地歴科の教師たち
この私立高校は自由な校風で知られている。学びたいものを深く学べと言う。
往々にしてそれはこちらの希望とは違って、教えたいものを深く教えるという教師側の恣意的な意向にすり替えられる事もあった。
だが、学びたいことが分からない者にとっては、それは別にそうであっても何の不都合も無かった。
山岸Tは約30分でその日のノルマを終えると、ミニ講義と称し、生徒達のリクエストから幾つかチョイスして、ちょっと詳しく話をしてくれる。それは中々人気だった。
校庭の芝生で弁当を食べながら友達と話をした。
僕の弁当は山岸Tが言ったように鮭とのり弁だった。海苔の下には明太子ご飯である。これもアフラマズダとアーリマンの戦いの結果である。そして僕達の。どちらが優勢かと言うと、多分アフラマズダだろう。何故なら唐揚げも入っていたから。
友人Aがお握りを食べながら言った。
「どうかしているよな。世界史。やたらマニアックで」
「本当にな。誰だよ。カバラ数秘術・・・。でもな。日本史組よりかマシだぞ。あいつ等、ようやく平安時代に入ったらしい」
「えっ?9月なのに?」
「白鳳とか奈良時代の税率計算、あの「租庸調」ってやつ?田圃一段に対して二束二把。こんな家族構成でこれだけの耕地面積だと、どれ位の租が徴収されるかとか、そんな計算を延々とやっているらしい。布はそれ位とか、庸は何日とか。雑徭は何日とか」
「そんな奈良時代の税制に詳しくなってどうすんの?一体、それ何の役に立つの?」
「さあ・・・?」
「地理組も酷いらしい」
友人Bが言った。
「相変わらず地獄のしりとりゲームで授業が始まるらしい」
「地名しりとりか・・」
「索引は使用禁止だって」
「すげえな」
「タブレットもスマホも使用禁止なんだ」
「三回パスすると罰レポートがあるらしい」
「らしいな・・」
「みんな血眼で地図帳を見ている。地理を選択すると誰もが地図帳を買わされる」
「地理の吉田Tは『地図帳を絶滅から救う会』の副会長らしい」
「出版業界の回し者か?」
「さあ?」
「4人グループでグループ対抗だって。コミュニケーション能力を養うために。前回はチャドの『ンジャメナ』で紛糾したと言っていた」
「ああ。あれね」
「『ンジャメナ』か『ヌジャメナ』か」
「クソどうでもいい」
「しかし『失楽園』、リクエストが多かったって、山岸Tが言っていたな」
「木村がみんなに言い触らしたんだ。みんなエロい方を期待したんだろうな」
友人Aはそう言った。
「何で木村はそんなの知っているんだ?」
「さあ?」
僕は帰り道を歩きながら思った。
今朝、通って来た道に犬の糞が、・・多分犬の糞、人では無いと思うが・・。
それを誰かが踏んで、犬の糞にまみれた足跡が付いていた。
踏んだ人はとても気の毒だと思った。
帰り道でそれは綺麗に掃除されていた。
戦争とか原爆などと言う最大規模の悪で無くても小さな悪はあちらこちらに散らばっている。
いや、『悪』と言うよりも、ちょっとした「怠慢」や「狡さ」。
それこそ風に煽られ飛び散る落ち葉の様に。そしてまた小さな善も同様に。
そんな事を考えながら歩いていたら、道脇のお稲荷さんまでやって来た。
僕は立ち止まってお稲荷さんを眺めた。
実は山岸Tは僕の家の近くに住んでいる。
だから山岸Tが毎朝お参りする「お稲荷さん」はこれの事だと僕は知っている。
僕は鳥居に寄ってちょっと頭を下げてみた。
と、その時、誰かに肩をぽんと叩かれた。
振り返ってみると山岸Tがにこにこと笑いながらそこにいた。