15.宿敵からの提案
あっけなく見つかってしまった次の瞬間、麗樹の手が私の顔に向かってきた。
――ひっ!?
私の頭をすっかり鷲掴みにできそうな大きな手に、思わず目を閉じた。けれど、特に何事もなく。
おそるおそるまぶたを持ち上げてみれば、麗樹が指で何かつまんでいる。
つい先程、私がむしゃむしゃしていた草だ。
「失礼。ラビーシャ様の頬に草がついておりましたので」
「あっ……ありがとう……」
無駄に警戒してしまった。廊下に衛兵が控えているのに、こんなところで私に危害を加えられるわけがなかったのだ。麗樹は草をぽいと投げ捨てて指先を払っている。
「こんなところにおひとりで。何をしておられたのです?」
「……ちょっと花輪でも作ろうかなと思って」
蒼牙様の伴侶なのにまさかそこに生えていた草をむしゃむしゃ食べていたとは言えず。適当にごまかすと、麗樹がくすりと笑った。
「それは楽しそうですこと。うちに来ていただければ、もっと花がありますのに」
「……またお茶を飲もうっていう話?」
「ええ。昨日までお忙しかったでしょう? 今日くらいのんびり休まれてもよいではありませんか」
そう言うと、麗樹が私の隣に並んですいと腕を組んだ。
「さあ参りましょう。私がラビーシャ様に似合う花輪を作って差し上げますわ」
「放して。もう執務室に行かないといけないから」
麗樹の腕を強引に振りほど……けるだけの腕力が、私にはなかった。仕方ないので、腕を組んだまま執務室へ向かう。
「光栄ですわ。ラビーシャ様と並んで歩ける日がこようとは」
――これのどこが光栄なの……?
はたから見れば並んで歩いているように見えるでしょうけれど、実際は勝手に腕を組んだ挙句、私が歩くのに合わせてついてきているだけである。
まあもうすぐ執務室に着くのだからと無言で前に進んでいると、麗樹の腕に少し、力がこもった。
「ラビーシャ様は今日もまた、椅子に座っているだけのご予定なのですか?」
「いいえ? 今日からは妻として、蒼牙様のお仕事を手伝うのよ」
私が素っ気なく答えると、麗樹がふっと笑った。
嫌味を含んだ笑い方に、つい足が止まる。
「……何がおかしいの?」
「ラビーシャ様が『妻として』だなんておっしゃるからですわ。厳密には夫婦になっておられないのに」
「!?」
麗樹の言葉に、思わず目を見開いた。
なぜそんなことを、麗樹が知っているのか。昨日の夜、何もなかったことを知っているのは蒼牙様と私。あとは侍女の茜と楓だけなのに。
私が目を丸くしているのを見てか、麗樹は得意げな顔だ。
「うふふ。先程書簡を届けた時に、分かってしまったのです。あなたがまだ、蒼牙様の妻になっていないのだと」
「……ああ。狼人族の男女だから察せられるのね?」
「ええ。跡継ぎの心配がないからと選ばれたのに、初夜の務めを果たせなかったなんて。百爪様にご報告すべきでしょうか?」
そんなことを報告されてしまったら、百爪様を失望させてしまう。焦る私に、麗樹は袂から手拭いを取り出した。
「そう慌てずとも大丈夫ですわ。私に良案がありますから」
麗樹は私の額に浮かんだ汗をとんとんと拭った後、耳元で囁いた。
「結婚を白紙に戻したいと、百爪様に申し上げればよいのです。今ならまだ間に合いますわ。後のことはご心配なく。すべて私にお任せいただければ――」
その時、廊下の先に見えていた執務室の扉が勢いよく開いた。蒼牙様が出てきて、こちらに向かって猛然と歩いておられる。
「ちっ。邪魔者が……」
「えっ?」
急に声が低くなった麗樹が、私を残して蒼牙様のほうへのしのしと歩いていく。
置いて行かれた私は、わけがわからずぽかんとしてしまって。はっと我に返った時にはもう、廊下の真ん中で蒼牙様と麗樹が対峙していた。
ふたりの会話が兎耳に聞こえてくる。
「麗樹。俺の妻に何をしていた」
「別に。少し雑談していただけですわ」
「雑談? 父上に報告すると脅していただろう?」
おそるべし狼人族の聴力。大きな声で話していたわけじゃないのに、執務室の中からでも聞こえていたらしい。
「俺の妻に随分と無礼な物言いをしたものだ。二度と口がきけぬよう罰すべきか」
「さっきから俺の妻、俺の妻って。まだあなたのものじゃないでしょう?」
「なっ……それは……」
毅然と対応なさっていた蒼牙様が急に弱々しくなったのを見て、ようやっと私は駆けだした。初夜の務めを果たせなかったのは本当のことなので、いくら蒼牙様でも反論のしようがないのだ。
ビュンと走った勢いそのままに、私はふたりの間に割り込んだ。




