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ヤンデレ先輩の監禁フラグを天然で回避する後輩が監禁されるまで

作者: 南豆木

 西日のさす校舎裏に2人の男女が向かい合わせでいた。蒸した空気に半袖の白シャツから伸びる腕は汗ばみ。薄汚れたコンクリートの壁も熱気がこもっていて、影の内にいても大した冷やは取れていないのが目にとれる。

 好き好んで外にいるのは声を張り上げ部活動に勤しむ生徒達ぐらいだろう。いや、もしかしたらその部活生さえ望んで校庭にいる訳ではないかもしれない。

 何故こんな所を指定したのか。女子は首をめいいっぱい上に向けて、己を呼び出した男子を見やる。


「あの男、お前のなんなんだ」


 感情の読めない平坦な声色。彼女を見下ろし問い詰める男子は、されど瞳は抑えきれない怒りに満ちていた。

 問われた彼女は怒気に気づいていないのかキョトンとして聞き返す。


「誰のことですか⁇」


「昼休みに一緒に居た奴。随分と仲が良さそうだったな」


 言ってる最中にその時の光景を思い出したのか表情を歪ませる男子に、彼女は「ああ彼ですか」と納得の相槌が打つ。


 次に彼女の口からどんな言葉が出るのか。返答次第では、彼女を呼び出した男子はポケットに忍ばせているスタンガンを使用するつもりでいた。

 そっとポケットに手を伸ばす男子の挙動を知らない彼女の小さな口が開く。


「友達ですよ」


 男子は一瞬目を見開き、次いで眉根を寄せた。ポケットの中にあるスタンガンが、布越しに握る手の圧力で軋む。


「俺にはとてもそうは見えなかった」


「先輩はスキンシップが苦手なようですので、その様に見えたのでは」


 鳥の囀り、そんなものでは足りない。天使の歌声、でも及ばない。自身へ語りかける高く澄んだ声。甘いトーン。いつもなら永遠に聴いていたい脳が痺れる彼女の声。

 しかし「先輩」と彼女が口にした呼称に男子は唇を引き結ぶ。


 彼と彼女の関係は先輩と後輩。それ以下でも以上でもないのだ。

 学校生活を共に過ごせる休み時間は彼にとって、かけがえのない至福である。


 その幸せを乱す不届き者が現れた。

 変化は昼休み。いつもならチャイムが鳴ると同時に彼女のクラスに行く彼を、進路指導の教師が足止めしたのだ。適当にあしらえば引く教師が、今日に限ってしつこかった為に彼はクラスに着くのが遅れてしまう。


「彼女との時間が3分も減ってしまった」と

急いで彼女の元へ行った彼の視界に映ったのは。彼が常々考えていた計画を実行させようとするのに十分な光景だった。


 彼女の華奢な肩へ無遠慮に腕を回す男子生徒。満更でもなさげに笑う彼女。


(監禁しよう)


 2人分の、彼女に作った弁当を持っていなかったら。彼女がそばにいなかったら。件の男子生徒を殴りつけていただろう。彼は、そうして殴りつけた拳で彼女の手を掴み走り出していた自分の姿を思い描く。


(悪くない)


 幸いドアの前で立ち尽くす彼に直ぐ気づいた彼女の笑顔と腹の音で我にかえり。放課後までの間に幾らか冷静になれる時間があったおかげで、彼はまだ犯罪者にはならずに済んでいる。


「あの、先輩」


 純粋無垢に自分を見る彼女の、なんと可愛らしいことか。こんなに愛らしい生き物に虫が集らない筈がなかった。

 彼は油断していた自分を自覚してよりスタンガンを握る手に力を込める。


 彼女は一般基準に当てはめると、普通の少女だ。カラーコンタクトでやたら目を大きく見せる女性がいる事から、目が大きいのが美人に当たる世間ではむしろ糸目な彼女は劣っている。

 髪も特別手入れはしていない、どころか寝癖をつけたまま登校する女子力の低さ。

 彼女は女性として男子の眼中になかったのはリサーチ済み。


 だが、いつどこで彼女の魅力に気づく輩が出るとも知れない。逆に彼女が誰かに恋する可能性だってある。

 彼女に見合う男は自分だけだと自負する一方で募る不安。しかし、無自覚に段々といつしか薄れていた。


「彼女の魅力を知っているのは自分だけ」と優越感さえ抱いていたのが仇になったのだ。


(ああ、やはり保護しなくては。だが俺の独断でいいのか。彼女はどんな顔をする。もしヤッてしまえば、笑顔を見れなくなるのは、間違いない)


 悶々と苦悩に苛まれる彼をよそに、彼女は体をスタンガンを持つ手とは逆方向に傾けて告げる。


「先輩すみません。私喉乾いちゃって。話しは帰りながらにしましょう」


 それる視線、離れる姿。咄嗟に伸ばした腕が空気を切り、振動する。


「……あ」


 壁に勢いよくついた手が、彼女の行手を阻む。所謂『壁ドン』になった状態に、彼はハッとなり腕を引っ込めようとして、停止した。

 彼女が自分の腕の中にいる。自分が彼女を囲う、得も言われぬ快感が彼の脳を麻痺させる。

 開いてるのかわからぬ糸目を下げて困惑する表情も今の彼には可愛いくて堪らない。


(そういえば、俺は彼女の目が開いている、違うな。瞳を見たことがないな)


 このまま本当に閉じ込めたら、彼女の瞳を知るのは自分だけ。彼女の瞳が映すのも自分のみ。想像をして身を震わす。まるで彼女が自分だけのものになった錯覚に酔いしれる。

 反対に逃げようとする彼女をもう片方の手も壁に叩きつけて閉じ込める。両手で壁ドンをすれば、さらに心地よい気持ちが脳から全身に広がった。


 理性のタガは外れ、狂気に染まる瞳は彼女との距離を縮め──


「よいしょ」


 彼女が消えた。否、しゃがんで腕を潜ったのだ。小柄な体を活かした軽やかな動きは止める間もなく、包囲を揚々と掻い潜った。呆気に取られ数秒、事態を把握した彼は即座にコンパスの差で追いつき再び壁ドンをした。


 彼女も再びしゃがんで潜ろうとする。が、今度は彼も膝を曲げる。

 立ち上がる彼女、合わせる彼、屈む立ち上がるの繰り返しは3度行われ。彼女がまたしゃがむのに業を煮やした彼が何か言おうとした刹那に、素早く立ち上がった彼女は──


「どっこいしょ」


 彼の腕を跨いでいた。目の前にある白く細い足が、触れるか触れないかの擦れ擦れで動く。青春男子には刺激の強い光景に生唾を飲み釘付けになっていた彼は、軽く首を振り引き止めるべく立ち上がろうとして察する。今腕を上げたら、どうなるかを。

 学校にいるのだから当然制服で、つまり彼女の今の装いはスカート。仮にパンツだとしても女性の股の間に腕を挟むなど出来ようもなく。それ以前に彼女が腕に躓いてしまう危険性が彼の動きを鈍らせた。


「あ、待て、おい」


 こうなったら後に引けない彼は使命感にも似た衝動のまま、足で壁ドンをした。

 勿論、彼女はひょいと潜る。足では不利だと彼はまた手で壁ドン。2人向かい合わせに屈伸の運動をしては隙を見て彼女が跨ぐ。


 壁に響く音が止んだのは、ドンする壁が途絶えた時だ。2人して額から球の汗を流して肩で息をする。


「なんなんですか。そんなに急を要する、話しだったら早く言って下さいよ」


 暑さに湯だった頭はそれでも彼女の声だけはしっかり拾う。体を動かしたからか。汗を拭った彼は妙にスッキリした心地で応えた。


「……なんだったかな」


「なんですかそれ」


「すまない、忘れた」


「帰り飲み物奢って下さい」


「ああ」


 息が整ったところで2人は並んで校舎へ歩き出す。ふと、彼女に視線をやった彼はギョッとして顔を背けた。次いで落ち着きなく周囲に誰もいないかを確認する。


「今度はなんですか」


 呆れた表情をしつつも言葉の裏に仕方ないなと優しさを含む聖母の声が、殊更彼の喉をつっかえさせる。

 部活動もいつの間にか終わっていて、人の気配がないのを確認した彼は咳払い一つして言う。


「その、だな。うむ。今日、君は体育着を持っているか」


「はぁ、持ってますけどそれがな……に、か」


 中途半端に言葉を切った彼女が、もしやと視線を下ろす。首より下、正確には汗で透けたシャツを見て、長い長い息を吐く。


「アイスもつけて下さい」


「了承した」


 うつむく彼の耳を小さな微笑がくすぐった。

 クルリと半回転して彼の前に立った彼女の顔が、夕日の逆光で隠れる。それでも弾んだ声は彼女の表情を伺わせた。

 

「先輩ってほんっと可愛いですよね」


「嬉しくない」


 彼はまともに彼女を見れない自分が情けなく思う。きっと今の彼女はとびきり可愛い表情をしているに違いないから。

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