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神宿ル劍  作者: 竹河参号
01章 厭世の異界紀行
13/78

13.明と顕と暗

 グレームルの対処法は三つある。

 一つ、脇目も振らず逃げる。グレームル自体の動きは鈍重もいいところなので、大の大人なら走って逃げるのは容易である。

 二つ、遠距離から急所を突く。外殻そのものは堅牢であり突破不可能だが、その継ぎ目、すなわち首筋や各関節は塞ぎようがなく、つまりそこが急所である。首筋などを太矢で射抜く腕前があるのなら、近づくことなく倒すことができる。

 三つ、後ろ脚を引き摺り倒す。異常発達した前腕あるいは前脚とは対照的に、後ろ脚は貧弱なので、鎖で拘束して引っ張れば簡単に姿勢を崩し、引き倒すことができる。ただし本体が相応に巨体なので、大人の男が数人がかりで引っ張らなければならない。

 であれば、自ずと戦略は決まる。――攻める側も、守る側も。



「……それ、ちゃんと稼働するんだろうな」

「ああ、問題ない」



 砦の外郭にぴったりを身を寄せ、崩れた外郭の隙間からグレームルの一体とその足元の集団を盗み見つつ、崚はクライドに声を掛けた。その手に持つ長槍の穂先は、陽光を照り返しあかあかと輝いている。

 グレームルに付き従っている集団は、全部で七人。黒いローブを纏い、鏡のようなものを持った、いかにも魔法使い然とした格好が一人と、同じ黒ずくめのローブの下に皮鎧らしきものを身に付け、各々剣やクロスボウを構えているのが六人。おそらく、残り二か所も同じような配置だろう。

 味方――二十七人、引くこと全体指揮役のラグ一人、足すことクライドとゴーシュ二人。幸い誰も出かけておらず、全員で対処が可能と相成った。

 敵方――おそらく二十余人、足すことグレームル三体。

 ……はっきり言って、分が悪いどころの騒ぎではない。ただの野戦なら、全員が即座に回れ右で走り出すほどの不利だろう。より間近で見たグレームルの巨体は、ただ一体だけで畏怖と忌避感を煽るには充分だった。弄した策が、その戦力差を覆すに足るか、どうか。



(くさい)



 鼻腔を満たす不快な臭気に顔をしかめながら、手拭いで鼻口を覆うことにするかどうか迷った。

 いつかと同じ――そうだ、死に蠢く(エンピエル)と遭遇する直前、似たような臭いを嗅いだことを崚は思い出した。あの時は、その後の騒動で有耶無耶になったが、結局崚の思い込みではなかったと判断するべきなのだろうか。クライドに尋ねてみようと思ったが、やめた。火事場の大一番を前に、余計な話をして集中を乱されると困る。



「――本当に、残りは何とかなるんだろうな?」



 しゃらりと抜刀する崚に向けて、クライドが不安とともに呟いた。まっとうに答えを期待している様子ではなかった。



「そりゃ、セトさんとゴーシュさんに訊いてこい。二人がしくじったら全部おじゃん(・・・・)だ」

「オレはその二人を知らないのだが……」

「俺だって、あんなの相手にやれるかまでは知らねえよ。……ただ、セトさんが獲物を外してるのは見たことないし、聞いたこともない。向こうは団長が付いてるし、最悪あの人が何とかすんだろ」

「何とかとは?」

「知らん。取っ組み合いでもするんじゃねえの?」



 崚のぞんざいな言いように、クライドは思わず顔をしかめた。もちろん、冗談というか口から出まかせなのは理解しているだろうが、筋骨隆々の大男とグレームルが取っ組み合いで喧嘩をする光景など、想像して愉快な絵面ではない。



「ところで」

「何だ」

「その炎、どこまで飛ばせる。穂先燃やすのが精一杯か?」

「飛ばす? ……いや、分からん」



 再度グレームルに視線を向けたままの崚の問いに、クライドはすぐに意図を察したようだった。



「飛ばすことそのものは出来ると思うが、距離や精度は――ヤツの急所までは、悪いが期待しないでほしい」

「そこまでは求めてねえ。ただ、飛ばせるんなら……最初に、ヤツの顔面(・・)にブチ当ててみてくれ」

「顔面? ……なるほど、了解した」



 崚の言葉の意を察したクライドは、わずかに口角を上げた。どうやら道場剣術だけの坊ちゃんではないらしいと、崚はこの若い騎士が頼もしく思えてきた。

 外郭の他の部分には、それぞれ他の団員が待機している。誰も彼も、伊達に荒事を食い扶持にしている連中ではない。敵方がどれだけの手練れかは知らないが、こちら側とて、少なくとも崚が心配する資格がない程度には強者揃いだ。

 ――それでも、グレームルには敵わない。前腕のひと薙ぎで、まとめて挽肉(ミンチ)にされるのが関の山だろう。それを防ぐのが、崚とクライドの役割だ。

 地面に置いていたクロスボウを拾いなおし、崚は深呼吸をした。隣でクライドが息を殺す音、うるさいほどに高鳴る心臓の鼓動、ざぁざぁと吹く風の音――


 ぱぱぱぁん、と何かが破裂する甲高い音が、連続して響いた。

 ラグが鳴らした爆竹の音。作戦開始の合図だ。



「――行くぞ!」

「ああ!」



 言うが早く、崚とクライドは外郭の影から飛び出した。二人に気付いたグレームルの赤黒い目が、その濁った色をこちらに向ける。竦み強張る両脚を無理矢理前に動かし、崚は吶喊した。

 その横で、クライドが得物を脇に構え、ぶおんと勢いよく薙ぐ。その穂先に宿った炎の塊が、崚の横を通り過ぎる一瞬だけ熱風を吹き付け、まっすぐにグレームルの顔に飛来した。回避の間も――そう考えるだけの知能があるかも疑わしい怪物の顔に、炎の塊が衝突し、ぼん、と低い音をと轟かせた。






 ◇ ◇ ◇






 『三正面作戦』という碌でもない構図を除けば、やることは単純である。



 三体のうち二体のグレームルは、それぞれセトとゴーシュが狙撃で先制する。先制攻撃でグレームルを仕留めることさえできれば、最大戦力を失った敵方を、団員たちで片付ければいい。

 残る一体は、後ろ脚を引き摺り倒して()るしかないが、その程度の思惑は敵方も了解済みだ。足元の追従戦力が迎撃するし、何よりグレームルをけしかければ大半は叩き潰せる。

 なので陽動役が要る。

 正面でグレームルを引き付け、その攻撃を躱しつつ注意を引き続ける。その隙に、別動隊が追従戦力を始末し、終わり次第グレームルの後ろ脚に鎖を括りつけて引き倒す。

 その陽動役が、崚とクライドだ。

 主体はクライド。王国の魔導局が開発したという長槍を使い、派手な攻撃で敵全体の注意を引き付ける。崚はそのサポートだ。負傷しているクライドに一人陽動を押し付けるのは酷だし、目の前に獲物が二匹いれば、低能なグレームルの撹乱にはうってつけだろう。

 そして崚はもう一つ、小細工を思いついた。

 多くの生物は頭部に重要器官を備え、そのうちの二つが目と口である。外界の把握に最も重要な知覚器官が目で、呼吸器と栄養摂取を兼ねているのが口だ。必然、その二つを硬い外殻で塞ぐことはできない。そこを狙うことが出来れば、引き摺り倒すまでもなく大ダメージを与えることができるのではないか――というのが、崚の考えだった。正面から見える部分に口が見当たらないのが残念だったが、少なくとも目はある。そしてそこを狙って攻撃を当てる手段を、クライドが提供してくれた。

 果たして、その効果は――



 ヴオオオオオという、何かが噴き出すような音とともに、グレームルの頭がその顔面に浴びた炎を突き破って現れた。鈍い光沢を放つ顔面はたちどころに晴れ、煤ひとつ残さない。六つの目玉は相変わらず赤黒い色を放ち、その下から横一文字にぱっくり開かれたものがあった。その奥に赤黒い肉が見えるのを察するに、あれが口だったらしい。



「あんま効いてないっぽいなあれ!」

「済まない!」

「しゃーねえダメもとだ! 切り替えろ!」



 互いに叫びつつ、二人はグレームルが振り上げた腕を察知し、その射線から逃れた。ずしん、と轟音と土埃を撒き散らした鈍色の巨腕は、しかし何者をも捉えることができなかった。

 残念ながら効果自体はなかったが、とりあえず注意を引くのは成功だ。横走りに、崚は魔法使い風の一人にクロスボウを向け、その引金(トリガー)を引いた。ばしん、と鋭い反動を崚の手に残し、装填されていた短矢(ボルト)が射出された。

 命中は最初から期待しない。地球にいたころからそういうゲームが得意だったわけでもないし、異世界に来てからも射撃訓練など行っていない。重要なのは、「狙われた」という事実を敵方に与えることだ。果たして、魔法使い風の人間はひぃっと反射的に身をかがめた。短矢(ボルト)が明後日の方向にすっ飛んでいったのを、その人物が気付いていたか、どうか。

 ただ、二人の行動を座して見守るだけの者などいない。グレームルの両脇から、黒ずくめの戦士たちが次々に飛び出した。狙いは当然、崚とクライドで、



「おぉぉらぁぁぁ!」

「死ねェ!」

「むっ!?」



 そのさらに外側から乱入してきた傭兵たちに驚愕し、思わず足が止まった。咄嗟に振り向いて剣を払い、傭兵たちの奇襲を捌いたのは、敵ながら見事と言っていい。

 敵の一人が、振り向きざまにクロスボウを構え、クライドに向けて撃った。まずい、と崚の足が咄嗟に向いたが、この角度では間に合わな――



「ふんッ!」



 クライドは即座に長槍を振り払い、噴き出した炎の壁によって短矢(ボルト)を焼き消した。



(……俺要らなかったんじゃねーのあれ)



 片腕で長槍を思うさま振り回すクライドを見て、崚は少しだけ手持無沙汰感を覚えた。あからさまに包帯を巻き、左腕だけで長槍を振るっているのを見ていれば、敵方もクライドが右腕を庇っていることに気付くだろう。さすがに斬り合いに持ち込まれれば不利だろうし、敵方もそれを狙ってくるだろうが、ああして炎を振り撒いていれば、その斬り合いに持ち込む隙が作れない。



「――っとォ!」



 大地を擦るようなグレームルの横薙ぎを、崚は転がって回避した。余計なことを考えている暇はない。

 クロスボウが邪魔だ。連装式のクロスボウなんてものがこの異世界で開発されているかどうかは知らないが、少なくとも崚は聞いたことがない。撃つ度に短矢(ボルト)の再装填が必要になる通常のクロスボウは、特にこのような乱戦では、再装填のために片手を空ける余裕がないため、最初の一発を撃った時点で腐りがちだ。グレームルや追従戦力を躱しながら再装填するだけの技術などないし、やはり射撃訓練をしておくべきだったかもしれない。せめて、うまく腰元に引っかけられるよう改造しておいてもらえばよかったのだが、今更そんなことを言っても始まらない。



「無事か!?」

「そっくり返すね!」

「上等だな!」



 ごろごろと地面を転がり、即座に起き上がった崚にクライドが声を掛けた。崚の減らず口に口角を上げる辺り、なかなかどうして強かな男である。騎士という生態についてそろそろ認識を改めるべきかもしれないと、崚はクロスボウに短矢(ボルト)を再装填しながら思い始めた。

 ともかくも、グレームル対崚とクライド、追従戦力対傭兵たちの構図は出来上がった。ここからは力戦だ。再び繰り出されたグレームルの振り下ろしをそれぞれ横っ飛びに躱しつつ、崚はちらりと傭兵たちの戦況を見た。両翼共に三対五、数的有利はこちらのものだが、その割に攻めあぐねているように見えた。

 集団戦において、個人の技巧がどうだのという観点にあまり意味はない。間合いを変え、立ち位置を変え、死角を変える。どうやら敵方は、そうした細やかな連携に慣れており、味方に苦戦を強いているようだ。無論、味方もただではやられないだろうが――どうしても、グレームルの存在が足を引っ張る。撹乱のために大きく動いた結果、グレームルの腕の下にいましたでは話にならない。「グレームルを斃すための作戦で、グレームルの存在が邪魔になる」という、膠着状態が出来上がってしまった。



(こいつの援護は――だめだ、味方も巻き込む)



 援軍は期待できない。おそらく、他二面も同じような状況だろう。クライドの炎の槍で援護をしてもらおうかと思ったが、やめた。両翼ではすでに混戦の様相を呈し始めており、味方はもうこちらを気にする余裕がなくなっている。先ほど顔を合わせたばかりのクライドとは、連携など成立しようがない。いたずらに炎をばら撒かせたところで、逆に味方を巻き込むのがオチだろう。

 そして一番の懸念が、敵方も同じような作戦を考えうることだ。

 グレームルが単独で野放しになっているなら、まだいい。しかし、ゴーシュが語っていた“屍隷術”という単語が、崚の脳裏に引っかかり続けていた。原理や制限がどうあれ、グレームルの行動をある程度制御できるのであれば、つまり『あからさまな陽動である崚とクライドを無視し、両翼の傭兵たちを攻撃させる』という策を採りうる。無論、そんな真似をすれば味方を巻き込みかねないが、そもそも向こうは攻めてきている側だ。ある程度の連携は考えていると然るべきで、グレームルの攻撃と味方の回避を噛み合わせる程度の芸当は充分考えられる。あるいは、その関係性や目的意識次第では――

 ――ふう、と崚は深呼吸をした。つまり、自分たちが何とかするしかない。吸って、吐いて。ぎりりと口を真一文字に結ぶと、崚はばっと顔を上げた。



「――クライド! アレの気を引いてくれ! 突っ込む!」

「なに!?」



 言うが早く、崚は駆けだした。戸惑うクライドを置き去りに、まっすぐグレームルに突っ込んでいく。獲物が自ら飛び込んできたと思ったのだろう、グレームルはその右腕を振り上げた。緩慢な動きで振り上げられた鈍色の鉄塊が、崚目掛けて振り下ろされ――

 そのグレームルの顔に橙色の炎の塊が飛来し、ぼぉん、と低い音を立てて炸裂した。

 思わず動きの止まったグレームルの腕の下を、崚はトップスピードで駆け抜けた。グレームルなど端から眼中にない。――狙いは最初から、その足元にいる魔法使い!

 どしんと響いた轟音と衝撃を背に走り抜ける崚は、ぎょっとして思わず硬直した魔法使いに向けて、クロスボウの引金(トリガー)を引いた。疾走する勢いに任せ、狙いも碌につけられていない短矢(ボルト)は、しかし驚愕で動けない魔法使いの肩口へと吸い込まれるように飛来し、衝撃で大きくのけぞらせた。

 好機。崚はクロスボウを投げ捨て、駆けながら刀を両手に構えた。抵抗などさせない、このまま獲る!

 ついに魔法使いを間合いに捉え、大上段に刀を振り上げた崚は、その魔法使いが何か小刀を構えていることに気付いた。毒々しい紋様が刻まれた、黒い小刀を逆手に持っている。苦し紛れの応戦か、構うものかこのまま脳天カチ割――



「――っ!」

「!?」



 それを迷いなく、自らの中腹にまっすぐ突き立てる姿を見せられては、さすがの崚もぎょっとせざるを得ない。

 小声で何か呪文のようなものを呟いていたのを、この時の崚が気付いていたか、どうか。ぶくりと魔法使いの肩が膨れ上がったかと思うと、鮮やかな赤黒の肉塊が黒いローブを突き破った。思わず足を止めた崚の前で、魔法使いだった(・・・)その肉塊は、ローブを引き千切りながらぶくぶくと体積を膨れ上がらせていき、

 崚の体躯よりなお太い腕が、四本。――不格好な肉塊の化物が、崚の前にその姿を見せた。

 むき出しの血管がそこかしこに走る赤黒い肉塊が、ぐちょぐちょと気持ち悪い音をたてながら蠢いている。頭蓋はその肉塊の質量に埋もれたか、あるいは圧壊してしまったか。辛うじて腰部に残ったローブの切れ端の下で、同じように膨れ上がったふた足は、しかし過剰に肥大化した上半身を支えきるには至らないらしく、ぶらぶらと前後に姿勢を揺らして何とか直立を保っていた。



(どうする。どうする。どうする。どうする――)



 凍り付いた崚の前で、肉塊の隙間から目玉のようなものが開かれ、こちらを捉えているのが見えた。ぶらぶらと全身を揺さぶりながら、足を動かせない崚へとゆっくり迫る。その遥か後ろで、誰かが崚の名を呼んでいたことに、この時の彼が気付いていたか、どうか。

 動け。どう。斬れ。いや斬れるのか。逃げろ。間に合うか。――



(――どうするもこうするも無えだろうが!!)



 灼熱が崚の内側を駆け巡り、筋肉という筋肉を燃やした。

 刀を両手で握り、遮二無二横に構える。全身の力をぐっと腰に溜め、限界まで腕を引く。ぎりりと奥歯を噛む崚に向かって、肉塊がその腕のひとつを伸ばし、



「――っらぁぁッ!」



 力任せの横薙ぎが、ずぶりその腕に食い込んだ。踏み込んだ足腰から伝わる力が腕を通り、ぎりぎりと軋み熱を孕む握り拳を通して刃を押し込ませ、肉塊の太い腕を諸共に押しやる。その刃先で、じゅうと何かが焼き焦げるような音が聞こえた気がした。

 肉塊が姿勢を崩し、ぐらりと大きくよろけながら、斬り抉られた腕をぼたりと取り落とした。いち早く姿勢を取り戻した崚の目に、信じられないものが映った。

 ――白だ。

 崚の握るサーベル、その切先から刀身、柄頭に至るまで、一部の曇りもなく真っ白に染まっている。切先から赤黒い血が零れ落ちたが、しかし丸ごと蒸発したかのように、その跡はまるで残らなかった。その色は、無垢の証ではない。清廉の証でもない。這い回るような淡い光を纏い、しかしあるべき色彩そのものを奪い去ったかのようなその白は、『喪失』の色だ。



(ええい、今日に限って何だのかんだのと――!)



 トンデモ怪奇物体の目白押しで、こっちはとうに腹いっぱいなんだよ!

 崚はやや八つ当たり気味に刃を返し、ようやく姿勢を取り戻しかけた肉塊の腕目掛けて白刀を振り抜いた。その刃が赤黒い腕に食い込み、じゅうじゅうと焼き焦がしながら肉片を撥ね飛ばす。その衝撃でさらにぐらついた肉塊に、崚は休むことなく二連撃を叩き込んだ。右に左に、力任せに殴られるようによろめいた肉塊は、せっかく増やした四本腕を全て失い、不格好で醜い達磨が出来上がった。

 抵抗らしい抵抗もできず、棒立ちの肉塊の前で、崚は両の拳でぎりぎりと軋む白刀を大上段に振り上げ、



「ふんッ!」



 今度こそ力いっぱい振り下ろした。

 果たしてその刃は肉塊を深く抉り、ぐちゃぐちゃとした気色悪い感触と、じゅうじゅうと焼け焦げる音を、その腕越しに崚へと伝える。崚はお構いなくねじ込み、ついに足元まで振り抜いた。

 ――その途上で、ぱきん、と小さな音を拾い上げたのは、僥倖と言っていいか、どうか。



「……あれっ」



 ぼたりと(くずお)れ、そのまま動かなくなった肉塊を前に、崚の脳裏を最初に掠めたのは、“屍隷術”という単語だ。

 崚はこの世界の魔法というものを知らない。それがどうやって行使されるものなのか知らない。ただ、「魔法行使のために専用の道具を使う」という発想は、いかな文明風俗であろうと発生しうる基本思想だろう。そういえば魔法使いがこの肉塊に成り果てる前、鏡のようなものを持っていたことを思い出した。

 ――つまり、あの鏡のようなものが魔導具で、それを以てグレームルを使役していたのではないか。それを壊してしまったということは……



(……まっず)



 崚は即座に振り返り、果たして、こちらを覗き込む虚ろな六ツ目と目が合った。げっと小さく呟いた崚の視界の端に、しかしもう一つ信じられないものが飛び込んできた。



「――おおおおおッッ!」



 その手の長槍の穂先から炯々たる輝きを従え、グレームルの腕を駆け上っていくクライドの姿だった。

 だんだんと力強い踏み込みで、グレームルの鈍色の外殻を強引に駆け上がったクライドは、その外殻の窪みを足掛かりに、長槍をぶんと横に構える。狙いは、その鈍色の光沢の継ぎ目――すなわち、肘関節にあたる暗灰色の肉。



「ずぇぇぇいッ!!」



 気迫とともに振り抜かれた長槍が、その穂先から橙色の炎を吹き出し、その肉へと食い込んだ。ぼうぼうと激しい音を立てながら炸裂する炎の刃が、グレームルの肉を焼き焦がしながら抉り込んでいく。



「――はぁぁッ!」



 吐き出したクライドの気勢とともに、その刃は遂に振り抜かれ、焼き焦げた匂いを撒き散らしながらグレームルの腕を斬り落とした。

 体躯を支える前腕部の片方を失い、がくりと姿勢を崩したグレームル。しかしその首がわずかに動いたのを見て、足りない、と崚は直感した。あれはまだ死んでいない。片腕という大きな武器を失い、巨躯の体勢というアドバンテージをも失くしかけているが、殺し切るにはあと一歩要る、それまで油断は厳禁だ。反射的に崚は走り出し、



 世界が闇に包まれた。



(えっ?)

「えっ?」



 突然の事態に、崚の思考と発声が同調した。意味のある情動ではなかった。

 真っ白だとか真っ黒だとか、そういう次元ではない。文字通り何もない、何も認識できない空間が広がっていた。反射的に足を踏み出した崚の視界に、



 鈍色の光沢を放つ塊が映った。



「――ふぇぁ!?」



 動揺で奇声を上げる崚の脚が、反射的にだんと何か(・・)を踏みしめることが出来たのは、間違いなく僥倖だろう。その足元に広がる鈍色と、さらに向こう側に土色の地面を見て、崚は己がどこに立っているのかを理解した。

 ――俺は今、グレームルのうなじに登っている?

 何故、と考えている暇はなかった。絶好の急所を前に、一瞬の思考すら惜しい。崚は即座に刀を逆手に構えると、鈍色の外殻の隙間、暗灰色の肉に、迷いなく突き立てた。ずぶりと差し込まれた黒刃(・・)に、グレームルは遂にヴオオオオオと咆哮を上げた。



「んぎぎぎぎ……!」



 思いのほか、というかめっちゃ硬い。本当に生物の肉かこれ。骨にも届いてないんじゃねえかこれ。いくら首筋でも筋肉ってそんな硬いもんだったか。辛うじて食い込んだ刃を、崚は力ずくで横に押し込んだ。ぶちぶちという気持ち悪い感触を手に伝えながら、タールのようなどす黒い血がびちゃびちゃと噴き出すのを余すことなく浴びながら、崚は力任せに刃を振り抜いた。

 片腕と首筋を切り裂かれ、ついに事切れたグレームルの全身が弛緩する。ずずんと轟音を立てグレームルの遺骸が倒れ、土埃を盛大に噴き上げた。

 その隙間から、頭から浴びたどす黒い血を垂らし続ける崚がゆっくりと顔を上げ、そのぎらついた視線で黒ずくめの賊たちを射抜いた。その異様に、何よりグレームルという決め手が()られたという事実に、賊たちが思わずたじろいだ。



「ば、馬鹿な……!」

「ぐ、グレームルが……!?」



 ――その明確な動揺を、見逃すような三流はここにいない。



「逃がすかァ!」

「ぐわぁっ!?」

「あらよっと!」

「がぁっ!」



 目の前で斬り結んでいた傭兵たちから目を離し、グレームルの遺骸と崚に気を取られた賊に対し、今こそ好機と傭兵たちが攻めかかった。ある者は頭を割られ、ある者は胴を斬り裂かれ、ある者は首を刎ねられ――

 そして六人の賊は、物言わぬ骸となった。

 崚はゆっくりと首を巡らせ、辺りを見回した。同じように周囲を警戒するクライド、傭兵たち、血を流し続ける賊の遺骸、崩れかけた砦の外郭……どうやら、周辺に敵はもういないようだ。

 崚は顔を上げ、砦の三階、物見棟に目をやった。全体指揮を務めるラグが、あそこから各戦線の状況を見ているはずだ。果たしてラグはそこにいたが、こちらに身を乗り出した様子で、唖然とした顔を向けている。



「――いやラグさん状況! 状況教えて!!」

「え、あ、ハイッ!」



 声を張り上げた崚の怒号に、ラグはようやく我に返り、慌てて他方の戦況を確認を始めた。



「――終いだ。こっち二つも、全員仕留めた。グレームルも含めてな」



 が、ラグの返答を待つ必要はなかった。返り血を全身のそこかしこに浴びたカルドクが、同じように血を垂らす大剣を担いだまま、のっそりと歩いてきた。



「つまり、俺らの勝ちっすか」

「おう。任務成功ってやつだ」



 にやりと笑った傭兵の一人に、カルドクは仏頂面で返す。勝利の歓喜に酔い痴れる気分ではないようだった。



「――全部殺しちまったのか」

「……え、まずかったっすか?」

「いんや、逃げられるよかァな。……こいつらも手練れだったか」

「へい。そっちのあんちゃんと、新入りのおかげっす」



 賊の死体を蹴飛ばしながら話し込むカルドクの様子を見るに、もう戦闘は終わりらしい。ようやく警戒を解いた崚は、視界の端でクライドが何か構えている様子を見つけた。槍を下ろし鎮火もした状態で、戦闘態勢という様子ではない。拳を上向きに突き上げかけ、困惑気味に周囲の様子を伺っているようだ。



「……なに構えてんの、それ?」

「えっ。……いや、こういう時は、勝鬨(かちどき)を上げる、もの……なのでは?」

「ああ、そういうとこはちゃんと騎士なのな……」

「ど、どういう意味だ!?」



 呆れ返った崚に、クライドが戸惑いの声を上げる。その足元で、グレームルの首筋から夥しい血が流れ、大地をどす黒く汚し続けていた。



屍隷術

 神を貶め、“魔”を礼賛する邪教徒たちの呪術

 イシマエルの意思を縛り、隷属する冒涜の業

 死霊魔術とともに、最も罪深い禁術とされる


 イシマエルは、“魔王”による人類廃絶の呪いとされ

 主を失ってなお、血腥い災禍を撒き続ける


 だが邪教徒たちは、「挑戦と開拓に禁忌なし」と嘯く

 人はしばしば、開拓と冒涜を混同する

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