらりと魅惑的な音を立てる。

 成功の暁にはこれの倍を払ってくれるというのだから、随分な太っ腹である。どうしても殺したければ、こんな山賊団に任せず、自分たちの手で殺せばいい。それをしない理由がどこにあるのかは知らないが、エギルには関わり合いのない話である。標的が何者だろうが、知ったことではない。



「相手は騎士が出てくるんじゃないすか」

「数で囲めば、どうとでもなる」



 ロロの森は深く、見通しが悪い。潜伏するにはちょうど良く、取り囲んだところに一斉に火矢でも放てば、あっという間に始末できるだろう。攻めるに易く、守りに難い場所だった。



「それとも何だ、ビビってんのか」

「い、いや」



 凄んだエギルに、手下がたじろいだ。

 ならず者共を束ねるのは、力である。それは単純な腕力ではなく、時に『風格』という形のないものとして求められることがある。殺しの依頼一つに躊躇っているようでは、エギルがこれまで築き上げてきた風格が揺らぐ。何より、生まれてこの方負け知らずのエギルの意地として、この依頼を拒むことは許されなかった。



(それに、だ)



 エギルには、別の思惑があった。

 殺せと言われた。が、いつ(・・)殺せとは指定されていない。無論、それまでに標的がどうなっていようと、こちらの勝手である。



「貴族のお嬢様を強姦(ころ)すってのも、悪くねぇな。ヒヒ」



 そういって、エギルは再び酒杯を呷った。お貴族様がどんな声で鳴くのか――彼は仕事を終えた後のお楽しみ(・・・・)を想像し、期待に胸を膨らませていた。






 ◇ ◇ ◇






 崚がヴァルク傭兵団に転がり込んでから、一ヶ月が過ぎた。



「よっこいせ……と」



 崚はモップを壁に立てかけ、磨き上げた廊下を見渡した。掃除も洗濯も、板についてきた。



(これで掃除終わり。洗濯は団員の帰還待ちで――あとは、武器庫の点検だっけ?)



 窓から差し込む陽気が、崚の足元に落ちる。たしか、先ほどヴェームの刻(午後二時ごろ)を過ぎたはずだ。頭に巻いた手拭いをほどきつつ、崚は残りの仕事を思い返す。

 仕事は多い。

 掃除洗濯だけではない。畑の耕作、馬の世話、飯炊きに風呂焚き。最近は、備品の買い出しも任されてきた。どれも傭兵団の運営維持に欠かせない業務であり、かつてはラグの指揮のもと、団員の持ち回りで行われてきたそれらは、崚という下働きを得たことで、そのほとんどが彼の仕事となった。無論、全てが彼一人の手に負えるものではなく、飯炊きや馬の世話はこれまで通り得意な団員の指導を受けたり、耕作は手の空いている団員に手伝わせたりしている。

 そうして雑用に追われるうち、一ヶ月が飛ぶように過ぎた。事件も波乱も無く、予兆らしいものも無く――なんというか、平和である。

 平和は結構だけどさあ――と手拭いで汗を拭きつつ、崚はぼやいた。



「あの変態め」



 道化から、一向に接触がない。



(なーにが『異世界冒険ツアー』だか。小学生のお仕事体験じゃねえんだぞ)



 崚は最初から、道化の言葉を信用していなかった。まさか額面通り、崚に異世界を冒険させることが目的などではなかろうし、ましてこんな下働きを体験させることでもないだろう。崚をこの異世界へと召喚し、そして何か(・・)をさせることが真の目的であるはずだ。

 ところが、その何か(・・)が分からない。どころか、それを指し示すべき道化から、その提示が一切ない。今回は偶然カルドクらに遭遇し、こうして傭兵団に拾われたからいいものの、崚に万一のことがあれば、目的の達成は危うくなる。それを避けるためには、少なからず彼を誘導する必要があったはずである。

 それがなぜ、何の音沙汰もない――?



「よーっす、リョウ」

「おう、戻ったか」



 思考に沈む崚の背後から、ジャンの声がかかった。

 崚がそちらを見やれば、依頼で出撃していた団員も続々と戻ってきていた。



「あ、洗濯物あるなら早めに出してくださいよ」

「おー」



 しゅるりと手拭いを頭に巻きながら呼びかける崚に、団員の一人が生返事を返す。あの様子では、洗濯物が出てくるにもそれなりの時間がかかるだろう。催促しても無駄なのはこの一ヶ月で充分に承知しているため、崚は諦めてジャンに向き直った。



「で、どうだった」

「んー、今日のはハズレ。ミツラトの西の森でグレームルが出るって話だったんだけど、ガセだったみたいだ」



 そういって、ジャンは肩をすくめた。大物を相手にするだけに、その見返りとなる報酬も莫大だったはずなのだが、空振りとあっては仕方がない。契約の都合上、出撃しただけではびた(・・)一文もらえない。異世界の経済事情も、世知辛いものだった。



「何か多いな、そういうの」

「そうでもねーよ。ここ一ヶ月くらいで増えたって感じかな?」

「ふぅん……」

「グレームルの相手なんて勘弁してぇから、出なくて済むのはいいんだけどな」

「でも、それで金が入らなきゃ、商売あがったりじゃねえか」

「心配いらねーよ。リョウにも稼いでもらうからな」

「あ?」



 素っ頓狂な声をあげる崚に、ジャンが首をひねった。



「あれ、聞いてねーの? 次の依頼はリョウも一緒だぜ」



 初耳である。崚にも武術の心得はあるが、実戦経験でいえばプロの傭兵に勝るべくもない。ラグも、当面のところ投入の予定はないと言っていなかったか。



「豪商の護衛をやるんだってよ。久々の団員総出だ、リョウも戦えるんだろ?」

「……まあ、それなりに」



 ジャンの問いに、崚は曖昧に返した。今までのような、強者気取りの不良共が相手ではない。十余年で培ってきた暴力が、どこまで通用するか。

 というか、砦を留守にしてしまってよいのだろうか。留守番とか必要ないのだろうか。崚の心配は、誰にも届かないことが確定していた。



「明日には砦を出発するらしいから、今のうちに武器を用意しとけよ。……たいがいボロしか残ってねーから、目ぼしいのは無いかもしれねーな」

「って明日かよ!? ……ま、いいや。どのみち今から武器庫の点検をするとこだったから、合わせて選んどくわ」

「あ、じゃあオレも手伝うよ」

「おー、悪いな」



 崚は立てかけたモップを拾い上げ、ジャンと並んで歩きだした。



 明日には初陣。

 素直に喜ぶ気になれないのは、やはり俺も人の子だろうか。



「ん? 今何か言ったか?」

「んにゃ、何でも」



 ――馬鹿馬鹿しい。

 隣のジャンに気付かれないように、崚は小さく嗤った。






 ◇ ◇ ◇






 ヴァルク傭兵団には、『己の得物は己で管理すべし』という暗黙のルールがある。

 質のいい武器が欲しければ各自で購入し、手入れも自分でせよということであり、武器庫にある武器は、得物が壊れたときに新品を買い直すまでの代用品でしかない。したがって管理もぞんざいであり、その殆どが錆びていたり、刃が欠けていたりと、使い物にならない。

 だからこそ、碌に汚れていない“それ”は異様だった。



「…………何だこれ」



 錆や刃こぼれでぼろぼろになった直剣。その脇に、それは落ちていた。

 形は日本刀に近い。刃をしまう黒漆の鞘は、周囲の剣と比べて明らかに細く、緩やかな反りがある。鞘には鯉口の僅かな金飾り以外に装飾が殆どなく、くすんだ金色の護拳は無骨な四角形を描いている。

 サーベルである。

 崚はサーベルの鞘を掴んだ。ずしりとした重みが手にかかるが、鉄の塊であることを踏まえると、恐ろしく軽い。ちょうど拳一つ分が収まる護拳に対し、そこからさらに伸びる柄が、異様といえば異様だった。両手持ちを想定しているというには、護拳の位置が中途半端である。

 何故、こんなものが――?



「おーい、いいの見つかったかー?」

「え? あ、えーと……」



 ジャンの呼び声に、崚ははっと我に返った。



「あれ、何だこれ?」

「さあ……よく分かんねえ」



 ジャンは怪訝そうな顔をしてサーベルを覗き込み、手元の点検書類に目を落とした。崚はこの世界の文字が読めないので、点検は彼に任せている。

 崚が刃を確認しようと柄に手をかけた瞬間、


 眩い光が、彼を飲み込んだ。



(は――!?)





    ――見つけた…………





「うーん、備蓄記録には載ってないなぁ……」



 ジャンの唸る声が彼方から響き、崚の意識は現実に引き戻された。

 何だ、今のは。



「ん? どうかしたか?」

「いや、今何か…………まあいいや」



 彼には今の光が見えなかったらしい。不思議そうな顔をされたので、崚は追及を諦めた。



「で、えーと、リストにはないのか?」

「ああ。こんな細い剣、あっても誰も使わないと思うけどなぁ」



 確かにこの一ヶ月間、崚は刀を扱う人間を見ていない。

 片刃の剣なら何度かあるが、厚さも重さもこれの倍はある。そもそも刀自体がひどく脆いため、あまり好まれない。「叩き斬る」ことを重視する両刃剣と、「引き斬る」ことに特化した刀とでは、要求される技術も扱い方も異なる。使い手を選ぶ殺傷能力を度外視してしまえば、あとには耐久性の低さばかり目に付いてしまうのだった。

 崚は鯉口を切り、すらりと鞘から引き抜いた。刃渡りは目測で三尺(約九十センチ)くらい。江戸時代の打刀が二尺三寸くらいであったことを考えると、やや長いくらいだろうか。その刃には曇り一つなく、ゆったりと波打つような刃紋が刃を伝って伸びている。錆も刃毀れもなく、武器としては問題なく使えそうだった。この様子だと、研ぎも必要ないかもしれない。

 当然のことながら銘は見えなかった。目釘を引っこ抜いて検めてもいいのだが、戻せなくなると厄介だ。日本刀の手入れについてさえ詳しく知っているわけではないし、洋刀(サーベル)ともなれば尚更だ。



「使えそうな感じだな。それにするか?」

「そうだな……」



 ジャンの問いに、崚はしばし迷った。

 耐久性の問題に、手入れの問題。命を預けるには心細いし、ましてや怪しい反応をする剣。何も考えずに持ち歩くには、いささか不安が多すぎる。とはいえ、崚に魔術的な知識はなく、その正体を推察する材料がない。先ほどの光だって、何がどんな要因で発生し、その結果何が起きたのか、さっぱりわかっていない。



「それとも団長のお下がり使う? 今度新調するらしいよ」

「……これ使うわ」



 とんでもない提案をされたので諦めた。自分の身長ほどもある剣はとても扱えない、というかどうやって振り回してんだあの人。






 ◇ ◇ ◇






 三日後の朝、チムの刻(午前十時ごろ)。崚を含む傭兵団一行は、カーチス領都イングスにいた。

 正確には、その外縁部。石造りの城壁に囲われた、木製の大扉の前である。大型の豪奢な四輪馬車(キャリッジ)が一台と、幌馬車(キャラバン)が二台並んでいた。



整列(せいれ)ェツ!」



 カルドクの轟くような声が響き、傭兵団の一同はずらりと隊列を組んだ。崚も、一同に紛れるようにジャンの後ろに並ぶ。それを受けて、カルドクの傍らにいるラグが一同の前に進み出た。



「こちらが、今回の護衛対象のラゴータ・マルク氏です。ハイ皆さん挨拶!」

「よろしくお願いしゃす!」

「しゃす!」



 ラグの号令と共に、一同が一斉に頭を下げる。まるで学生の校外学習のようだと、一緒に頭を下げながら崚はどうでもいいことを考えていた。といっても、やることは校外学習どころではないのだが。



「ほほ、よい武辺者揃いじゃのう。よろしく頼むぞ」

「ウス」



 居並ぶ傭兵たちの威容を見て、豪奢な装いに身を包んだ中年の男がほほほと笑い、カルドクが朴訥に返事をした。マルク商会会長ラゴータ・マルク氏である。

 今回の任務は、このマルク氏をベルキュラス王都カルトナに送り届けることである。護衛対象とその取り巻きを馬車に押し込み、その周囲を団員が取り囲んで目的地まで移動する。カルトナにて大口の商談があるということで、マルク氏本人のほかにも大量の荷物があるため、傭兵団二十七人全員が参加する一大行軍と相成った。

 行程は五日。馬はマルク氏側の荷物やこちら側の兵糧などを積んだ幌馬車(キャラバン)に使うため、全員が徒歩(かち)である。「ただ歩くだけで報酬がもらえるなんて、楽な仕事だよな」とジャンは笑っていたが、崚はそれに同意する気になれなかった。休憩込みとはいえ、五日間歩き通し。無論そんな行軍を行った経験はないし、なによりただ(・・)歩いていればいいというものではない。道中での賊の襲撃に備え、常に気を張っていなければならないのである。

 崚はおのれの装備を見やった。獣の皮をなめした皮鎧は、正直なところ万全とは程遠い。とはいえ、重厚な金属鎧など纏った経験はなく、初陣でいきなり着けたところで、体力ばかり消耗するのが関の山だろう。何より、この貧乏傭兵団に金属鎧などという高級品はない。未だ稼ぎもない下働きである崚にとっては、このような最低限の装備が与えられるだけ有情というものだった。

 とにかく。傭兵団が依頼を受け、受け取る金があるのならば、それは命を抵当に入れた商売だ。心身の無事を保証してくれるものなど何もなく、それこそが金を受け取るに足る理由。傭兵とはそういう稼業である。

 気を引き締めてかからねばならない。ぱんぱん、と両手で頬を叩いた崚の頭からは、背負った剣の怪現象のことなど、きれいさっぱり消えていた。






 ◇ ◇ ◇






 イラの刻(午後四時ごろ)、太陽が西に傾きかけたころ。リム街道の脇、天領(王都カルトナの直轄地)のとある丘の上で、一つの馬車隊が休憩していた。

 その周りを、ぐるりと多数の兵士が取り囲んでいる。民兵がいれば、正規兵もいて、若干名ながら騎士もいる。軽重あれど着込まれた鎧甲冑の数は、合わせて五十以上。およそ尋常と言い難いほどに物々しい集団が警護しているのは、二台の幌馬車(キャラバン)と一台の四輪馬車(キャリッジ)だった。

 その四輪馬車(キャリッジ)を少し離れたところで、一人の少女がうーんと伸びをしていた。艶のある黒髪を後ろで結い、絹地の旅装を着込んでいる。細やかな金の刺繡が施されており、丁寧な作りながら軽量かつ薄手の、高級な旅装である。オルステン歴七九一年も二ヶ月を過ぎ、すでに夏の兆しが訪れていた。



「うーん、やっぱり馬車は疲れるなぁ……腰が痛くなっちゃう」



 腰をさすりつつ、少女がぼやいた。鉄輪に皮革を被せた車輪は、小石や段差による衝撃が殺しきれずに車内まで届き、ただ乗っているだけでもそれなりに疲弊する。この馬車は、皮革の替わりに樹脂を使った最新式の車輪を使用しているため、少しはましな乗り心地のはずなのだが、高価なうえ消耗も激しいらしく、あまり流通していないそうだ。

 最近、王国の魔導局で車輪の新素材の研究が始まったらしい。成功すれば衝撃は既製品の三分の一となり、乗り心地が劇的に向上すると聞いたので、彼女はひそかに期待している。どうか研究が成功して、乗り心地のいい馬車ができますように。できれば、安価で流通しやすい素材でありますように。

 そろそろ戻ろう、と振り返った彼女の視線の先に、彼女の侍従がいた。ハシバミ色の髪を後ろで束ねた彼女は、不安そうに眉尻を下げ、もの言いたげに口をすぼめている。この数ヶ月間、ずっと見てきた表情だった。



「エレナ様、本当によろしいのですか?」



 侍従はついに口を開いた。これもまた、何度も聞いてきた言葉だった。その不安をほぐすように、エレナこと彼女は柔らかに笑う。



「大丈夫だよ、エリス。何も戦争をしに行くんじゃないんだから」

「ですが……」



 こうして言葉をかけてなお、エリスが食い下がるのもまた、何度となく繰り返されてきたやり取りだった。どうにも小心で困っちゃうなぁ、とエレナは苦笑する。

 しかしエレナにとって、エリスの小心は重要な楔だった。彼女の憂慮は間違いなく己の高揚に冷や水を浴びせ、都合のいい夢想に浸ることを許さない。夢想の世界で満たされることではなく、現実の社会を改善するのが目的である己にとって、それは決して忘れてはならない楔である。



「なに、このライヒマンにお任せあれ。いざという時は、この口八丁手八丁でお二人をお守りしてみせますぞ」

「ふふ、よろしくお願いね」



 そのエリスの後ろから現れた口髭の騎士に、エレナは笑顔を向けた。本人の言葉通り、手も口もよく回るこの騎士は、今回の旅で、ある意味エレナ以上に重要な役目を請け負っている。にもかかわらず、ライヒマンは緊張を一切悟らせず、「大甲龍に乗ったつもりでご安心なされよ」とまで言ってのけていた。それでも、エリスの心を晴らすには至らなかったらしく、彼女は所在なげに視線を巡らせる。やがてその目は、隊の進行方向にある関所のさらに先、鬱蒼とした森に向いた。



「……深い森ですね。魔物など潜んでないでしょうか」

「大丈夫です。こちらには騎士もいるのですよ」

「そ、そうですね……」



 未知に怯えるエリスを、ライヒマンが再び励ます。その言葉に安堵を憶えたのか、エリスもそれに応えた。しかし、森を見つめるその瞳には、未だ不安が渦巻いていた。



 王都カルトナとカーチス領都イングスを繋ぐ、リム街道。その途上、カーチス領にあるロロの森は、大規模な山賊団が縄張りにしていることで有名だった。



サーベル

 ヴァルク傭兵団の武器庫から見出したサーベル

 刀身は切先鋭く、そして薄く脆い


 細身の剣は貴種の好むところであり

 堅実な傭兵には似合わない

 一体どうしてこんなものがあったのか?

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