クチサケ5
昨夜 円藤宅
黒川が苺を、送り届け自らも帰宅しようとしたとき、声が聞こえた。
「なんだ? 誰か呼んでるのか? 」
しかし、暗い道はかれひとりだけ。人影はない。耳の奥に、またも呼ぶ声。霧の奥くからよぶようで、詳細がつかめない。
「どうかしちまったのか、俺の耳は!」
耳を塞ぐ。しかし耳を塞いでも、声は聞こえて来た。霧の中から放たれた声のほとんどは、聞き取れなかった。だが一つだけ、はっきりと聞き取ることが出来た。
「たおせ」だった。
これより、声は聞こえなくなった。聞き取れた声に、黒川は全く検討が着かない。
「一体、なにを倒せばいいんだよ。いや、いや、それよりも、何? 俺は幻聴を聞いちゃったわけか? くそ! 散々過ぎる!なんなんだ、変態、妖怪、幻聴! 次はなんだ? あ?」
頭を抱え、地面に文句をぶつけた。コンクリートで舗装された道路には、彼の影が長く延びていた。影の先には、影。
顔をあげると、そこには少女が立っている。小さな女の子は、彼と目があうと、微笑んだ。
「こんばんは。わたしは、華子です。わたしの名前を呼んで下さい。マスター」
「なに?」
華子は目線を彼から外し、かれの背後、円藤宅をみた。少女には相応しくない、冷ややかな目で。
黒川は振り返る。明かりが点いた、温かい家庭があった。
「あの妖怪の狙いは、マスターの友人です」
彼のすぐうしろから、声がした。
「残念ですけど、きっとあの化け物に、殺されてしまうでしょう」
彼は円藤宅を凝視し、華子に取り合わない。しかし、華子はつづける。
「助けたいですか? 助けたいですよね? ありますよ。たった一つかなり、簡単な方法が」
華子が彼の背中に抱き着いた。
「私の名前を呼んで。私のマスターになるんです。名前を呼ぶだけ、ほら、簡単です。お願いします、マスター、私を呼んで」
華子の腕に力が入る。黒川が円藤宅から、視線を切った。
「お前のことは、信用していない。だが、お前の言う事が、嘘っぱちでない事が、俺にはわかる」
「マスター」
華子は彼から離れた。振り返った彼は、初めて華子を真っすぐにみた。華子は、彼に名前を呼ばれる事をいまかいまか、と待っている。
「華子」
「はい! マスター!」
名前を呼ばれた華子に、変化が起きた。彼女の足もとから、銀色の闇が噴き出し、体に纏わり付いた。銀の闇は形を固め、鎧になった。余す事なく銀が華子を覆った。
「なんだ!?」
「私の名前をマスターに捧げたのです! 私の名前はマスターしか壊せません!」
銀が噴出が消えたとき、華子全貌をフルプレートアーマーによって守られていた。