10.狼王子と無礼な護衛
ラビーシャに着付けを直すよう言って、俺は廊下に出た。
部屋に入る前に、あらかじめ尻尾を握りしめておいてよかった。
――俺を怖がっていたのではなかった、のか……?
聞き間違いでなければ、ラビーシャは俺のことを慕っているらしい。狼人族からの支援を受けるために、仕方なく俺との婚約を続けているのではないかと思っていた。
しっかりと握っているのにぱたぱた動こうとする俺の尻尾を見てか、英賢がにやにやしながら話しかけてきた。
「おやおやー? 何か良いことがあったようですなぁ?」
いつもならうるさいと一蹴するところだが、今はそれどころではない。
尻尾を握りしめたまま、とりあえず先程あったことを報告する。
「ラビーシャが……俺を慕っていると言っていた」
「ほらほらー! 前に言っただろ? ラビーシャ様はお前のことが大好きだって。いやーめでたいなー」
「しかし怒っていた」
「……え? ちょっと意味がわかんないけど」
いや、俺もよく分からない。
急に地団太を踏みながら怒りだしたと思ったら、俺のことを慕っていると言うので、どういうことなのか理解が追いついていないのだ。
「英賢。お前は誰かの装いを褒めて怒らせたことはあるか?」
「は? いや、無いけど。ラビーシャ様に怒られたのか?」
「ああ。誰にも見せられないと言ったんだが」
「……あー! はいはい。そういうことね!」
当事者である俺がまだ戸惑っているのに、英賢は早くも納得した様子だ。
「蒼牙様は本当に言葉が足りないなー。多分だけどラビーシャ様、誰にも見せられないって聞いて勘違いしてるぞ? 人前に出すのが恥ずかしいって意味じゃないかって」
「なっ!?」
驚きはしたが、英賢の推理が当たっているかもしれない。ラビーシャが俺の言葉をそう捉えたのであれば、他の者と結婚してはどうかと言われたのにも納得がいく。
しかし俺は決して、悪い意味で言ったのではない。
普段から可愛い俺の妻が、着飾ればさらに可愛くなるのは自明の理。部屋の外に出たが最後、可愛すぎて何者かにさらわれる危険性が大いにあると思えば、このまま部屋に閉じ込めておいたほうが心配ない。そう思ったからこそ、「誰にも見せられない」と言ったのであって……
「……英賢。誤解されないためには、なんと言えばよかった?」
「お? 蒼牙様もやっと乙女心を学ぶ気になったか。成長したなぁ……」
「しみじみしている場合か。早く教えろ」
「へいへい。じゃあ見ててくださいよ。俺ならこうするっていう例ね」
英賢は廊下に飾ってあった白い花瓶をラビーシャに見立て、陽気に喋り始めた。
「うわー! ラビーシャ様、その衣装すごく似合ってますよー! これは部屋から出た途端、可愛すぎて誘拐されちゃうかもしれませんね! あーそう思うと心配になってきた。誰にも見せないでおきたいですけど、儀式なんで仕方ありませんね……今日は俺の隣から離れちゃ駄目ですよ!」
英賢の実演を見て思った。俺の考えと恐ろしいほど一致している。
こいつは他人の心を読めるのか?
「まあこんなところだ。同じことを言うにしても、これならラビーシャ様もぴょんぴょん跳ねて大喜び――」
「ふざけるのも大概にしろ。そんな恥ずかしいことを面と向かって言えると思うか?」
「お前が思ってることをそのまま口に出すだけだろ? 簡単簡単」
それが出来たら苦労していない。自分の思っているままに伝えようものなら、暴れる尻尾を抑えつけるあまりいつも以上に険しい顔になって、またラビーシャを怖がらせてしまうだけだ。
他に何か、もう少し恥ずかしくない言い方を考えようと思ったが時間切れだ。ラビーシャの足音が扉のほうに向かっているのが聞こえる
「……蒼牙様。お待たせいたしました」
部屋から出てきたラビーシャは、まだ少し恥ずかしそうにしている。
気まずい。しかし恥ずかしそうにしているせいか、いつにも増して可愛い。
お互いに黙ったまま立ち尽くしていると、英賢が気を利かせて間に入ってきた。
「うわー! ラビーシャ様、その衣装すごく似合ってますよー!」
「そ、そう? ありがとう……!」
英賢に弾けるような笑顔を向けるラビーシャ。
似合うと言うだけでこんなに喜んでもらえるなら、俺も言えばよかった。
俺が恨めしそうな目を向けると、英賢が妙ににやにやしている。
「さあ蒼牙様。ラビーシャ様と手でも繋いだらどうですか?」
「なんだと?」
「我々も気合を入れて護衛しますけどね。ラビーシャ様が可愛いからって、さらおうとする奴がいるかもしれませんから。心配でしょう?」
「……そうだな。ラビーシャ、手を」
「は、はい!」
差し出されたラビーシャの手を握って気づいた。
この期に及んで、手を繋いだことが一度もなかったのだと。
「いやー! これで安心ですね蒼牙様!」
「あ、ああ。そうだな」
「それでは宴会場へ参りましょう!」
護衛が整列し、英賢が先頭に。
後ろにも護衛を従えて、ラビーシャと廊下を歩く。
手の大きさが俺の半分ほどしかない。
そして骨が入っているのか不安になるほど指が細い。
俺の前を歩きながら、英賢がちらちらと振り返ってくるのが鬱陶しい。
しかし許す。これまで英賢にはたらかれた数多の無礼を全て許そうと思いながら、宴会場に向かった。




