14.道草は程々に
私の質問に、英賢が首を勢いよく縦に振った。
「そうですそうです!」
「やっぱり! でも、どうしてそんなことに……」
「あー……王族って、何考えてるか分からないように練習するじゃないですか」
「表情管理のお稽古ね」
「それです。百爪様の跡継ぎなんで、キリッとしてないとでしょう? ああいう顔すると尻尾が真っ直ぐになるらしくて、昼間はずーっとあの顔なんですよ」
「なるほど……」
昨日の夜、蒼牙様が教えてくれようとしていたお話の続きが意外なところで分かった。人前で狼人族らしいお姿を保とうとすると、表情が険しくなってしまう。それを続けているうちに、周りの人たちが「氷の狼王子」と呼ぶようになったのでしょう。
「大変だわ。常に気を張っていないといけないなんて」
「そうなんですよ。まあ俺しか居ない時は普通に尻尾ぱたぱたしてますけどね」
「えっ……それなら私の前でも楽にしてくださればいいのに」
「俺もそう言ったんですけどね? あいつ、尻尾ひとつ思い通りにできないなんて知られたら幻滅されるって、ラビーシャ様の前でもずーっと怖い顔続けちゃって」
「その程度でがっかりなんてしないわ。一体何年お慕いしていると思っておられるのかしら」
「ですよねー! ラビーシャ様、蒼牙様のこと大好きですもんね!」
「うふふ……」
英賢にからかわれて、少し恥ずかしい。でもおかげですっかり元気になった。元は領民のために結ばれた婚約だったけれど、こんなにお慕いできるお相手と結婚できたのだから本当に幸運なことだ。
「色々教えてくれてありがとう英賢。私、蒼牙様にも好きになっていただけるよう努力するわ」
冷たいお顔をなさっている理由も分かったから、以前のような不安もない。
今は私が一方的にお慕いしているだけだけれど、今日からまた、蒼牙様のために頑張ろう。それでもし、私のことを好きになってもらえたら。私の前でもそのままの蒼牙様で過ごしていただけるかもしれない。
そんな日が来るまで頑張るのだと思いつつ立ち上がったら、なぜか英賢の尻尾が固まっている。
「英賢? どうかした?」
「どうもこうも、蒼牙様に好きになってもらえるようにってどういうことです?」
「えーっと……そのままの意味よ? 私と結婚するのが嫌であんなお顔をしてるのかと思ってたけど、そうじゃないならまだまだ頑張れるわ。だから今日からまた……」
私の説明を聞くうちに、英賢の尻尾がどんどん垂れさがっていく。
「あー……かわいそうな蒼牙様。いや、ずっとあの顔じゃ仕方ないか……」
「えっ? 何?」
「昨日、儀式の前に蒼牙様が言ったじゃないですか。『お前以外と結婚するつもりは一切ない』って。俺、ちゃんと言えてえらいなーって感動したんですけど」
「……あっ」
英賢に言われて、そういえばそんなこともあったなと思い出す。
その時の私は、「お前との婚約を破棄する」とか「やっぱり麗樹と結婚する」なんて言われるのではないかと身構えていたから、真逆のことを言われてぽかんとしてしまって。蒼牙様がいつにもまして嫌そうなお顔だったのも手伝い、意味がわからないまま宴会場に入ったのだ。
しかし今なら分かる。あれは人前で尻尾がぱたぱたしないように耐えていたからああいうお顔だっただけで。言葉通りに受け取るなら、私が相手でなければ結婚しないと、面と向かって言ってもらえたということだ。
そう認識した途端、火がついたように顔が熱くなる。
「おっ? 分かってもらえたみたいですね」
「う、うん……」
「儀式の時もすごかったですよね。『お前の席はここだ』って、ひと時も離れたくないほど愛してるのかいっていうね! ははっ!」
「えっ……あれってそういう意味だったの?」
「嘘でしょ? 百爪様もからかってたじゃないですか」
「だっ、だってその時は知らなかったから。やっぱり私と結婚するのが嫌なのかなって……」
「嫌だったら儀式止めてますって。狼人族、一生に一度しか結婚できないんで」
「……そうよね」
ずばりとした指摘に、兎耳がぺしゃんと垂れる。あんな険しいお顔をされて、まさかそんな意味だったとは。てっきり、皆の前で暴れないように私を抱えているんだと思っていた。
「なんだなんだー! 鈍い同士お似合いじゃないですかー!」
「あんまりからかわないで!」
「おー怖い怖い。ちなみにラビーシャ様は、蒼牙様にちゃんと好きって言ったことあるんですか?」
「えっ? えーっと……」
「あいつ昨日、酒飲みながらずーっと落ち込んでましたよ。『俺の妻に嫌われてたらどうしよぅ……離縁されるかもしれなぃ……』って。まあ絶対ありえないから大丈夫だって励ましときましたけどね」
酔っている蒼牙様の真似がとても上手い。いやそんなことより、蒼牙様は私の気持ちをよくご存じだと勝手に思い込んでいた。
尻尾をぱたぱたしているところを見たくらいで嫌いになるわけがないのに。しかし全然分かっていただけていないということは、私って蒼牙様に好きだとお伝えしたことがなかったのかしら。
そうして思い返してみれば、思い当たったのはつい昨日のこと。足をダンダンさせながら、お慕いしていると言った記憶しか出てこない。あれが初めての告白だったのなら最悪だ。というか、怒りで我を忘れてうっかり言ってしまっただけで告白の体を成していない。
「その場で、返せばよかったわ。私も蒼牙様以外の人と結婚する気はないって……」
「あー……そう言われてたら尻尾がちぎれるくらい喜んでたでしょうね」
ちぎれたら困るけれど、やはりその場ですぐに言うべきだった。
長年に渡って婚約しているのに、慕っているとまともに言われたことがない。自分のことをどう思っているか分からない相手の前で、どうして気楽に過ごせようかという話だ。
その上、冷たい顔ばかりで嫌になるなんて言って、おめでたい日に落ち込ませてしまった。蒼牙様がお酒を飲みすぎたのも全部自分のせいだと分かり、兎耳が完全に力を失っている。
「駄目だわ……私もう、蒼牙様に嫌われて……」
「ははっ! 絶対ありえないんで大丈夫ですって!」
じめじめした雰囲気を笑い飛ばしながら、英賢がすくっと立ち上がった。
「じゃあ参りましょうか! ラビーシャ様から好きだって言われたら、蒼牙様も一瞬で立ち直りますよ」
「まっ、待って。まだ心の準備が……」
「あー蒼牙様、かわいそうだなー。今頃執務室で泣いてるかもしれないなー?」
「本当にちょっとだけ。落ち着いたら、すぐに行くから……!」
「わかりました! 俺、先に戻ってラビーシャ様がもうすぐ来るって言っとくんで。蒼牙様がキリンになる前にいらしてくださいねー!」
陽気に言い残して、宮の中へと走っていく英賢。何度か深呼吸した後で私も英賢を追いかけたけれど、今から蒼牙様に告白するのだと思うとなかなか足が前に進んでくれない。
執務室に向う途中にある中庭で、ついつい道草を食う。
とことこ。むしゃむしゃ。むしゃむしゃ。
あっ、だめだめ。いくら手入れの行き届いたお庭だからって、生えている草をむしゃむしゃ食べては危ない。
一体どれだけ焦っているのか、自分でも呆れてしまう。長年に渡って蒼牙様のお気持ちに気づかず、ひとりで勝手に落ち込んでいたなんて。
いや、落ち込むだけならまだよかった。足をダンダン踏み鳴らして、「他の人と結婚したらどうですか」なんて。蒼牙様からすれば「こいつは何を言ってるんだ?」という話なのに、きっぱりと否定してくださったのだ。私以外の誰かと結婚するつもりはないと。
――私からも、ちゃんと気持ちをお伝えするべきだわ。
酔ってもなお、気にしておられた。俺のことが嫌になってしまったかと。別に蒼牙様は、好きで冷たい顔をしていたわけではないのに。本来の蒼牙様は、にこにこ且つぱたぱたなさるお方なのに……
こんなところで恥ずかしがっている場合ではない。英賢はおどけていたけれど、本当に執務室で泣いておられる可能性がある。お酒のせいで、蒼牙様は昨晩のことをまったく覚えておられないご様子だったから。
もう一度、蒼牙様に言えばいいのだ。昨日は心にもないことを口にしてしまった。他の誰かと結婚すればいいなんて思ったことがないし、私が蒼牙様のことを嫌になるなんてあり得ないのだと。
ようやく覚悟が決まって中庭を出ようとした瞬間。
私の兎耳に覚えのある足音が聞こえてきた。
こんな時に一番出くわしたくない相手。だけどこちらのほうに近づいてくる。
とっさに中庭の植木に隠れたけれど、向こうは私以上に耳も鼻も利く。迷いのない足音が中庭に入ってきて、植木の葉っぱががさごそと鳴った。
「……あらラビーシャ様。翠家の麗樹がご挨拶申し上げますわ」




