【9】アレクの過去⑤
いつもより長いです。
※切断される表現あります。
小雨が降っている。
大聖堂のステンドグラスに強く雨粒がぶつかり、音を立てていた。
パブリッツ大司教は主祭壇に聖剣を掲げ祈りを捧げている。
その静かな空気を破る音が大聖堂に響いた。
「騒がしいですよアレク。 ここは神聖な場です、扉は静かに開閉しなさいとーー」
「全部、あんたの思惑通りに進んだかよ……」
「何の話ですか?私には見当がつかないのですが…。 あぁそう言えば討伐ご苦労でしたね。 陛下もお喜びになるでしょう」
いつも通り、何も無かった様に喋る大司教にアレクは詰め寄り胸ぐらを掴んだ。
「あんた騙したのかよ…」
「アレク、手を離しなさい」
「ふざけんなよっ! あんた姉さんを蘇生する気なんて最初から無かったんじゃねーか!!」
怒りで震える。 頭に血が上り視界が歪む。声は掠れ、何もかもがどうでもよくなりそうだった。
だがこの目の前に居る男だけは許さない。
力任せにに掴んでいた胸ぐらを離し大司教を突き飛ばす。
よろけ床に倒れこむ大司教を見下し腰にかけていた剣を抜いた。
「あんた姉さんに言ったんだってな、魔物討伐が終われば子供達の無理な討伐を見直す、聖女にまた一歩近付けるって!」
「仕方の無い子だ。突き飛ばすなど、野蛮ではないですか?」
「っ答えろよ!!」
剣の切っ先を大司教に向けるも、当の本人は全く気にせずいつもの聖職者たらん笑みを浮かべる。
「ーーーさあ、そんな事言った覚えはありませんね。 何かの勘違いではないですか?」
そのいつもの笑み、いつもの仕草で彼女の希望をいとも簡単に大司教は壊した。
聖女に縋り、それだけを道標として何とか人としての心を保ってきた彼女の死に物狂いの努力全てをこの男はアレクの前で無かった事にしたのだ。
アレクの頭に一気に血が上り、大司教の首めがけて剣を振るう。
その首を落とすつもりだったが、それは大司教自らの手によって阻止された。指が何本か切り落とされ血が滴るが目当ての首には一筋線が入るだけで終わってしまう。
数時間前まで魔獣を散々切ってきたアレクの剣は切れ味が悪く刃が潰れていた為、手で防がれただけで呆気なくその切れ味を無くしてしまった。
指を失った大司教は、肩を震わす。
それが痛みでも指を切り落とされたショックでもなく、ただその現実が面白くて笑っているのを知ったアレクは目の前に座り込み指を切り落とされ、自分よりも明らかに弱い大司教に言葉に出来ない恐怖を抱く。反射的に剣をを引っ込め後退りをした。
何がそんなに可笑しいのか、大司教は遂に僅かに笑い声を漏らす。
「ふふっ…アレク、君は本当に面白いですね」
「なっ!」
大司教は切れた指を拾い立ち上がり、今度は逆に退がっていくアレクに詰め寄る。
「貴方は私に、こう言って欲しいのでしょう? 魔物討伐はもう満足に体を動かせない彼女を処分する為の措置で彼女に虚言で希望を与え騙し、アーティファクトで全てを処分した…と」
濃くなる笑みに更に退がるが大司教は詰め寄る。
切り落とされた指から臭う嗅ぎ慣れた血の臭いに吐き気がした。
「あぁ、ついでに神官が子供達を殺した理由は万が一彼女の肉片でも残っていたら蘇生出来てしまうから報告を遅らせる為にそうした、とかですかね? 神官達は教会の教えに従い徳を積むので子供達を殺したところでその魂は清いままだと大司教である私の口から言えば信じますしね。 貴方の警戒を解く為に用意した神官は、生きていれば証人になってしまう。後々面倒になりそうだから、嘘の有効範囲を教えて片付けた。 どうですか、貴方が言いたいのはこう言うことでしょう?」
「全部本当のことだろ…!!」
「まさか。私は何もしていないし彼女と約束もしていない。 でもアレク、貴方には感謝しているんですよ」
指の失った方の手でアレクの肩を撫でる。
血が服に染み付いて肌に張り付いた。
早く止血しなければ死んでしまうかもしれない出血量だが、大司教は気にしていなかった。
「貴方があの時聖剣から逃げてくれたおかげで、我々教会は浄化の能力を持つ適合者を見つける事が出来たんですから…」
アレクは目を見開き大司教の手をはらった。
息が詰まる。
アレクの脳内には幼い頃の苦い記憶が鮮明に蘇った。
酸素が、彼の周りだけ薄くなったみたいに浅い呼吸を繰り返す。
「助かりましたよ、ここ数年の高戦績は貴方の手柄と言っても過言ではないかもしれませんね。中々居ないんですよ?適合者の中から浄化の能力を持つ子は。 おまけに彼女は聖女に成りたいと言う目標までありましたしね。 もう居ないと思うと悲しい事です。それにーー」
大司教は主祭壇にある聖剣を手にして、アレクに見せた。
「また、聖剣の担い手を探さなくてはいけませんね。 さてアレク、次代の勇者は誰がいいと思いますか?」
大司教は残った指で聖剣を鞘から抜き、その刃を明かりに照らし輝きを確かめる。
意味ありげにアレクと目線を合わせ、笑った。
「彼女が大事に守ってきた子供達の中から、一体誰が選ばれるのか…。 あぁ、そう言えばもう適合者が貴方しか居なかったんでしたね。適合者であった彼女ですら使いこなせなかった聖剣を非適合者の子供達が持つ事になったらどうなることか…」
大司教はアレクの耳元に口を寄せる。
手には聖剣、だが刺されると言う不安は無く、寄せられる顔に嫌悪した。
「今度は誰を、差し出しますか?」
「…っ離れろよ!」
「ふふっ、これは失礼」
追い詰められているとアレクは分かっていた。
次に続く言葉も大体検討がつく。
彼女が守ってきた子供達の命が散っていくのを見逃すにはアレクは彼女に対する罪悪感が大き過ぎた。
あの日、聖剣を彼女に押し付けてしまってから、アレクが何度後悔しただろう。
悔しくて、情けなくて、だけど持たなくて良かったなんて感情もあった。
やっと彼女と同等の戦績を上げれる様になって、少しでも支えられたらと思った矢先、彼女は教会の食い物にされてそのまま二度と会えなくなってしまった。
最期に、アレクと約束をして。
彼女の言葉が響いた。
「ーーー俺がなるよ、勇者に」
最期に約束したのだ、子供達を守ると。
彼女のやりたい事を手伝うと。
彼女はこれ以上誰かが死んでいくのを嫌がっていた。
子供達は彼女を拠り所にしていた。
それを奪ってしまったのは自分だと、アレクは結論付ける。
だったら、彼女の代わりに成らなくては。
彼女がしてきた事をして、彼女が成そうとした事をやり遂げ、彼女が信じた聖女を信奉する。
それを自分が心を保っていく為の唯一の道標にしようとアレクは決めた。
「ではアレクの気概を買いましょう。 聖剣の担い手として、世界に更なる平和を。 どうか頑張って下さい」
あっさりと聖剣はアレクの手渡る。
この剣で目の前にいる大司教を貫けたら存外気分が高まりそうだった。
だがしなかった。
大司教が血を垂れ流しでこんなにも冷静なのは、こも男が蘇生を優先される地位に居るからだ。
ここで殺しても、大司教を殺した大罪人となって何も成せずに死ぬだけだと、冷静な部分が呟く。
どうせ殺すなら、大司教だけでなく教会その物を潰さなくては意味が無い。
彼女は子供達が死んでいくのを嫌がっていた。
ならば、その原因を潰すだけだ。
大司教によって剥き出しになった聖剣を鞘に収める。
目線を上げると、大司教は一度指を失った方の手を開閉し、感触を確かめていた。
アレクの視線に気付くと考える素振りをして呟く。
「正式に勇者になる前に、これの償いをしてもらいましょう」
指の無い手を、プラプラとアレクの前で振る。
「贖罪をしてもらいます。 手始めにここで自害なさい」
「ーーーは?」
「大司教である私を教会の使徒である勇者が傷付けたなど許されませんからね。 教会の面々に知れたらどうなる事か…」
大袈裟に大司教は顔を覆う。
アレクは顔が引き攣るのを感じた。
今更隠しはしない。
「一度罪を受け入れるのです。 さすれば、神はお許しになります。 大丈夫、我々教会は神の身元に行った者は過去の行いは全て洗い流されると言う教えを守っていますから安心してください。 蘇生は致しますよ」
「あんた、自分が何言ってるのか分かってんのか」
「ええ、勿論です。 成された後は神や教会について勉強しましょうね。 貴方は教会を疑っている。 これで信じる心も芽生えましょう」
手で促される。
やらなければ、きっとアレクは勇者として振る舞えないだろう。
どこまで行っても、この男が屑だと思い知らされた。
これは自分の指を落とされた腹いせでも、教会の教えを説きたい訳でもない。
単純にアレクの心を殺しにかかっているのだ。
動かし易い駒にする為に。
アレクは笑う。
久々に笑った気さへした。
切れ味の悪い己の剣ではなく、聖剣を首に当てがう。
殺されてなるものか。
もう自分はどこに心を置くのか決めたのだと大司教を見て口角を上げた。
「クソ野郎ーー」
吐き捨てる様に言い放ち、当てがった聖剣をスライドさせた。
痛みが一気に襲い、濃い血の臭いがする。体は力が抜けて倒れる。
流石に即死は出来なかったかと後悔する程の痛みを味わい苦しむ。
呼吸がし辛くなり細い笛の様な音が喉から鳴っていた。
体がどんどん寒くなり感覚が無くなる。
床に耳が当たっているからか、大司教の靴の音がして近付いてくるのがアレクには分かった。
服の擦れる音がして、上から大司教の声が聞こえる。
「アレク、今の内に訂正しておきます。 貴方は私が彼女を騙したと言いましたよね。 彼女はなれたではないですか聖女に。 自らその資格を得たんです…」
大司教の声が遠のく。
意識は朦朧としていた。
それでも、アレクははっきりその言葉を聞き取った。
「聖女なんて言う幻想は死んで始めて現実に成り得るんですよ」
心底殺してやりたいと思いながら、アレクの意識は途絶え、命もまた消える。
その瞬間、酷く恐ろしくて叫びたくなった。
本当に蘇生してくれるのかと、恥を晒して縋りたくなった。
彼女はこんな恐怖を何十回と味わってきたのかと思うと、首以外のどこかが音を立てて痛んだ。
もう感覚など、無いと言うのに…。
****
大司教への怒りを募らせ、アレクは勇者となったその日、初めて冥府へ訪れた。
本当に死後の世界があったのだと少し呆気にとられてしまう。
もしかしたら、彼女に会えるかもしれないと思いつつ、アレクは二度と会わない事を望んだ。
死んでまで、彼女に酷い記憶を思い出させたく無いからだ。
道は無く暗闇、遠くで僅かに光が見えるのでゆっくりと歩く。
首辺りが湿っているのは恐らく自分の血だろうなと頭の隅で考える。
光に近付くと見えてきたのは大きな河と木製の船。六人も乗れば満席になりそうな小型の船は、何隻も河を渡っていた。
光の元へ虫みたく吸い込まれる様に進む。
何故かそこへ行かなきゃいけない気がしたのだ。
光の正体はランプだった。
淡く光るオレンジが不安を取り除いてくれる。
近付くと、そのランプをフードを目深に被っている小柄な者が持っていた。
妖怪の類いを信じた事がないアレクだったが、ここは冥府。
何が居るかなんて検討も付かなかった。
近付くのを止めたアレクに気付いた小柄な者は、アレクの怯えを感じたのか離れたアレクに聞こえるぐらいの溜め息を吐く。
徐にフードを取り、その姿を現した。
「そこの方、私は人間の形をしていますので、そんなに怯えなくても大丈夫ですよ」
澄んだ声だった。
よく響いてアレクの元まで届く。
アレクは歩みを再開して、その者の元へ向かう。
段々と分かるその容姿にアレクは息を飲んだ。
ランプを持っていたのは若い女性だった。まだ成人はしていないのが容姿で見て取れた。
だがアレクが何よりも驚いたのはその色だった。
彼女の口癖の様に言っていた言葉を思い出す。
「長髪のブラウンに金の瞳…」
「何ですか、別段珍しくも無いですよ、こんな色」
無意識に口に出していたらしく、ランプの女性は慌てた様子でフードを被り直す。
もう少し見ていたかったが、目にその色は焼きついた。
根拠の無い確信がアレクにはあった。
何故かの人が転生もせずに冥府に居るのかは分からないが、アレクはそんな理由はどうでもいい。
根拠が無いなら確かめればいい。
これから自分はいくらでも死ぬのだから。
アレクはそう思い笑う。
その笑みを見たランプの女性は顔を顰める。
「ぎこちない笑みですね。 まぁ私には関係ありませんけど」
そう言って手元にある紙を何枚か捲る。
アレクの顔を何回も見ながら紙に書かれている何かと照らし合わせているみたいだ。
しばらく無言が続き、確認が終わったのか女性は顔を上げた。
「申し遅れました、私は冥府の魂の運搬をしているカロンです。 貴方の蘇生が開始されてる様なのでそのゲートまで案内しますね」
蘇生されていると聞き少し安心をした。
目の前に居るカロンにもっと色んな話を聞いてみたいが、口が上手く動かない。
こんな所で自分の口調が気になるとは思ってもみなかった。
アレクは初めて嫌われたらどうしよう、何て柔らかい感覚を覚えた。
しかしゲートと言われてもいまいちピンと来ないアレクはさっきから視界の端で見えていた河を行き来する船に乗ればいいのかと思い、そちらに体を向けた。
アレクの視線の先に気付いたカロンは慌ててアレクの腕を掴む。
カロンの持っていた紙が音を立てて落ちた。
「あっちは蘇生ではなく転生用ですので行ってはダメです! 貴方は呉々も近付いたりしないでくださいね。 河を渡ってしまったら今までの記憶を流されてしまいますから」
カロンはアレクが体を自分の方に向けたのを見てホッと息を吐く。
アレクは視線だけ河にやり、彼女はここを渡って行ったのだろうかと思う。
だとしたら、もうあんな辛くて悲しい記憶を持たずに済むのなら、消してくれる河に感謝するほかない。
自分も、ここを渡ればいつか救われる日が来るのかもしれないとアレクは眦を僅かに下げた。
腕を掴んでいるカロンはいきなり河を見つめ出すアレクに訝しげな目を向けながら、職務を全うする。
「まったく、勝手に行こうとしないでください。 万が一にも貴方の記憶を流してしまったら私の責任になってしまいます」
落ちた紙を拾い、何回かはたく。
その延長でアレクを見るものだから、自然と上目遣いになりアレクは照れ臭く目線を逃した。
「えっと、一応名前をお伺いしたいのですが…」
アレクは咄嗟に手で顔を覆い何回か顔を触る。
彼女の恩人、そしてこれからの自身が歩む道標を目の前にしているのだと思うと顔が緩んでしまう。
ぎこちないと言われた自分の笑みではなく、彼女の笑みを見せたくて思い浮かべて表情を形成した。
ここから、アレクは勇者を始めた。
聖女に憧れた彼女の様に。
「俺はアレク、一応勇者なんだよねー」
自分が不快にならなかった口調を真似る。
その単語に明らかに体を強張らせたカロン。
アレクは目敏くそれを見逃さなかった。
証拠が一つ一つ集まる感覚に楽しさを覚える。
アレクはカロンとの距離詰めた。
紙を持っていた手を無理矢理握りフードの奥に隠された金の瞳に目を合わせる。
あまりにも綺麗な色にずっと見ていたくなるが、グッと我慢した。
最初から不信感を抱かせてはいけないとアレクは自分に言い聞かせる。
「これから何回かお世話になると思うし、仲良くしようよー」
「は?えっと、あの離してください…、迷惑です」
アレクが握っていた手を上下に振る。
「そう言わずにさ。 よろしくねー、カロンちゃん!」
そうして、アレクの勇者としての道は始まった。
彼女をトレースした様な人格に笑顔を携えた、聖女を道標とする生き方が。
何回死に何回もカロンと会う内に彼女が憧れたその在り方に自身も本当に惹かれてしまうなんて知りもしないまま。
読んで下さりありがとうございます!
これでアレクの過去は終わりです。
補足ですが、アレクがリサ以外の勇者を知らないと言っていたのは、姉さんが聖女と呼んでと言っていたためです。
アレクの中では姉さんは聖女の括りなので、勇者ではないのです。