01.領都にて
ヴァルク傭兵団がボルツ=トルガレンの襲撃を受けてから、さらに二日が過ぎた。
三日目の夕方、イラの刻(午後四時ごろ)。太陽が地平線に向かいつつあるが、未だ天地を橙色に染めるには少し早い時刻。イングスの城壁――開け放たれたその大扉を前に、崚はぼんやりと呟いた。
「……何事もなかったな」
「なかったなー」
隣のジャンが、間延びした声で応えた。
呪われた魔物、イシマエルたちを操る危険集団こと、ボルツ=トルガレン。その一党が王女エレナ強奪の任務を帯び、しかし失敗し全滅したことは、遠からず本部に知れることだろう。道中、必ず追手を差し向けてくると踏んだ傭兵団とエレナ一行は、全員が馬車に乗り込み、半ば強行軍で領都イングスまで駆け抜けた。兵糧に元々の荷物に乗客が合計三十一人と、馬への負担が大きいため、本当は好ましくないのだが、身の安全とは引き換えにできない。いつぞや「もう二度と馬車には乗らねえ」と誓った崚の希望は儚く破れ、現代日本における国土交通省と各工事業者への感謝の念を、強制的に抱かされる羽目になった。
そして、現在。道中、休憩を挟みつつも一日半という強行軍で、一行はこうしてイングスへとたどり着いた。誰一人負傷することなく、誰一人得物を構えることなく。
――つまり、道中の襲撃はなかったのである。結果として一行は、盛大な肩透かしを食らった。
「しっかし、まだ入れねーのかなー」
「あのおっさんが、上まで話を通してくれねえと困るからな。向こうじゃ今頃、上を下への大騒ぎなんじゃねえか」
ぶーと唸りながら座り込むジャンを宥めつつ、崚自身も焦れる思いで門の奥へ視線をやった。
先触れとして、カーチス辺境伯への連絡に向かった騎士ライヒマンのことである。ゴーシュの情報通り、辺境伯がエレナを探し回っているのであれば、そのエレナが急にイングスにやってくることなど想定していないだろう。向こうの反応次第では、傭兵団が誘拐犯と誤解されて逮捕される可能性さえある。そのため、ライヒマンが先に辺境伯へ謁見し、事情への理解を得てもらった状態で入る、という運びになっている。
イングスの閉門は、オルスの刻(午後六時ごろ)とされている。さすがにそこまでかかることはないだろうし、よしんば門限を過ぎたとしても、事情が事情なので融通してくれるだろうが、こうして気も休まらない状況で待たされるのは、精神衛生上よろしくない。あと、さっきからこちらを怪訝に睨んでいる門衛たちの視線が鬱陶しい。
と、城門の向こう側、大通りから疾走してくる騎馬が現れた。
「――諸君! ヴァルク傭兵団の諸君!!」
「あ、おっさんきた」
「おっさんだ。仕事おせーぞー」
「誰がおっさんだ! 団長か参謀殿は!?」
「――いるぜ。話はつけてきたか?」
果たしてそれに騎乗しているのは、その額にわずかな汗を浮かべたチョビ髭の騎士、ライヒマンだった。どうどうと騎馬を停めつつ、野次を飛ばすジャンと崚に文句を返す。言うが早く、崚たちの背後から団長カルドクがぬっと巨体を現した。
「うむ、カーチス伯ダリル閣下に状況をお伝えし、受け入れ準備を整えてもらった。私が先導するので、このまま道なりに進んで邸内に入っていただきたい」
「あいよ。――グラン! 客車の運転を代わってやんな!」
「へぇい」
ライヒマンの説明を受けたカルドクが、団員の一人グランへ指示を飛ばした。ともかくも、これで入城できる。このあと、辺境伯からどんな歓待を受けるか知ったことではないが、とりあえず――
「……早く寝てぇな。できれば、ちゃんとしたベッドで」
「そうだな……」
主に尻と腰が痛いので、一刻も早く休みたい。そう思いつつ、崚を含む一行は木製の大扉をくぐった。
◇ ◇ ◇
肉と豆のスープ、香草で焼いた骨付き肉、新鮮な葉物野菜の上から山盛りに載せられた、マッシュポテトのような何か……
「さぁ、じゃんじゃん食べてくんな! 遠慮はいらないよ!」
「……いや腹減ってないわけじゃないけどさ」
「いいじゃん、いいじゃん。うっまそー」
山盛りの料理の前にぼやく崚をよそに、隣に座るジャンが歓喜の声を上げていた。
所変わり、領主邸の兵舎。「エレナ王女殿下を護衛した勇敢な傭兵団諸君」として歓迎された一同は、こうして兵舎の食堂に案内され、歓待を受ける運びとなった。宴席とかどうでもいいから一刻も早く休みたい、と思っていた崚は、しかし目の前でにこにこしながら料理を並べる中年女性(食堂の職員のようだ)の善意を前に強く言えず、大人しくスプーンを取らざるを得なかった。「兵舎の食堂を切り盛りする恰幅のいいおばちゃん」というテンプレートは、異世界でも通用してしまうらしい。
「しっかし、あのヴァルク傭兵団が王女様をお助けしたとはねぇ! さすがというか、あっぱれというか!」
「……え、何? ウチってそんな悪名高いの?」
「そ、そんなことねぇと思うけど……」
「いんや? 魔物の間引きとか、猛獣退治とか、細かい仕事までしっかりこなしてくれる連中だって聞いてるよ」
エプロンを着けた食堂職員の賞賛の言葉に、崚は思わず顔をしかめ、隣のジャンに尋ねた。聞く限り悪い噂の類ではないようだが、そういえばカルドク自身、以前に「お上とは関わりたくない」などと言っていなかったか。何やら面倒臭そうな因縁の匂いを嗅ぎつけ、崚の眉根が元通りになることはなかった。
「そうだぞぉー、お前らのせいでぇ、おれたちゃ無駄骨だぁー」
と、崚たちのいる席の向こう側から、赤ら顔の若い男が間延びした言葉を投げかけてきた。ふらふらと覚束ない足取りで歩み寄ってくるあたり、相当泥酔しているようだ。
「やめろやめろ、ジェイク。絡むんじゃねぇよ」
「わりぃな、お前ら。ここ最近、王女様の探索で大忙しだったもんで」
「ジェイク! その酒癖はいつになったら治るんだい! それ以上呑むつもりなら、今すぐ叩き出すよ!」
「うるせぇー、ばばぁー」
「誰がババァだい!」
「いっでぇ!」
それを同僚らしき人物らが口々にたしなめ、ついにジェイクという男は食堂職員の拳骨を食らった。どうやら、エレナ探索に関わった兵士の一人であるらしい。緊急で駆り出された挙句、その全てが徒労に終わったのはご愁傷様としか言いようがないが、それはそれで崚たちの知ったことではない話である。ジェイクなる兵士は拳骨の衝撃でよろめくと、顔を上げた拍子にふと崚と目を合わせた。酔いで焦点のぼやけた視線が、胡乱気なものに変わった。
「……んだぁー? ジジイかと思ったら、ガキじゃねぇかぁ。なんだぁ、そのなまっ白い髪――」
どたどたどた、と慌てて押し止めた傭兵たちによって、ジェイクがそれ以上の言葉を紡ぐことはなかった。
強引に顎を閉じさせ、手や胴を抑えつけ、ついでにどこか急所に当たったのか、ジェイクは「うっ」と小さく呻くと、ついに気を失ったように項垂れ、それきり言葉を発しなくなった。
「――何も聞こえなかった。お前は、何も、言われなかった。いいな?」
「え、はい」
同じ席にいた傭兵団の一人アルバンが崚の肩を掴み、ゆっくりと、しかし力強く、念を押すように言った。有無を言わせぬ剣幕に、崚は反射的に肯定の返事を口にするしかなかった。
「はっ、はは! 兵士サンにも、酒癖悪い人がいるもん、なんだなぁ!」
「な、なーに、その方が親しみやすいってもんだよな、な!」
「あ、おう……? 迷惑かけて悪かったな。こいつには、明日よく言って聞かせておくから」
何とも言えない空気を、ジェイクを押し止めたジャンと、傭兵団の一人エタンが、乾いた笑いで誤魔化した。追及の手段を失った兵士たちは、気を失ったジェイクを引き取りつつ、謝罪の言葉を放った。
「それにしても、団長とラグさんだけ領主様と一緒の席かぁ。いいなー」
「旨いメシ食わせてもらってんだろうなぁ」
「何だい、不満かい? 料理こそ違えど、作ってるのはお前さんらのと同じ、ここの厨房だよ!」
一方、別の席では、傭兵団のロッツとレインが雑談を交わしていた。それを聞き咎めた食堂職員の大声が、食堂に響き渡る。
カルドクとラグは、この食堂にはいない。傭兵団の代表として、エレナら一行と共に別室で領主ダリルによる晩餐会に呼ばれている。当然と言えば当然の処遇なのだが、カルドクもラグも、テーブルマナーに関しては団員らと似たようなものだ。何か粗相をしてなきゃいいけどねー、と、同程度のテーブルマナーしか知らない崚は、不愛想な顔のまま杯に入った冷水を呷った。
「――何か気がかりが?」
「えっ」
ふと、向かいの席に座っているセトが声をかけてきた。崚やジャンなどの未成年がいる以上、酒を呑ませられない層で席を囲む必要があり、つまりセトを含め「酒を呑まない席」がしれっと出来上がっていた。
で、そのセトによる問いである。声を掛けられると思っていなかった崚は、びっくりして何の反応も返せなかった。
「何か気にしていることがあるように見えるが」
「……セトさん、話しかけるときはワンクッション置くようにしません?」
重ねられたセトの言葉に、崚はげんなりとした顔を向けた。この人も大概に朴訥というか、コミュニケーションの手順に問題がないか。最近、何だか似たような連中を相手にしていることが多い気がする。と、同類の自覚がない崚はため息を吐いた。
ともかくも、セトへの返答である。心当たりのある崚は、冷水の入った杯に目を落とした。
「……これで、今回の案件終わると思います?」
ぽつりと呟かれた崚の言葉に、聞いていたジャンとアルバンがえっと目を丸くした。
「えっ、終わるんじゃねぇの?」
「違うと思うのか」
「エレナさまは、これから砂漠の砂人共んとこに行くんだろ? さすがに砂漠は専門外だし、もうおれらの出番じゃねーだろ」
口々に投げられた問い返しに、崚は何も返さなかった。
確かに、彼らの疑念は当然である。ヴァルク傭兵団は精強ではあるものの、所詮は平野か山林での戦闘経験しかない。王女エレナが砂漠に赴くのは立派な公務であり、以降の護衛を引き継ぐのは騎士や兵士たちの任務だろう。その点に関しては崚も異存がない。――本来ならば。
「……だと、いいんすけどね」
それだけ言い残すと、崚はほのかに湯気が立つスープを啜った。しかしその表情は、決して晴れることがなかった。
◇ ◇ ◇
「――どうした、カルドク君。今宵は君たちが賓客だ、遠慮せず食べ給え」
「ウス」
一方、領主邸のダイニングルーム。にこにこと笑顔で声をかけるカーチス領主ダリルの言葉に、カルドクは朴訥な返事を返した。
面子は、領主邸の主カーチス伯ダリルに、クライドを含むエレナら一行、そしてヴァルク傭兵団の団長カルドクと参謀ラグである。美しい紋様のテーブルクロスが掛けられた食卓に、皿から盛り付けまで繊細に配慮された食事が並び、煌々と蝋燭の明かりが照らす晩餐会で、厳しい表情を保っているのはカルドクとラグの二人だけだった。
「……団長様、無作法に気を遣ってのことなら、杞憂でございましてよ。あなた方がテーブルマナーとは無縁であることなど、もう充分承知しております」
「エリス」
「今更でございましょう」
その様子を見かねた侍女エリスが、先んじて食事に手を付けつつさらりと毒を吐き、エレナにたしなめられた。「エレナ様、この方々に遠慮することなど今更ありませんわ」と冷ややかに言い返す彼女の胆力は、果たして傭兵団との交流で鍛えられたものなのか、それとも生来の気質なのか。
ともかくも、カルドクの仏頂面の原因は、一同の知るところとなり、ダリルは思わず「ぶふっ」と吹き出した。
「――ふ、ふっ、はっはははは! 何だね、カルドク君、この私に遠慮してたというのかね!? 私などより遥かに高貴な、この王女殿下と寝食を共にしていながら!? くくく、かの“ヴァルクの猛虎”も、なかなか愛嬌のあるところを見せてくれるではないか!」
「いやまったく。こんな好漢を野放しとは、ダリル閣下も悪いお方でいらっしゃる」
「意地の悪いことを言わないでくれ給えよ、ライヒマン卿! こんな大物をあのヴァルクから取り上げては、どんな仕返しをされるか分かったものではない!」
たまらず哄笑したダリルに、ライヒマンが茶々を入れる。よほどダリルの興を買ったのか、彼はくつくつと愉快そうに笑い続けた。弛緩したダイニングルームの空気に、立つ瀬がなくなったカルドクは、半ばやけっぱちに杯を掲げ、なみなみと注がれた麦酒を一気に呷った。
「おぉっ、いい呑みっぷり! ささ、ラグ君も一杯どうだね」
「あァ、こいつには呑ませんで下さい。酒癖悪いんで」
「毎回呑み過ぎて二日酔いの団長には言われたくないっスね!」
「さ、エレナ様もご遠慮なく。芋くさい田舎料理ばかりでお恥ずかしい限りですが、歓迎の気持ちだけは込めさせていただきました」
「いいえ、お気になさらず、伯爵。とても美味しいですよ」
「お褒めの言葉、恐縮の限りです。厨房の者にも申し伝えておきます」
ダリルの言葉を皮切りに、ダイニングルームがやんやと盛り上がる。酔いの回ったカルドクやラグが、いつもの調子で騒ぎ出すことがなかったのは、幸運といっていいか、どうか。
そうして、食事が進み、酒が進み、歓談が進み――いよいよ茶菓が出たところで、ふと一瞬の沈黙が生まれた。
「……さて、カルドク君、ラグ君。諸君に、折り入って相談したいことがある」
ダリルは遂に、カルドクとラグへ真剣な表情を向けて、話を切り出した。油断しきって紅茶を啜っていたラグは、思わず吹き出しそうになるのをやっと堪えた。
「も……もしかして、エレナ様の……?」
「うむ、話が早くて助かる」
どんどんと胸を叩き、早急に呼吸を整えたラグの問いに、ダリルは深々と頷いた。
「そもそも、話が上手く運び過ぎていると思わんかね?
ライヒマン卿から説明があったと思うが、王国はかのボルツ=トルガレンめの動きを警戒し、エレナ様のご出立を秘密裏に進めた。にも関わらず、我がカーチス領の目と鼻の先でぴったり襲撃を行うことができた。そしてアークヴィリア卿が諸君を訪ねるのと機を同じくして、諸君への襲撃を敢行した。ご丁寧に邪教徒共と手を組み、グレームルを引き連れてまでだ。
結果、諸君の奮闘によってエレナ様はご無事であったものの――裏を返せば、エレナ様の動きそのものは、連中にきっちりと捕捉されていたというわけだ」
ダリルの説明に、カルドクとラグは揃って顔を見合わせた。正直なところ、無意識下で不審に思っていた話だ。よりによって死に蠢くやグレームルの使役など、一朝一夕で用意できたものではない。明らかに「標的がそこにいる」という確信をもって行われた襲撃だ。実際は、カルドクら傭兵団なり、クライドなりが丁度良く居合わせたために、撃退に成功したものの――いや、もしやそれすらも向こうの計算の内ではないか? 二人の間では、そんな突飛な疑念さえ渦巻き始めていた。
「つまり、領主様は――」
「……うむ。非常に情けない、かつエレナ様に申し訳の立たない話であるが――私は、麾下に……身内に、内通者がいることを懸念している」
ラグの確認を皆まで言わせることなく、ダリルは心底申し訳なさげに語った。
それが貴族としてかなり思い切った発言であることは、傭兵の二人にも十分伝わった。ざっくり言うと、主君の前で「身内の裏切者を見逃していたせいで、王女を危険な目に遭わせた」と白状しているようなものだ。
「お気に病まれないで下さい、ダリル閣下。王国そのものに仇なす逆賊を野放しにしている、我々三騎士団の手落ちでもあります。あるいは、内通者は騎士団側にも――」
「しかし、連中の手の内が分からぬ以上、何が起きても奇しくなかった。万一の備えを怠っていたという誹りは免れまい」
クライドのフォローに対し、しかしダリルの顔に差した暗色を晴らすには至らなかった。王国における最重要人物が襲撃され、誘拐または死傷の危機に遭った以上、誰かにその非難が向けられるのは間違いない。そして受け入れ側が槍玉に挙げられるのは、当然の帰結である。
「――話を戻すと、だ。身内さえ信用できなくなっている現状、エレナ様をお守りする手段は非常に限られている。
その手段の一つが、諸君だ。かのボルツ=トルガレンからエレナ様をお守りしたその腕前を見込んで――エレナ様の護衛として、サヴィア大砂漠まで行ってきてくれないかね」
ダリルからの真剣な眼差しに、カルドクとラグは再び顔を見合わせた。
「ああ、今宵の宴席のことなら気にせずともよい。仕事を断った腹いせに費用請求するなどと、そんなさもしい真似をする気はない。どうしても請けられぬというならそれまでの話、あくまでもこの席は、先だっての働きに対する礼だ。
――ただ、諸君の腕前と人柄を見込んだ上で頼んでいる。そこは重々理解してもらいたい」
ダリルはそこで話を切った。あとは二人の返答次第、そういうことだろう。歓待の件を持ち出して後ろめたさを煽る、という選択肢を自ら否定した以上、こちらに大きく譲歩しているのは間違いない。そこまで下手に出てまで信頼感をアピールしている、というのも。
カルドクは腕を組み、瞑目して思考に沈んだ。隣で縋るような視線を遣るラグの意図など、言葉にして聞かずとも分かる。その意図の正当性も、痛いほど分かる。
しばらく、沈黙が続いた。
「――お返事の前に、ひとつ言っときます」
やがてダイニングルームの沈黙を破ったのは、カルドクの言葉だった。
「ウチは、金積みゃ何でも請け負うって訳じゃありません。報酬が多かろうが少なかろうが、出来ねェ仕事は『出来ねェ』と、最初からきっぱりお断りする方針でやってます。そいつァ、先代のヴァルク団長のころからずっと変わってねェです」
「だ、団長、その言い方は――」
「つまり、断ると?」
「そういう意味じゃねェ。どんな仕事だろうと、大前提としてそういう姿勢で請けてるってだけだ」
思わず狼狽えるラグと、素早く口を挟んだライヒマン。それらの言葉を、カルドクは力強く切って捨てた。
「ひとまず、事情は理解しやした。領主サマが大っぴらに動けねェって事情も。
……正直なところ、ウチの手に負える仕事じゃねェです。嬢ちゃ――王女サマも知っての通り、ウチにいるのは荒くれ者ばっかです。ペンより剣振ってた方が他人様の役に立つだけの、学のねェ連中ばっかりです。今回の騒ぎも、『ひとまずウチの砦まで』『ひとまず王女サマの準備が整うまで』『ひとまずイングスまで』……そういうごく短期の条件だったからこそ、何とか上手く運んだと思っとります。
だがこれ以上は話が違う。大事な政治のあれこれなんぞにゃ、とても関われねェ。そこから先は、兵士さんなり騎士さんなりが上手い事やってくれる――そういうつもりで、これまでやってきてます」
カルドクは言葉を荒げることなく、静かに事実を突きつけた。野良の傭兵団など、所詮はならず者と大差ない。『契約』によってのみその意義が保証されているだけの、剣を振るうしか能のない荒くれ者だ。それが王女の政治活動を支えるなど――ましてその主だった役割など、明らかに荷が勝ちすぎている。それが、厳然たる事実だ。
「カルドク団長、しかしだな――」
「まったく耳の痛い話だ」
噛み付くライヒマンをやんわりと遮り、ダリルは鷹揚に頷いた。
「ここから先は、本来我々貴族の仕事であり、それを諸君に押し付けるのは筋違いだ。そこを弁えて仕事を請けるという諸君の姿勢も、まったく正論だろう。
――故にこそ、だ。このようなどうにもならない窮状で、なお信頼に値する傑物を挙げるとすれば……それは諸君だと思っている」
その上で、なお食い下がるカーチス領主ダリル伯の言葉に、カルドクの返事は――
◇ ◇ ◇
翌朝、ヌーの刻(午前八時ごろ)。
カーチス領主邸の兵舎の前で、カルドクとラグを除くヴァルク傭兵団の一同は、思い思いに喋りながら待機していた。中には二日酔いで顔色の悪い者もいたが、ほとんどは翌日(つまり、今日)に備えて酒量を控えた者ばかりで、ともかく最低限の武装は完了できる程度に快調な者しかいない。せっかく領都に来たのにもう帰りかー、呑み屋遊びとかしたかったなー、ついでにお高い娼館とかさーぐへへ、バッカおめぇ朝っぱらから下品な話すんじゃねぇよガハハ、……と、各々に雑談を交わしつつ、未だ来ない幹部二人を待っていた。無論、崚もその輪の隅に立っていた。道中の兵糧は幌馬車に積み込み済み、あとは出発を待つだけだ。
と、そのカルドクとラグが、本邸の方から歩いてくる姿が見えた。きちんと装備を整え、足取り確かにやって来るものの、近づいてくるその顔に――特にラグの方が浮かない表情をしていることに、崚はいやな予感を覚えた。
「あ、来た来た」
「おはよーございまーっす」
同じように気付いた団員たちが、二人に声をかけた。カルドクがおうと手を上げて返す一方、ラグはその曇った表情を見せつけるだけだった。
「昨夜はどうだったんすか」
「いいもん食わしてもらったんでしょ。うらやましいなー」
「シャキッとしろ、おめぇら! ――団長、ラグさん、全員準備整ってます。いつでも出発できまっせ」
ラグの浮かない雰囲気に気付いていない様子の団員たちが、口々に囃し立てる。それをカルタスが低いだみ声で叱り飛ばすと、二人に向き直って報告を述べた。あとは自分たちの想像通り、傭兵団の砦に向けて出発の号令がかかるだろう――そんな想定は、死んだ魚のような目つきのラグの言葉によって否定された。
「……砦には、帰りません」
「へい?」
ようやく口を開いたラグの重苦しい言葉に、カルタスは素っ頓狂な声を上げた。
何、どーゆーこと? 分からん。帰らないって言ったぞ。え、じゃあどうすんだよ? 知らねぇよ俺に訊くなよ――次第にざわつく団員たちの前で、ラグは決定的な言葉を口にした。
「我々は、このままエレナ様のお供として、サヴィア大砂漠へ行きます。砦には戻りません」
「……えーっ!?!?」
まったく想定外の展開に、団員たちは一斉に驚愕の声を上げた。領主邸の敷地に、傭兵たちの喚声が木霊する。
「――ま、そんな予感はしてた」
そんな中、崚だけは頭を抱えてぼやいていた。
ライトクロスボウ
台座に弓を固定した、標準的なクロスボウ
射撃の度にボルトの装填が必要になるが
扱いやすく、多くの戦士が使用している
練兵が容易で、各国の正規軍が制式化している
装填作業の手間ゆえに、連射には向かないが
訓練された弩兵部隊の斉射は、騎馬隊すら討ち倒すという




