02.砂塵の丘
ヴァルク傭兵団の砂漠行き決定が通達されてから、更に五日後。
カーチス領の北東、ロンダール平野に足を踏み入れた一行の前に、物々しい物見塔――というか要塞が現れた。およそ三百年前、カドレナ王国軍がこのロンダール平野に侵攻したことで始まった“ロンダール戦争”において、当時のベルキュラス王国軍は大いに苦しめられ、その反省からこの“ロンダール監視塔”が建てられたという。
「――そして今日に至るまでの三百年間、ここの灯は一度も絶えることなく、この先の砂漠と――その向こうのカドレナを睨み続けているそうだ」
「ふーん」
「へぇー」
「……聞く気がないなら、最初からそう言ってくれないか?」
一行の先頭を歩く崚とジャンの雑な相槌に、その隣のクライドは大いに顔をしかめた。とはいえ、他にコメントのしようなどないだろう。一行に関係があるのは三世紀も遡る過去の戦争ではなく、現在のベルキュラスとカドレナの確執でもなく、あくまでもその手前、サヴィア大砂漠にいる砂人との係争だ。
ともかく、とクライドは連れていた騎馬にひらりと跨り、馬上の人となった。眼前のロンダール監視塔に入るため、その先遣として連絡に向かうのだ。「エレナ様を頼むぞ」と言い残すと、クライドを乗せた騎馬は颯爽と駆け出し、監視塔の大門へと向かっていった。
その背を目で追いながら、ゆっくりとした行軍で、平野とは名ばかりの乾燥した荒野を進みながら、ジャンがふと呟いた。
「……それにしても、どうしてオレたちなんだ?」
「なにが」
「エレナさまの護衛。こういうのは、兵士とか騎士がやるのが筋だろ? 領主様から兵糧とか物資とかは出してもらったけど、人は全然出してくれてねぇじゃん」
その疑問は尤もだろう。何しろラグからは、「エレナ様側の事情もあるんで」「団長が請けちゃったんで」と死んだ魚のような目で語られたきり、その『事情』に関しては碌な説明を受けていないのである。一方で団員たちも慣れたものなのか、「まぁ団長が請けたんなら従うかー」と気にも留めていないあたり、似たり寄ったりな連中ともいえるが。
「……たぶん、内通者の存在が疑われてる。領主側の関係者内に、ボルツ=トルガレンに通じてる奴がな」
「えーっ!? そ、そうなのか!?」
「真相は俺も知らねえっての。どうしても知りたきゃ、団長かラグさんに訊け」
驚愕に思わず大声を上げるジャンに対し、崚は鬱陶しげにしっしっと手を振った。
とはいえ、二度にも渡る襲撃で見られた異様な手際の良さからして、その懸念があることは間違いないだろう。今回が正式な外交活動ではなく、あくまでも国土範囲内の砂人との和平交渉であり、正規兵による大規模兵団を動員するような、畏まった対応の必要がないことも幸いした。相手に策を弄する時間を与える理由もなく、ひとまず安牌なヴァルク傭兵団に依頼した、というのが大体の思惑だろう。
そんな政治的背景はともかく、エレナらを含む馬車隊を囲んで歩くこと、一刻足らず。一行がロンダール監視塔の大門に辿り着いたのは、イラの刻(午後四時ごろ)を過ぎた頃だった。
開け放たれた観音開きの大扉の向こうで、さらに格子状の扉がごろごろと引き上げられていく。とても『監視塔』の名を冠しているとは思えない、まさに要塞の如き威容だ。その向こう側で待ち構えていたのは、下馬したクライドと、一糸乱れず整列する監視兵団の総員だった。
「――王女殿下、ならびにヴァルク傭兵団諸君、ロンダール監視塔へようこそ。小官はロンダール監視兵団長官、デニス・イェリネクであります。ダリル閣下からご連絡は承っております」
格子扉の先で一行の馬車隊が停止し、四輪馬車から降りるエレナに対して、兵団の先頭に立っていた武官が言葉を発した。無駄な贅肉を手ずから削ぎ落したような顔と、切れ長の鋭い目つきの通り、厳格そうな人物だ。
「出迎えに感謝します、イェリネク長官。砂漠入りの準備はお任せしていいと言われているのだけれど、状況は?」
「はっ。各種装備は人数分調達済み、駱駝の用意も完了しております。御一同には今日明日ご逗留いただく間に、当方で物資の載せ換えを行い、明後日にご出発いただく手筈で準備しております」
「明後日? 明日じゃなくていいのかい」
「カルドク団長だな? 逸る気持ちは分かるが、砂漠越えは過酷だ。休めるうちに休み、万全の態勢で砂漠に入るべきだ」
「ふーん、そんなものかい」
「うむ、その段取りで異存なく。よろしいですかな、エレナ様」
「はい。準備の方、よろしくお願いしますね、長官」
「畏まりました。ひとまず、御一同はこちらへ」
武官ことイェリネク長官、エレナ、カルドク、ライヒマンが揃い、てきぱきと話が進んでいく。とりあえず今日明日で一休みでき、砂漠に進入するのは明後日になるらしい。整然と道を開けた監視兵団が見守る中、一行は合流したクライドと共に屋内へと案内された。
オルステン歴七九一年も四月を迎え、暦の上では夏が始まっている。砂漠に足を踏み入れるなら、できればもう少しましな気候であってほしかったが、それは望めなさそうだ。
◇ ◇ ◇
読者諸兄の中には、小中学校の社会科や地理の授業で『世界各地の気候』を学習した経験を覚えている方もいることだろう。
その中で、各地域における年間の温湿度をグラフで見せられたことを覚えている方も多いだろう。さらに一部の方は、アフリカ北部を中心とする砂漠気候の同グラフを――すなわち同図の天辺を異様に押し上げる気温グラフと、底辺に張り付いたままの湿度グラフとを見せられ、その過酷さを想像して戦慄した方もいるだろう。
「……あ゛っづー……」
まさにその意味を、崚は思い知らされていた。
ヴェームの刻(午後二時ごろ)。ロンダール監視塔を背にさらに北上し、サヴィア大砂漠のタルロ街道。中天に聳える太陽がじりじりと砂漠を焦がす中、絞り出すような呻き声をあげるジャンの隣で、崚は返答する気力もないまま歩いていた。いま歩いているのが足を取られる砂丘ではなく、足元の堅い荒野であることが幸いと言っていいか、どうか。僅かな湿気さえ蒸発させられ、そこかしこで蜃気楼が立ち上る様を見て、崚もまた頭蓋の内が茹だるような錯覚を抱かされた。
監視塔にて各員に支給されたのは、麻製の大きな日よけマントと、丈夫な皮袋でできた水筒、そして砂漠用の特製棒杖。沖縄以外は温帯湿潤気候である日本の夏季と異なり、湿度が低い分、マントで日光を遮るだけでも、暑さはかなり凌げる。加えて棒杖で足腰の負担も軽減されると、まったく理に適った装備である。……あるのだが、『根本的に気温が高い』という問題には対処しようがなく、つまりこうして酷暑の中で行軍させられる他ないのだ。
あとついでに、水筒の水が死ぬほど不味い。抗菌と防腐のため、『カリザ』という薄荷の仲間にあたる植物の葉が入れられているのだが、これが恐ろしく苦く、水の味を変えてしまっているのだ。水は貴重なので気軽に飲めない上に、飲んだところで苦くて不味いので気が滅入ると、いやなこと尽くめである。
「あ゛っづいよー……いつまで歩きゃいいんだよー……」
「……目的地までだよ、うるせえ奴だな」
「いつ着くんだよー、暑くてたまんねぇよー」
「……喋って、暑さが和らぐなら、いくらでも、付き合ってやるよ」
「じゃあ付き合ってくれよー、せめて喋って気が紛れてねぇと、やってらんねぇよー」
「……紛れるかよ、この暑さで。無駄に疲れんのが、オチだろ……」
へろへろとした声で駄々をこね始めるジャンに対し、崚の減らず口もまた気力を欠いていた。愚痴を吐きたいジャンの気持ちは分かるが、それに付き合うだけの元気さえ、今まさに頭上の太陽によって焼き焦がされている。今の崚にできることは、とにかく気力体力の消耗を最小限にして、無心に歩みを進めることだけだった。
さらに恐ろしいのは、これから夜がやってくるという現実である。曰く、砂漠地帯は蓄熱性の低い砂地と乾燥した空気のせいで、日が沈むと昼間の灼熱が嘘のように気温が下がり、極寒に襲われるのだという。まるで気の休まる暇もあったものではない。こんな過酷な環境に好んで住み着き、あまつさえ文明を築いている砂人とやらは、きっと超人的な怪物に違いない――と崚は、かなり八つ当たり気味の偏見を抱き始めていた。
顔を上げて眼前の丘を睨んでも、褪せた色の砂塵が舞っているばかりで、オアシスも集落も見えない。本当にこの道筋で合っているのだろうか? 右を見ても左を見ても褪せた砂色ばかりで、目印になるようなものが何もない。いま歩いているタルロ街道さえ、幾多の先人が踏み固めてようやく形を成しているようなもので、知らぬ間に道を踏み外していたとしても、すぐに気付くのは難しいだろう。人はこうして遭難するのだろうなあ――と、崚の思考は危うい方向に傾きつつあった。
それにしても、こうも変わり映えのしない景色が続いていると、いい加減気が狂いそうだ。崚は再び呻いた。彼方の丘で風が砂埃を巻き上げる様子をいくら見せられたところで、その風がこちらまで届かなければ涼みようがない。いやこの荒野で砂っぽい風を浴びたところで、服や肌が汚れるのがせいぜいで、納涼もへったくれもあるまいが――
(……んん?)
そこで、崚はようやく違和感を覚えた。砂漠気候の風の具合など崚の知るところではないが、ああも長々と砂埃が舞い続けることは、さすがに珍しい光景ではないのか。遠くで流れる風に乗り、視界から去っていくのならまだしも、塊のようにひとところに留まって――というより、より大きく、よりこちらに迫ってきているように見える。
「――……あ? なんだ、あれ」
「――良かった。暑さで幻覚見てるわけじゃ、なかったらしい」
顔を上げたジャンが驚きの声を発したことで、崚の疑念は確信に変わった。こちらに向かって、何かが近付きつつある。
二人は揃って目配せをすると、水筒を素早く掲げ、気付け代わりに苦い水を一口含んだ。砂埃の塊がいよいよ丘を下り、さらにそれを突き破って黄銅色のナニカが飛び出してきたのは、果たしてどちらが先だったか。
それは巨大な蜥蜴だった。黄銅色の鈍い光沢を放つ鱗に、爬虫類特有の鋭い瞳、そして大の男よりもなお太い四肢で丘を這い、砂塵を掻き分けるように突き進んでくる。そのところどころを獣革のベルトや革鎧で覆われ、その背に人間を跨がせていた。
それは間違いなく、人間と言って差し支えないだろう。皮鎧の下から惜しげもなく見せつけてくる濃褐色の筋肉も、諸人では特に大柄なカルドクと比べてもなお同等以上に見える巨躯も、その額から生えた二対の小さな角も、人間の範疇を逸脱するものには見えない。むしろ手綱をしっかりと握り、うねるように這い進む大蜥蜴を巧みに乗りこなしている様は、とても人間より知能が低い生き物とは考え難い。
あれが、砂人――その尖兵たる、砂蜥蜴の騎兵か。
「グライスさん!」
「おう、――野郎共、戦闘準備! ジャン、後方に連絡してこい!」
「はいっ」
崚が鋭く飛ばした声に、傭兵団の一人グライスは即座に呼応し、同時にジャンが駱駝隊の後方に向けて素早く駆け出した。傭兵たちが一斉に得物を構える中、次々に飛び出してくる砂蜥蜴の騎兵を見て、崚もまた身を翻して駆け出した。向かう先は隊後方ではなくその手前、先頭でライヒマンが運転している客車だ。
監視塔で用意してもらった、四輪馬車ならぬ橇のような客車の運転席にいるライヒマンに目配せをしつつ、崚は客車の横に飛び乗り、その戸をどんと乱暴に叩いた。
「――何事です」
「敵さん共のお出ましだ、備えろ」
即座に窓を開け、顔を覗かせたのはエリスだった。その向かいから、エレナも厳しい表情を見せている。崚がわざわざ説明せずとも、二人はすぐに状況を把握したようだ。
「リョウ、相手は――」
「分ってる。とりあえず、向こうの攻勢を削がなきゃ話にならんだろ」
縋るようなエレナの警告を遮りつつ、崚が客車を飛び降りたのと、その後方から長槍を携えた人影が飛び出してきたのは、ほぼ同時だった。誰あろう、クライドである。
「エレナ様!」
「中には伝えた。あとは外の対処だ」
「助かる! ――どう思う?」
「俺が知るわけあるか。おっさんが判別つかないなら、お手上げじゃねーの?」
短く言葉を交わしつつ、崚はすらりと佩刀を抜いた。お互いに短いやり取りで把握できる察しの良さは、無駄がなくて助かる。あとは、ライヒマンがどう対応できるかだろう。睨む崚の視線の先にいるライヒマンは、手綱を握りつつ佩剣の柄に右手を掛け、険しい目つきで砂蜥蜴の一団を見ていた。その砂蜥蜴の一団はといえば、全部で四――いや、六騎はいるか。その巨体に似合わぬ機敏な動きで這い回り、ぐるぐると駱駝隊を取り囲むように陣取っていた。
要人護衛において、相手に囲まれるのは悪手に他ならないが――先手を取れないことには理由がある。
砂人との和平交渉において、エレナらはまず砂人五氏族のひとつ”エンバ氏族”に頼ることにした。五氏族の中では最もベルキュラスに友好的で、略奪行為の頻度も少ないため、交渉のとっかかりとしては最適なのだ。このタルロ街道の先、タルロオアシスを縄張りとしているため、地理的にも近いというのもある。
問題は、そのエンバ氏族の戦士との衝突だ。いずれの氏族にも属していない、ただの野盗集団ならばともかく、氏族に属している正規の戦士と諍いがあると、その後の交渉に悪影響が発生する。そのため、なるべく交戦せず穏便に事を済ませたいのだが――困ったことに、彼らが話す言語はベルキュラスの共用言語とは異なるため、此方彼方の意思疎通には通訳が要るのだ。まさにその通訳がライヒマンの役目であり、つまり彼が相手一団の素性を見極める必要がある。
崚は砂蜥蜴の一騎に視線をやった。その背に跨る戦士の腰には、太い棒状のものが五、六本ほど括りつけられている。おそらく投擲槍の類だろう。ヴァルク傭兵団のほとんどが、小盾以上の防具を持たない戦闘スタイルであることが災いした。こちらには相手方を誰何する手間が要る以上、どうしても先制は相手方に譲ることになる。小盾ですら防御が難しい武器を相手に、先制を許すのは悪手以外の何物でもない。相手が問答無用で攻撃を仕掛けてこない、理性的な連中であることを期待したいところだが……
「何者だ! ここがエンバ氏族の縄張りだと分かっていての行動か!」
「あ゛?」
戦士の一人が叫んだ言葉に、崚は思わずカチンときた。自分の頭蓋の内側で、血管が大きく収縮するのを感じた。
腰に提げていたクロスボウを手に取り、抜き打ち気味に短矢を装填して撃ち出す。叫んだ戦士の頭部を狙い、しかし大きく逸れて飛来していった短矢は、その戦士を思わず怯ませるには充分だった。
「わっ!?」
「あっ、おい馬鹿!」
「うるせえクソ蛮族! こんな見渡す限りの荒野でなーにが縄張りだ、分かるわけねーだろ! 目印も警告もナシにいきなり実力行使とか、やくざだってそうそうやらねーよ! 熱中症で脳味噌やられてんのかクソッタレが!」
「……言い過ぎでは?」
一歩遅れて止めにかかるクライドにも構わず、崚は怒りのままに捲し立てた。呆れたクライドの言葉も、どこまで聞こえていたことやら。砂漠の酷暑で、崚の脳髄もいい加減湯茹っていた。
一方、崚の先制射撃を受けた砂人の戦士はというと――
「うおっ!?」
「リョウ!」
「大丈夫!?」
どすん、と鈍い音を立てて、投擲槍が崚の足元に突き刺さった。咄嗟に飛び退いた崚は、幸いにして無傷であったものの、乾燥した地面越しに伝わった衝撃に、思わず身を竦ませそうになった。隣のクライドは言うに及ばず、エレナさえ客車から身を乗り出して心配の声を上げた。
崚は投擲槍を投げてきた戦士の方を見やった。舞い上がる土埃の先には、険しい表情の戦士の顔があった。
「――お前、何者だ!」
「――あったまきた」
ついで投げかけられた戦士の言葉に、崚はついに堪忍袋の緒が切れた。この野郎、よりによって誰何する前に攻撃してきたがった!
……先に手を出したのが自分であることを棚に上げる程度には、崚も酷暑にやられていた。
「あーそう! 人の名を訊く前に槍投げんのが手前らの流儀ですかい! じゃあ手前の首スッ飛ばした後で答えてやるよ!」
「止めんか! どうせ通じておらん!」
「はあ!? 今バッチリ挑発されたんだけど!?」
怒りと苛立ちの勢いのまま、ずかずかと騎兵たちへ距離を詰めようとする崚の背中から、ライヒマンの叱責が飛んだ。即座に振り返った崚の剣幕に対しても、「いいから黙っていろ!」と更なる怒号を飛ばしてくるだけだった。
――と、ここでようやく、崚の脳裏に微かな違和感が過ぎった。
一方、ライヒマンは咳払いを一つすると、砂蜥蜴の騎兵一団に向けて朗々と叫んだ。
「落チ着イテ! ワレワレハ、べるきゅらすノ使節ダ! 敵ジャナイ!」
……妙にたどたどしい、片言のような言葉を発しながら。
ライヒマンの奇妙な言行に、思わず崚の苛立ちもほんの少しだけ削がれた。白けたともいう。
「……どうしたのおっさん、砂嵐で喉やられた?」
「うるさい黙っていろ」
半ば呆れを滲ませる崚の問いかけを、ライヒマンはしかめっ面で叩き伏せた。
一方、ライヒマンの言葉を受けた砂人の戦士たちは、みな一様に怪訝な表情を浮かべていた。「ベルキュラスだと?」「使節? 何の用だ?」――口々に発する疑念の言葉から察するに、一応内容は理解できているようだ。
「ベルキュラスの使節だと!? 証拠はあるのか!?」
戦士たちの一人が、ライヒマンの言葉に応えるように怒鳴った。
「ガタガタ言ってねーで引っ込め下っ端! 手前ごときが見て分かるわけねーだろクソ蛮族!」
「だから止めんかと言っている!」
「何ィ!? もういっぺん言ってみろシロアリ野郎!」
「誰がシロアリだブッ殺すぞ馬糞野郎!!」
が、それに反応したのは当のライヒマンではなく、噛みつくように言い放つ崚だった。たぶん脳内温度が危険域に達している。
制止しようとするライヒマンに構わず、崚と戦士はぎゃんぎゃんと罵倒の応酬を繰り広げた。それが異常極まりない光景であることに、当の崚だけが気付いていなかった。
「……おい、ちょっと待て」
「うるせえ後にしろ!」
「いや落ち着いて。ちょっと待ってリョウ」
崚のすぐ横に立つクライドが戸惑いながら制するも、興奮している崚にはまるで通じない。ついにエレナまでも、客車から飛び出して制止にかかった。どいつもこいつもやいのやいのと鬱陶しい、と苛立ちの矛先を変え始めた崚は、
「――何で、言葉が通じてるの?」
「あ? 何言ってんのお前」
心底困惑した表情で問うエレナの言葉に、きょとんと首を傾げた。
隣のクライドを見た。困ったように眉根を寄せたまま、静かに首を振っていた。
グライスたちの方を見た。彼も周囲の傭兵たちも、「また奇しな真似を始めやがった」と呆れた顔をしていた。
ライヒマンを見た。まるで魔物にでも相対したかのような、敵意に満ちた目をしていた。
砂人の戦士たちの方を見た。一様に警戒心を露わにし、うち数人に至っては投擲槍を構えていた。
……ようやく冷静さを取り戻した崚の周囲を、ざらざらと砂混じりの風が駆け抜けるだけだった。
「……おい、お前!」
「何だ!?」
崚は、つい先ほどまで罵倒を交わしていた砂人の戦士をきっと睨み付け、怒号を飛ばした。当の戦士は、矢筒ならぬ槍筒に手を掛けながらも、崚の呼びかけに応えた。それを確認すると、崚はライヒマンを指差しながら叫んだ。
「このおっさんのヒゲどう思う!」
「ダサい!」
「だってさ」
「いらん世話だ!」
憐れみの目を向ける崚と戦士へ、ライヒマンの怒号が飛んだ。ベルキュラスの貴族社会では、ああいうチョビ髭が流行りなのだろうか。ともあれ、エンバ氏族とやらのセンスでも、べつだん高評価には値しないらしい。噛み合わないセンスに対しておべっかを使わずに済む可能性が、爪先の垢ほどに上がったのは、幸運と思っていいか、どうか。
――言葉が通じない筈の者同士で、その感性が共有できたという事実から目を背けた場合の話だが。
「……あれー……?」
気を取り直したエレナがライヒマンに命じ、ライヒマンが戦士たちの年長者らしき人物へ片言で交渉を始めた横で、崚は手拭い越しにがりがりと頭を掻くことしかできなかった。太陽に焼き焦がされた砂塵が風に乗り、髪の隙間に入り込んで、ざらざらとした不快感を与えるだけだった。
ラースター
砂蜥蜴の騎兵が使う投擲槍
カラマツの類を削り出し、鉄の穂をつけて槍としたもの
戦士はこれを五、六本背負い、獲物に投げつける
サヴィア大砂漠の砂人は、砂蜥蜴に騎乗して戦う
大柄で力も強く、砂漠の走りに長けた砂蜥蜴は
掠奪で食いつなぐ砂人にとって、半身に等しい




