化粧(2024年2月②)
サクッとゆるっと、もう1つ投稿します
化粧は面倒臭い。急いで支度する時に真っ先に優先順位から外す。嫌いじゃないがマメではない。化粧しないと外に出れないという感覚も私にはあまりない。
しかし、2023年猛暑。私の化粧の概念が変わった。
朝、洗面所で顔を洗い、スキンケアをして、化粧下地を塗る。すると、洗ったばかりの顔の表面に汗が噴き出し、下地と汗が混ざったおぞましいナニカを顔に擦り付けている自分がいることに気付いた。
「これは嫌だ。皮脂と汗に強い崩れ防止下地を買おう」
そこで私はちょっと高いが崩れにくいことで有名な化粧下地を購入した。ここではPと呼ぶ。
翌朝、Pを顔に塗ってみた。するとビシィと顔に膜が張ったような気がした。皮膚がファンデーションを塗る前のキャンバスと化した。
「これがファンデーションを塗るということ……」
初めて化粧した顔を見た気がした。化粧品売り場やホテル等の受付にいる女性のような肌をした私がいた。
今までは化粧してるつもりでも、傍から見れば化粧っ気の無い人だったのだ。
私が化粧をしっかりしなかった背景に、ファッション雑誌等で見かけるメイク方法があった。
「抜け感」「これをするとやり過ぎ感が出る」「ナチュラル仕上げ」と書かれている。
私はこれを都合良く解釈して、化粧もどきをしていたのだ。
そもそもファッション雑誌に登場する「抜け感たっぷりの薄付きナチュラルメイク」というのは、モデルさんのように顔のパーツが整い、素顔が華やかな人に向けてのものだ。元からはっきりした顔の人が、化粧で飾れば、厚塗り・強そう・派手過ぎという印象を持たれるのは当然だ。だから、やり過ぎない方法を紹介してるのだ。
一方私は、パーツどれも残念な地味のっぺりジャガイモ顔だ。それに抜け感というマイナス要素を加えても、今よりプラスになるはずが無い。
私が抜け感を出そうとしても、それは手抜きであり、仕上がるのは間抜け顔だ。
今も私は地味のっぺりジャガイモ顔であることは変わりないが、身だしなみとして化粧をしてる人には見えるくらいにはなったと思う。無理はしたくないので、マスク顔隠しも取り入れつつ、今後も化粧していきたい。
最後に。私は勤め先の兼合いで、化粧=身だしなみと表現した。しかし「女性の化粧は身だしなみとして必須」という考えはない。あくまで自分が化粧とどう向き合うかを書いただけである。
お読みくださりありがとうございます。
次回更新頑張ります。
どこまで続けられるかは、母なる海だけが知っている。