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神宿ル劍  作者: 竹河参号
02章 熱砂に燻る呪詛
28/78

14.祝いの宴

 リルの刻(午後八時ごろ)に差し掛かろうという頃合い。ホールでの宴は、未だにやんやと盛り上がっていた。

 色とりどりの野菜や肉が入ったスープ、炒り豆、無発酵の平焼きパン、羊肉のソテーに、シルヴィアが持ち込んだという魚の塩焼き――現代日本の飽食事情に慣れ切った崚の舌にも、新鮮な刺激を与えて余りある料理だった。



「呑まないのか?」

「……未成年だし――っと、たぶん」



 酒杯を煽りつつ、酩酊でほんのりと頬を赤らめているクライドが、隣の崚に問うた。崚の前にも、葡萄酒が入った酒杯が置かれているが、さすがに未成年なので飲む勇気はない――とそこで、記憶喪失という建前を今一度思い出し、慌てて付け加えた。



「そなの? たぶんわたしより年上だから、もう成人してると思うよ?」

「ベルキュラスの成人って、十六だっけ」

「うん。だからわたしは、来年までお預け」

「いずれにせよ、貴方は控えた方がよろしいでしょう。酒精でうっかり傷が開いたら大事ですし」



 そこに、連座しているエレナとエリスが口を挟んだ。崚の見間違いでなければ、エリスの方はクライドよりも速いペースで酒を飲んでいるはずだが、その顔は平静と変わらず、また言動にも酔っぱらった様子がなく、のほほんと酒の味を楽しんでいる。この女、もしかして相当なうわばみ(・・・・)なのか。

 一方、ホールの反対側では、ハジー氏族の戦士長ガルフとカルドクらを中心とした集団が、酒を酌み交わしつつ歓談していた。



「よう、貴様が王女の隊の長らしいな! ひときわ凄まじい戦ぶりだったと聞いたぞ! なかなかどうして、諸人(ヒュム)にも見どころのある戦士がいるらしい!」

「なんだなんだ!? よく分かんねェが、褒められてるっぽいな!」

「そっスねーあはははは!」

「ふぅむ、見ればなるほど良い体つきをしている! うちのニダムといい勝負だな!」

「なんの、ベルキュラスの青びょうたん共には負けませんとも!」

「おっ、そっちの兄ちゃんも、なかなかいいガタイしてんじゃねェか! おたく(・・・)んトコの一番槍ってか!?」

「そっスねーあはははは!」

「……すごいな、あそこ……」



 うっかり忘れそうになるが、あの集団は一切言葉が通じていない。一歩間違えば流血沙汰待ったなしの、危険な組み合わせである。にもかかわらず、ああして和やかな雰囲気が出来上がっているのは、酒の力なのか、それとも両者の気風の問題か。崚は感心すればいいのか呆れればいいのか、よく分からなかった。



「よォし! そこまで言うなら見せてもらおうじゃないか!」

「おぉ!?」

「来た来たァ!」

「――よい、許す! ハジー戦士隊一の剛力、相撲(スクラマ)で披露してやれ!」



 ニダムなる戦士の言葉に、挑発と受け取ったガルフが高らかに叫び、戦士たちが待ってましたとばかりに野次を飛ばす。氏族長ベクラーの宣誓に、戦士たちはわぁっと盛り上がった。

 そのベクラーはといえば、キィサを我が孫のように膝に乗せ、にこにこと宴席を楽しんでいる。……気を抜きすぎではなかろうか。隣に座るラジールが、穏やかに酒杯を呷っている以上、追及できるものはいなかった。



「あァ!? なんだなんだ、芸でも見せてくれんのか!?」

「相撲ですって! つまり、力比べです!」

「そっスねーあはははは!」

「……あの人大丈夫か?」

「止めた方がいいのだろうか……」



 なんだかよく分からんが盛り上がってるらしい、と雑な理解しかないカルドクに対し、崚が叫んで訳を伝えた。彼の隣に座るラグは、からからとひたすらに笑いながら酒を呷っていた。明らかに正気とは思えない酩酊ぶりに、崚とクライドは一抹の不安を覚えた。



「……相撲(スクラマ)を知っているのか」

「似たような競技は。円陣の中で組み合って、押し出された方が負けでいいんですよね?」

「……その通りだ。かつては、戦いの神ルガンに捧げる儀式でもあった」



 と、氏族長たちの席として上座に座るメリフが、崚に対しぽつりと問いを投げた。どうやら、崚の直感とそう遠くなかったらしい。押し黙って酒杯を呷るその横顔からは、どのような感情を抱いているのか伺えなかった。



「おォいリョウ、ルールは何だってェ!?」

「今敷いてもらってる円陣の中で組み合って、相手を押し出した方が勝ちです。たぶん合図があるんで、それが鳴ったら開始です」

「そうかーうははははは!」

「……聞いてんのかな、あれ……」



 崚に質問しつつ、げらげらと笑っているだけのカルドクは、もうすっかり出来上がって(・・・・・・)いるようにしか見えない。カルドクとニダムが向かい合うホールの中央で、いつ用意していたのか、どこからか持ち込まれた太い縄で円陣が敷かれる。審判役のガルフによる身振り手振りを交えながら、カルドクとニダムは向き合って構えた。



「さぁ、見合って見合って――」

「よっしゃ、かかって来い、兄ちゃん」

「舐めるなよ、諸人(ヒュム)の傭兵!」

「――開始ィ!」

「おらァ!」

「ぬぅん!」



 ガルフの合図とともに、二人の巨漢が組み合いぶつかり合う。ホールは一段と大きな歓声に包まれた。



「いけー団長ぉー!」

「負けんなよー、ニダムー!」

「いいぞー! やっちまえー!」



 それぞれが好き勝手に飛ばす野次で、ホールじゅうの空気がわんわんと反響しているような錯覚に襲われる。そんな崚たちのもとへ、酒瓶と杯とを構えたシルヴィアが、千鳥足で歩み寄ってきた。この女、早々に酔っぱらったかと思えば、あちらこちらを歩き回っては声を掛け、半ば強引に酒を酌み交わしている。とんだ絡み上戸だった。



「イェーイ、呑んでるぅー!?」

「呑んでません。そんなテンプレな酔い方すんじゃねえよ」

「なによーその顔で下戸なのぉ!? つまんないヤツねぇ!」

「どの顔だ、この呑んだくれ。……この人、いつもこんな感じなんすか」

「……あぁ」



 まさにへべれけ(・・・・)の見本のような振舞いだ。その豊満な体つきも相まって、好き者がみれば垂涎ものの姿態であろうが、辛うじてモルガダに介抱されている姿を見せられてしまえば、百年の恋も冷めようというものではなかろうか。当のモルガダによる、疲れ切ったため息混じりの応答に、崚はただ労いの意を抱くことしかできなかった。

 と、ホールの中央では、そろそろ勝負が決したらしい。思わず体勢を崩したカルドクの隙を突いて、ニダムが一気に投げ倒した。



「あぁーっ!」

「そこまで! ニダムの勝ちィ!」

「ぃよっしゃあぁー!」

「だっせぇぞだんちょー!」

「あァ、くそ! ちくしょう、もう一回だ!」

「おっ、まだやるか!? いいぞ、根性の据わった諸人(ヒュム)だ!」

「やりかたはだいたい(わー)った! 次は負けねェぞ!」

「あーあ、団長の負けん気に火が点いちまった」

「そっスねーあはははは!」

「オレ、しーらねー」

「おい、どっちが勝つか賭けないか? オレはあの諸人(ヒュム)だな!」

「いいや、またニダムの勝ちだな!」

「ほらカルドク、そこまでにしとけよ。喧嘩沙汰になったら笑えねーぞ」

「じゃあカルタス、おめェが行け!」

「何でだよ!?」



 勝っても負けても大笑い。やんややんやと盛り上がる様は、とても互いの言葉を知らぬ者同士とは思えない。それでもああして愉しみを共にすることができるのは、酒のおかげか、死線を共にした成果か、それとも言葉を越えて、心で通じ合うことができているのか。



「――……あーいうの、見てるとさ」

「うん?」

「俺、要らなかったんじゃないかって気になるよな」



 ぽつりと呟かれた崚の言葉に、シルヴィアは分かりやすく顔をしかめた。



「なによぅ急に辛気臭ぁい。あたし、そういうのキライなんだけどぉ」

「そんなことないよ。リョウが通訳をしてくれたからこそ、こうして仲良くできるようになったんだから」

「それに、お前の戦働きのお陰で、犠牲者もなく骸鳥を撃退できたんだ。お前がいなければ、この光景はなかったんだぞ」

「自分を棚に上げて言うんじゃねえよ、この伊達男」



 ゆらゆらと体を揺らしながら文句を垂れるシルヴィアをよそに、エレナとクライドがフォローの言葉を投げてくる。呑んだくれはともかく、二人に気を遣わせたくて言った言葉じゃねーんだけどな――と、崚はすこし居心地が悪くなった。



「別に、そういう功労とか、貢献がどうこうって話じゃなくってさ。……『友好関係』ってやつに、言葉が通じる通じないって、絶対に(・・・)必要なわけでもないんじゃねーかな――って、そんだけの話。

 現に、ああして仲良くどんちゃん騒ぎができてるじゃん。――俺じゃ、あんなに巧く(・・)はやれねーかな」

「……そうだね」



 揮発した酒精(アルコール)に酔ったか、場の空気に乗せられたか。ぽつぽつと語る崚は、我ながららしくない(・・・・・)な、と自覚を抱いた。それでも止まらない崚の言葉を、エレナが静かに肯定した。



「もちろん、言葉が正確に通じないとダメな局面はあるし、そういうところで、ライヒマンみたいに悪企みをしてる人が絡むとよくない。

 でも――言葉が通じなければ仲良くなれない、なんてことは、ないと思う。……言葉が通じていても、ライヒマンを止められなかったように」

「エレナ様……」

「あぁー、ライヒマンってヤツの話ぃ? まぁ、なんとも間が悪いってゆーか……うまいこと凌げて良かったわよねぇ。ひっく」

「……酔っぱらってしゃっくりする奴、初めて見た……実在するんだ……」



 エレナの脳裏には、ライヒマンの一件が去来しているようだった。言葉が通じずとも分かり合える――その対偶として、言葉が通じる人間でありながら、主君(エレナ)を裏切りガーヴルと共謀したライヒマンの一件は、避けては語れないことだろう。……しゃくり上げながら口を挟むシルヴィアの存在は、いったん脇に置いておく。



「随分と辛気臭い話をしているな、英傑殿」



 と、ラシャルが酒瓶とともに崚たちの前に座り込んだ。こちらはシルヴィアと異なり、しっかりとした足取りでやってきた。その頬は少し赤らんでいるように見えるが、目つきは平時と同じように余裕が見える。



「……ラシャルよ。貴様は、あちらに混ざらなくて良いのか」

「戦勝祝いの宴なれば、兄弟たちこそが主役だろう。それを押し退けて偉ぶるのは、将の器ではない」

「そうか……」



 メリフの問いを、ラシャルはやんわりと否定した。見れば、ラシャルの連れてきた戦士隊も相撲(スクラマ)に混ざっているらしい。げらげらと笑いながら、交代しては試合を始め、筋骨豊かな戦士たちがぶつかり合う。半ば千鳥足の戦士もいる中で、中には組み合いとしてまともに成り立っていない試合もある。それでも、誰もが笑顔だった。

 ラシャルが酒瓶を掲げ、クライドに突き付けた。クライドが「ありがとうございます」と杯を差し出すと、ラシャルはそれに向かってなみなみと濃紫の液を注いだ。宴席で交流代わりに酌をするという文化は、異世界でも通用するものらしい。



「言葉がなくとも友誼は結べる――か。確かにそうだろう。ああして我が兄弟やハジーの戦士たちと、あの傭兵たちが愉しみを共にするのに、お前の舌を介する必要はない。

 だが、何事にも『(さきがけ)』は必要だ。槍を向け殺し合うにせよ、手を繋ぎ和を分かち合うにせよ。お前とそこなる姫君が、今回のそれだった。それでよいではないか」

「……そう、ですね」



 語りつつ、次に崚の杯へと注ごうとしたラシャルは、その中でなみなみと揺蕩う液体を見て、静かに酒瓶を引っ込めた。崚が酒を呑まないと察したのだろう。語り口も相まって、なかなかどうしてできる(・・・)男だ。

 (さきがけ)。なるほど、そういう考え方もできるだろう。交流ができるかどうか分からずとも、まずは端緒が必要だ。それさえあれば、先へ進むことができる。――そしてそれは、戦争も同じだった。



「――なあ、エレナ」

「なに?」

「“浄化戦争”ってなんだ?」



 崚の問いに、一同は思わず静まり返った。何も知らない戦士たちの喧騒も、崚の周囲には届かなかった。



「……あんた、この流れで訊くぅ? ひっく、盛り下がるじゃない。やめなさいよ」

「……そっか。リョウは、知らなかったね」



 いよいよ半眼で睨むシルヴィアを、エレナは穏やかに制した。穏やかであろうという努力が、ありありと見て取れた。



「――知らん、のか、貴様」

「実は記憶喪失なもんで……」

「記憶喪失ぅ……? ……そのざまで?」

「だからもういいんですってそのくだり(・・・)は。――どうも、ベルキュラス側から仕掛けたらしいってのは、何となく察してんだけど」



 唖然とするメルギムに対し、崚がいつもの建前を述べる。言葉にしてしまってから、ベルキュラス側の人間としては体裁が悪いことに気付いた。戦争を吹っ掛けた側の人間が「昔のことなど知らない」などと言ってしまうと、相手にとっては侮辱も同然だ。しかしメルギムは、特に噛みつくことなく沈黙し、成り行きを見守る様子だった。



「――エレナ様、ここはオレが……」

「……いいよ、クライド。気を遣わせてごめんね。

 ――そうだね。砂人(オグル)諸氏族との和平にあたって、どうしても避けられない話題だから」



 汚れ役を買って出ようとするクライドを制し、エレナは静かに語り出した。



「――オルステン歴、四五二年。今からは、もう三百年以上前の話。当時のベルキュラス国王ゼームスが、突然このサヴィア大砂漠に侵攻したことで始まった戦争のことだよ」

「動機は?」

「――……分かってないの」



 崚の問いに対し、わずかにエレナの目が泳いだのを、崚は見逃さなかった。

 こいつ(・・・)いま嘘をついた(・・・・・・・)



「正確に言えば、ゼームス王が唱えたお題目については、記録が残ってるよ。『穢れた砂人(オグル)を征伐し、サヴィアの大地を浄化する』――そういう大義名分を掲げていたってことは、多くの史料が証明している。

 ……でも、『砂人(オグル)という民族』が観測されたのは、さらに百年以上遡る話。ゼームス王が侵攻を始めるまで、細々と交流があった程度。彼の王の代になって、突然戦争を起こす理由なんてどこにもなかった。どうしてゼームス王が(・・・・・・・・・・)そう思い立ったのか(・・・・・・・・・)は、誰も知らないの」

「文字通り、記録が残っておりませんの。突如ゼームス王がそう言い出し、たちまち領主や貴族たちに軍備を整えさせ、その足で砂漠に向かわせたそうですわ」



 しかしエリスが補足した通り、表向きの理由は判然としていないようだ。具体的な情報が上がってこない以上、これといった風説もないということなのだろう。

 『ゼームス』という人名から会話の流れを何となく察したらしいラシャルが、ふと口を挟んだ。



「当時の戦況は、そのゼームスなる愚王が無理矢理に率いた所為というのもあるのだろうな。幾度もこの砂漠へ兵を差し向けながら、しかし我ら砂人(オグル)はこれを全て退け、ただの一度も勝ちを譲らなかったという。

 ……ふむ。そういえば、我らは『なぜゼームスが戦を起こしたか』という観点で、“浄化戦争”を論じたことがない」



 不可解といえば不可解だが、当然と言えば当然だ。ゼームス王とやらの主張は、つまるところ砂人(オグル)を『サヴィアの大地を穢した人非人』と侮辱しているわけだ。その裏側の根拠が、過程の論理が何であれ、砂人(オグル)としては容認も譲歩も認められない。「なぜ」という詰問に意義を覚えなかったのだろう。



「結局、その戦争はどうやって終着したんすか?」

「それが不可解なことにな、ベルキュラスの方から(・・・・・・・・・・)講和を持ちかけられた」

「……へ……?」



 ラシャルの言葉に、崚は違和感を抱いた。それを視止めたラシャルは、にやりと悪辣な笑みを浮かべた。



「やはり賢しいな。そうだ、違和を抱くだろう。何しろベルキュラスが仕掛けた側だ。昨日まで殺し合っていた輩から、突然和解しましょうなどと言われても、はいそうですかと応えられるわけがない。

 それでも、当時の諸氏族は講和に応じた。戦に勝っている側で、多額の賠償金を期待できたというのはある。よしんば交渉が決裂したところで、充分に勝算のある側だったというのもある。――しかし、それらは全て結果論だ。そもそも講和に応じる気になったのは、何故だと思う?」

「なんですか?」

ゼームスが(・・・・・)死んだからだ(・・・・・・)

「……は……!?」



 驚愕する崚に、ラシャルの言葉を訳する余裕はなかった。たちどころに目の色を変えた崚の反応に、エレナらは彼の語るところを察した。



「我らの記録によると、最初の交渉が始まったのは、侵攻から五年後のことだったそうだ。その最初の時点で、『王が没した』と語られたという。それから一年ほどかけて講和が成立し、“浄化戦争”は終結した」

「いや――そんな――(おか)しいでしょ。戦場は、ずっとこの砂漠だったんでしょ? 何で、そんな都合よくゼームスが死ぬんすか? 自ら戦場に立ったとでも?」

「そうじゃないよ。当時の記録によると、『流行り病に罹って、そのまま没した』ってことになってる。ゼームス王は、一度もこのサヴィアに来たことがない」

「いやいやいや、(おか)しいだろ。五年!? 都合が良すぎる! そんで遺臣たちも、王様が死にましたハイ戦争止めますハイ講和しましょうなんて、そんな利口に動けるわけがない!」

「しかし、これが事実だ。『我らの王が死した以上、この戦争を続ける意義はない。どうかこれまでのことは水に流してくれないか』と、使者は伏して願い出たという」

「それは――それじゃ、まるで――」



 王が死んでしまった(・・・・・・・・・)方が都合がよかった(・・・・・・・・・)、と言っているようなものではないか。恐ろしい推測に、崚は言葉を詰まらせた。

 崚は、急に喧騒が遠く小さくなったような錯覚に襲われた。背筋が凍り付くような錯覚に襲われた。そんな崚の内心を知ってか知らずか、それまでゆらゆらと体を揺らしながら話を聞いていたシルヴィアが、ついに口を開いた。



「――じゃぁこの勢いで、思い切って訊くけどぉ」



 酔っている所為か、それとも別の思惑なのか。シルヴィアは、その胡乱げな視線をエレナに向けた。

 やめろ、と思った。シルヴィアが次に何を言い出すのか、崚には分かった。口にはできなかった。崚の悪い勘繰りでなければ、ゼームス王とやらの末路は『病没』などではなく――



「当時の臣下たちが、暴走するゼームスを見かねて、共謀して暗殺したって噂、本当?」



 エレナはそれに答えなかった。唇を真一文字に結び、そこから漏れ出る真相を、必死に押し止めているようだった。……その様相こそが、何よりも雄弁に肯定していた。

 同時に、当時の臣下たちに「これ(・・)は最早、殺さねば止まらない」と思わせたということになる。ゼームスに全責任を擦り付けた、というのは少し違うだろう。『病没』という結末は、ゼームスの非を強調するにはやや足りない。求心力の低下していた王を相手に、謀反が叶わなかったという線も考えられない。こうしてベルキュラス王室の(すえ)が目の前にいる以上、臣下たちの誰かが玉座を簒奪したという話でもないはずだ。彼ら全員が、「殺してでも止める」という思いを抱いたことになる。

 そして問題は堂々巡りになる。どうして『暗殺』という形で止められるに至ったのか、どうして臣下たちの意を得られなかったのか、どうしてそんな戦争を思い立ったのか――ゼームスを戦争へと駆り立てたのは、いったい何者だったのか?






 ◇ ◇ ◇






 とある暗がりで、二人の男が対面していた。

 正確な表現ではない。片割れは、『男の姿をとったなにか(・・・)』だった。後ろに流した茶髪、古びた金彫を残すばかりの色褪せた装い、浅黒く焼けた顔に走る深い裂傷、しかしその濃藍色の瞳に、どろどろとした憎悪の赫熱を宿すそれ(・・)は、とても人間と呼べる代物ではない。それに相対しながら、しかし平然としているもう一人もまた、尋常な人間とは言い難いだろう。褪せた灰色の髪を後ろに撫でつけ、片眼鏡(モノクル)を掛けた、蠱惑的な魅力を放つ男だった。

 だが片眼鏡(モノクル)の男は、その端正な顔に歪みを生じさせていた。不機嫌、と言ってしまえば容易いものだ。その情動を、目の前のそれ(・・)に見せつける勇敢さを抜きにすれば。



「――これは……どういうお戯れにございます?」



 男は可能な限り言葉を選んだ。それ(・・)に依願した行動の、およそ想定しうる結果を遥かに下回った現実に対し、どのように言葉を並べればいいか、真剣に迷っていた。



「五十八の骸鳥共がほぼ全滅、収穫(・・)もなし……幼児のお遣いよりも容易いことを、よもや貴方様がしくじる(・・・・)はずがありますまい」

「――『幼児のお遣い』をやらせた、という自覚はあったのか」



 そら、こうだ。それ(・・)の赫怒をたちどころに浴びせられ、男はたちまちに頭を垂れた。およそ凡俗の視点を用いれば、男とそれ(・・)の“格”はかなり近似しているという自覚が、男にはあった。しかし、所詮は凡俗の卑しく愚かな視点だ。人間の軛を超越し、遥かな高みに至ればこそ、見えてくる轍が存在する。男とそれ(・・)の間には、覆しようのない絶対的な差があった。それ(・・)の不興をひとたび買えば、男はたちまち蒸発させられ、文字通り綺麗さっぱり消失することだろう。



「誠に申し訳ございませぬ。かのアスレイ様におかれましては、何卒ご寛恕いただきたく……」

「貴様の無駄話に付き合うつもりはない。その伏せた面の下で(おれ)を侮っていることなど、語らずとも知れている。その程度の皮の厚さで、己が傲慢を隠せると思っていたか」



 それ(・・)ことアスレイの、吐き捨てるような言葉を、男は黙って聞いていた。気付かれぬと思うたか。気付かぬと思うたか(・・・・・・・・・)。他ならぬ貴様が見透かしていることを、己が解せぬはずがあるまいよ。



「だが――まあ、そうだな。手駒を使い潰した手前、大目に見てやろう」



 しかしその言葉とともに、アスレイの赫怒はたちまち(なり)を潜め、男は灼熱の錯覚から解放された。それもまた織り込み済みだ。アスレイがいやに上機嫌である(・・・・・・・・・)という前提がなければ、こうも挑発的な言葉は吐けない。問題は、その上機嫌の所以(ゆえん)だ。アスレイと出会って以来、ここまで喜色を見せられたことはかつてない。



「ありがたきお言葉、感激の極みにございます。……そのお慈悲に甘えまして、ひとつ伺っても?」

「なんだ」

「末も末の手駒とはいえ、御身の手下として遣ったものが潰された……というには、いささかご機嫌がよろしく見えるのは、私めの見間違いでしょうか?」

「そう見えるか」



 こうして男との問答を許しているのもまた、根拠の一つだ。男が観察する限り、アスレイはずっと憎悪に駆り立てられていた。その身に滾る炎は、片時も翳ることがなかった。そして今、その憎悪の炎はまったく(・・・・)衰えることなく(・・・・・・・)、新たに歓喜の色を宿している。



「存外、(おれ)も昂っているのやも知れん。――“鍵”が見つかったと言えば、その理由に足ると思うか?」

「鍵――まさか」



 口角を歪めて語るアスレイの言葉に、男は衝撃を受けた。アスレイが求め、男が求める“鍵”――その符牒の意味するところは、一つしかない。



「四代目大神官長オレステの預言――『星の剣(エウレガラム)の再来』! ()に曰く、“失われた聖なる両面”……それが見つかったと?」

「そうらしい。盲人(しんかん)共の世迷言も、存外に役立つらしいな」



 思わず顔を上げた男に、アスレイは皮肉を吐いた。彼にとってはまったく皮肉だと、男だけが知っていた。

 確かに昂るほかない(・・・・・・・・・)。彼の悲願、我の悲願、その成就の(とき)だ! アスレイの喜色が男に移り、身が燃え上がるような錯覚を抱いた。男はその感覚を、自覚的に享受した。



「機は近く、星辰はまもなく満ちる。奴の準備を急がせろ」

「ええ、早急に」



 アスレイの命に、男は恭しく頭を下げ、そしてそそくさと背を向けた。無為に慇懃を取り繕う暇さえ惜しい!



遠信器

 カドレナにて開発された魔導具のひとつ

 対となる器同士で共鳴し、離れた場所へ音声を伝える

 この発明が、生物の聴覚構造の解明に繋がった


 迅速、かつ正確な情報伝達による高度な軍団連携

 それを第一要件として応用研究が進められているが

 その裏で、聾唖のための補聴器開発もなされている

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