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4.狼王子の隠し事

 隣から寝息が聞こえ始めて、しばらく経った。


「……ラビーシャ。もう寝たか?」


 目を閉じたまま話しかける。そして返事がないのを確認して、俺はごく薄っすらと目を開けた。


 睫毛(まつげ)の隙間から隣を盗み見れば、全体的に真っ白な俺の婚約者――兎人族のラビーシャが白い布団と同化し、すやすやと寝息を立てていた。


 しかも安心しきってか、目を閉じて眠っている。こんなこともあろうかと、狸人(りじん)族の長老にたぬき寝入りを習っておいた甲斐があった。


 できるだけ音を立てないように、ラビーシャのほうに寝返りをうつ。すると思ったよりも近くに彼女の顔があって。ふいに自分の尻尾がぱた、ぱたぱたと音を立てた。


 まずい。兎人族の兎耳は、眠っている間であっても物音に反応するのだ。


 暴れる尻尾を掴んで大人しくさせようと思ったが、幸いにもラビーシャは起きることなく。すやすやと眠り続けている。


 ほっと一息つくと同時に、こんなことになった元凶の顔が頭に浮かんだ。


――ちっ。英賢(えいけん)のやつめ……


 犬人族の英賢は、宮廷第二兵団「番犬」の一員として、昔から俺の護衛をつとめている。


 ひとつ年上なので兄弟のいない俺にとっては兄のような存在だったが、俺が「氷の狼王子」などと呼ばれるようになった主な原因でもある。今日ラビーシャが到着した後も、奴とひと悶着(もんちゃく)あったのだ。



◆ ◆ ◆



 ラビーシャを部屋に送り届けた後。誰にも無様な姿を見られないよう、さらに早足で執務室に戻ったのだが。俺の帰りがあまりに早く、執務室の前に居た英賢はひどく驚いていた。


「えっ!? ちょっと蒼牙様! 早すぎやしませんか!?」

「うるさい」


 通り過ぎざまに四文字だけ返事して、急いで執務室に。すると英賢まで中についてきた。


「さっさと扉を閉めろ」

「はいはい。わかりましたよ」


 英賢の手で速やかに扉が閉められ、俺はようやく安心して眉間から力を抜いた。途端に尻尾がぱたぱたと暴れ出す。ラビーシャと会ったのが一年ぶりだったのもあってか、もう我慢の限界だったのだ。


「あーやっぱり! それ見られるのが嫌ですぐに帰って来たんだな?」

「仕方ないだろう。妻であっても弱みは見せられない」

「別に気にすることないと思うけどなー」


 狼人族と大型の犬人族は見た目こそ似ているが種族が違う。


 感情が尻尾にあらわれる犬人族は忠誠心がわかりやすく、古くから狼人宮の警備を一任されている。ただ、感情が簡単に読み取れてしまうため政治には向かない。犬人族が自分たちの領地を持たず、狼人族に仕えている理由がまさにそれなのだが、困ったことに幼い頃から英賢と兄弟のように育った俺は、狼人族なのに感情が尻尾に出てしまうのだ。


 その問題に気づいたのは、礼儀作法と表情管理の稽古が始まってから。なぜそう尻尾がぱたぱたと動いてしまうのか。何を考えているかわかってしまうのでやめるようにと言われハッとした。確かに、父上の尻尾が動いているのを見たことがない。そして自分の振る舞いがまるで犬人族のようだと、遅ればせながら気づいたのだ。


 嬉しいことがあれば尻尾を振ってしまうし、悲しいことがあれば尻尾が垂れてしまう。ゆくゆくは獣人国の王になる身だというのに、他者に心の内を読まれやすいなどあってはならない。


 しかし幼いうちに体に染みついたこと、それも感情に直結するものを制御するのは難しいもので、尻尾を動かすまいと意識するとどうしても眉間に力が入ってしまう。公の場で粗相(そそう)のないよう努めているうちに、俺の険しい表情から「氷の狼王子」などという呼び名ができ、そのまま定着してしまったというわけだ。


 家臣からは「威厳(いげん)がある」と、幸いにも評判は良い。ただ……


「でもさぁ。ずっとそんな顔してたら奥さんに怖がられるぞ?」

「うるさい」


 言われなくてもわかっている。

 ラビーシャにとって、俺は恐怖の対象でしかない。


 それはそうだろう。自分より圧倒的に体格がいい狼人族の男がこんな険しい顔で向かってきたら震えるほど怖がって然り。彼女の気持ちは十分にわかるが、婚約者だというのに怯えている顔しか見られないのが残念でならない。俺とて好きで険しい顔をしているわけではないのだ。


「いいじゃん。奥さんの前だけ素になれば」

「幻滅されるだけだ。自分の尻尾ひとつ思い通りにできないのかと」

「ないない! だって奥さん、お前のこと大好きじゃん」

「そうなのか?」

「は? わからないのか?」

「……わからん」

「うわぁ、かわいそー。あんなにわかりやすいのに」


 犬人族は自分の感情を表現するのに長けているからか、相手の感情にも敏感だ。狼人族も別に鈍感ではないのだが、感情を表に出さないよう訓練してきたせいか、どうも俺は他人の感情の機微(きび)に疎い。


 それで度々、英賢にラビーシャのことを相談しているわけなのだが、おちょくられるとさすがに腹が立つ。俺よりもはるかに長い時間ラビーシャと会話していることにも腹が立つし、俺と同じくらい図体が大きいのにラビーシャに少しも怖がられていないのも大いに気にくわない。


 俺が睨みつけても、英賢は歯を見せて笑うばかりだ。


「ははっ! そう怖い顔するなよ。さっきも俺が送ってくように仕向けなかったら、一分で会話終了だっただろ?」


 そう言われて、不覚にも尻尾がぱたぱたと動いてしまう。確かにそれは助かった。あまりに暗い顔をしているので部屋で休むよう言ったのだが、ラビーシャが部屋を出た後、送っていけばよかったと思ったのだ。


 しかしあれはあれで失敗だった。英賢が肩車をするなどと言うから、そうなる前に慌てて抱き上げたが、よく考えたらラビーシャにそんなことをするのは初めて。そう気づいた途端、危うく尻尾が暴れだしそうになったのだ。


 廊下には見回りの兵がいる。しかも腕の中にはラビーシャもいる。誰にも気づかれないようにと思うと、大した世間話も思い浮かばず、ラビーシャのほうを見ることもできず。ただひたすら早足で部屋に届けるだけになってしまった。



◆ ◆ ◆



 そんなわけで、せめて寝る前に何かしら夫婦らしい会話をと、色々と考えた上で寝室を訪ねたのだが。着いてすぐ俺の服を脱がせようとするとは予想外だった。


 まあラビーシャの気持ちは分かる。できるだけ早く、父上の期待に応えたいのだろう。しかしまだ結婚していないのだから節度は守るべきだ。守るべきなのだが。


――まったく。俺にあんなことをしておいて、よくもすやすやと……


 いや。よくぞすやすやと寝てくれた。早く寝入ってくれたおかげで、今から小一時間ほど鑑賞しても寝不足にならずに済む。 


 長旅の疲れなのか、先程からずっと俺の尻尾がうるさく動いているのに、ラビーシャが起きる気配はない。これ幸いと眉間から完全に力を抜いて、我が婚約者をまじまじと観察する。


 なるほど。耳がピンと立っている時もかわいいが、眠っている時は耳までぺたんと寝てかわいいのだな。怯えていてもかわいいのだから、おそらくは泣いても怒ってもかわいいのだろう。結局のところ、俺の婚約者はどうあってもかわいい。


 そういえば、ラビーシャの怯えていない顔を見たのはいつぶりか。ああ、初めて会った日以来だ。互いにまだ小さかったが、ラビーシャがぴょんぴょん飛び跳ねているのを、怪我をするから落ち着きなさいと兎人領主が止めようとしていたのをはっきりと覚えている。


 あの時からラビーシャはかわいかった。もちろん今もかわいい。そしてこの先もかわいい。当然、没後もそのかわいさが少なくとも三千年は語り継がれるべきだ。


 そんなことを考えながら、ラビーシャの髪を一束手に取る。人間が食べる小麦で打った麺に似ているが、それよりもずっと細い。そして真っ白だ。


 兎人族の中でも白毛の血筋なので耳も真っ白。睫毛まで真っ白だが、今は頬も白い。昼間はいつも頬が赤いのに……ああ。俺に会うと恐怖で青ざめてしまうので、化粧で赤くしていたのだな。


 気を遣わせてしまっている。そして明日ラビーシャが目覚めたら、俺はまた、彼女に怖がられてしまうのだろう。


 そう思うと小一時間眺めるだけでは勿体ないような気がして、なかなか寝付けなかった。

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