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神宿ル劍  作者: 竹河参号
02章 熱砂に燻る呪詛
23/78

09.氏族長会議

 とある暗がりで、水晶玉が煌めいていた。

 一つではない。およそ二十の水晶玉が、ぐるりと円陣を描き、その内側それぞれに異なる景色を映していた。

 遠見の魔術――遠く離れた地の様子を見透かす魔術。およそ現代のあらゆる魔術師が、最初に学ぶ魔術である。ただ『見る』のみという意味では、最も簡単な魔術のひとつだが、視点や角度、視認範囲の制御、彼我の位置関係の把握、聴覚および嗅覚情報に加え、周辺気候や魔力濃度などの付随情報……と、術者の制御次第では遥かに高精度な情報を取得することが可能であり、魔導兵器開発の先進国であるレノーン聖王国でも、照準制御術式のひとつとして再評価されつつある。

 まして、それを複数視点で制御し、高精度で情報統合するとなると、難易度は数倍に跳ね上がる。単純な魔導技術のみならず、高い情報整理能力が求められるのだ。レノーンの魔導研究機関における記録上、一人の人間が並列処理可能な視点は、四つが限度とされている。



「――何やら、砂人(オグル)共がひとところに集まっているようですな」



 そのうちの五つに、褐色肌の集団がそれぞれに映っているのを、一人の男が視止めた。麗しい礼服のような衣裳に身を包み、褪せた灰色の髪を後ろに撫でつけ、片眼鏡(モノクル)を掛けたその顔は、齢にして三十を半ばほど過ぎたころだろうか。若き活力と老獪さが同居する、雄として最も脂の乗った時分――そんな奇妙な蠱惑感を漂わせる男だった。

 男の呟きに、暗がりの一角がずるり(・・・)と蠢いた。常人の暗視能力では、それ(・・)の姿を視止めることはできないだろうが――男の目には、腕を組み佇む男の姿が見えていた。

 『男の姿』――とはいうが、男にとって、その形容は決して正確ではない。物事を表層でしか捉えられない、白痴共に相応しい自己欺瞞だ。ひとたびそれ(・・)と相対すれば、何人であれその不正確さを嫌でも思い知ることだろう。その根本からしてヒトならざるものが(・・・・・・・・・)ヒトの姿をとっている(・・・・・・・・・・)という矛盾に、発狂すること間違いない。



「それがどうした」

「おそらくは奴の報せ通り、ベルキュラスの(まつりごと)に関わることでしょう。まぁ、理由は何でもよろしいですが」



 涼しい顔で言葉を交わしながら、しかしそれ(・・)に対する拭い難い畏れを、男は決して否定しなかった。どろどろと煮え滾る憎悪の赫熱そのもの、それが辛うじてヒトの似姿を留めているだけの、条理を隔絶した『化外』としか呼べない何か。それに対する畏れを否定するのは、ただの蛮勇――あるいはそれ以下の蒙昧に違いあるまい。一方で、その畏れに呑まれる必要性も感じなかった。憎悪の化身そのものであるそれ(・・)が、しかしヒトの似姿を保っているという矛盾。それは紛れもない理知の証明であり、つまり「それ(・・)の歓心を買い続ける限り、その暴威がこちらに向けられることはない」という安全地帯の示唆だ。



「あのサヴィアで産まれた『第四の人類』――素材(・・)として、興味がそそられませんか?」

「知ったことか。何者であれ“人”を冠すならば、(ころ)し尽くすのみだ」

「おや、そっけない。聞くところによると、御身の故郷でもあったとか」

「それこそ、知ったことではない。……下らん戯れ言はよせ。そうまでして、この(おれ)を小間使いにしたいのか」

「滅相もない。そのような恐れ多いこと、とても申せませぬとも」



 たちどころに向けられた灼熱に、しかし男は怯むことなく頭を垂れた。常人ならたちどころに心胆を圧し潰されるであろう重圧も、あるいは恐怖のあまり発狂するであろう憎悪も、それ(・・)にとっては児戯の範疇だ。つまりこの程度の戯れ言(・・・)を躱すこともできぬような凡愚は、その事実だけでそれ(・・)の不興に値する。そしてそうでないのが、己だ。



「ただ――奴めの(はかりごと)が上手く進んだならば、機は近うございます。“魔王”様の手駒として、数が多いに越したことはありますまい。

 ……『準備運動』の必要がおありならば、ついでに摘まんできて(・・・・・・)下さると、こちらとしてもお力添えできるかと」

「戯れ言はよせと言ったはずだ」



 男の言葉に不快感を露わにしながらも、それ(・・)は組んでいた腕を解いた。尽きせぬ憎悪の化身といえど、無聊に倦むことはあるらしい。どうやら己の口車に乗ってくれるようだと、男は見せつけるように薄笑いを浮かべた。



「――この(おれ)を動かすのだ。相応の成果は寄越せよ」

「是非もなく」



 吐き捨てるように言い残し、背を向けて去るそれ(・・)に、男は恭しく頭を下げた。音もなく暗がりに溶け、その姿が完全に消失してもなお――それ(・・)が残していった余熱が完全に立ち消えるまで、男は決して顔を上げなかった。






 ◇ ◇ ◇






 エレナとラジールら一行がニーダオアシスに到着した日から、さらに四日後のチムの刻(午前十時ごろ)。ハジーの屋敷のメインホールに、多数の砂人(オグル)が集っていた。

 上座の壇上には誰も座っていなかった。あくまでも氏族長同士は対等であるということだろう。そのすぐ下の区画に座っているのが、ハジー氏族長ベクラーと同氏族の巫女トルエナ。そこからさらに、中央を囲むように座しているのが、残りの氏族長たちだ。真っ白な髭と髪と眉毛とを長く伸ばし、その奥で不機嫌そうな表情を見せている老人がハサド氏族長メルギム。ガーヴルと同年代くらいの、同じような表情をしている筋骨隆々の壮年がズール氏族長メリフ。ターバンのようなものを頭に巻き、目を伏せて表情を隠す老婆がランガ氏族長シシル。その隣の、三十代くらい――青年と壮年のちょうど中間のような、黒髪を刈り込んだ男がその甥ラシャル。下座に座っているのがエレナとラジール、つまり崚たちだ。会議の発言権を持つのはあくまでもこの八名だが、それぞれの背後に護衛の戦士たちが控えており、メインホールには合計二十人を超える人間が集っていた。



「これより、氏族長会議を執り行います。議長はわたくし、ハジー氏族の巫女トルエナが務めます。賛成の方は拍手を」



 トルエナの宣言に、ぱらぱらと拍手が起こった。氏族長たちの中で無反応だったものはおらず、(つつが)なく進行できるようだ。エレナが傍らに控える崚の腕を引き、その仔細を問うた。



「……はじまった?」

「みたいだぜ」

「状況は」

「急かすな急かすな。まだ議長を承認してるとこ」

「言葉が解るのはお前しかいないだろう!」



 同じように控えるクライドが、焦れたような言葉をぶつける。ベルキュラスの今後の趨勢を握る一大案件だけに焦る気持ちは分かるが、動いていない事態を説明することはできない。

 そんな諸人(ヒュム)たちのやりとりはさておき、氏族長たちの反応を見届けたトルエナは、静かに頷いた。



「皆様のご協力に感謝を。この会議を公平に進めることを、血と天秤の女神カリーンに誓います。

 ――まずは、客人の紹介を。ベルキュラス王国第一王女、エレナ様です」

「お前が紹介された」



 女神への宣誓に続き、トルエナがエレナを紹介する。氏族長たちの視線が一斉に向けられる中、エレナは緊張の面持ちで立ち上がった。崚もあわててそれに続いた。



「とりあえず、エレナの言うことを繰り返しゃいいんだな」

「うん」

「……エレナ様、どうか緊張なさらずに」

「心配すんな。何か言い間違えても、恥かくのは俺だからよ」

「――うん、ありがと」



 彼女を気遣う従者二人の言葉に、エレナは深呼吸をひとつすると、毅然と顔を上げて語り始めた。



「初めまして、皆さま。エレナ・ティル・ベルキュラスと申します」

「初めまして、皆さま。エレナ・ティル・ベルキュラスと申します」



 百戦錬磨の大人たちを前に怯まず朗々と語るエレナへ、しかし好意的な視線を向ける者はいなかった。ズール氏族長メリフなどは、あからさまに舌打ちをしていた。



「ふん、青びょうたん共が」

「そこ、聞こえてんぞー」

「なにっ!?」



 無論、その陰口を聞き逃すほど鈍麻な崚ではなく、そして黙って流してやるほど賢明でもなかった。吐き捨てるような崚の物言いに、当のメリフは思わずぎょっとした。



「なんて言われたの?」

「大したことじゃねえ、続けろ」



 冷え冷えとした視線を向ける崚に、違和を覚えたエレナがつつくが、崚は涼しい顔で躱した。



「皆様に和平交渉をお願いすべく、ベルキュラス王カルザスの名代として罷り越しました。氏族長の皆さまにお会いできて光栄です」

「ベルキュラス王国より、このサヴィア大砂漠での掠奪行為についての解決と和平交渉について、このエレナ様を通じて申し出がありました。皆様、今一度書状をお検めください」



 エレナの言葉、それを訳した崚の言葉を引き継ぎ、トルエナが氏族長たちへ書状を回し始めた。氏族長たちはそれぞれに正書と訳文を並べ読み、また後方に控えている通訳に内容を検めさせた。全員が一通り読み終えたのを確認すると、エレナは再び口を開いた。



諸人(ヒュム)砂人(オグル)――種族は違えど、同じこの世界で生きる者同士。ただ生きる糧を得るためだけに、互いに剣を向け合い、傷付け合うべき道理などありません。奪い合うことなく、共に生きる道を探してはいただけないでしょうか」



 そう言って、深々と頭を下げるエレナに、氏族長たちはしばし沈黙して思案した。敢えて悪し様に語るならば、「これ以上やるなら戦争を起こすぞ」とベルキュラス側が脅し付けているも同然の状況――むしろ先の書状こそ、そういう文脈で書かれていても(おか)しくはないが、エレナ個人の態度としては『あくまでも和平を求める』という姿勢が伝わったのだろう。

 しばらく、沈黙が続いた。トルエナが議論を促そうと口を開きかけたとき、先んじて沈黙を破ったのは、白髪の老人だった。



「――儂は反対だ!」



 ラジールと変わらぬであろう年齢で、しかし若人と変わりない力強さで敵意を漲らせながら、ハサド氏族長メルギムが低く吼えた。



「どうした?」

「反対者が出た。ありゃ確か――ハサド氏族のメルギム、だっけ」



 異様な雰囲気を察したクライドが、崚をつつき状況を尋ねる。政治に疎い崚でも分かる、これは一波乱起きそうな流れだ。



「生っちろいベルキュラスの連中など信用ならん! 我らを蛮族と蔑み、この呪われた地に押し込んでおきながら、生きる糧を求めれば掠奪だと!? 我らに死ねと言っているのか!」

「ベルキュラスは信用ならない。蛮族と蔑み、こんな地に押し込んでおきながら、生きるために奪うことを糾弾するな」

「それは……」



 唾を飛ばして怒鳴るメルギムの言葉、それを訳した崚の言葉に、エレナは苦しげな表情を浮かべた。広大な砂漠という過酷な土地に押し込み、日々を生きるのも一苦労な生活を強いている自覚があるのだろう。



「そもそも、使節を名乗るからには献上品を持ってくるのが礼儀というものだ! 手ぶらでのこのこやってきて、客として遇されておきながら、何が和平だ! 我らを馬鹿にしているのか!?」

「使節のくせに手ぶらで来たことを怒ってる。『献上品を持ってくるのが礼儀』だとさ。どうする?」



 畳みかけるように詰る言葉を訳しつつ、崚は対処の口実を求めた。

 しかし『礼儀』というからには、ベルキュラス側も了解済みであるはずだ。たとえ蛮族扱いとはいえ、何の用意もなかったとは考え難い。それが、現実として用意されていないとなると……?



「献上品って言うと、あれか? お前が襲撃されたとき、一緒にあった積荷か」

「うん。本当は、全氏族に配れる量を持ってくるはずだったんだけど、襲撃でほとんどが駄目になっちゃって……」



 崚の推量を、エレナは苦々しい表情を浮かべながら肯定した。いつぞやのエギル山賊団の襲撃では、火矢が使われていたため、それで献上予定だった財宝が損傷してしまったのだろう。あるいは食糧品などの生ものがあったのならば、潜伏期間中に腐ってしまったものもあるかも知れない。ボルツ=トルガレンへの対応を急ぐあまり、カーチス領で準備不十分なまま出立したのが災いした。一行の滞在に必要な物資や、協力者としてのエンバ氏族への報酬が精いっぱいで、追加の献上品を用意する余裕がなかったのだ。



「どうしよう、クライド」



 エレナが思わず振り返り、クライドへ縋るような目を向ける。彼もそれに応えたいのはやまやまだったが、その手段はなかった。



「……素直に言うしかありませんな」

「でも……」

「印象悪いと思うぜ。いいのか?」

「無い袖は振れない。和平交渉の成立を条件に、財宝の贈呈を約束するのが精いっぱいだ」



 苦々しい表情のクライドにできるのは、全面的な白状を促すことだけだった。打つ手がなさそうだと判断した崚は、氏族長たちに向き直って口を開いた。



「――献上品は贈る予定だったが、賊どもに襲われて駄目になった。あんたたちが交渉に応じてくれりゃ、相応の礼は約束する」

「信用できるか!」

「要求を呑むのが先だと?」

「我々を愚弄しているとしか思えん」



 が、案の定、氏族長たちの歓心は得られなかった。ランガ氏族長シシル、ズール氏族長メリフまでもが会話に加わり、口々に不満を口にする。勢いづいたメルギムが、さらに言葉を重ねた。



「そもそも、賊ごときに奪われただと? 事実ならとんだ体たらくだ。ベルキュラスには弱兵しかいないらしいな」

「――ただの賊じゃない。主戦派の手引きがあった」

「リョウ、言っちゃだめ!」



 咄嗟に反論した崚の言葉を、エレナが慌てて止めにかかった。あっと気付いた崚も、既に吐いた言葉は飲み込めない。これでは、「ベルキュラス側にも主戦派がおり、しかも完全に抑制できていない」という内情を()らしているようなものではないか。



「それ見たことか。そこの娘は和平だ何だと言っているが、ベルキュラスの総意ではない。我らを騙す算段だったんだな!」

「それは違う。少なくとも、こいつは本気で和平を望んで――」

「黙れ! たかが通訳が口を挟むな!」



 鬼の首を取ったように叫ぶメルギムに対し、崚が抗弁を試みるが、しかし怒気を滲ませるメルギムを止めるには至らなかった。崚は無意識のうちに、ぎりりと拳を握りしめていた。意味のある情動ではなかった。



「そこまでじゃ、メルギム殿」

「貴様が言うな、砂人(オグル)の恥晒しめ!」



 見かねたラジールが仲裁に入るも、メルギムの怒りの矛先が変わるだけだった。メリフも、同じように不満げな表情をありありと浮かべている。



「ラジール、我々が何も知らないとでも?」

「貴様の氏族だけは献上品を受け取ったらしいな! 財宝に目がくらみ、ベルキュラスに擦り寄るのが貴様のやり方か!? 砂人(オグル)の誇りは何処にやった!」



 仮にも同族であるラジールにさえ激情を向けるメルギムの表情は、もはや同胞ではなく敵対者に向けるそれだ。沈黙を守るベクラーも、止める算段を持たないようだった。



「今回の件で、エンバ氏族には滞在や仲立ちで世話になっているから、その謝礼だ。今こちらが用意できる品では、それが限度で――」

「通訳は黙れと言っている!」

「――んだと?」

「ば、抑えろ!」



 弁明する崚の言葉を、聞く耳持たぬとばかりに切って捨てるメルギムの言いように、思わず苛立った崚が佩刀を構え、クライドが慌てて止めに掛かった。

 メインホールは一触即発の空気に包まれた。怒髪冠を衝くとばかりに嚇怒するメルギムに加え、ヴァルク傭兵団の劇物こと崚の導火線にも火が点いてしまった。これ以上は、誰が何を言っても刺激にしかならない――



「あーらら。この分だと、相当荒れてるのかしら」



 と、そんな空気を欠片も読まない暢気な声が、ホールの外から飛び込んできた。声音からして、若い女だろうか。



「何者だ!?」

「氏族長会議だぞ! 余人を入れるな!」

「ち、違います。この方は……」



 闖入者の存在へ、それを許した衛士たちへ、屋敷の主ベクラーが鋭い叱責を飛ばす。おろおろと言い訳の言葉を紡ごうとする侍従をよそに、声の主はさっそうとホールへ足を踏み入れた。

 七種の宝玉を埋め込んだ、大きな錫杖を携えている。流れるような金髪(ブロンド)も、白くつややかな肌も、砂人(オグル)のそれには見えない。歳のほどは、崚やクライドと同じくらいだろうか。砂漠とは思えない軽装に包まれた、すらりと長くメリハリのついた身体や、勝気そうな笑みを浮かべる整った顔は、崚の美的感覚から言っても、およそ美人と評して差し支えないだろう。崚はその後ろに、背の低い男を従えているのを見た。上背のなさに反比例してずんぐりとした筋肉質な肉体、長い髭をぼうぼうに生やした仏頂面は、音に聞く窟人(クヴァル)とやらだろうか。従者らしき男はともかく、女の方に最初に反応したのは、誰あろうエレナだった。



「――シルヴィ!?」

「久しぶりね、エレナ」

「カドレナ大公公女、シルヴィア様です」

「何だと!?」



 エレナの呼びかけに、女ことシルヴィアはにっこりと微笑んだ。予想だにしない人物の登場に、ホールはざわざわと喧騒に呑み込まれた。先ほどまでいきり立っていたメルギムでさえ、ぎょっとして言葉を失っている。事態を呑み込めていないのは、相変わらず崚ひとりのようだった。



「シルヴィア様だと……!? どうして、こんなところに」

「知り合いか?」

「シルヴィア・ミラ・カドレナ様。カドレナ大公のご令嬢で、エレナ様のご従姉にあたる」

「クライドも久しぶりね」

「はっ、ご息災で何よりです」



 崚の誰何に返答するクライドに気付き、シルヴィアが親しげに声を掛けた。どうやらクライド自身も顔見知りであるらしい。



あの(・・)カドレナの公女か――砂人(オグル)側が呼んだ様子でもない? 何をしに来たんだか)



 一方、手を掛けたきりだった佩刀からその手を放さず、無言で目を細める崚に対し、シルヴィアの関心が向いた。



「で、そっちの白いのは……傭兵? エレナ、あんた男の趣味変わった?」

「そ、そんなのじゃないよ!」



 胡乱気な目つきで見やるシルヴィアに、エレナが慌てて否定の言葉を飛ばした。エレナと知己であるならば、彼女のバカ真面目さも知っているはずだが――どうやら癖の強い女らしい、と崚は直感した。



「こちらは、傭兵のリョウです。砂人(オグル)たちの言葉が分かるので、通訳をさせています」

「ども」

「その歳で? へぇ、優秀なのね」



 クライドの紹介に続き、崚は小さく会釈した。感心したようなシルヴィアの顔を見るに、「砂人(オグル)の言語を自力で学習し、通訳できるだけの能力を備えている」と誤解しているようだ。どうせ数分もしないうちに()れること、説明を面倒臭がった崚はそれを放置することにした。



「カドレナのシルヴィアだと……」

「“魔公女”が、なぜこんなところに」



 一方、砂人(オグル)たちのざわめきは未だ収まっていなかった。ひそひそと互いに額を突き合わせて会話しているのを見るに、突然現れたシルヴィアの意図が分からず、出方を伺っているようだ。



「――“魔公女”? 物騒な名前が聞こえてきたが、あんたのことか?」

「あら、本当にわかるの」



 眉をひそめた崚の問いに、シルヴィアは感心したような声を上げた。



「“魔公女”というのは、その――シルヴィア様の二つ名だ。魔法が得意であらせられる」

「そ。あたし、こう見えて強いから」

「ふぅん」



 クライドの説明に、シルヴィアはふふんと得意げに鼻を鳴らした。彼女の語る『強い』の基準はさておき、他者から二つ名付きで認識されているということは、相応の実績があるということなのだろう。



「で? その“魔公女”サマが、何しにこんなところにやってきた? こいつらを一網打尽にしたいなら、屋敷の外から一発かましゃ済む話だろう?」

「お、お前! 何を言い出すんだ!?」

「お、その手があったか」

「シルヴィ!?」



 わざとらしい崚の挑発に、思わずぎょっとするクライドだったが、なんと当のシルヴィアが乗ってきた。いかにも名案とばかりに指を鳴らすシルヴィアに、エレナも悲鳴じみた声を上げる。従者の男は無言でため息をついていた。

 動揺が広がったのは、諸人(ヒュム)だけではなかった。



「聞こえたか、皆の者! 我らを一網打尽にすると言い出したぞ!」

「確かに聞いた!」

「やはり和平は罠だったんだな!」

「げ」



 これ見よがしに騒ぎ出すメルギムやメリフの言葉に、崚は舌打ちした。曰く、人は自分に都合のいい言葉を拾い上げる性質があるという。『一網打尽』という言葉が使われたのをいいことに、「砂人(オグル)側への敵意あり」という論調に持ち込もうとしているのだろう。

 しかしそこまで理解できたのは、砂人(オグル)の言葉が解る崚ひとりだった。何やら騒然とした氏族長たちの様子に、シルヴィアはきょとんと首を傾げた。



「何があったの?」

「『一網打尽』が拾われた。こちらに敵意ありと誤解されたっぽい」

「……? あたしたち、言葉通じてたわよね? どうして砂人(オグル)にまで伝わってるの?」

「こいつの特殊能力のようなものでして……」



 「意味が分からない」と顔じゅうに浮かべるシルヴィアに対し、クライドが苦しげな説明をした。両者の気持ちは(もっと)もだろう、何しろ崚自身が不可解極まりない心境である。

 それはともかく、と切り替えたシルヴィアは、にやりと笑みを浮かべた。



「ま、いいわ。じゃあ、あたしの言葉をそのまま伝えて。

 ――あんたたちを討つような真似はしないわ。効率が悪いもの」

「あんたたちを討つ気はない。『効率が悪い』そうだ」

「……何だと?」



 シルヴィアの言葉、それを訳した崚の言葉に、メルギムが目を剥いた。一方のシルヴィアは、崚の言葉が届いたらしい様子を見て、不思議そうに首を傾げていた。



「不思議な感じね。ちゃんと通じてるのかしら?」

「多分な。続けてくれ」

「確かに、氏族長が集まるここでまとめて殺してしまえば、砂人(オグル)諸氏族は瓦解する。そうすれば、ベルキュラス=カドレナ連合軍で、残党を始末しておしまい。あるいは、連合軍さえ組まずに殲滅できるかもね」

「シルヴィ……!」

「確かに、あんたたちをここで殺せば、砂人(オグル)は瓦解する。そのあとは、ベルキュラス=カドレナ連合軍で残党を始末すればいい」

「何だと……!」

「まだ話の途中だ」



 戦う前から勝利宣言も同然のシルヴィアの言葉に、氏族長たちは一様に不快げな表情を浮かべた。訳している崚自身から見ても、実に挑発的な言葉である。砂人(オグル)側が気を悪くするのも無理はない。思わずいきり立ったメリフを、崚が冷めた目で押し止めた。



「でも、それじゃ割に合わない(・・・・・・)

「でも、それじゃ割に合わない。――どういう意味だ?」



 シルヴィアの端的な言葉に、今度は崚が首を傾げる番だった。



砂人(オグル)共の相手なんてしんどいのよ、正直。こいつらって肉体強化の魔術が得意だから、強い奴なら一人で諸人(ヒュム)の兵士十数人分に匹敵するわ。それに、この砂漠はこいつらの領域。遮蔽物も少ないから正面衝突になる」

砂人(オグル)の兵は手強いから、正面からやり合うと被害が大きい。そういうことか?」

「そ。あたしの魔術なら対抗できないこともないけど――」

「砂漠での機動力は、砂蜥蜴の騎兵がいる砂人(オグル)の方が有利。あんたでも一筋縄じゃいかない」

「そういうこと」



 崚が砂人(オグル)側にも届くようその説明を要約しつつ、二人は問答を重ねた。肩をすくめて語るあたり、砂人(オグル)兵の脅威は本物らしい。



「で、そうやって砂人(オグル)共を殲滅して、得られるのはちっぽけなオアシスだけ。どう思う?」

「――苦労してあんたたち砂人(オグル)を殲滅しても、得られる領土は少々のオアシス。ベルキュラスとカドレナどちらにとっても、費用対効果が釣り合わない」



 シルヴィアの言葉を訳しながら、崚は彼女の意図を察した。種族の隔絶、あるいは歴史の因縁ではなく、あくまでも利害関係に基づいてこの問題を評しているようだ。

 しかし、彼女は知っているだろうか。遠い空の下、次元を隔てた異世界に、『捕らぬ狸の皮算用』という表現があることを。



「我らに勝つことが前提だと? 舐められたものだ」

「じゃあ、実際どうするね? 物的資源ならベルキュラスとカドレナの方が上だ。双方から挟撃されて、じわじわ嬲り殺されるのがお望みだと?」

「ぐ……」

「気が利くじゃない、あんた」



 案の定、露骨に不満を漏らすメルギムだったが、崚の反問に答えることができず、口を噤んで唸るばかりだった。機嫌を良くしたシルヴィアがひゅうと口笛を鳴らす一方、シシルが氏族長たちに向けて口を開いた。



「……さて、どうするね?」

「ベルキュラスもカドレナも何するものぞ。砂漠での戦闘ならば負けはせぬ」

「しかし、全面戦争は難しかろう。其奴(そやつ)の言う通り、資源は奴らの方が豊かだ」

「だから、諸人(ヒュム)どもに頭を垂れるのか!?」

「我らは誇り高き砂人(オグル)ぞ! たとえ最後の一兵になっても、決して諦めはしない!」



 砂人(オグル)諸氏族、その長全員が顔を突き合わせても、議論は真っ二つだ。先のベクラーの推測通り、メルギムとメリフが強い主戦派であるようで、ベクラーの指摘に対しても、態度を軟化させる様子をまるで見せない。一方、シシルとラシャルは積極的に議論に参加せず、その立場を曖昧にさせていた。それほど強い戦意があるわけではなく、日和見を決め込んでいるのかも知れない。

 もう一押し、傾けてみよう。崚の中で悪辣な思い付きが生まれた。



「『欲しがりません勝つまでは』――なんつって」

「……何だと?」

「そういうの、よした方がいいと思うぜ。国民にまでいらねえ辛抱を強いて、結局ぼろ負けした国を知ってるんでね」



 諧謔に満ち満ちた言葉でせせら笑う崚に対し、いち早く反応したメリフは、しかしそれ以上噛み付く余地を見つけられなかった。他ならぬ祖国の過去だという事実は、言葉の重みが変わるものだ。良くも、悪くも。



「話を戻すわよ。戦争であんたたちを滅ぼしたところで、あたしたちが得られる利益は少ない。――そんなことより、あんたたちと商売をした方がお得。そうは思わない?」

「戦争なんかより、あんたたちと商売をしたい。そう言ってる」

「……なに?」

「難しいことじゃないわ。隊商の護衛、オアシスの滞在許可。一方的な掠奪じゃなく、正式な合意に基づいた取引(・・)をすればいい。どう?」

「隊商の護衛やオアシスの滞在許可。掠奪ではなく、正式な合意に基づいた取引をすればいい」



 割り込んだシルヴィアの提案に、「何か流れを変えてきたな」と思いつつ、崚はその言葉を氏族長たちに伝えた。砂人(オグル)たちも同様に感じたらしく、しかしざわざわと困惑が広がり始めた。

 これは、砂人(オグル)側にとって重要な観点である『生きる糧』に対する、根本的な提起だ。「生きるために奪う」と標榜している砂人(オグル)たちが、それを『合意のある取引』によって獲得できるのであれば、それだけ掠奪の必要性が無くなり、つまり抗戦の大義名分が失われる。その意図は氏族長たちにも伝わったらしく、つい先ほどまで舌鋒鋭く吼えていたメルギムとメリフさえ、分かりやすくその勢いを衰えさせていた。



「……罠に決まっている」

諸人(ヒュム)どもが、我らと対等に取引するはずがない」

「あくまで砂人(オグル)を騙す気である、と」

「意固地ねぇ」



 苦し紛れに吐き捨てるような言葉に、シルヴィアは呆れたように嘆息した。



「じゃあ、どうするの? お互いに下らない意地を張って、無駄な血と汗を流すか。一時の苦渋を呑み込んで、手を取り合うか。あたしは後者をおすすめするけどね」

「クソ下らねえ意地で殺し合うか、我慢して手を取り合うか。“魔公女”は後者をお望みだ」

「言っとくけど、戦争するなら負けないから。あんたたちが降伏するまで止めないわよ」

「シルヴィ!」

()るなら負けない、とも言っている」



 意固地に食い下がる男共を尻目に、シルヴィアはにべもない言いようで語る。しかし自ら『戦争』という言葉を口にした途端、彼女はきりりと威圧感を放ち始めた。戦争への躊躇を感じさせない言葉に、エレナが思わず不安の声を上げる。

 崚の言葉越しに、いやシルヴィア自身の態度からその戦意を感じ取った氏族長たちは、しばらく言葉に詰まった。



「――ラシャル。あんたは、どう思うね」

「ふむ」



 やがて静かに口を開いたのは、シシルだった。叔母に水を向けられたラシャルは、しかし泰然とした様子でそれに応えた。



「音に聞く“魔公女”、なるほど威勢のいい女傑だ。――()るなら負けない、か。存外、気が合いそうだ。まったく同じように思っているとはな」

「……そっくりそのまま返されたんだけど」

「『()るなら負けない』って? へぇ、いい度胸じゃない」

「我が兄弟たる精兵と、貴様ら諸人(ヒュム)の雑兵共を一緒にされては困る。必ず貴様らご自慢の兵団を擂り潰し、必ず貴様の首を掻き斬ってくれよう。――他の氏族様方がどうかは知らんがね」

「『諸人(ヒュム)の雑兵共と一緒にするな』ってさ。必ずあんたの首を獲ってやるとよ」

「あらやだ、怖い怖い」



 崚の言葉越しに、それぞれが挑発をぶつけ合う。互いに逸らず、静かにぴりぴりとした緊張感が走る中、口を挟める者はいなかった。



「だが――貴様一人を()るためだけに、我が兄弟を使い潰すのは、いささか割に合わん(・・・・・)な。まして、向こうから商売を持ちかけてくれるというなら、わざわざ手を切る理由もあるまいよ」

「ただ、あんた一人を()るためだけに『兄弟』を使い潰すのは、割に合わない(・・・・・・)とさ。商売を持ちかけてくれるのなら、乗っかってもいいらしい」



 悠々と語るラシャルの言葉によって、ホールの空気はついに決した。砂人(オグル)最大戦力と目されるラシャルに動く気がないとなれば、戦力差はベルキュラス=カドレナ側に大きく傾く。関係者の言葉通りならば、どちらも深刻な損耗を強いられることは間違いないだろうが――あるいは、氏族のいくつかが断絶の憂き目を見るかもしれない。それでは本末転倒だ。



「いかがかな、皆の衆。ここは平和的に、まず話し合いに応じるということで、どうかな」



 好機とばかりに割り込んだベクラーの提案に、抗議の声はついに挙がらなかった。



七星錫杖

 カドレナ公女、シルヴィアが持つ魔杖

 七種の宝玉が埋め込まれた、至高の魔術触媒

 優れた魔術師だけが使いこなす、“魔公女”の象徴


 カドレナの魔導具開発を主導する彼女の、触媒研究の賜物

 貴種に産まれ、類稀なる魔導の才覚を見出された彼女は

 それを許された己の、いかに恵まれたるかを知っている

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