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彼女の事情11

起きた時には、よく眠ったおかげか気分はスッキリとしていた。そしてそのまま夕餉を取る。両親は終始何かを言いたそうな顔でヴィオレッタを見ていたが、何を言いたいかは何となく分かっていたため無視してしまった――きっとアシュレイから逃げたことだろう。今は話したくなかった。


「……ヴィオレッタ、アシュレイに会わなくても本当に良かったのかい?」


その日の夜。ヴィオレッタの自室に訪ねてきた兄、ロベールに問いかけられた。ヴィオレッタはベッドに座りながらもそれに躊躇いなく頷く。

会わなかったのは申し訳ないとは思うが、後悔はしていない……筈だ。そう思いたい。すると、ロベールは残念そうに溜息を吐いた。


「アシュレイ……彼はヴィーに避けられているの薄々感じているみたいで、嫌われたと思って落ち込んでいたよ?」

「――――っ」


別に嫌いなわけではないと反論しそうになったが、彼を避けているのが事実なだけに、自分には反論する資格がないのでは?と躊躇ってしまう。


「君が婚約破棄を希望していたことは父様から聞いた。見ているとそこまで体調が悪いわけでもないようだし、逃げないでちゃんと向き合ってみたらどうかな?……ヴィーを逃がしておいてこんなこと言うのもなんだけど、向き合えば変わることもあるはずだよ」

「兄様に、何が分かるのですか!?容姿も地位も名声もなんでも持っている兄様に……」

「……ヴィー」


ロベールの言葉にヴィオレッタは感情のままに怒鳴ってしまった。未来視の事はロベールには話していない。だから”逃げないで”その言葉を聞いて思ってしまう。


(あの未来を知らない兄様に逃げないで向き合えとかそんなことを言われても……所詮なんでも持っている人には分からないのよ)


ロベールは昔から何でもできる人間だった。それに加え容姿も公爵家の人間らしい美しい茶髪に瞳も青空のように澄んだ青色だ。実の妹である筈のヴィオレッタにはない公爵家の色を持っている。


ヴィオレッタは性別が違うことで比較をされたことはなかったが、昔からなにかと”ロベール様の妹だから”と言われることが多かったことは覚えている。騎士団の副団長を務め出してからは王宮でもかなりの頻度で言われた。


昔はそれを全く気にしていなかったが、最近はロベールの紹介してくれた人に会う度に思う。”この人たちも私自身じゃなくて兄様の妹という目で見ているのでは?”と。

ヴィオレッタはロベールに甘えることは多いが、特に最近、彼に甘える度に自分には何もないと思ってしまうのだ。何でも持っている人間には持っていない人間の事は分からない……仮令(たとえ)それがどれだけ悩んでいることでもズカズカと踏み込んでくるのだ。


そこまで心の中で考えて、自己嫌悪に陥った。ロベールはヴィオレッタに協力して逃がしてくれた。それに今もヴィオレッタの事を思って言ってくれたのに、こんなことを思ってしまうなんて……。未来を視てから自分の思考が醜くなっていっている気がする。昔は大して気にしてなかった事まで思考がどんどん嫌な方向に向いていく……そんな汚い自分がただただ嫌だった。


ヴィオレッタがロベールにこんな態度をとったのは初めてだった。そうして暫く無言でいるとロベールは何も言わずに部屋から出て行く。


(もう、兄様には呆れられちゃったかもしれない……)


そう考えながらも追いかける勇気はなかった。無意識の内にロベールが出ていくのを止めようと挙げた手をそのまま降ろす。その日の夜は自己嫌悪に(まみ)れながら眠った。


***


数日後、驚くべきことが起こった。先日会ったあの怪しい男が目の前に現れたのだ。家の中にいるにも関わらず、相変わらず深々とあのマントを被っている。


「よお、暫くぶり……あの時はよくも俺から逃げてくれたな」

「げ」

「”げ”とはなんだ、”げ”とは。そういうのが簡潔でいて一番傷つくんだぞ」

「ああ、ヴィーはもうルシアと会っていたんだね」

「え……兄様、どういうことですか?この怪しい男は……?」

「無視かよ。しかも怪しい男って」

「……そんなもの着てるんだからそう言われても仕方ないだろう。この男はヴィーのヴァイオリンの新しい講師のルシアだよ。私の以前からの知り合いなのだが、先日公爵家を急に訪ねて来てね。その時、熱烈にヴィーの事を聞かれて――」「余計なことを言うな!ロベール」

「ええー、残念」

「……後で覚えておけよ」


ロベールはあの夜以降も変わらずに接してくれているが、ヴィオレッタは気まずさを拭いきれずにいた。けれど、表面上は何もなかったかのように接することができている……筈だ。


ロベール曰く彼――正確にはルシアンという名前らしい――は隣国の出身なのだが、ロベールの昔からの友人らしい。気安さが会話の端々からも伺えた。

ルシアンは楽器……特にヴァイオリンの名手なのだそうだ。

とにかく要約すると、先日急に彼がロベールを訪ねてきた時、丁度良いからとそのまま講師として雇うことにしたそうだ。

それに加え今現在彼は宿もなく、滞在費も勿体ないのでヴィオレッタにヴァイオリンを教えている間はここに住むと言われた。


「……ということだ。よろしくな、ヴィオレッタ()()()

「……こちらこそ。よろしくお願い致しますね、ルシアン()()


ルシアンが厭味っぽくお嬢様と呼ぶ。ヴィオレッタはそれに少し苛立ちながらも厭味っぽく先生と返した。


***


「顎に力を入れすぎるな、もっと自然に背筋はまっすぐ!基礎中の基礎だぞ」

「テンポが上がるごとにヴァイオリンの位置を上げるな、この馬鹿!それでは弾きづらいだろう!音もずれている」

「そこのヴィヴラート、指を寝かせるな!この下手くそ」


そうしてルシアンからの指導の日々が始まる。彼の稽古は前の講師に比べて厳しく、内容も基礎から弾き方まで多岐にわたった。毎日のヴァイオリンの練習の後には、ルシアンがメニューを組んだ腹筋や背筋、腕の筋肉を徐々につけていくためのトレーニングも行われた。

そのおかげか、前よりも更に自分の音に充実感があるように感じる……かなり罵倒が多かったが。


そうして段々と基礎や弾き方で注意されることが少なくなっていき、いつからか逆に褒められることも増えてきた。だが、なんとなくまだ物足りない感じがする。そうしてルシアンの指導を受けて、一曲弾き終わった時に言われた。


「お前の音色は確かに美しい……目を見張るものがある。だが、機械的で”自分自身”がこもっていないんだ。譜面通り過ぎる」

「感情……?」

「……お前よく分かっていないだろ」

「うん」


即答だった。ルシアンの説明は相変わらず、たまに分かりにくい時がある。そんなヴィオレッタを見かねたのかルシアンはヴィオレッタからヴァイオリンをひったくるように奪い取ると、ヴィオレッタが今演奏していた曲と同じものを奏でる。


(え……なに、これ)


ルシアンの演奏はヴィオレッタが演奏していた物とは全く別のものを弾いているのでは?と思うくらいに違った。

音の一つ一つの奏で方にしても、時に切なく時に元気に音の色がどんどん変わっていく。そうしてルシアンのヴァイオリンが最後の一音を奏でた。演奏が終わってしまった……そう思ったら、とても残念な気持ちになる――――それほど良い演奏だった。


「今、初めてルシアン先生の事を本当の意味で尊敬したかもしれない……」

「初めてって……相変わらず失礼な奴だな」


ヴィオレッタはルシアンの演奏を聞いて、ずっと感じていた自分の物足りなさの原因を知った。今まで素晴らしいと思った演奏者たちの演奏には”自分自身”がこもっていたのだ。だが自分は譜面を見て、ただそれを弾いているだけ。物足りないわけだ。


「楽譜は確かに指示が書かれている。だがそれは曲の一部でしかないんだ。例えばここのピアノ。ここでは、雪が降っている景色を表現しているだろう?だが、雪の降り方のイメージも人それぞれだ。雪が深々と降っているのか?それともはらはらと舞っているのか?まあとにかく指示がピアノでも、ここをどれくらい弱く弾くかはお前次第だ。他のアンダンテやアレグロのテンポ指示にしてもそうだな――」

「……なるほど」

「とにかく楽譜を読め。その音楽をお前のものにしろ」


その日からは更に多くの時間をヴァイオリンに費やす。とにかく楽譜を読み込んで、自分なりの解釈をしていく。今まで弾いてきた楽譜すら真新しいもののように感じて、更にヴァイオリンに夢中になった。


***


ヴァイオリンを弾き続ける毎日を送っていると朝餉の食卓でロベールが言った。


「ヴィオレッタ、明日からまたダンスの講師が来るから、ルシアとのヴァイオリンレッスンの前に時間を空けておいてね」


ヴァイオリンに夢中になっていたヴィオレッタにとってそれは寝耳に水だった。

確かに元々楽器を始めた切っ掛けはダンスだったとヴィオレッタは今更ながらに思い出す。そういえば、ここ最近アシュレイの事もあまり考えずに毎日を過ごせていた……そのせいかもしれない。ヴァイオリンはもう既にヴィオレッタの心の拠り所になっていた。


ダンスのレッスンが再び始まる……それはヴィオレッタの心を重くした。自分で頼んだことだったが、元々苦手なものだ。今日まで好きなことばかりしていた分、気が重かった。

しかし次の日、それは覆されることになる。


若干気が重いながらも、ロベールと組んでダンスを始める。最初のステップを踏もうと動いた瞬間、ヴィオレッタは驚いた。

今までと全然違ったのだ。あんなにも合わせるのに苦労していた音がすんなりと頭に入ってくる。そのおかげか、音が流れていくのに合わせて体が勝手にステップを踏むのだ。それにルシアンに散々鍛えられたせいか、かなり踊りやすくなっている。昔とは全く感覚が違った。


(楽しい……!)


ヴィオレッタは初めてダンスを楽しいと感じた。踊ることに夢中になり、顔も自然と綻ぶ。


「……数カ月前とは別人のようですね」


ダンス講師が唖然としてそう、呟く。


「うん、上手になったね。ヴィー」


パートナーを務めてくれているロベールからも素直な賞賛を受ける。

ヴィオレッタはそれから、苦手だったダンスの時間さえも楽しい時間に変わったのだった。

楽器関連に関しては、作者自身も演奏する側の人間としてかなり自己解釈が入っています。作者自身の考えが全てとは思わないので、一つの考えとして受け止めて頂けると幸いです。

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