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神宿ル劍  作者: 竹河参号
02章 熱砂に燻る呪詛
24/78

10.カドレナの魔公女

「いやー、案外勢いで何とかなるもんね」



 ところ変わり、エレナらのために用意された客室のひとつ。会議はいったん休憩ということで、氏族長たちとエレナらはそれぞれに割り当てられた客室に引っ込んだ。その流れでエレナらと同じ客室に転がり込んできたシルヴィアは、からからと笑っていた。

 絨毯の上で胡坐をかき、リラックスした様子で扇を煽いでいる。エレナと同じ貴種の生まれとは思えないほど、まるきり気位の違う豪放な雰囲気だ。



「お見事です。助かりました、シルヴィア様」

「やぁねぇ、褒めても何も出ないわよ。ウチくる?」

「そ、それは……! え、エレナ様の御側を離れるわけには、その、いきませんので」

「相変わらずかわいいわねぇ。冗談よ、エレナの『お気に入り』を取り上げたら嫌われるじゃない」



 真面目くさったクライドの百面相を、シルヴィアがにたにたと笑いながらからかった。崚の第一印象の通り、癖の強い女だ。崚は彼女の背後に座す窟人(クヴァル)の従者に声を掛けた。先に紹介されたところによると、モルガダという名らしい。



「この人、いつもこういう感じなんすか」

「……あぁ」

「……大変そっすね」

「やぁねぇ、人を問題児みたいに」



 想像通りの低いだみ声で、想像以上の感慨が込められた深いため息が返ってきたため、崚も思わず同情の声を掛けるしかなかった。横で聞いていたシルヴィアが不満げにぶーと頬を膨らませるが、このモルガダの反応を見る限り、文句を言えた身ではないように思える。他方では、エリスがまぁまぁと宥めつつ、シルヴィアに向かって杯を差し出していた。



「冷水をお持ちしましたわ」

「ありがとー、エリス」

「それにしても、シルヴィア様までいらっしゃるなんて」

「まー今回はちょっと格好がつき過ぎたわね。巡り合わせってやつかしら」



 やいのやいのと盛り上がる中、沈痛な面持ちで目を伏せている者が、一人だけいた。



「――すごいね、シルヴィは」



 うわ言のように呟かれた言葉を、奇しくもこの場の全員が拾い上げ、揃って顔を見合わせた。

 声の主は、冷水の入った杯を抱え、俯いたままのエレナだった。



「わたし、なんにも出来なかった。

 リョウみたいに、砂人(オグル)と言葉が通じるわけじゃない。シルヴィみたいに、相手が納得できる利益を提示できたわけじゃない。ただ『掠奪をやめて下さい』ってお願いしただけ。

 ……身勝手だよね。彼らだって、生きていくためにそうするしかないのに。自分たちが迷惑を被ってるからって、一方的に否定するだけなんて」

「……エレナ様」



 己の無力を痛感し、沈痛な面持ちで語るエレナに対し、クライドが掛けられる言葉はなかった。砂人(オグル)たちの苦労を思いやることのできる優しさが、こうして彼女自身を苦しめているのだ。

 ……それとは別に、崚は崚でいたたまれない気持ちにさせられていた。この翻訳能力は崚自身の研鑽によるものではなく、まったく不可解な代物だ。こんなことで引き合いに出されても困る。



「俺のこれを勘定に入れられても困るんだが……」

「何か勘違いしてるわね。あたしは別に、『どうしても和平がしたい』なんて思ってないわよ」



 おずおずと口を挟んだ崚とは対照的に、シルヴィアはきょとんとした顔で言い放った。思わず、エレナを含む全員がシルヴィアに視線を向ける。



「あんたも和平を望んでたんじゃなかったのか?」

「別に?」



 崚の問いに、シルヴィアはけろりとした顔で返した。



「言ったでしょ、()るなら負けないって。砂人(オグル)の事情がどうであろうと、それがカドレナの領民の不利益に繋がるのなら、あたしは連中を討伐するわよ。それが領主の責任だもの」

「あんた、砂人(オグル)の相手は面倒だって言ってたよな。あれは嘘だったのか?」

「それは本当。あたしの魔術なら、砂人(オグル)相手でも十人隊のいくつかぐらいまでなら余裕だけど、それ以上は大変ね。それに、それはあたしが相手した時が前提の計算であって、実際はそんなに魔術師の数を揃えることはできないわ」

「よく知らねえけど、魔法使いってやっぱり希少なのか」

「まあね。それにあの連中、実戦闘ではあんまり役に立たないのよ。錬金術とか秘薬とか、そんなのばっかり」



 だいたいもやし(・・・)ばっかりだからねぇ、とシルヴィアはぼやいた。実際、魔術師と言えば研究が主であり、身体能力そのものは肉体労働を主とする平民にも劣る。そんな連中を砂漠に駆り出したところで、極端な寒暖差に振り回され、使い物にならなくなるのは想像に難くない。結局、戦争となれば普通の兵士を動員することになるため、あとは説明した通り、数でごり押すしか手はない。



「かといって、砂人(オグル)相手の商売だって、本当は博打なのよ。砂漠は連中の領域だから、どうあっても連中に生殺与奪を握られる。逃げ場のない砂漠の真ん中で法外な額を吹っ掛けられても、交渉のしようがないじゃない? 今回はあんたも援護してくれたことだし、連中もおっかなびっくりで商売を始めるでしょうけど……いずれ自分たちの有利に気付いて、相場をいじりだすと思うわ」

「……つまりあんたは、『砂人(オグル)に有利なテリトリーでの戦争に掛かる費用』と『砂人(オグル)の利に偏った商売で発生するであろう損失』を天秤に掛けて、どっちが重いか量りかねたわけだ」

「その通り。理解の早い生徒は好きよ、えらいえら~い」

「やめろ! 撫でるな! ガキ扱いか!?」

「おい、リョウ! 無礼だぞ!」

「ははは! このくらい跳ねっかえりがある方が好きよ」



 まさに幼子に相対するかのような態度で頭を撫でようとしてくるシルヴィアの手を、崚が鬱陶しげに払った。その無礼をクライドが慌てて咎めるも、肝心のシルヴィアはからからと愉快そうに笑っている。モルガダも、慣れた様子でため息を吐くばかりだった。



「……で? どっちを選んでも相応の損が決まってる中で、どうして和平を選んだ?」

「あらやだ、ひどい言い方。まぁ事実だけど」



 わざわざ悪し様な言い回しを選んだ崚の問いに対し、シルヴィアはおどけつつもうーんと唸りながら答えた。



「カドレナでも散々紛糾してたんだけどね。どうしようかなーって悩んでるときに、とあるお馬鹿さんのことを聞いたのよ。『異種族同士が手を取り合う平和』なんて、青臭いこと言い出したってね」



 シルヴィアの勿体つけた言い回しに、崚とクライドは顔を見合わせた。それは、まさしくこのエレナが唱えたことではないか。ぽかんとするエレナに見せつけるように、シルヴィアがぱちんとウィンクをした。



「それだけの理由で?」

「どっちを選んでも、少なくない損失が確定しているからね。裏を返せば、どっちを選んでもいいってことなのよ。

 いいじゃない、青臭い理想。乗っかるなら楽しい方よ」



 にっこりと微笑むシルヴィアの顔に、先ほどまでの狡猾さは微塵もなかった。その『青臭い理想』のためだけに協力してくれた、その事実に心動かされないほど、エレナという少女は冷徹さを持ち合わせていなかった。



「ありがとう。大好きだよ、シルヴィ」

「もう、かわいいわね~。あたしも大好きよ、エレナ」



 感涙のままに身を乗り出したエレナを、シルヴィアが優しく抱きとめた。暖かな愛情をもって交わされる抱擁は、崚が見たことのない光景だった。






 ◇ ◇ ◇






 それからしばらく歓談を交わしたのち、シルヴィアが「準備があるからいったん戻るわ」と言い出したので、彼女の天幕まで崚が送る運びとなった。ぽっと出の傭兵が務めていいのかとも思ったが、雇い主の命令なら仕方ない。崚としても、訊きたいことがあったので好都合なのだ。



「それにしても、あの子が傭兵を傍に置くなんてねぇ。ちょっと意外」



 錫杖を自ら担ぎ、天幕への道すがら、シルヴィアがぽつりと呟いた。そこに特別な感慨はない。文字通り、無意識のうちにこぼれた言葉のようだった。



「文句あるか」

「いいや? あの子箱入り娘だから、視野が広がるのはいいことよ」



 親馬鹿も考えものよねぇ、とシルヴィアはぼやいた。詳しい話は知らないが、現王は親馬鹿で有名なのかも知れない。その温室育ちが子煩悩に盲いた結果の愚行なのか、現王なりの英才教育のつもりなのか。せめて後者であってほしい、と崚は思った。



「あいつと、付き合いは長いのか」

「まぁね~。母上がカルザス陛下の妹御で、昔からよく会ってたの。といっても、立場的にこっちから会いに行くのがほとんど。おかげで砂漠越えも海路も慣れっこになっちゃったわ。あんたは経験ある?」

「さあ。実は記憶喪失なもんで」

「記憶喪失ぅ?」



 崚の白々しい言葉に、シルヴィアはあからさまに胡乱気な視線を向けた。傍らのモルガダすらも、不審げな表情を浮かべている。



「本気で言ってんの? ウソだったら不敬罪でしょっぴくわよ」

「サヴィア大砂漠も砂人(オグル)もカドレナも、今回初めて聞いたって言ったら信じるか?」

「マジか。……マジか……」



 嘘は言っていない。言っていないが不敬罪間違いなしの言葉を、崚はまったく臆せず言い放った。あまりにも堂々とした物言いに、シルヴィアはしばらく衝撃を受け、言葉を失っていた。



「で? 本当のところはどうなんだ?」

「ん?」



 そんな与太話はどうでもいいと、崚は直球で問い質すことにした。



「『慣れてるから』ってだけでお出かけできるほど、この砂漠は楽じゃないだろ? ましてや公女サマが、一人でほっつき歩けるわけがない。エレナと同じように、それなりの準備をしてからここに来たはずだ。当然、カドレナの代弁者としてな。

 ――あんな理想論だけで動く人間には見えないし、それで動かせるほどカドレナも甘くないはずだ。本当はどんな目的でやってきたんだ?」



 目を細めて詰問する崚に対し、シルヴィアはふぅんと感心したような声を上げた。佩刀に引っかけるようにしてぶら下げられた左手に、ちらりと一瞬だけ視線を向けたのを、崚は見逃さなかった。



「……そうねぇ、あんたには言っておこうかしら」



 そういうと、シルヴィアはそれまでの享楽的な態度を完全に消し、冷ややかな目つきに変わった。



「あたし言ったじゃない、カドレナでも紛糾してたって。あれ、ちょっと建前があるのよね」



 主戦派と和平派で意見が割れていたことだろう。建前で『紛糾』と称する以上、実態はどちらかに偏っていることを意味している。まあ当然といえば当然か、と崚は思った。ベルキュラス本国の意見がどうであれ、カドレナが同じような議論をしているとは限らない。そして和平派のエレナに対して建前を使った以上、どちらに偏っていたのかは明白である。



「実態は?」

「割と主戦派。どちらかと言えば、カドレナ(うち)の方が被害が大きいの。蛮行を繰り返す異種族に対して、いい感情が持てるわけないから、どうしても主戦派の声が大きいわ。

 ただ、今回に関しては和平の方向で何とかまとめるわ。父上もあの手この手で言いくるめた。これから今回の成果をカドレナに持ち帰らないといけないけど、『砂人(オグル)に和平の意志あり』という事実があれば、主戦派は大義名分を失う。流れをこちらに引き寄せることができると思うわ。

 言っとくけど、あたし超頑張ったんだからね? 裏切者扱いされるのは心外よ?」

「……そりゃ失礼しました」

「分かればよろしい」



 目を剥いて睨むシルヴィアの文句に、崚は仕方なく目を伏せて謝罪を述べ、居丈高な言葉による赦しを与えられた。いや彼女の身分としては当然の言葉なのだが、平素がざっくばらんな態度なだけに、どうしても芝居がかった振舞いに見える。

 と、ついでに何かを思い出したのか、シルヴィアはうーんと頬に手を当てて唸った。



「あぁそうだ、ランゲル侯がバリバリのタカ派だから、あれを何とか宥めてやらないといけないのよねぇ……」

「そんなに面倒臭い人物なのか?」

「まぁね。ロンダール戦争から生き残ってる家系だから、何につけても発言力が大きくて。あたしの立場を使えば、嫁入りと引き換えに懐柔する手もあるんだけど、さすがにそれは最終手段として取っておきたいし。あと、あそこの跡取り息子があたしの好みじゃない」

「そういうこと言っていいのか?」

「傭兵相手の冗談に使える程度には」



 どうやら陪臣の一人が主戦派かつ、大公家のシルヴィアにとっても扱いづらい人物らしい。その折衝をしなければならないとなれば、さすがの崚もご愁傷様と労いたくなるが、彼が訊きたいのはそんな政治ゲームの話ではない。



「そんで?」

「さっきも言った通り、被害があるのも事実だけど――本当の狙いは、軍事的な成果。砂人(オグル)討伐で戦果をかっさらって、ベルキュラスに対しての発言力を強めるのが目的。あと、魔導兵器をいくつか実戦投入したいっていう思惑もあった。……言い方悪いけど、砂人(オグル)は生贄扱いなのよ」



 身も蓋もない言いように、崚は目を細めて睨んだ。まるで害獣駆除か何かのような言いようだ。その程度の動機で、『戦争』という破壊的行動に舵を切るのも、捉え方が軽すぎる。

 そんな崚の不快感を察したのか、シルヴィアはおどけたように諸手を挙げた。



「やだ、怖い顔しないでよ。忘れてるみたいだけど、あいつら異種族よ? 自然体で対等に扱ってるあんたやエレナの方が(おか)しいの。……悪いことだとは思わないけどね」



 最後に付け足された言葉に滲んだ、柔らかな雰囲気に絆され、崚はそれ以上の追及をやめた。シルヴィア個人の思想ではなく、あくまでもカドレナ系貴族たち全体の考えだ。これ以上、彼女に八つ当たり(・・・・・)をしても意味がない。

 代わりに、もう一つの疑問を投げることにした。



「ところで、カルトナ出立後にエレナが襲撃されてるんだが、あんた知ってたか?」



 冷え冷えとした視線とともに投げかけられた崚の質問に、しかしシルヴィアはにやりと悪辣な笑みを浮かべた。



「やっぱり冴えてるわね、ウチに引き抜きたくなるじゃない。

 ――質問の答えは、『知ってる』。ボルツ=トルガレンっていう連中が仕手だってことも知ってる。……だけど、あんたが訊きたいのはそういうことじゃないわよね?」



 シルヴィアの確認に、崚は無言で続きを促した。

 カドレナ独立を目論む政治結社ことボルツ=トルガレン、それがエレナを襲撃した理由は、未だ明らかになっていない。状況として砂人(オグル)問題に関わっている可能性が高いはずだが、それが連中の、ひいてはカドレナの利に繋がるという論理が掴めていなかった。だが、『カドレナそのもの』である公女(シルヴィア)の視点ならば、ベルキュラス側とはまた違った意図が見えてくるかも知れない。

 ――有り体に言えば、崚は彼女の干渉を疑っている。



「最初に言っておくけど、あたしはシロよ。あの子に手を上げるくらいなら、ランゲルの親爺に股開く方が千倍マシ。雷獣の鉤爪(イルンガルツ)にも玲瓏の宝珠(ラーグリア)にも誓って言う、あたしは関わってないわ」

「なにとなににって?」

「……は? あんた知らないの? 祖国が戴いてる神器くらい知っときなさいよ」



 急に突っ込まれた単語に訝しんだ崚に対し、シルヴィアは呆れた視線を向けた。『イルンガルツ』と『ラーグリア』といえば……確か『神器』、「偉大なる神の力を宿した伝説の武器」とやらのうち、二つだったか。



「生憎、記憶喪失なもんで。――他は?」

「クロ、……って言ってほしいでしょうけど、残念ながらまだ灰色。ただ、だいぶ暗い色ね」



 カドレナ系貴族、つまり身内への疑念を、シルヴィアは事実上容認した。

 もはや根拠を問い質す意味はない。砂人(オグル)討伐の戦果と、魔導兵器の試験稼働――『カドレナ自身の都合』がある以上、主戦派にとっての利益は確実に存在し、ために和平派のエレナを排除する動機は存在する。



「ご想像の通り、ボルツ=トルガレンとやらの行動は主戦派、とくにカドレナにとっては好都合よ。本人たちはどういうつもりなのか知らないけど、カドレナ貴族の誰かが裏で糸を引いてる可能性は大いにある。

 そうだった場合に困るのが、容疑者が多すぎるってこと。――あたしの父も含めてね」



 シルヴィアの言葉に、崚は思わず息を呑んだ。この公女は、自分の父親を王女暗殺未遂の容疑者と見做している。



「もちろん、カドレナ大公たる父上がそんなゲス野郎だとは思いたくないし、そんな短慮だと思いたくもない。和平派筆頭の王女が暗殺されたら、真っ先に疑われるのは主戦派だもの。ベルキュラスへの影響力どころか、取り潰しの名分を与えるようなもんよ。というか、ベルキュラス側の貴族がそういうシナリオを組み立てていてもおかしくない。あたしに言わせれば、あの連中のやってることなんて、勇み足もいいとこなのよ」

「シナリオ? ……おい、ちょっと待て。

 まさか――容疑をカドレナ側に擦り付けようとしてるだけで、エレナを狙ったのはベルキュラス側の自作自演ってことか!?」

「その通り。……逸っちゃだめよ、確定してないんだから。あくまで容疑者の一派ってだけ」



 思わず拳を握った崚を、シルヴィアが低い声で押し止めた。

 俄かに事態が複雑化しだした。ベルキュラス側の主戦派が、事もあろうに和平派筆頭の王女(エレナ)を暗殺し、それをカドレナ側の主戦派に擦り付けようとしていた――そんな絵図が浮かび上がっている。ここにきて、まさか身内を疑わなければいけないのか。



「ま、それが事実だったとして、ベルキュラス側の思惑はよく分かんないけどね。そうまでして“浄化戦争”のやり直しがしたいのか、あるいは連中にとってはカドレナこそが本当の敵なのか。

 どちらにせよ、カドレナ側としてはそのシナリオに乗っかってあげる義理はない。だから理想としては、王女のいるハト派には直接手を出さず、そのうえで和平交渉を失敗させる。『もはや剣によって争うのみ』という流れを作ってしまえば、もう主戦派を止められる者はいない。いかにその状況に持っていくか、その時までにいかに軍備を整えておくかが行動の鍵であって、ハト派を物理的に消すための算段なんかじゃない。

 でも――いざという時、カドレナはベルキュラスに反抗する腹積もりなのか。もう一度(・・・・)やり合って、勝つ算段があるのか。大公(ちちうえ)がどう考えているのか、そこまでは読み切れてないの」

「……一応、実の父親だろ? まるで政敵みたいな捉え方をすんだな」

「あんまり仲良くないからねぇ。反抗期ってやつ?」



 眉をひそめた崚の問いに対し、シルヴィアはあっけらかんと返した。



「叔母上と仲が悪かったらしくてね。あたしがその叔母上に似てるもんだから、父上としては面白くないみたいでねぇ。ま、実際かわいがってもらったし。でも母上はどっちとも険悪ってわけじゃないし、男ってよく分かんない」



 肩をすくめて語るシルヴィアの言葉に、およそ『反抗期』を自称できるような頑迷さはなかった。今日初めて会ったばかりの崚から見ても、彼女の才智ぶりは明白であり、その精神性も成熟しているように思える。彼女が語る事情通り、不仲の原因は父親側(と、その妹との関係)にあるのではないか。

 とはいえ、大公家の確執が今回の砂人(オグル)問題に直接関係しているわけではなさそうだ。崚は話を戻すことにした。



「……それで? あんたの親父さんは、ベルキュラスと砂人(オグル)の両方を相手取って戦争をするつもりなのか?」

「どうかしら。たぶん、砂人(オグル)討伐なんて有耶無耶になるでしょうね。

 砂人(オグル)としては生活のために掠奪してるだけで、どちらに対しても本格的に事を構えたいわけじゃない。ここまで大事になってるのだって、本当は内心焦ってるはずよ。

 問題はカドレナとベルキュラス。王女暗殺なんて椿事が起きたら、砂人(オグル)問題なんて紙屑みたいに吹っ飛ぶわ。『カドレナとベルキュラスによる砂人(オグル)討伐』のはずが、『カドレナとベルキュラスの全面戦争』に早変わり。

 そうなった場合、そうね……どちらが主戦場になるにせよ、サヴィア越えを挟むことになる。十中八九、砂人(オグル)を懐柔しようと取り合いになるでしょうね。少なくとも、ベルキュラスと砂人(オグル)を両方相手取るのは、最悪の想定でしかないわ」

「つまり、懐柔の時間が必要になると。……今日の感じだと、どちらも充分に根回しができてる感じじゃなかったが、俺の見当違いか?」

「あんた鋭いわね、本当に記憶喪失?

 実際その通りよ。今回あたしが先手を切ったってのもあるけど、まだ本格的に動いてるわけじゃない。そもそも討伐するか否かって話をしてるときに、その相手と交渉を始めるわけにはいかないでしょ。そういう意味では、お互いもう少し安心していいわ」



 それは、この場にいないエレナにとっては朗報と言えるだろう。シルヴィアのにこやかな表情に、



「……本当にそうか?」



 しかし崚は引っかからなかった。

 眉間にしわを寄せ、低い声で問い返された崚の言葉に、シルヴィアは薄笑いを貼り付けたまま答えた。



「ご名答。あんたいいわね、本気でウチに来ない?

 ――砂人(オグル)との和平が成るということは、お互いにとって問題が一つ減るってこと。諸人(ヒュム)そのものへの敵対感情が薄まることで、懐柔のためのステップが一歩進む。カドレナ対ベルキュラスの戦争を想定した場合、もう下準備の段階に入るといっても過言じゃないわ。

 ……だからこそ、父上の思惑が分からないの。今回のエレナ暗殺未遂に関わっているのか、そうでないのか。本音として砂人(オグル)問題をどう思っているのか、ベルキュラスとの関係をどう思っているのか。この状況下で、砂人(オグル)問題をどう利用するつもりだったのか。それ次第で、カドレナとベルキュラスの関係が大きく変わるわ」



 語りながら、シルヴィアの薄笑いはだんだんと剥がれ落ちていった。血を分けた肉親同士での殺し合いを想定しなければならない以上、明るい気分にはなれないだろう。



「あんたは、どうしたいんだ」



 核心的な問いを、崚はまっすぐにぶつけた。

 シルヴィアは、しばらく無言で言葉を選んでいた。言い訳を考えている様子には見えなかった。



「――あたしの本音は、エレナと敵対するつもりはない。あの子があの子でいる限り、あたしはあの子の味方でいる。

 でも、あたし一人の意思で容易く動かせるほど、政治は甘くない。あんたなら、それくらい分かるでしょ」



 その言葉は、朗報とも凶報とも言い難い。彼女自身の一次感情はともかく、それだけで思い通りにはできないのが政治だ。ままならない現実に対するもどかしさは、言葉以上にその眼が訴えかけていた。そこに口を挟めるほど、崚は愚直にはなれなかった。



「とにかく、エレナの傍にいるなら気を付けなさい。あの子の敵は、あんたの想像以上に多いわよ」



 その言葉を最後に、問答は打ち切られた。重苦しい雰囲気を切り替え、さて戻るわよーと振り返ったシルヴィアに対し、しかし崚は応えられなかった。

 くさい(・・・)



「――なんか、臭わないか?」

「は?」



 再度振り返ったシルヴィアに構わず、崚はきょろきょろと辺りを見回していた。突然の奇行に、シルヴィアもモルガダも怪訝な視線を遣っていたが、崚はお構いなしに視線を巡らせた。

 何か――何か異変があるはずだ。この感じは、尋常のものではない(・・・・・・・・・)



「いきなり何よ? その辺に家畜小屋でもあるんじゃないの?」

「ちっげーよ馬鹿。いつもこういう臭いがすんだよ、|イシマエル共と相対した・・・・・・・・・・・・に」



 その言葉に、モルガダは相変わらず怪訝な表情を浮かべていたが、シルヴィアはすぐさま目の色を変えた。担いでいた錫杖を構え、小声の詠唱とともに地面に突き立てる。

 埋め込まれた宝玉の一つから、色のない波動が溢れ、するりと周囲に伝播した。音も色もなく広がっていくそれは、シルヴィア自身の魔力波である。それは彼女たちの周囲のみならず、ニーダオアシス全体に広がり、その異変を暴くはずだった。



「――何も……何も、いないわよ。あんたの気のせいじゃ――」



 否定の言葉を紡ぎつつ、しかし探査を止めないシルヴィアの言葉を、崚は半分も聞いていなかった。

 薄い。いや遠い。これは――まさか、近づいてきている(・・・・・・・・)



「――もっと遠くだ! 空は!?」



 崚は顔を上げ、身体ごと振り向きながら空へ視線を巡らせた。さすがに何かがあると認めたモルガダも、真剣な目つきで空に視線を向ける。

 果たして、それら(・・・)は西の空に見つかった。胡麻粒のような黒々とした点が、彼方の雲の向こうに浮かんでいた。それが点ではなく、平たいU字のような輪郭として視認できた頃には、数個ばかりではなく、群れ(・・)としてその異様を見せつけていた。

 その数は――



「骸鳥!? ――ちょ、何よこの数!?」

「――大群だ。お嬢、俺たちだけでは対応できんぞ」



 崚が目視でその数を数え、四十(・・)を過ぎたころには、シルヴィアやモルガダも同じようにその姿を捉えていた。とても偶然とは思えない数に、二人の表情にも焦りが浮かんでいた。

 まるで飛蝗だ。どうして今、どうしてここへ――そんな疑問に呑まれている場合ではない。



「あんた、他に護衛の傭兵たちがいるんでしょ!? そっちに連絡して、迎撃準備! あたしはエレナと氏族長たちに連絡する! モルガダ、天幕にもどってうちの隊にも準備させて!」

「了解だ」

「言葉はどうする!?」

「向こうの通訳がいるでしょ、それで何とか教える!」

「分かった!」



 言うが早く、三人はそれぞれに駆け出した。鼻の奥を甚振る不快な臭気が、駆ける崚の焦燥を煽り続けた。



骸鳥

 イシマエルの一種、醜悪な人面の怪鳥

 手の皮を引き延ばしたような翼で空を泳ぐ

 矢が当たれば撃ち落とせる、もっとも倒しやすい存在


 小国カルヴェアの東方では、群れをなして人里を襲うという

 食うではなく攫うさまを見て、民草は「人狩り」と恐れている

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