第1話 悪魔の目覚めは仄暗く
淡い闇。
『またか……』
覚醒し始める意識が無意識に始まりの言葉を紡ぎ出す。何度目かもわからない。繰り返される夢。虚栄と浅はかさ、利己の呪いをかけられた最上位種の生物である悪魔。そんな悪魔として、無情な世界での1日が否が応にもまた始まるのかと眼球に瞼の重みを感じさせる。
まだ暗い部屋の中。夢の中での目覚め。ベッドの脇に無造作に腕を伸ばし、いつもの場所にあるだろう硬質な感触を指先で探る。やはりあった。ケーブルの繋がったままのそれを手に取り、眠気まなこで視線を送る。
5時52分。
アラームが鳴る8分前。安堵と共に始まりへの倦怠感に1つ深く息をつく。気怠い身体に重い眼で起き上がり、祝福などない人造光を灯す。
埃が舞い散らかった空間がありありと照らされる。食べ終わった弁当の空箱。飲み終わったペットボトル。隅に置かれた段ボール。室内に干されたくたびれた衣服。
悪魔が巣食うに相応しい荒んだ居城。この世界の縮図。纏まりつく粘り気のある瘴気で呼吸する生き苦しさ。悪魔がいるからこんな世界なのか、世界が悪魔を産むのか、どちらにしても儚いことだ。
小さめの白い冷蔵庫で冷やされた烏龍茶で喉を潤し、シャワーで目も体も覚醒させる。髪を整え、ハンガーにかかったシャツに袖を通して一通りの支度を済ませる。いつもの夢の朝のルーティーン。
悪魔は身だしなみを重視する。せめて見た目だけは清廉さを装おうとするのは滑稽なことだ。
朝の準備を済ませ、水槽にいる2匹の紅白模様の金魚に餌を与えると大急ぎで顔を出し貪る。愛嬌がある分、悪魔たちよりマシだろう。冷蔵庫にあったサンドウィッチを取り出すと紺色のまだ購入して間もない座椅子に腰を下ろす。4つ脚の低いテーブルの先にある液晶テレビをつけると、悪魔の世界の知らせが流れ出す。
【○○○では、尚も戦闘行為が続いており病院や学校などの民間施設にも被害が出ております。△△政府は……】
悪魔たちは悪魔同士で殺し合う。同種で争うのは他の動物でも見られる習性だ。ライオンや猿は、群れの長になるため雄同士で争う。自然の摂理なのに、悪魔たちは争いを悪と騒ぐ。
家族を守るために放った弾丸で敵を殺すのは悪だろうか?
己の愛した土地や仲間を思い、より豊かにし笑顔を増やしたいと願って他を支配することは悪だろうか?
心に唯一ある絶対的なものを信じ、そのために命を賭して戦うことは悪だろうか?
戦争という舞台が悪なのではない。悪魔が戦争を起こすことで、性である残虐性や倫理観の崩壊を開放してしまうのではないだろうか。
悪魔が他の生物と違うのは、関係ないところでその争いに意を唱え、平和だ命だと騒ぐところである。
平和が大事と叫ぶなら、平和を保つべく尽力をしたのだろうか。
命が大事と訴えるなら、あなたの愛する者を殺した相手の死刑を反対することができるのだろうか。
平和や命を歌いながら、他の生物を食すために育て、殺し、加工する。机に置かれたサンドウィッチを食べながら自分も悪魔であることを自覚せざる負えない。
【虚偽の政治資金収支報告書を作成した疑いの○○党△△議員は、昨日も体調不良で国会を欠席しており……】
悪魔たちの民主主義。衆愚政治。愚かな者たちの代表は、やはり愚かな者なのだろう。選ぶ者が選んだ者を批判する。なぜ、おかしいと思わないのだろうか。吐き出した唾がかかるのは自分自身であるということに。むしろ、その矛盾で戯れるのが悪魔の習性なのだろうか?
ハムやタマゴが挟まれたサンドウィッチを味も気にせず食べ終え、流れてくる悪魔の所業・習性を慮る。一つ、ため息を洩らす。やはり、これはいつもの夢と同じ世界であると。
流れ続けるニュースは重い話題を淡々と伝えて矢継ぎ早に終える。
同じ国の出身者が活躍したスポーツ、主演した作品の宣伝のために関係ない話題で騒いでいる芸能、一口だけ食べ「おいし〜♪」と作り笑い感が否めないグルメ、専門家でもない着飾った女性が原稿を小器用に読む天気予報、最後に根拠も実績もない星座占い。
そして、ポップなメロディーが流れ出し同じことを繰り返そうと、番組のスタッフが「おはようございます」と笑顔で言い放つと同時にTVの電源を切る。
窓からカーテン越しに差し込む陽光のコントラストのように、意識が黒味がかる。傍観者として映像で観ているだけの世界に、これからまた自分も悪魔として踏み出さなければならない。
サンドウィッチの空袋を、いっぱいになったゴミ箱に押し込み、心と共に立ち上がる。
もう時間だ。紺の背広に袖を通し、リュックを背負う。何処ぞの生き物の皮で作られた靴を履く。壁にかかった鏡には、醜い悪魔が映る。清廉さを着飾り、悪魔の1人としてガチャリと開かれた居城の扉から今回の夢でも旅立つ。