彼の事情1
アシュレイ視点(一人称)が始まります。
遅くなりましたが、新章(多分短い)です~。
ヴィオレッタに出会うまでの幼い頃の僕は、猜疑心の塊で、何もかもを信じられない人間だった。
僕はウィステリア王国の第一王子であるのに何の才能もなく、後ろ指を指されながら育ってきた。でもそれは僕よりも僕の二人の弟たちの方が優秀だったのもあるかもしれない。
最初は勉強するのも、外で体を動かすことそれなりにも好きだった。けれど一つ年下の僕の可愛い双子の弟たち、ヴァイスとシュヴァルツ。その二人が僕と同じように学び始めると、段々とヴァイスは勉学で、シュヴァルツは剣術・体術で僕を上回るようになる。
最初は弟たちを褒めた……彼らが頑張っているのは知っていたから。でも段々と他の大人の貴族たちが陰である事を言うようになってくる。
“あの子は第一王子なのに勉学も剣術も弟たちに劣る無能”
“第一王子なのに何の才能もない”
“役立たずの第一王子”
”弟のどちらかに立場を譲ればいいのに”
貴族たちは本人に聞こえないように言っているつもりでも、案外陰口というものは本人の耳に入ってくるものだ。
けれどそいつらは僕に直接会うとそんな顔は一切見せずに媚びへつらう。その二面性に反吐が出る。
最初は気にしないようにしていたが、同じような事を聞き続けると段々と自信も無くなってくるものだ。
僕はいつからか周りが全て敵にしか見えなくなっていた。そうしてその猜疑心は、まるで強迫観念のように日に日に強くなり、僕の中に深い爪痕を残していた――――それはまるで“呪い”の様に僕に侵食していく。
日々その“呪い”に蝕まれ、その時の僕は気が狂いそうなほどの苦痛の中で生きていた。
全員が敵だと思うと、城の中になど安らげる場所などない。産まれ育ってきたこの場所……本来なら安息の地である筈のこの場所が今では全く別の知りもしないどこかの別の空間のように感じる。
しかしそんな苦痛の中でも、国の頂点である両親を頼りたいとは思わなかった。僕は第一王子で、二人にも弟たちにも期待されていることを知っていたからだ。最初は期待されるのが嬉しかった。けれどいつの日からかそれは僕の心に纏わりつく重い鎖となって、自由を奪う。
あの朗らかで、優しい二人の事だ。僕が助けを求めたら出来る限り僕を助けてくれるだろう。僕の両親はそういう人だ。
けれど、“僕はこの国の第一王子だ”そのギリギリのところで残っていたちっぽけな誇りが、彼らに相談するのを首の皮一枚のところで止めていた。
だからずっと独りで抱え込んで、抱え込んで……。
誰にも何も言えない自分が惨めで仕方がなかった。僕はもう疲弊しきっていたんだ。誰も肯定してくれない、否定しかないこの世界に。
そうしていつからか自分自身の感情すら制御できないようになり、気づいた時には弟たちにも冷たく当たってしまう自分がいた。
彼らにいつも通り兄として優しく接したいのに……その思いは空を切るばかりで弟たちに会う度に、汚い感情が抑えきれなくなる。
そんな浅ましい自分が嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで……本当に大嫌いだった。
日を経るにつれて、汚い想いが嵩を増していく。どうして王子になど生まれてしまったんだろう。その頃はもう、そればかりを自問していた。
けれどある日、ギリギリで表面上保っていた僕に限界が来る。その原因は、騎士団での貴族出身の先輩騎士からの陰口だった。
その日、かなり早めに練習場に着いた僕はいつも通り“今日の修練も嫌だな”そう思いながら、誰にも見つからないように端の方で修練が始まるのを待ち、大人しくしていた。だが、少し待つのに飽きて、ウトウトとし始めた頃だ……数人分の重い足音が訓練場に向かってくるのが分かった。そうしてソレはそのまま慣れた足つきで訓練場の中心より少しずれた所――――木人形がある辺りまで移動する。
僕がいるのは訓練場の端の方でも丁度逆方向に位置する大きな木に隠れた辺りなので、向こうからは確実に見えない。彼らは自分達しかいないと思っているのだろう。気分が高揚しているのか大声で話し始めた。
最初は聞き流そうと思っていたが、自然と心の中に湧き出ていた好奇心は耳をいつもより敏感にさせる。声からして彼らはシュヴァルツの取り巻きのやつらだ。だがシュヴァルツはその場にはいないようで、何度か聞いたことのある特徴的な地方訛りの入った野太い声が辺りに響く。
彼らは、“あんな無能な王子、今度訓練で事故にでも見せかけて、始末しちまおうぜ”と笑い交じりに発する。“それはちょっとやばいんじゃないか?”と一人止めた声にも“あんな邪魔な弱っちい王子、始末したら国王陛下やシュヴァルツ様もお喜びになるだろ”という嘲りを含んだ声にかき消された。
彼らの声のトーンからして本気で僕の暗殺を企てているわけではないであろうことは分かるが、こんなことを冗談でも堂々と言われれば僕の心も深く傷つく。発言に対する怒り、悲しみ、そして言い返しに行く勇気がない悔しさ、それらの感情がドクドクと黒く混ぜ合わさって、僕の足はいつの間にかある場所に向いていた。
***
森だ。僕がいつも心を落ち着けるために行く場所……森で最も大きい湖があるあの場所へ。独りになりたい時、いつも行くあの場所でなら僕は王子でもなんでもないただのアシュレイになれる気がする。
途中、何も言わずに修練をサボって、王宮を抜け出してきたことに罪悪感を感じた。
だが、どうせ僕がいなくなったところで心配する人間なんていないのだから、問題ない。そう自答すると足が軽くなった。初めて騎士団の練習をサボる……その時のその事実に僕はそれに少しの罪悪感と奇妙な背徳感を感じながらもそのまま歩を進めた。
どうせ城に戻らないといけない事は僕も分かっている。この行為は一時的な“逃げ”だ。けれど、僕は少しの間だけだったとしても“王子”という役割から解放されたかった。痛みと苦しみしかないこの役割から。
***
森の湖まで着く。誰もいないこの場所では僕は自由だ。だから、普段“王子らしくないから”と授業時間以外禁止されている僕の唯一得意なこと……ダンスをしていても自由なのだ。
大人たちはダンスなんていう特技よりも剣や王としての勉強をしろとばかりネチネチと言う。けれど、僕はダンスをしている時が一番楽しかった。一緒に踊るペアの相手がいないとしても、ある程度は想像の中ではそれもすべて自由だ。
そうしてダンスをしていると、それなりに近い場所から呟きにも近い声が聞こえた。
「綺麗……」
「え……?」
思わず中断して聞き返し、そちらに視線を向ける。
見たのは、さらさらと風になびく柔らかで触り心地のよさそうな紫銀の髪の毛に、キラキラと光を帯びて輝くように見える綺麗な金の瞳。その美しさはまるで絵本の中からこの国の神話の女神が抜け出てきたようだ……神秘的な容姿の少女がそこに立っていた。
今思えば、多分これは一目惚れだったのだろう。僕は声を掛けられた時は警戒を露わにしたが、その幻想的な姿を認めると一瞬で魅了され、すぐそんな下らない警戒心は解けてなくなっていた。
「え、ダンスすごく綺麗なのにやめちゃうの…!?残念」
少女は神秘的な雰囲気に似合わない子供っぽい口調で、本当に残念そうに言う。眉毛が顕著に下がって、女神と言うよりも、小動物の様でなんだか可愛い。
「……えっと、ごめんね。それにありがとう」
「??」
「ダンスが綺麗だなんて誉め言葉初めて言われたんだ……逆に女々しいとかって言われることのほうが多くて」
「……そうなの?その人たち見る目がないのね。あんなに綺麗なのに。私なんて見た瞬間貴方のダンス好きになっちゃった……すごく楽しそうで、温かい気持ちになるとても素敵なダンスだったわ」
少女の言葉に思わず涙が零れる。僕を……僕のダンスをこんな風に認めてくれる人がいるなんて……それだけですべてが報われた気すらした。
「え、涙……!?私、なにかまずいことを……!!?」
「いや、違うんだ。何かで誰かに認めてもらえた事がなかったから……嬉しくて」
今まで……特に最近は、否定ばかりされていた僕に少女は唯一優しい言葉を与えてくれた。単純だと言われてもいい。僕は少女の純粋な言葉がすごく嬉しくて仕方がなかったんだ。瞳は止めようとしても自分のものじゃないみたいに、涙が止まらない。
「よ、よく分からないけど……私は貴女のダンス好きよ!自信を持って」
「っありがとう」
その後も彼女は興奮した様子でどれだけ素晴らしかったか、というのを語りかけてくる。
好き。その言葉で僕は更に舞い上がってしまう。今まではどんな事をしても誰も認めてくれないことが悲しかった。僕は元々、勉強も剣術も中々上手くできない自覚はあったけど、学んでいるだけで楽しかった……嫌いじゃなかった。でもいつからか弟達と比べられ始めて、裏で劣っていると貶されるのが悲しくて悔しくて……恥ずかしくて。段々と嫌いになって、それ自体をするのが嫌になっていたのだ。
少女は本当に残念そうな顔から、少し怒った顔、笑顔――――コロコロと表情が変わる少女だった。
そんな少女からの言われ慣れていない賛辞に思わず顔全体が熱を持つ。涙を流して顔は真っ赤なんて、きっと酷い顔になっているだろう。人に褒められるというのはこんなにも心が温かくなる事なのだと初めて知った。泣き崩れてしまっていた僕は急に少女に僕の事を話したくなった。彼女の神秘的な雰囲気もそうさせたのかもしれない。でもきっと本当の理由は、少女に……初めて僕を認めてくれた彼女に、僕の事を少しでも知って欲しいという浅ましい下心だったのだと思う。
そうして僕は少女に自然と語っていた。今までの僕の事を……。
“裏でできないことを笑われていて恥ずかしい事”
“けれど誰にも弱音を吐けなくてつらくて仕方がない事”
“自分に自信が持てなくて、自分よりも何でもできる弟たちにも嫉妬して、冷たい態度をとってしまう自分がどうしようもなく嫌な事”
“こんな情けない自分が一番嫌で……変わりたい事”
少女は立ち去る事もなく、ただ静かに僕の独白のような感情の吐露を聞いていた。そうして僕がありのまま、心の全てをぶちまけた後、一言言った。
「変わりたいって思っているなら、貴女はきっと変われるわ。それに今でも貴女はすごく魅力的よ。ダンスも素敵だった……自信持って、ね?」
「…………」
「それでも自信が持てないなら……う~~ん、じゃあ私は……私だけは絶対に貴女の味方でいてあげる……!って私じゃ頼りないかな?」
「ううん!すごく嬉しい」
少女は僕を励ましてくれた。最初の言葉だけで僕が感無量で話せなくなっているところに言葉が足りなかったと思ったのだろう、少女は良く知りもしない僕に“絶対に味方でいてあげる”そんな心強い約束までしてくれる。そんな少女に、少女の優しさに僕は……この短い時間でこれ以上ない程惹かれているのを感じたのだ。彼女が味方でいてくれるのなら、たとえこの先世界中の全てが敵になっても戦っていけるような気さえする。もう真っ黒な負の感情は真っ白な彼女によって完全に払拭され、僕は生まれ変わったような気すらしていた。
その後は時間など忘れるくらいに少女と話した。少女と話すのは日々のとりとめのない事ばかりだったが、そんな会話すら新鮮で楽しくて仕方がなかった。
そうして城内にある教会の鐘が鳴った事によって、彼女はハッとしたように空を見上げる。そんな彼女に釣られて僕も空を見ると、空は丁度蒼と赤の境界線が交じり合う時間――夕暮れだった。その時僕は初めて夕暮れが美しいと感じた。だからこの日の夕暮れの光景は今でも覚えている。この日から、僕は夕暮れの時間帯が一日で一番好きな時間になったんだ。
「ごめんなさい、私――兄様のところに戻らないと!」
彼女は今にも駆けだそうとするが、僕はそんな彼女の手を無意識の内に掴んでいた。それは“彼女とまだ離れたくない”という心情故の行動だったのだろう。引き止めたことによって、気まずい沈黙が流れる。彼女はきょとんとしていて、こんな状況なのに“そんな表情も可愛い”などと場違いなことを思ってしまう。そんな思考を振り払い、僕は彼女にあることを聞いていなかった事を思い出し、切り出した。
「えっと、名前……君の名前は何ていうのかな?」
「あ……」
僕も今気づいたことだが、少女も名乗っていなかったことに今気が付いたのだろう頬が見る見るうちに赤く染まる。こんな長い時間話していたのに、相手の名前すら知らなかった。そんな事実は少し奇妙で面白い。
「私は、ヴィオレッタ。ヴィオレッタ=ガーランド。貴女は?」
「……アシュレイ、」
少女ははにかみながら自己紹介をしてくれた。そんな彼女に見惚れながらも、僕も今更の自己紹介をする。本当は王族としての姓まで言おうと思ったが、咄嗟に名前だけを言った。
でもそれは、まだ王子という立場を知られるのが怖かったからだ。彼女は他の貴族のような人間ではないとこの短時間で分かったが、僕の“王子”という立場に対するトラウマは予想以上に根深かった。
けれど、僕はその時決めたのだ。必ず少女の隣に並べる様な完璧な王子になって、彼女に僕のフルネームを名乗って求婚して見せる、と。将来、王となる僕の隣にいるのは彼女以外考えられない――僕はその時既にそう思っていた。
幼い頃のヴィオレッタがアシュレイの事を”貴女”と言っているのは誤字ではありません。ヴィオレッタは幼いアシュレイの事を女の子だと思っています。
続きもできるだけ早く上げようとは思っていますのが、まあ、気長にお待ちいただけたらと。