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【完結】兎の花嫁は氷の狼王子に足を踏み鳴らす  作者: 星灯慶(Kei.S)


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6.だんだん怖くなる

 低い声で話しかけられて、私は思わず後ろにぴょんと飛びのいてしまった。机を挟んでいるから距離があるけれど、普段より一層険しいお顔に耳の毛が逆立つようだ。


 何かお怒りを買うようなことを口走ってしまっただろうかと思うも、特に思い当たらない。そうこうしているうちに、蒼牙様が机の横を通って、こちらにのしのしと近づいてくる。


「先程も何やら、ふたりで話していたな? 昨日話しかけるなと言ったはずだが」


――あっ! 英賢のことね……!


 なるほど。話しかけないよう命じられたばかりなのに、英賢が仲良くしてくれて助かるだなんて言ったのがいけなかったらしい。


 確かに昨日の私は、蒼牙様のご命令に黙って頷いた。けれどこれまで、蒼牙様の冷たい対応に打ちひしがれる度に、英賢の明るさに助けられていたことは紛れもない事実。そしてこれからも度々お世話になるだろうことを考えると、挨拶やちょっとした会話すらできないのはやっぱり困る。


 そう思いながら目の前にやってきた蒼牙様のお顔を見上げたけれど、今にも噛みつかれるのではないかという迫力。勝手に飛びのきそうになる足を心の中で励まして、ちょっとだけ反論を試みる。


「あの……蒼牙様のお部屋を訪ねれば扉の前に英賢が居ますから。少なくとも挨拶は交わしますし、そこから二三、世間話をすることも」

「するな。無視して部屋に入ればいい」

「英賢の邪魔にならない程度にしますので……」

「駄目だ。あと迅賢に笑いかけるのもやめろ」

「……はい?」


 なぜそこで迅賢の名前が出てくるのか。

 しかも殺伐(さつばつ)とした雰囲気の我々をよそに、迅賢はにこにこしながら椅子を運んでいる。


「若奥様。どうかお気になさらず、若様のおっしゃる通りに。ささ、どうぞこちらに」


 蒼牙様の席からほど近いところに椅子を置いて、私に座るようすすめてくる迅賢。そして、まだ話の途中なのに席に戻る蒼牙様。仕方ないので、私も迅賢が用意してくれた椅子に掛けた。


「では若奥様、私はこれで失礼いたします」

「え、ええ。ありがとうね」


 私が座るなり迅賢がそそくさと部屋を出ていき、蒼牙様とふたりきり。しかし特に何か指示をくださるでもなく、蒼牙様は机に詰まれた書簡(しょかん)をひとつ手に取ると目を通し始めた。


「あの……私も何かお手伝いしましょうか?」

「何もしなくていい。座っていろ」


 書簡から目を離すことなく冷たくあしらわれ、少ししょんぼりとしてしまう。


 いや、ゆくゆくは妻としてお手伝いしなければならないのだから、この程度でしょぼくれてどうする。何をなさっているのか見るだけでも勉強になるはずだと、蒼牙様のほうをじっと眺める。


「……あまりこちらを見るな。集中できない」

「も、申し訳ありません。ですが、私も少しずつ覚えたほうが……」

「まだ気にしなくていい」


 まだ、という言葉がひっかかって、しばし考える。そして気づいた。私が「まだ」本当の妻ではないから、結婚するまで狼人族の書簡は見せられないという意味ではなかろうか。


 そういうことなら確かに、私にじっと見られては集中できない。でもそれなら、執務室に来るよう言われたのはなんのためだったのか……ああ。もしかすると、迅賢を紹介したかっただけかもしれない。


 蒼牙様が私のことを「俺の妻」だなんて紹介したものだから、今日から私も一緒に仕事するのだと思って、迅賢が椅子を用意してくれたのでしょう。しかし蒼牙様は、まだ私に任せるつもりはなかったと。なるほど、納得である。


「蒼牙様。長々とお邪魔して申し訳ありませんでした。もう失礼しますね」


 紹介が終わったなら私は用済み。じっと見ているとお邪魔になってしまうし、それなら私は茜か楓にでも狼人宮のことを教えてもらおう。


 そう思って席を立ったのに、蒼牙様に袖を掴まれた。


「待て。誰が帰っていいと言った?」

「えっ?」

「そこに座っていろ」

「…………はい」


 とりあえず、蒼牙様のご命令通りに着席する。

 けれど、考えども考えども分からない。


 手伝いはしなくていい。集中が途切れるからこちらを見るな。しかし部屋は出るな。いや、何もせずただ座っているだけならば、私がこの部屋に存在する意義とはなんぞや?


 うんうんと頭を悩ませていると。ふいにぱた、と。今朝聞いたのと同じ音が聞こえた。反射的に立ち上がり、きょろきょろと辺りを見回す。


「どうした?」

「聞こえたんです! 今朝部屋で聞いたのと同じ音が」

「気のせいだろう」

「そんなはずは……」

「気のせいだ」

「……お騒がせしました」


 勝手に辺りを探し回ろうかと思ったけれど、蒼牙様のお仕事を邪魔してはいけないと思い、再び椅子に座る。


 しかし、よくよく考えるとおかしい。狼人族は兎人族より耳がいいのだから、蒼牙様が気のせいだとおっしゃるなら、それは気のせいで間違いない。つまり私の耳に、聞こえてはならない何かが聞こえているということではなかろうか。


 そう思っていたらまた、ぱた、ぱたぱた……と聞こえてきた。冷や汗がじわりとにじむ。


 蒼牙様のほうから聞こえてくるので、そちらを見るわけにもいかず。しかし何もすることが無いので気を紛らわすこともできず、つい耳を両手で挟んで毛づくろいしてしまう。あんまりすると毛が抜けすぎてしまうのだけれど。


 何か、この部屋を自然に出られる用件がないだろうか。

 そう思っていたところに、部屋の扉が勢いよく開いた。


「ラビーシャ様! 百爪(びゃくそう)様と空燕(くうえん)様がお呼びだそうです。領地の近況を聞きたいとのことで!」

「あっ……ありがとう! 蒼牙様、行ってまいります」

「俺が送っていく」


 私が結構ですと言う間もなく、椅子から抱えあげられて。そして昨日と同じように早足でずんずんと廊下を進む蒼牙様。やはり耳に風が当たって寒い。


 しかしこうして廊下を歩いていると(厳密にいうと私は歩いていないけれど)、あのぱたぱた音はどこからも聞こえてこない。


 ということは、蒼牙様の執務室に何か居たのかしら。いや、今朝は私の部屋からも聞こえていた。でも蒼牙様にはまったく聞こえてないようだし……と考えて、ふとひらめいた。


――あっ! 百爪様と空燕様にもたずねてみればいいんだわ。


 狼人宮で何か、ぱたぱたという音を聞いたことはないかと。それでおふたりとも「聞いたことがない」とおっしゃったら、いよいよ私の耳がおかしいのだろう。それもそれで困るけれど。


 その時の私はまだ、音の正体がすぐそこにいるのだとまるで気づいていなかったのだ。

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【短編】結婚初夜。離縁されたらおしまいなのに、夫が来る前に寝落ちしてしまいました。

【中編】兎の花嫁は氷の狼王子に足を踏み鳴らす

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