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神宿ル劍  作者: 竹河参号
02章 熱砂に燻る呪詛
21/78

07.残された者たち

「……う……」



 全身を駆け巡る鈍痛に呻きながら、ライヒマンは覚醒した。飛散した瓦礫で土埃に塗れながらも、鬼神と竜の暴力が吹き荒れるメインホールの中で無傷、いやむしろ今の今まで気絶していられたのは、幸運というべきか、豪胆というべきか。

 ぱらぱらと土埃を溢しながら起き上がったライヒマンの目に、斃れ伏す鬼神の黒い体躯と、それを見下ろす戦士たち、そして巨大な竜の後ろ姿が飛び込んできた。咄嗟に悲鳴を上げようとした口を自ら塞ぎ、気配を悟らせなかったのは、彼の最大にして最後の成果と言えるだろう。

 慄き後ずさるライヒマンの視界の隅に、転がっていたクロスボウが映った。いつの間にか取り落としていた、崚の得物である。短矢(ボルト)を装填したまま、弦を引いた状態のまま打ち捨てられていた。

 吸い寄せられたライヒマンの視線の先に、エレナとラジールの姿が見えた。今しがた倒れ伏した鬼神の動向に注視したまま、こちらの様子には気付いていないようだった。

 ――ライヒマンの脳裏で、黒い閃きが囁いた。

 這う這うの体でにじり寄り、クロスボウを掴み上げる。そして中腰のまま構えると、その照準をエレナに合わせた。興奮と緊張でぶるぶると軸が揺れるが、最悪(・・)どちらかに(・・・・・)当たればいい(・・・・・・)。そんなライヒマンの姿をセトが目撃したのは、まさに引き金に指を掛けたその瞬間だった。



(――終わりだ、ベルキュラス!)



 咄嗟に弓を構えたセトの早撃ちも、さすがに指一本の動きには勝てない。セトが番えた矢を放ったのと、その姿に気付いたエレナが振り向いたのと、ライヒマンがクロスボウの引き金を引いたのは、ほぼ同時だった。

 ばしんと鋭い撥音を飛ばし、短矢(ボルト)が発射される。その反動でクロスボウを握る手がぶれ、短矢(ボルト)の軌道が逸らされたが――その先を見て、ライヒマンは勝利を確信した。ずぶりとその肩口にセトの太い(やじり)を食らい、衝撃で大きく仰け反りながらも、彼の顔に浮かんだ昏い笑みは消えなかった。



「――ラジール様!」



 短矢(ボルト)の軌道上――今しがた気付いたラジールを庇うように、エレナが咄嗟に割り込んだ。反射的な行動だった。遮るものなく吶喊する短矢(ボルト)は、そのままエレナの胸に吸い込まれるように飛来し――

 さらに割り込んだ小さな影が短矢(ボルト)を捉え、真上に撥ね飛ばした。



「……へ?」



 ぽかんとするエレナの遥か頭上で、撥ね上げられた短矢(ボルト)が天井にかつんとぶつかり、射撃の勢いを失った。重力に従って緩やかに落下を始め、虫も殺せぬような軽やかさで落ちていくそれをぽんと受け止めたのは、エレナよりもなお幼い、濃褐色の肌の少女――ラジールの孫娘、キィサだった。



「え……えっと……」

「おじいさまを、助けてくれたから。ありがとう、ベルキュラスのお姫さま」



 唖然とするエレナを前に、キィサはにっこりと笑うと、ぺこりと丁寧に頭を下げた。どうやら、この少女が短矢(ボルト)を弾いて助けてくれたらしい。その言葉も分からぬまま、とりあえず感謝の意を察したエレナにできたことは、「こ、こちらこそ」と同じように頭を下げることだった。

 とはいえ、それだけでは終わらない。まったく予想外の形で企みが破綻し、唖然とするライヒマンを襲ったのは、視界外から飛び込んできた崚のドロップキックだった。



「ぐぉっ……!?」

「やりやがったな、このくそヒゲ野郎!」



 その瞳に烈火のような憤怒を宿す崚が、まず刀を振るわなかったのは、最後の理性が働いた結果だった。この奸物のしでかした真似は王女エレナ、ひいてはベルキュラス王家そのものに対する背信であり、あくまでも王国の法制度に従って、正式な手続きを経て断罪すべきだろう。――それはそれとして、とりあえず今この場でボコボコにしてやらなければ気が済まないのだが。

 崚の全体重を乗せたドロップキックで、勢いよく吹き飛んだライヒマンは、その勢いのままずりずりと床を擦った。今度は辛うじて意識を失うことなく、痛みに動きを鈍らせながらも立ち上がろうとしたが、ふいにその腕から筋力を失い、がくりと倒れ伏した。



「……ぐ……!?」



 訳も分からず動揺するライヒマンは、腕のみならず、全身に鈍い痺れが広がりつつあるのを自覚した。動揺のまま、じたじたと不格好に手足を振り乱す彼のもとへ、つかつかとセトが歩み寄った。



「――先ほど打ち込んだ矢には、『イルスマ』の毒を仕込んである」



 いつもの冷淡な視線に、侮蔑の光を込めたセトが、ライヒマンを見下ろしながら言い捨てた。その『イルスマ』というのが、トリカブトの一種であると教えられたのは、後日のことだった。



「毒は五分でお前の全身に回り、四肢を麻痺させた後、呼吸困難に陥らせるだろう。つまりお前が絶命するその最後の瞬間まで、苦しみ抜いて死ぬということだ」



 ぎょっとしてセトを見上げるライヒマンに対し、畳みかけるように説明を続ける。その内容に、ライヒマンは見る見るうちに顔面から血の気を引かせ、絶望で顔を蒼く染めた。



「解毒剤はない。――残り五分の命、たっぷり後悔しながら死ぬといい」



 ライヒマンにとって、その言葉はまさしく死刑宣告だったろう。かひゅっという小さな呼吸音を最後に、ライヒマンは目を回し、ぱたりと気絶した。



「い……いまの、ほんとうですか、セトどの」

「……ただの脅しだ。本当は、鹿狩り用の軽い麻痺毒。(やじり)じゅうにたっぷり塗っても、死にはしない」

「セトさん、それ二度とやんないで。下手したら本当に死人出るから」



 蒼い顔で問いかけるクライドに、セトは肩をすくめて答え、崚のツッコミを買った。実際には毒性がなかったとしても、「毒がある」と信じ込ませることで本当にその効果が表れてしまう――いわゆるノーシーボ効果である。最悪、このままライヒマンが二度と目覚めなかったとしても(おか)しくはない。いつも仏頂面で、冗談を言う性質(たち)に見えないことも相まって、崚は「この人と敵対したくねえな」と呻いた。

 ともかく、騒動の元凶であるガーヴルとライヒマンはこれで無力化した。崚は再び鬼神の亡骸へと振り返った。その赤黒い血は未だにどくどくと流れ出続け、ホールの床じゅうを埋め尽くすかのような勢いで広がっている。禁呪によって変態したその体躯は、いっこうに元に戻る様子を見せなかったが、その黒い肌は血の気を失いひび割れ、また心なしか萎びたように見えた。見間違いかも知れない。元が二メートルを超える巨躯がさらに巨大化したため、目測が麻痺しかけている。

 ――エンバ・ガーヴルは死んだ。砂漠に生まれ、戦士として長じ、奸計を弄し、そして最後には異形の鬼神として死んだ。



「……今更、だけどさ」

「どうした」



 ぽつりと溢した崚の呟きを、クライドが拾い上げた。



「こいつ――殺しちゃって良かったのかね」

「お前自分でトドメ刺しといて今更だな!?」

「うるせえ他の手段とか考える余裕なかったろ!」

「だったらちゃんと受け止めろ!」



 が、それがクライドのツッコミを買い、崚は思わず声を荒げた。すかさず言い返されたクライドの言葉に対し、崚は何も返せず、うぐ、と声を呑み込むことしかできなかった。

 ガーヴルは死んだ。殺したのだ、この手で。合理としてどうするべきであったにせよ、もう取り返しがつかない。正しかったろうが間違っていたろうが、その結果を受け止めることしかできない。『命を殺す』とは、つまりそういうことなのだ。崚の手の中でぐっと握りしめられた刀は、色を失い赤黒い返り血に塗れていた。



「……そういえば、“紅血の泉(オプセデウス)”はどこだ」

「あっ」



 セトの呟きに、二人ははっと我に返った。結局奪還しないまま斃したが、“紅血の泉(オプセデウス)”を奪い返す必要があったのも戦った目的ではなかったか。

 二人はガーヴルの遺骸の周囲をきょろきょろと見回した。すでに固まり始めた赤黒の染みの中に、しかしあの血赤色の輝きは見当たらなかった。二人の記憶に誤りがなければ、確か変態前は、左手に握っていたはずだが……

 血眼になって探し回る二人の頬を、ふわりと微風が撫でた。顔を上げてそちらを見やると、碧い鱗の竜ならぬ、薄桃色の毛玉に戻ったムルムルがそこにいた。見守る二人をよそに、何やら不味いものでも口にしたようなしかめ面でふよふよとエレナの方へ飛翔すると、差し出されたその手に向かって、べぇっと何かを吐き出した。唾液に塗れた血赤色の宝玉――“紅血の泉(オプセデウス)”だ。



「きったねえな、このバカ毛玉!!」

「ありがとね、ムルムル」

「お前もそれでいいのか!?」



 不快感を露わにする崚とは対照的に、エレナはにこにこと毛玉を撫でた。大事なペットとあらば、その唾も気にしないということだろうか。崚にはよく分からない感覚だった。……そういえば、『触れると正気を失くす』という“紅血の泉(オプセデウス)”の性質は、ムルムルには適用されなかったのだろうか。まさか「触れるのではなく飲み込んだから無効」とでも?

 その真相を問い質す時間は与えられなかった。ばたばたと集団が駆けてくる足音が近づき、やがてホール内に飛び込んできた。武装した砂人(オグル)の戦士たちだった。



「お前ら、何をしている!!」

「あァ!?」

「ギャァおかわりが来たー!」

「やべ、ガーヴルの手勢かも」

「何だと!?」



 ようやく大敵が斃れ人心地、というところに、血相を変えた戦士たちに見つかった傭兵たちは、にわかに緊張感を走らせた。

 この流れは――まずい。非常にまずい。



「あれは……まさか、ガーヴル様か!?」

「まさか――貴様らぁぁ!!」



 鬼神もといガーヴルの遺骸を見つけた戦士たちが、いきり立って得物を構える。その感情は、言葉が通じない傭兵たちにもありありと見て取れた。

 まずいことに、非戦闘員が(・・・・・)こちら側で(・・・・・)取り囲まれている(・・・・・・・・)。無論、真相としては狂奔するガーヴルから守るべく避難させたものだが、現状とこの位置関係だけでは、そんな経緯まで推測することはまず不可能だろう。逆に「非戦闘員を人質に取ってガーヴルを謀殺した」と解釈されても、まったく(おか)しくない。



「オイ、なんかやべェ感じだぞ! どうすんだ嬢ちゃん!?」

「え、えっと――リョウ、通訳おねがい!」

「え、俺ぇ!?」

「他にいないでしょ何とかしてください!」

「何とかってどうやって!?」



 憔悴冷めやらぬエレナが、何とかひねり出した命令に、当の指名された崚は面食らった。ラグが口を挟んだ通り、現状、こちら側の言葉を届けられるのはもはや崚しかいないのだが、しかし崚自身、交渉事が得意ではない。何より、同胞の仇討ちに燃えるあの戦士たちの血相を相手に、どんな言葉が届くというのか。

 果たして、血気逸る彼らを鎮めたのは、崚でもエレナでもなかった。



「――静まれぇぃ!!」



 ごぉん、という重く低い音がホールに響き、戦士たちと傭兵たちを怯ませた。背筋をしゃんと正し、戦士たちの前へ進み出たラジールが、その手の杖ならぬ鉄棒で、ガーヴルの血に塗れたホールの床を敲いたのだ。普段のしわがれ声からは想像もつかない大喚声が、ホールじゅうを朗々と満たした。



「ぞ、族長……」

「我が同胞、我が戦士たちよ、武器を収めい! これ以上の狼藉はまかりならん!!」

「族長! しかし、ガーヴル様が!」

「この諸人(ヒュム)共に報復を!」



 年老いた族長の、しかし若人の戦士にも劣らぬ気迫を前に、戦士たちは戸惑いながらも口々に抗議の声を上げた。その様子を見守る崚のもとへ、エレナがとててと駆け寄ってきた。



「……なんて?」

「今、族長が連中を説得してる。こっちを庇ってくれるみたいだ」



 ひそひそと囁き声で尋ねるエレナの問いに、崚はざっくりとやりとりを要約して返答した。この状況に限って言えば、もうあの老人に任せてよいかもしれない。あくまでも余所者でしかない崚やエレナが口を挟むよりは、族長の命令の方がよほど届きやすいだろう。何より、あの堂々とした気迫を前に、反抗できる者などそうそういまい。



「ガーヴルめは奸計を弄し、客人たるエレナ殿を陥れんとした! 浅ましくも禁呪に手を出し、そして諸人(ヒュム)の戦士たちと戦い、敗れて死んだ! その闘争は、このエンバ・ラジールが見届けた! 仇討ちを望むべき筋道はない!」



 ラジールの説明を受けて、気圧された戦士たちの間にざわざわと動揺が広がる。ガーヴル側の行動に明確な瑕疵がある以上、仇討ちの正当性はない。奴の企みをどれだけ知っていたのかは分からないが、族長の前で反旗を翻すほどの勇気は起こせないはずだ。



「それでもなお、奴に続き暴挙を重ねんと(のたま)うならば――先にこの儂を倒してみせよ!!」



 そう宣言したラジールが、再び鉄棒でどんと床を敲き、気迫を漲らせて応戦の姿勢を見せた。果たして、気後れする若造たちはこぞって腰の引けた情けない姿を晒し、一部に至っては既に武器を捨てて投降の意志を示していた。崚はラジールの威容に、師にして祖父たる義晴(よしはる)の面影を垣間見た。

 ――が、この宣言は、ともすれば「自分を倒した後ならば、諸人(ヒュム)共への仇討ちをしていい」という解釈も可能ではないか。



「……最終的に武力で決めるってどうなんだよ。やっぱ蛮族の思想じゃねえか」

「ちょ、聞こえる!」



 脳筋的発想を感じた崚がげんなりと呟き、慌ててエレナに止められた。






 ◇ ◇ ◇






 ノルタの刻(正午ごろ)。ガーヴルとの戦闘によってぼろぼろに破壊されたメインホールは、砂人(オグル)の戦士たちに掃除を任せ、エレナら一行は別室に通された。

 砂人(オグル)たちの会話を拾い上げたところによると、ラジールの私室であるらしい。質素ながら織目細やかな絨毯や、壁に掛けられた無骨な武具などを見ると、言われてみればらしい(・・・)と思わせる調度だった。案内されたのは、エレナ、エリス、クライド、そして崚。彼らに対面するのは、族長ラジールとその孫娘キィサ、巫女シーラだけだった。

 カルドクら傭兵たちは、さらに隣室で待機している。単純に部屋の広さとして二十余人を収容できないのと、政治的にも戦力的にも、まして言語通訳的にも、同席する意味が特にないため、ひとまず休息、ついでにライヒマンの監視として別に通された。とはいえ、彼らもこの状況で悠長に休息をとれるほど愚鈍ではない。言葉が通じないことによるトラブルがまた起こるかもしれないし、この場はなるべく手短に済ませた方がいいかも知れない――と崚は考えた。



「まずは、エレナ様に謝罪を。我が同胞たるガーヴルの狼藉、誠に申し訳なんだ」

「ガーヴルの狼藉について、エレナに謝罪だと」



 上座に座り、深々と叩頭するラジールの言葉を、それに向き合うエレナとの間に座った崚が伝えた。孫娘と変わりない歳のエレナに対して、ここまで陳謝する老人をなお糾弾する厚顔さは、彼女にはなかった。



「とんでもありません。こちらこそ、臣下がご迷惑をおかけしました。それに、あちらから仕掛けたとはいえ、ガーヴル様を……」

「……こちらこそ、ライヒマンが迷惑を掛けました。それに、ガーヴルのことも殺したし……」



 畏まって頭を下げるエレナの言葉に、崚自身の想いを乗せて伝えた。ラジールの謝罪は崚個人に向けられたものではないが、少なくとも彼自身は受け止める気になれなかった。

 崚の手の中に、ガーヴルの喉を裂いた感触が蘇った。強い敵だった。恐ろしい敵だった。――『もう敵対しようがない』という事実に安堵している己自身に、崚はひどい嫌悪感を覚えた。

 そんな崚の感情を知ってか知らずか、ラジールは神妙な顔のまま面を上げた。



「すべては、氏族長たる儂の不徳の致すところ。あれ(・・)の死は、皆様のお気になさることではない。

 それと、二人の勇士たちに、賞賛と感謝を。――よくぞガーヴルを止めてくれた。あの森人(ケステム)の弓取りにも、同じように言うといてくれるかね」



 ガーヴルがエンバ氏族、ひいては砂人(オグル)全体に対する脅威たりえたという意味なのか、それとも単純に、優れた武勇は称賛に値するという風習なのか。いずれにせよラジールの言葉には何ら含むところを見出せなかったが、しかし崚は素直に受け取る気になれず、しばし口を噤んだ。



「……なんて?」

「……俺と、クライドと、あとセトさんに――『賞賛と感謝』、だってさ。『儂の不徳の致すところ』だから、気にすることじゃないってさ」



 ラジールの言葉が解らないエレナにつつかれて、崚はようやく口を開いた。その伝言を受け、エレナの背後に控えていたクライドは、無言で神妙に頭を下げた。戦果に勝ち誇っている様子は見受けられなかった。

 どちらからとも口を開きづらい、重苦しい沈黙が部屋を満たした。息が詰まるような雰囲気に耐えかね、最初に音を上げたのは、崚だった。



「……ぶっちゃけ、双方の事情を聞かないといけない話だと思うんだけどさ。あいつら、何でこんな真似したの?」



 崚が双方に言葉を届けることができるのは、間違いなく僥倖だったろう。誰からも問いづらい核心的な問いを、通訳が巻き込まれることなく、双方に投げかけることができた。最初に口を開いたのは、エレナだった。



「ライヒマンは――元は、有力貴族の一角だったんだけど、資産横領の疑いで、爵位を剥奪されたことがあるの」

「資産横領――『の疑い』、ねえ。証拠はきちんとあったんだろうな?」



 訝しげな崚の問いに、エレナはふるふると首を横に振った。



「わたしが知ったのは、もう処分を受けたずっと後だったんだけど……関係者の話だと、多分、六割がた捏造。当時、政敵だったカルデイロ侯との政争で敗れたっていう話らしくて……だから、でっち上げの罪で地位を奪われた可能性が高いと思う。

 だから今回、通訳として砂人(オグル)との交渉役を任せたのは、王宮としては再起のチャンスを与える意図もあったんだけど……」



 「まさかこんなことをしでかすとは」と、眦を下げたエレナは言外に滲ませていた。ライヒマン自身の真意がどこにあれど、彼を推薦した関係者は面目丸潰れだろう。本人のみならず、関係者や縁戚にも沙汰が及ぶかもしれない。

 ――そういえば、と崚の脳裏に疑念がよぎった。

 少なくともライヒマン側にとって、この謀略には穴がある。ベルキュラス王室を陥れる以上、彼はもうベルキュラス本土には戻れない。砂人(オグル)諸氏族に合流せざるを得なくなるが、彼はほぼ身一つでこの砂漠にやってきた。本土にいるはずの家族は置き去りとなり、彼に代わって裏切りの罰を受けることになるはずだ。彼は、家族を見殺しにしたということなのだろうか?

 崚と同じ疑問に思い至ったのか、エリスがおずおずと口を開いた。



「……その、参考になるか、分かりませんが……噂によると、その時に妻子を亡くされたというお話も……」

「――つまり、ベルキュラス王国への復讐が目的?」



 崚の推測に、エレナは「たぶん」と小さく肯定した。

 政争による敗北。冤罪による冷遇。そこに『家族の死』という要素が――政争に直接関係があるにせよ、ないにせよ――加われば、やりきれぬ悲しみと憤りが、怨嗟と憎悪に変じ、その矛先が己を見捨てた主君(ベルキュラス)に向けられたであろうことは、想像に難くない。



砂人(オグル)の言葉が解るライヒマン卿なら、ベルキュラスを捨てて砂人(オグル)諸氏族に合流する、という選択肢があったのは事実だ。余所者の卿を受け入れてくれる、かつ応戦の意志が強い氏族があれば、戦争を煽ることができると踏んだんだろう。『ベルキュラスの姫』――すなわちエレナ様を手土産にな」

「それに呼応したのが、あのガーヴルって訳か」



 クライドの補足を受け、ようやく点と点が繋がった。ベルキュラスに復讐したいライヒマンと、強い野心を持つガーヴルとで、利害が一致したわけだ。ライヒマンにとっては、まさに渡りに船――砂漠なので船などないが――だったことだろう。所詮は他種族である砂人(オグル)、憎きベルキュラスと進んで潰し合いをしてくれるというのなら、彼にとっては万々歳である。せいぜい、多少の良心が痛む程度だろう。あるいは、そうして損耗した砂人(オグル)諸氏族に付け込んで要職を握り、新たな地位を築くという目論見もあったのかも知れない。



「ま、ガーヴルの方の動機自体は、だいたい本人が説明してくれたけどさ。あいつ自身はベルキュラスとの和平の意志なんかまったく無くて、むしろ『ベルキュラスの姫を手籠めにした』って事実によって、他の氏族の優位に立とうって魂胆だった――って認識でいいの?」

「……その通りじゃ」



 崚の確認を、ラジールは苦々しい表情を浮かべながらも肯定した。



「言ってもあんた、氏族長なんだろ。あいつを抑えつけることは、出来なかったのか」

「……かつて、儂とガーヴルの父親――つまり従兄弟(いとこ)同士で、次代の氏族長の座を相争った。その果てに、儂はあやつの父親を斃し、氏族長の座を勝ち取った。

 ……あやつに、父親の仇討ちの意図があったかどうかは知らぬ。だが、あやつは父親譲りの――いや、それ以上の武才を持って産まれ、そしてその通りに育ち、戦士たちの支持を集めていった。父親のことで負い目があった儂は、長じたあやつが傲り、思うさまに氏族を支配していく様を、止めることができなんだ。……それがたとえ、我が子を謀殺されるのを――このキィサの父を、見殺しにすることになろうとも」



 ラジールの言葉を聞きながら、崚は我知らず拳を握りしめていることに気付いた。ぐっと顔を歪め、何かを堪えるような表情を見せる崚を不審に思いながらも、ラジールの語った内容が分からないエレナは、ためらいがちに彼をつついた。



「……なんて?」

「当代の氏族長を、この爺さんとあいつの父親とで争って、結果あいつの父親を斃して勝ち取ったもんらしい。その負い目があった爺さんは、あいつが好き勝手するのを止められなかったんだとさ。

 ……その過程で、自分の息子を謀殺されても――孫娘から、父親を奪わせることになってもな」



 エレナにつつかれてようやく、崚はラジールの言葉をぽつぽつと伝えた。自ら首を締め上げているような息苦しさを覚えた。

 これでは、まるで同じではないか。俺と(・・)あの女と(・・・・)。いったい何が違う。



「……あんたとしては、今回のベルキュラスとの和平について、どう思ってんの?」



 いつまでもこんな話をしていたくない。崚は、やや強引に話を進めることにした。ただの逃避だった。



「……儂自身は、戦争は避けるべきじゃと思うておる。

 我ら砂人(オグル)の戦士たちは、確かに精強じゃ。諸人(ヒュム)の軍勢何するものぞと、血気逸る若者も多い。しかし、どうしても頭数に劣り、物資に劣る。たとい砂漠での戦闘で負けることがなくとも、物量で押されれば損耗は避けられぬ。それに万一、カドレナが参戦することがあれば、あるいは魔導兵器によってオアシスのいくつかが奪われる可能性は、決して低くはあるまい。他方、砂漠の外を知らぬ砂人(オグル)の戦士では、ベルキュラス本土に攻め入り、領地を奪い取ることは期待できぬじゃろう。

 ……和平が、砂人(オグル)諸氏族の未来を明るくするとは限らん。しかし、戦争が砂人(オグル)の利をもたらすことはなかろう。そんなものに、若人たちの命を費やす気にはなれぬ」

「……爺さん自身は、戦争を避けるべきと思っているらしい。ベルキュラスが物量押しで仕掛ければ損耗は避けられないし、カドレナが参戦すればさらに苦しくなる。かといって、砂漠の外に打って出ても成果は期待できない。『戦争』という選択肢に明るい未来が期待できない以上、そのために犠牲を強いたくない――ってさ」



 崚を介したその言葉は、間違いなくエレナにとって朗報だろう。その顔にぱぁっと喜色を一瞬だけ見せると、はっと気を取り直し、きりりと姿勢を正して威厳を取り繕った。果たして本人が意図するほどの威厳を、対面するラジールが認めることができたか、どうか。



「……ラジール様。今回のことは、わたしたち双方に責任のあることだと思っています。首謀者たちを討ち取った以上、これ以上の問答は無用とし、お互い水に流しましょう。

 ――その上で、改めてエンバ氏族長ラジール様にお願い申し上げます。砂人(オグル)諸氏族を説得し、ベルキュラスとの和平交渉実現のために、ご助力いただけないでしょうか」

「今回のことは双方に責任があるし、首謀者を討ち取った以上、ここはお互いに水に流したい。その上で、改めて和平交渉実現のため、エンバ氏族長として力を貸していただきたい」

「是非もなく。この死に損ないの枯れ骨でよろしければ、いくらでも」

「OKだってさ」



 神妙に頭を下げたラジールの言葉に、エレナはぱぁっと再び喜色を見せた。精一杯の威厳は、今度こそ完全に剥がれ落ちた。

 ふと、エレナがラジールに向かって右手を差し出した。一瞬だけ面食らったラジールは、エレナの顔を見やると、無言で両手を差し出し、その手を握りしめた。

 若き活気に満ちた瑞々しい手と、皺だらけの――しかし堅く力強く鍛えられた手が、がっしりと結ばれた。どこの文化でも、握手というのは友好の証らしい。崚が口を挟む余地はどこにもなかった。



オンバル

 砂人(オグル)の武具のひとつ、太く長い鉄の棒

 刃で斬るのではなく、打ち据えるための武器

 熟達すれば、攻防ともに隙のない脅威たるだろう


 エンバ氏族の長、ラジールの得物として特に知られる

 若き時分、砂人(オグル)一の技巧と謳われた武芸者は

 老いて益々、その技を磨き上げている

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