16.女の戦い?
「麗樹! 蒼牙様の妻は私だから……!」
勢いに任せたはいいものの、いざ間に入ってみると凄まじい威圧感。
負けじと睨みあげても、麗樹の余裕は崩れない。
「うふふ……先程も申し上げましたけれど、おふたりは本当の夫婦にはなっていないのですから。私にもまだ、機会がありますでしょう?」
笑いながらそう言われて、ふつふつと、怒りがこみあげてくる。
私が結婚を白紙にすると言えば、代わりに自分が蒼牙様の妻になれる。身の程をわきまえて、いさぎよく妻の座を譲りなさいと言いたいのだ。しかし蒼牙様は渡さない。
麗樹の言葉を全否定すべく、右足をダンと鳴らす。
「そんな機会、永久に無いわ!」
今度は左足を鳴らす。その勢いで、私より背の高い麗樹がたじろいだ。
「あなたが何をしてこようと! 私が蒼牙様の元を離れるなんて絶対に! ありえないんだから!」
言いたいことを言いきって、肩で息をする。
きっぱり言ってやった。足をダンダンさせながら言ってやったわ。
さあ来るなら来なさい。兎人族の序列争いを見せてやると、息を整えながら待ち構えていたけれど……
「……大丈夫ですわラビーシャ様! そんなに無理なさらなくても!」
「えっ?」
飛びついてきた麗樹にふんわりと抱きしめられ、先程までの怒りが困惑に変わる。
「あら。兎耳のここ、少し毛が薄くなっておりますわね」
「……うん。不安なことがあるとつい」
「おいたわしいですわ……ラビーシャ様を不安にさせるなんて罪深いことを」
麗樹は敏感な兎耳をちゃんと避けて、私の頭を撫でている。しかしなぜ、麗樹に労わられているのか。今から蒼牙様をめぐって、私たちは壮絶な戦いを繰り広げるのではなかったのだろうか。
考えども考えども分からないので、争う相手だけどとりあえずたずねてみる。
「あの……麗樹。無理しなくてもっていうのは、どういう意味で……?」
「ご安心くださいラビーシャ様。結婚を白紙にして、後はすべて私に任せていただければ。ご実家にはうちから支援しますし、ラビーシャ様のことはもちろん私が養います。翠家で一緒に暮らしましょう」
「えっ? えーっと……」
「さてと。こちらで少々お待ちくださいね」
麗樹は私の両脇に腕をさしこんでひょいと持ち上げると、自分の後ろに下がらせた。そしてまた蒼牙様と向かい合って、人さし指を蒼牙様の鼻先につきつけた。
「蒼牙様! あなたはラビーシャ様の伴侶に相応しくありませんわ! 昨日だって、怯えるラビーシャ様が逃げられないようにずっと捕まえていましたわね? 私ならあんなこと、絶対にしませんのに!」
――あれ。思ってた争いと違う……?
なぜ私は今、麗樹と蒼牙様の戦いを傍観させられているのか。
えっ? もしかして、麗樹が毎日のように書簡を持ってきていたのは、蒼牙様じゃなくて私が好きだから……だったりする?
何かご存じないかと蒼牙様のほうを見るも、麗樹の攻撃を真に受けて尻尾が垂れさがっている。
「やはり……ラビーシャは俺に怯えて……」
駄目だ。人目があるのに尻尾を御しきれないほど落ち込んでおられる。
威厳を失ったお姿を大勢に目撃されるわけにはいかないと、今度は私が蒼牙様を後ろに下がらせて、麗樹の前に立った。こんな時こそ、妻として蒼牙様を守らなければ。
「あのね麗樹。婚姻の儀式は昨日終わったでしょう? まだ本当の夫婦でないとはいえ、私はもう蒼牙様の妻だから。何かこう、新しい幸せを見つけて……」
「無理ですわそんなこと! 一目見た時からお慕いしておりますのに! 私のほうが蒼牙様よりもずっと、ラビーシャ様を愛している自信がありますわ!」
一途な愛が重い。いや、こんなにはっきり愛していると表現してもらえるのはありがたいことだとは思うけれど。むしろ私も蒼牙様に、これくらい激しく愛を伝えるべきだったのかしら。
麗樹の興奮がおさまるのを待って、もう一度、静かに話しかけてみる。
「麗樹。あなたの気持ち、よく分かるわ」
「つ……ついにラビーシャ様が私の想いを受け入れて……!?」
「そうじゃなくてね。私も初めてお会いした時に、蒼牙様のことが好きになってしまったの。会えない間もずっと蒼牙様のことばかり考えていたから、あなたの気持ちがよく分かるっていう話よ」
噛んで含めるように言い聞かせると、麗樹の肩が小刻みに震え始めた。見るからに狼狽えている。
「そ、そんな……でしたらなぜ、蒼牙様と居られる時にいつも怯えて……」
「確かに、怯えていたわ。蒼牙様が何を考えていらっしゃるのか、どうすれば蒼牙様に気に入っていただけるのか分からなくて。このままずっと受け入れてもらえなかったらと思うと、とても怖かったから」
そうだ。思い返してみれば、蒼牙様と一緒に居る時の私は、冷たい顔に気圧されていたり、わけがわからず首を傾げていたり。他の人と話す時のように、笑うこともなかったように思う。
ああ、だから蒼牙様があんなことをおっしゃったのだ。英賢と喋るな、迅賢に笑いかけるのもやめろと。夫になる自分とはろくに会話しないのに、他の者にはなぜ楽しそうに振舞うのかとお思いになったのでしょう。私だって、蒼牙様が英賢の前では素に戻ると知って、ちょっと嫌だったのだ。
「……でも、もう大丈夫。蒼牙様が言ってくださったから。私以外の相手と結婚するつもりはないって。私も、蒼牙様とでなければ結婚しないわ」
私がきっぱりと言い切ると、麗樹がその場にへたりと座り込んだ。その向こう側から麗樹と同じ、緑色の髪をした狼人が駆けてくるのが見える。翠家の当主だ。その隣で英賢も一緒に走っている。
「これ麗樹! ラビーシャ様は若様の伴侶だと何度言ったら!」
「お父様……」
翠家の当主は麗樹の隣に両膝をつくと、私に向かって深々と頭を下げた。
「若奥様。我が娘が大変なご無礼を……なんとお詫び申し上げてよいやら」
「いいのよ。その……私が彼女のことを誤解していたのも悪かったから。連れて帰ってあげて」
「なんと……寛大な御心に感謝申し上げます。さあ麗樹。帰ろう」
父君に支えられて、よろよろと帰っていく麗樹の後ろ姿。どうも目が離せなくて、廊下から見えなくなるまで見送った。
「……ありがとう英賢。翠家の当主を呼びに行ってくれてたのね」
「はい! でもさすがラビーシャ様、ご自分で解決できちゃいましたね。『蒼牙様とでなければ結婚しないわっ!』って、格好よく決まってましたよ!」
「なっ……私、そんな言い方してた?」
「ちょっと脚色しました! ははっ!」
「もう……」
私が頬をふくらませても、英賢はどこ吹く風。
大きな尻尾をぱたぱたさせながら、私の後ろに声をかけた。
「いやーよかったですね蒼牙様! 俺、言ったじゃないですか。ラビーシャ様は蒼牙様のこと大好きだって!」
その瞬間まで、私は気づいていなかった。
すぐ後ろに本人が居ることをすっかり忘れ、麗樹に向かって恥ずかしげもなく蒼牙様への想いを語っていたのだと。




