【12】全てはこの為に
意識と感覚が戻ると、アレクも自然と現実へ引き戻される。
体が、水面に浮上する感覚にそれは似ていた。
最初に感じたのは違和感。
いつもと空気が違った。
どこか埃っぽい、ザラついた空気がアレクに纏わり付いた。
清潔や神聖さを求める教会では掃除は欠かさず行われる為、起きて早々こんな不愉快な気分になるのは珍しい。
嗅覚が戻れば嗅ぎ慣れた血の臭い。 聴覚が戻れば悲鳴に泣き声、怒号も聞こえた。
視界のぼやけが取れると目に入ったのは、自分の周りに倒れている神官と神父。
それらはもう動かないと一目で分かる位の損傷を肉体に負っていた。
急いで見渡せばいつもの祭壇だが、それはもう建物としての機能を半分程失っている。
自体に亀裂や歪みが起きていて、いつ崩壊してもおかしくはない。
「何だこれ…」
自分でも驚く程の小さな呟きがアレクから出た。
祭壇から降りて、置いてあるいつもの支給品である服を着ると微かに呻き声が耳に入る。
視線をやると、多くの死体が床を埋め尽くしている中、見知った顔を見つけた。
「っエイブラム!」
血だらけの彼を抱き起こし、自分の腕に凭れさせる。
息をしているのが不思議なくらいの傷が、エイブラムの体に肩から腹にかけて斜めに入っていた。
瓦礫に潰された部分も有る。
肉体再生と治癒の魔術を施せば助かるが、アレクはそれを使えない。
他の者に頼もうにも魔術を使える彼等はとっくに事切れている。
エイブラムもそれが分かっていた。
アレクの涙が張った目を見て、吐血した跡が残る口を小さく動かす。
「ーーアレク、魔王が…復活した……」
血を吐きながら言うエイブラムに喋るなと言ってしまいたかったが、これが遺言と成るのをアレクはどこかで分かっていて、その独白を遮ることは無かった。
「……教会も、街も、半分以上崩れた…」
「そうか。 蘇るの、少し遅かったな」
出てくる涙を、必死に袖で拭う。
何粒かがエイブラムに落ちた。
「大丈夫だエイブラム」
手を握ってやるしか出来ない自分をアレクは情けなく思う。 それを悟られない様に、笑った。 相変わらずの軋んだ笑顔だが、エイブラムには十分だった。
「任せる…よ……」
握るエイブラムの手から力が抜けて、それ以降彼は口を開かなかった。
友人の命が消えた事を確認してアレクは立ち上がる。
半分廃墟と化している教会を歩く。
何処も彼処も崩れ落ち黒煙で空は暗い。 それだけのせいではなく、この空の黒さが魔王復活の証拠だと言わんばかりだった。
教会内の唯一無事だった大聖堂に足を進める。
人だかりが出来ているそこに目当ての顔を見つけた。 エイブラムと同じくアレクに協力をしている者達だ。
彼等はアレクを目視すると人だかりを抜けて小走りで寄って来る。
「アレクさんっ、これを!」
渡されたのは布にくるまった聖剣だった。
「ありがとう。 それとすまない、エイブラムは…」
「謝らないでください。 エイブラムさんは自分達を庇って瓦礫の下敷きになってしまいました…。 謝らなきゃいけないのは自分達です。 すみませんでした…!」
必死で泣くのを我慢する彼等に、それ以上言うことは無かった。
基本エイブラム以外と交流の少ないアレクの為にエイブラム自身が独自で集めていてくれた人材だったが、彼等ならエイブラムの後を継いで計画を進めてくれると確信した。
アレクは軽く笑い、先頭で頭を下げている者の肩を叩いた。
「それこそいらない謝罪だ。 今すぐ魔王を討伐しに行きたいけど、先に済ませたい事があるから…」
聖剣を鞘から僅かに抜き、その刃が曇っていないか確かめる。
刃に反射するアレクの表情は驚く程落ち着いていた。 友の死を嘆きもしない冷たい人間だと誰もが判断しそうな、そんな顔だ。
どこかでアレクは思っていた。
この戦いが終われば自分も死ぬ。
遅かれ早かれ自分もエイブラムと同じ場所へ行き、またどこかで会えるだろうと。
「できればそこに、あの人が居てくれたら…」
少し前まで感じていたリサの温もりを思い出す。
死んでいると言うのに、暖かかった彼女の身体。
あの冥府の世界はこの世の理をことごとく覆してしまう場所らしい。
アレクは目を一度瞑り、覚悟を決める。
瓦礫の山を踏み、多くの死体の先にある目的の扉を開けた。
いつもと変わらない大司教の自室。
そこにまるで何事も無かったかのようにパブリッツは椅子に座っていた。
何もせずに、建物の崩壊で崩れてしまった壁の隙間から外を見ていた。
「戻ったのですね、アレク」
振り向かずパブリッツは抑揚の無い声音で話す。
「さぁ、魔王は目覚めました。 都市は半壊、教会も崩れ機能していない。 そんな中、人々は何に縋ると思いますか?」
「ーー勇者だろ」
吐き捨てる様にアレクは言う。
「ご名答です。 それでアレク、覚醒方法は聞き出せたのですか?」
「………、いいや。全然分かんねぇままですよ」
アレクの発言にパブリッツは薄く笑った。
馬鹿にしているのが手に取るように分かった。
いつまで経ってもパブリッツはアレクを下に見ている。同じ人間として見ているかも怪しいくらいだ。
「貴方はいつまで経っても私を欺き続けようとするのですね。 しかし今の貴方はまるで昔に戻ったみたいだ。 あの滑稽な真似事は辞めたのですか?」
「あぁ、する必要が無くなった。 あんたのお陰で彼女とは随分と意気投合したからな」
「それは僥倖。 それで、何故貴方は私にその聖剣を向けているのですか。魔王はあちらでしょう?」
パブリッツは割れた窓を指して王都中央付近の方角を示す。
しかしアレクの向けた聖剣がそちらを向く事は無かった。
切っ先は真っ直ぐにパブリッツの喉元を捉える。
「アレク、くだらない事はお辞めなさい。 今こうしてる間にも何人の子供達の命が失われるか…」
嘆かわしいと大袈裟にパブリッツは息を吐く。
何時もならその台詞でアレクの心は揺さぶられただろう。だが、今日はこのチャンスだけは手放す訳にはいかなかった。
ここまで条件が揃う事はもう無いだろう。
王都は半壊、この分だと国王も対処に追われ教会にまで伝達が中々届かないだろう。
教会の組織としての統率もこの混乱で取れてはいない。 大司教の周りに人が居ないのがいい証拠だった。
加えて蘇生の魔術を使える神官は殆ど息絶えているのをエイブラムの死と共に確認してきた。
「今ならあんたを殺せる」
聖剣を握る手に力が入る。
ずっと待っていた好機だった。
ここまで条件が揃うのは後にも先にももう無いだろう。
大司教であるパブリッツの周りにはいつも蘇生を扱う神官が侍られていた。
殺せば自分が殺される。
そして蘇ることは無く、また別の誰かが勇者になって世界は回る。
今なら、この混乱に乗じて殺せば犯人が誰かなんて気にする者も現れないだろう。 大司教の死よりも世界の命運なのだから。
切っ先を向けられてもなお、パブリッツの態度は変わらない。
死ぬ事が分かっていないのかとアレクは更に不気味さを感じた。
「今の貴方に言っても、理解はしないでしょうが一応言っておきましょう。 私を殺しても、世界が続く限りこの思想は終わらないのですよアレク。 誰かが犠牲にならなければこの世は回らない。 私が死んでも、また新たな私に代わる者が生まれるだけです」
アレクはパブリッツを見据える。
「それでも、あんたは死ぬんだろう?」
「……。えぇそうですね…」
困った様な、少し驚きも混じるそんな始めて見る表情をパブリッツはアレクの前で浮かべた。
「だったらそれで、俺は満足だ」
アレクは聖剣を横に払う。
慣れた肉を切る感触がした。
重力に従い、パブリッツの体が椅子から擦り落ち地面にぶつかる。
次第に足元に血溜まりが出来、アレクの簡素な靴を汚した。
「安心しろよパブリッツ。 あんたの代でこんな事は終わりだ」
冷たい視線でパブリッツの死体を見下ろすアレク。
今、この瞬間の為に生きて友を死なせてでも成し遂げたかった事が成就した。
エイブラムが用意し集めた人材に後は任せるしかない。
アレクはパブリッツの血に濡れた聖剣を自分に向ける。
ちょうど心臓の辺りに先が来る様に定めた。
リサに聞いた方法を頭で反芻する。
「………っ! やっぱ、怖ぇな……っ」
こんな事、慣れたりするものか。
震える手で、アレクは己の心臓に聖剣を突き立てた。
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