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神宿ル劍  作者: 竹河参号
02章 熱砂に燻る呪詛
25/78

11.人狩り

 氏族長の屋敷にとんぼ返りし、併設されている兵舎のひとつに飛び込む。すれ違う砂人(オグル)たちがぎょっとした様子で何事かと振り返るが、崚は構わず駆け抜けた。シルヴィアが滞りなく伝達すれば、氏族長たちから正式な命令が下されるだろう。いま崚の口から説明しても、大した意味はない。

 確か正面から三番目、右手――扉替わりの厚布を押し退け、崚は叫んだ。



「団長ラグさん敵襲迎撃準備ィ!!」

「もっと分かりやすく言えバカ!」

「あだっ!?」



 文字通り捲し立てる崚の言葉に、カルドクはその手に持っていた杯を投げつけ、崚の額にクリーンヒットさせた。冷水を飲んでいたらしく、ばちゃりと水滴が宙を舞った。

 ふんと鼻を鳴らすカルドクとは対照的に、ラグは突然現れた崚にぎょっと飛び上がっていた。急展開の騒ぎに、室内でたむろしていた団員たちも、何だ何だと立ち上がる。



「な、何事っスか!? 敵襲!? 何が!? どこから!?」

「骸鳥とかいうやつ、空から来てる! 大群です!」

「何スかそれぇ!?」

「んなもんどうでもいい! ――野郎共、聞いたな!? 迎撃準備急げ!」

「へ、へい!」



 狼狽えるラグをよそに、カルドクが素早く号令を飛ばす。団員たちは戸惑いながらもそれに従い、慌てて得物を取り出し始めた。こうして冷静に対処する思考の速さは、己が上司ながら頼りになる心強さだ。そんな悠長な安堵を与える暇もなく、カルドクは崚に視線を戻した。



「嬢ちゃんらと、あと砂人(オグル)連中への連絡は」

「カドレナの公女様が行ってます。向こうの護衛隊への連絡も、別の人が」

「よォし」



 言葉を交わす二人に、近寄る者があった。弓を携え、既に支度を整えたセトだ。



「方角と、数は」

「方位磁針下さい――たしか、西。目視で四十以上いました」

「はぁ!? ど、どうすんスかそんな数!?」



 セトの問いに方位磁針を要求すると、崚はその針の指し示す向きと、先ほど骸鳥なる連中を目撃した角度を照らし合わせ、その答えを提示した。あからさまに動揺するラグをよそに、セトは冷静に口を開いた。



「参謀、骸鳥なら弓矢で落とせる。弩の準備を」

「は、はいッ」

「その骸鳥って奴ァ、何か飛び道具とかあんのか」

「特にない。聞いたことはない」

「んじゃ、全員弓か弩準備! 上を取られるとやりづれェ、三人組つくれ!」

「へい!」

「急ぎの出撃だ、防具は後回し! 準備が出来たら一斉に出んぞ!」



 骸鳥についての情報があるらしいセトにカルドクが詳細を問い質し、改めて団員たちに指示を飛ばした。がちゃがちゃと金属がこすれ合う音が俄かに部屋を満たす中、崚も己のクロスボウと短矢(ボルト)筒を取り出し、腰のベルトに据える。そんな崚に向かって、カルドクは三度視線を向けた。



「リョウ、お前は嬢ちゃんの方に行け」

「えっ」

「えっ」



 驚きを見せたのは、崚だけではなくラグも同様だった。ほとんど未知の敵勢力を相手に、戦力分断は悪手ではないか。



「……こっちはいいんすか?」

「俺らにとっちゃ、嬢ちゃんが肝心要だろ。あのあんちゃんと一緒に、嬢ちゃんの守りを優先しろ。――どうも頃合いが良すぎる。きな臭ェのがありそうだ」

「――分かりました」



 最善手かどうかは分からないが、一理はある。問答の時間も惜しいと頷くと、崚は踵を返して駆け出した。






 ◇ ◇ ◇






 びょうびょうと吹き荒ぶ風鳴りを押しのけ、骸鳥たちが飛んでいた。

 ひどく色褪せ、血管が生々しく浮き出た肌に覆われたその姿は、まさしく『怪鳥』と呼んで差し支えない醜悪さだった。腕の皮、手の皮を無理矢理に引き延ばしたような皮翼で風を捕える一方、その頭は人間の頭蓋骨と変わらぬ形状をしている。落ち窪んだ眼窩の内に、眼球は存在しない。歯並びの悪い口腔を開いてゲッゲッと鳴きつつ、禿げ上がった頭皮に僅かばかり残った毛髪を、上空の強風に煽られるがままに揺らしていた。翼腕を振るい風を掴むための胸筋は並の人間以上に発達しているが、その腹より下は打って変わって骨が浮き上がるほどに貧弱で、足などは最早骨と皮のみと言わんばかりの細さである。腐食し脱落した(はらわた)が尾羽の如く肛門からはみ出し、爛れたどどめ色を垂らしていた。

 五十を超える大規模な群れが、サヴィア大砂漠の一角、鮮やかな緑色を見せるニーダオアシスに向けて飛来している。そのうちの一匹の背に、一人の男が屹立(・・)していた。

 はるか上空で吹き荒ぶ風も、彼を乗せる骸鳥の羽搏(はばた)きも、常人ならば容易く振り落として余りあるほどの振動があるはずだが、彼は構うことなく悠然と腕を組み、眼下のオアシスを見下ろしていた。強風に煽られる茶髪、古びた金彫を残すばかりの色褪せた装い、浅黒く焼けた顔に走る深い裂傷――表面的な特徴を挙げれば、普通の諸人(ヒュム)とそう変わらない。無論、空を泳ぐ骸鳥の背に屹立しているという事実を除いた話だが。

 しかしその濃藍色の瞳に宿る憎悪が、常人との決定的な差異を見せつけていた。どろどろと煮え滾る憎悪の赫熱が人の皮を被ったような、人ならぬ存在。そんな寝物語の住人のような――現実に相対させられるならば悪夢としか言いようのないそれ(・・)は、眼下の鮮やかな緑色を、忌々しげに見下ろしていた。まさに今これから、跡形もなく擂り潰すというのに。道理ではなく手間暇ではなく、そこに在る(・・・・・)という事実そのものが忌々しい。殺意ではなく憎悪すらなく、ただただ度し難い忌避感に苛まれながら、骸鳥共を遣ろうと腕を解いたその時――



「……ほう?」



 何かある(・・・・)

 過剰なほどの忌避感の正体に、それ(・・)は行き着いた。有象無象の禿猿共が、ほんの少々集っているだけの吹き溜まり、思えばここまで不快感を覚える必要性などない。ただの有象無象ではない、摂理として存在意義として、決定的に相容れない“何か”がある。不倶戴天の仇敵の一角、虜囚の辱めを与えた奴輩の一党。そして己の記憶が正しければ、これは――



(――あれら(・・・)か。どこで行方を眩ませたものかと思っていたが……まさか、このサヴィアで見えることになろうとはな)



 運が良いのか、悪いのか。無聊の慰めと思っていたが、なかなかどうして、数奇な出会いもあるものだ。

 気配は一つ。この程度では、未だ己の脅威にすらなりえないだろうが――現状の把握として、威力偵察を試みるのも良いか。思わぬ巡り合わせに、それ(・・)は思わず口角を歪めた。常人の基準で言うならば、それは『笑み』と定義される類の情動であろうが、しかしそれを常人が目撃できたならば、魔獣の威嚇と錯覚していたことだろう。それほどまでに、凄絶な威を放っていた。



「――往け」



 解いた腕を掲げ、呪言はひとつ。それ(・・)の周りを飛んでいた骸鳥の群れが、眼下の緑色へと殺到した。






 ◇ ◇ ◇






 とんぼ返りで兵舎を飛び出し、崚は急旋回で屋敷へと戻る。慌ただしく駆け回る砂人(オグル)の戦士たちを尻目に駆け抜けると、メインホールに氏族長たちとエレナら全員が揃っていた。全速力のままホールに飛び込んできた崚に対し、シルヴィアが激した声を飛ばした。



「あんた、何戻ってきてんのよ!?」

「ウチの上司の命令! こっちの状況は!?」

「とりあえず、氏族長連中への話は通った! 今、ハジーの戦士たちが防衛準備をしてるとこ!」

「で、やっこさんの襲撃には間に合うのか!?」

「展開だけなら、たぶんギリギリ! ただ飛んでる相手だから、防衛は不利ね!」

「笑えねえ情報をどうも!」



 緊張と興奮で二人が怒号を飛ばし合う間、同じように緊張感に呑まれていたのが氏族長たちだった。この土地の主であるベクラーは、戦士たちを指揮するべく上座でどっしりと構えているが、その横顔はいつも以上に硬い。反対に、もっとも落ち着いた様子で周囲を眺め見ていたのは、氏族長たちの中でもっとも年若いラシャルだった。

 カルドクに言われた通り合流したはいいが、ここからどうするべきだろうか。相手が空から来る以上、尋常な兵卒運用を適用できる存在ではない。真正面から屋敷の玄関を攻めてくるわけでもないだろうし、どこを想定してどう守るべきなのか――今更になって、そもそも己が『防衛戦』という戦場自体を知らないことに気付いた崚のもとへ、エレナが憔悴した様子で駆けてきた。クライドとエリスを伴っている通り、誰もはぐれることなく、無事に合流できていたらしい。



「リョウ! 骸鳥が来てるって本当なの!?」

「大群が来てるのは事実! 理由は分からん! そもそも骸鳥ってなあ、どういう連中なんだ!?」

「ベルキュラスでの被害報告は少ないんだけど……海向こうのガルネス王国とか、カルヴェア公国でよく出没するらしいの。現地では、“人狩り”と恐れられているって」

「――“人狩り”?」



 エレナの説明に、崚はざわりと厭な予感が走るのを自覚した。果たして、さぁっとエレナの顔に浮かんだ怯えの表情が、それを肯定した。



「その――ほ、捕食、するんじゃなくて……生きたまま攫う、らしいの。それも、人だけを」

「……生還した事例は、ほとんど報告されていない。辛うじて逃れた者も、恐怖のあまり発狂し、まともに生きていけない状態になるそうだ」



 エレナが微かに震える声で説明し、クライドが苦々しい表情で補足する。悍ましい脅威が具体化されただけで、崚にとって役立つ情報は増えなかった。海向こうのガルネスだのカルヴェアだのの方での被害が多いのであれば、この砂漠に棲む砂人(オグル)たちはどうなのか。崚はベクラーら氏族長たちに向き直り、確認の問いを投げた。



「――砂漠(ここ)では、同じような事例はあるんすか。あの骸鳥って連中が、狩りに来たことは」

「多くはないな。氏族に属しておらん野盗共までは知らんが、少なくともハジーでは、数えるほどしか記録されておらん。必ずと言っていいほど、凶事として占われる程度にはな」

「……その様子だと、他の氏族も大差ないみたいっすね」



 硬い表情のまま、しかし恐れを見せることなくベクラーが応える。だがその表情に反して、悪い報せがさらに増えるだけだった。一様に不安の表情を浮かべ、ベクラーの言葉を沈黙で肯定する氏族長たちを見て、崚は己の想定よりも事態が悪いことを、ようやく思い知った。



「申し訳ありません、族長。わたくしが見落としたばかりに――」

「所詮はまじない(・・・・)だ、外れても仕方あるまい。今お前を吊るし上げることよりも、やるべきことは山ほどある」



 深々と頭を下げて陳謝する巫女トルエナに対し、ベクラーは有無を言わさぬ口調で制止した。同時にそれが、今にも二人へ詰め寄ろうとするメルギムをして思わず歩みを止め、その開きかけた口から吐くつもりだったであろう糾弾の言葉を抑え込み、苦み走った表情で沈黙せしめていたのを、崚は視界の隅で捉えた。



「ひとまず、どうする? 適当に槍でもぶんぶん振って、向こうが諦めて帰るのを待つか?」

「あら、名案ね。あの知性の欠片もなさそうなアホ面を見て、本来『人攫い』なんて高度な目的意識(・・・・・・・)を持ちえないことも分からないのなら、だけど」



 厭味を乗せた崚の提案に、不機嫌そうな顔のシルヴィアがさらに厭味を乗せて返してきた。むっと不快感を覚えている余裕はなかった。

 未だ実物を目撃していない崚には与り知らぬことだが、どうやら骸鳥自身には大した知能がないらしい。――いやよくよく考えれば、他のイシマエル共とて、知能など無きに等しい連中だ。骸鳥も似たようなもの、というのは容易く理解できる話で、それでも『人攫い』という特異な行動をとるということは……?



「――つまり、何者かが連中を操っている?」

「そう考えるべきでしょう。氏族長たちが集まってる今この場を狙うなんて、いくら何でもタイミングが良すぎるわ」



 崚の推測を、シルヴィアは冷静に肯定した。

 それが事実なら、厄介な話だ。飛蝗じみた集団行動でさえ厄介だというのに、それを操っているであろう何者かによって、より組織的な行動をとる可能性が高い。しかも、頭数だけならいつぞやのグレームルを超える。その首魁自身が、崚では量れないほどの脅威たりえる。

 ――とはいえ、未知の敵を幻視して右往左往している場合ではない。まずは、対処できる脅威を対処しなければ始まらない。



「骸鳥自身は、噛み付くか引っ掻くか程度の攻撃能力しかない。弓で撃ち落とせる程度にも貧弱。ただ空から攻めてくる以上、こちらは妨害も追撃も困難よ。常に集団で相対し、互いの背中を守るように動くこと。孤立したらいいカモだと思いなさい」

「骸鳥には飛び道具がないし、弓で撃ち落とせる程度にも貧弱だが、上を取られる分いろいろ不利。常に集団で相対し、互いの背中を守るように動けと」

「ベクラー殿、我が兄弟をお遣いあれ。先ほど連絡し、総員準備を整えている。ここの守りは、他の氏族長様方の護衛隊で務まるだろう」

「感謝するぞ、ラシャル。――ベム、聞いたな! 諸々余すことなく、速やかにガルフ戦士長に伝令せよ!」

「了解しました!」



 シルヴィアの助言、それをベクラーに伝えるやり取りに、ふとラシャルが割り込んだ。若き戦士の申し出にベクラーは感謝を述べると、近従の戦士を呼びつけ、ベムと呼ばれた戦士は応答とともに駆け出した。



「非戦闘員はどうする。ハジーの民もそうだが、他にもぞろぞろ連れてきてるだろ。避難させる余裕はあんのか」

「ちょっと厳しいでしょうね。下手に避難誘導したところで、移動中を狙われちゃ世話ないわ」

「ひとまず、手近な建物に避難させよう。野晒しで奴らに囲まれるよりはまし(・・)だ。――各々方も、この屋敷から顔を出さぬよう。配下の者にも言い渡しておけ」



 崚の提言に、シルヴィアもベクラーも苦し紛れの返答しかできなかった。まさに何もしないよりまし(・・)といった趣だが、なにぶん急な対応であるため、これ以上は望めない。

 と、じじっというノイズがどこからか生じ、崚の耳に届いた。



『――お嬢、こちらの準備は整った。もうすぐ接敵する』

「な、なんだ!?」

「あ、これあたしの遠信器。モルガダの方は、準備が整ったみたいね」

「公女サマの配下からの連絡らしい。もうじき接敵だそうだ」



 ぎょっとして騒ぐメリフに対し、シルヴィアがけろりとした表情で説明した。その手からぶら下げられているのは、複数の輝石を埋め込んだ掌大の機器だ。名前や機能からして、無線機(トランシーバー)のような魔導具なのだろうか。一同が異様なものを見るような目でシルヴィアを見やる中、崚だけは奇妙な既視感を覚え、平静に眺めていた。



「――来るか」

「来るわよ」



 それよりも、問題は目の前の状況だ。モルガダの報告通りなら、まもなく骸鳥共との交戦が始まる。ベクラーの呟きを、崚を介することなく察したらしいシルヴィアが、真剣な目つきで返した。

 来るか。来るか。来るか。来るか来るか来るか。早く来い。いや来るな――誰もが緊張で口を閉ざす中、崚の手は、無意識のうちに佩刀へと伸びていた。

 ――色のない波動が、刀の奥で胎動した。

 それは腕を伝って崚の心髄に入り込み、ぎゅうと刀の柄を握らせた。不思議と緊張感が和らぎ、いやそれどころか、一刻も早く飛び出して、骸鳥共を尽く斬り捨ててしまいたい衝動に駆られた。

 崚の意識は、ふとエレナの肩に留まるムルムルへと――このニーダオアシスに着いてからこちら、異常なほど大人しくしていたムルムルへと向いた。果たしてムルムルは、全身の毛を逆立て、ぎゅるぎゅると低い唸り声を上げていた。先日ガーヴルと相対した時のように、今にも竜として変態しそうな気迫を漲らせている。

 すぅと息を吸って、吐いて。顔を上げた崚は、覚悟を決めた。



「――チビ助、いけるか」

「きゅ!」



 崚の真剣な眼差しに、ムルムルは待っていたかのように威勢よく鳴いた。こいつは準備万端らしい、なんとも頼もしい限りだ。

 崚はエレナに視線を向け、にぃと獰猛に口元を歪めた。その表情は笑みというより、獣の威嚇に近いそれだったが、しかし崚自身にはまったく自覚がなかった。



「悪い、エレナ。俺ァ打って出るわ」

「えっ!? だめだよ、危ないよ!」

「あんた一人が行って何になるのよ? 無茶に決まってるでしょ」



 突拍子のない崚の申し出に、エレナがぎょっと目の色を変える。対してシルヴィアは、呆れたように白い眼を向けるばかりだった。無理もない、空から襲撃する大群を相手に、一人(と一匹)が増えたところで、戦力差として変化など生まれない。崚自身、同じ立場なら同じように言ったことだろう。

 崚はおどけたように笑うと、ちゃきりと鯉口を切って抜刀し、サーベルを見せつけた。天窓から差し込む光が、その刀身をぎらぎらと照らしていた。



「幸か不幸か、化物狩りが得意なオトモダチ(・・・・・)に恵まれてるらしくてさ。ムルムルと一緒に、ちょっくら七面鳥撃ちとしゃれ込んでくるわ」

「……へぇ……?」



 我ながら、勝算というにはあまりに稚拙だ。しかし否応なき確信をもって告げる崚の言葉を、シルヴィアは否定しなかった。謎めいた目つきで、崚とサーベルを交互に見つめている。

 ムルムルはきゅうと一鳴きすると、不安げな視線を遣るエレナの肩から離れ、崚の左肩に飛び乗った。崚はそのまま刀を肩に担ぎ、ざわめく氏族長たちを置き去りにさっさと退室しようとしたが、それに追い縋る者があった。



「では、オレも――」

「お前は駄目だろ馬鹿。王女を守る騎士(ナイト)サマだろ? ここでしっかり、そいつ守っとけ」



 橙色の長槍を携え、今まさに戦闘態勢とばかりに並び立とうとするクライドを、崚のツッコミが制止した。

 ここには氏族長たちに加え、エレナやシルヴィアという貴人がいる。敵が空から襲来する以上、万一に備えて戦える者を残しておくべきだろう。無論、彼らも無抵抗ということはないだろうが、備えはあって多いに越したことはない。少なくとも『王女(エレナ)を守る』という一点において、崚が現状もっとも信頼できるのは、この騎士だけだ。

 だがクライドは、そんな崚にこそ呆れた顔を向けた。



「馬鹿はお前だ。お前に万一のことがあったら、エレナ様が心配なさるだろう。それに、砂人(オグル)たちとの通訳がいなくなるのも困る」

「順序が逆だろバカ真面目。それとも、お前自身は心配もクソもないってか?」

「ほう。その手の心配りは求めない性質(たち)だと思っていたが、違ったのか?」



 クライドの言葉に、崚は顔をしかめて言い返したが、当人はにやりと悪辣な笑みを浮かべて追撃した。二人のやり取りに一喜一憂の百面相を見せるエレナの様子を持ち出されては、崚も返す言葉がなくなる。見かねたシルヴィアが、はいはいと二人に割り込んだ。



「はいはい、お熱いのは結構。そこまで言うなら、せいぜい死なない程度に頑張ってきなさい。

 それより、ここの氏族長――ベクラーだっけ? そいつに伝えてから行ってちょうだい」

「何を?」

この土地を借りるわよ(・・・・・・・・・・)

「……は?」



 有無を言わさぬ力強さで紡がれたシルヴィアの言葉に、しかし崚は思わず思考を停止させた。

 土地を借りる? その許可を貰えってこと? どういう意味だ? なんで今?



「……その、この土地を貸せって言ってんすけど」

「――どういう意味だ? かの“魔公女”ともあろう女なら、火事場泥棒はもう少し巧くやってくれんか」

「火事場泥棒扱いされてるけど、大丈夫かコレ」

「は? このあたしをコソ泥扱いすんじゃないわよ畜生共。――いいわよ訳さなくて、そんなに嫌な顔するくらいなら。エレナも怒らないでちょうだい」



 おずおずと伝えた崚の言葉に、ベクラーは分かりやすく顔をしかめる。まったく同じ感想を抱いた崚は、それをシルヴィアに伝えたものの、今度は“魔公女”直々の罵声を浴びせられた。人非人と言わんばかりの暴言に、崚とエレナは露骨に顔をしかめ、シルヴィアはしぶしぶ引っ込めた。

 ――この立場、めっちゃやりづらいんだけど。氏族長会議の時から抱いていた板挟みの懊悩は、崚の不興を買って余りあるものだった。



「いいから貸して(・・・)、まさに今必要なことだから。その言質が、『土地の主から借り受けた』って事実が必要なの。連中を落とし切ったら、すぐさま返しますとも」

「……『土地の主から借り受けた』って事実が必要らしいです。連中の対処が済んだらすぐ返すって」



 しかし、要請そのものは譲る気のないシルヴィアの言葉を、崚はそのままベクラーに伝えるしかなかった。言葉からして、この襲来への対抗措置に必要なことなのだろうか。同じ思考に至ったらしいベクラーは、しばし考え込んだ。



「――ベクラー、こんな諸人(ヒュム)共に頼らずとも……」

「メリフ、貴様はいつからこのハジーの長となった? それを決めるのはこの儂だ」



 見かねたメリフが、『諸人(ヒュム)共の世迷言』と言わんばかりに詰め寄るが、しかしベクラーはそれをばっさりと切って捨てた。

 観念したベクラーがふんと鼻を鳴らすまで、それほどの時間は掛からなかった。事態は火急であり、迷っている暇はない――それがベクラーの結論だった。



「――良いだろう、貸してやる(・・・・・)。音に聞く“魔公女”の御業、せいぜい見物させてもらおうか」

「上等! 腰抜かしても知らないからね!」



 ベクラーの宣言に、シルヴィアはにっと笑って錫杖を構えた。崚の通訳を待つまでもなく、錫杖をぐるりと一周振り回すと、勢いよく床に突き立てる。所詮は手弱女(たおやめ)の細腕による一打は、しかし“くわん”と不可思議な音色を伴って響き渡った。



“――我が(ひとみ)未だ(あおぐろ)く、さらば汝らが蛮行尽く見逸らまじ! 此れなるは重石の蟻地獄、寄らば末期の袋小路なり!”



 文字通り、(うた)うような言霊とともに、錫杖に埋め込まれた七色の宝玉が輝き、色のない波動を押し広げた。それ(・・)はさぁっとホールを満たすと、あっという間にその外へと漏れ出した。未だホール内にいるはずの一同は、しかしまったく不思議なことに、それ(・・)がオアシス全体に広がっていくのを感じ取った。

 ――ずん、と一瞬だけ、重苦しさを覚えた。

 違わず一瞬で掻き消えた重力は、しかし形のない違和感として一同の脳裏に引っかかり続けた。この重力は、まだ“この場”に作用し続けている――言葉にすることなく、一同はそれを感じ取っていた。



「これは……!?」

「――太封の陣・衆合の型。オアシス全体に結界を張って、敵対者の逃走を封じた。これでこの地に近づいたが最後、連中はここから逃げられないわ。

 さ、あとは戦士たちの仕事よ。(みなごろし)にしておいで」



 錫杖を構え、にぃと悪辣に笑うその顔は、なるほど“魔公女”に相応しい――崚がやっと抱いた感慨は、それだけだった。



太封の陣

 指定した天地に作用する、結界魔術のひとつ

 敵対者に極大の重力を与え、逃走を阻害する

 広範囲を支配するが、膨大な魔力を要する上位術


 結界とは、特定空間の内外を隔絶する魔法である

 設置圏内にしか作用せず、主に広域防衛に用いられるが

 「衆合の型」として調整すれば、敵を囚える罠と化す

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