赤い目なのに漆黒
何かにかぶりつきたくて仕方なくなる。体の中が空っぽになったみたいな、この嫌な感覚の呼び方を、僕は何故か知っていた。ええと、これは――。
「……お腹すいた」
そう、それだ。僕はお腹が空いていた。何か食べたくて仕方ない。
「なら、何か用意しようか?」
急に横から声がして、僕は飛び上がりそうになった。咄嗟に構えると、そこには知らない人がいた。男の人だった。でも、雪みたいに真っ白な髪の毛は、あんまり男の人っぽくない。少し骨格が骨張っているし、喉も出っ張ってるから、男なんだろうと思うけど。
僕の反応に、その人は細い眉を八の字にした。
「ごめん、そんなに驚くとは思ってなくて。……ええと、状況は解るかな?」
状況。僕はその言葉を口に出して繰り返してみる。
ぼくは今、柔らかいベッドに寝かされていた。見たことのない部屋だ。結構広いけど、物は少ない。机と椅子と、あとは何が入ってるのか解らない棚があるだけだ。
けれど、どうして僕はここにいるんだろう。僕は何をしてたんだったか。そもそも、ここはどこだ? それに僕、白い布を着てるけど、これ何? 服ってやつ? 噂の?
混乱する僕に、彼は困ったように頬をかいた。
「ううん、記憶の定着もなかなか完璧にはいかないなあ」
「定着?」
「まあ、会話は問題なく出来てるみたいだし……僕の方から、事情を説明しようか。ああ、でもお腹が空いてるんだよね? まずはなにか食べるといい」
一方的に話されて、僕はまだついていけないでいる。けど、とりあえずはこの人が何かご飯を持ってきてくれるってことでいいんだろう。
「サンドイッチでも持ってきてもらうよ。……ああ、でも目が覚めたばかりだし、もうちょっと消化に良いものの方がいいのかなあ。お粥とか」
サンドイッチ。なんだろう、それ。聞き慣れない言葉に、僕はきょとんとする。と、彼はにっこり笑って言った。
「これは定着させた単語に入ってなかったのかな。忙しい時でも簡単に作れて、そのわりに結構食べた気になれる料理だよ。満足感に対する労力のコスパがいい」
この人は、知らない言葉をたくさん使うみたいだ。
「コスパ?」
「効果に対して労力が小さいってことさ。ちなみに僕のオススメは、卵サンドに漬け物を挟んだものだよ。周りには気持ち悪がられるんだけど、でも皆は食べないうちからケチをつけるから。折角だし、君みたいな食べ物に偏見のない子に、平等に判定してもらおうかな。君がサンドイッチ自体をあまり好きじゃないようだったら、その時はお粥にしよう」
僕は漬け物というものも、今ひとつイメージとして掴めない。多分、何かに何かを漬けてるんだろうくらいの感覚しかない。けれど、その説明を聞いていると、なんだか腹のなかをぞわぞわしたものが蠢きだす。これはなんていうんだろう。お腹空いた、とは違うものだ。少し考えると、当てはまる言葉をひらめいた。
「わかった」
「ん? 何が?」
「生理的に無理、ってやつだ」
「まだ食べてないのに!?」
食べてから決めてよ、と男の人は拗ねていた。
◆
食べてみた結果、やっぱり生理的に無理という確信を得た僕は、レタスサンドを食べていた。絶対美味しいとと思うのになあ、なんて不思議そうにしているこの人の名前は、近衛銀杏というらしい。葉っぱと同じ名前で、なんだか男の人には可愛いイメージだ。
この人は、ここで働いている職員らしい。そもそもここが何をしているところなのか、それは後から説明するって言われた。
「食べながらでいいから、聞いてね」
そう言う銀杏さんも、漬物サンドをかじっている。彼は一旦口の中を飲み込むと、改めて椅子に座り直した。
「まず、基本的なことは解るかな? ここは地球と呼ばれる星の、日本という国だ。現時点で言葉は通じてるわけだし、これは流石に解ると思うんだけど」
「言ってる意味は解る」
そっか、と銀杏さんは笑顔で頷いた。
「じゃあ説明するね。
君は元々、日本のとある場所で生まれてそこでずっと生活していた。その場所についてはあとで詳しく言うけど、まあちょっとした洞窟に近い場所でね。君以外に知能を持った生き物もいなかったから、社会性や言語能力は育たなかったんだ。
でも、今回僕らがその洞窟の調査をすることで、君の存在を掴むことが出来た。だからこうやって保護して、君の脳に常識的な記憶を定着させたんだ。よそから持ってきて、脳に書き込んだと思ってもらって構わないよ」
「どうやったの、それ」
「平たく言うと手術だね。最近世界各地で新しい物質が見つかって、技術力がすこぶる発展してるんだ。記憶の定着は、その中でも一番新しいものだよ。興味があるならもっと詳しく教えてあげたいけど、今は無関係だからなあ。話を進めたいし、悪いけどそのあたりは後で。
とにかく、君が今地球とか日本とかを理解できるのも――そもそも僕と会話が出来るのも、記憶を定着させたからってわけだね」
つまり、本当に野性動物同然だった僕に、人間の知識を後から入れたってことかな。僕が洞窟で狩りをして生きている外に、そんなこと技術を持っている生き物がいたらしい。すごいな。思いながら、僕は与えられたサンドイッチをかじる。
「じゃあ、別の質問はしてもいいですか」
「聞いてから決めようか。どうぞ」
「どうして僕を保護したんですか。あと、僕はどういう生き物なんですか」
記憶の定着とかいうのがなければ、僕は僕が何者かなんて気にしなかったかもしれない。だけど今は違う。僕は一体どういう存在なんだろう。人間なのか、それとも違う種族なのか。
僕の視線に、銀杏さんは「そうだね」と頷いた。そして、白衣のポケットを漁る。
「確かに、アイデンティティの確立をしてもらうべきかな。じゃあまずは君が何なのか、から確認しようか。もっとも、〝何者か〟なんて僕ら人間が一方的に与えた定義でしかないんだけど――」
言いながら、銀杏さんはポケットから丸いものを取り出した。あれは――ええと、手鏡っていうやつだ。おお、定着すごい。ちゃんと解る。
「これで、自分の顔を確認してごらん」
僕は言われるがままに、その鏡を覗きこんだ。鏡のなかの僕は、きょとりとまばたきしていた。
見た目は、確かに人間に近い感じだ。黒い髪が短く切り揃えられているのは、多分、ここの人がやってくれたんだろう。だって、ここに来るまでは僕の髪の毛はぼさぼさだったはずだから。鼻は低くて、唇も薄くて、僕の脳に書き込まれた平凡な容姿そのものだった。
額にある、巨大な瞳さえなければの話なんだけど。
ぎょろっとしたその目玉は、鼻筋近くにある二つの目の倍くらいある。大きい目だ。まつげの長さは普通だけど、瞳孔が赤色だった。他の目は黒いのに。
僕はとりあえず、普通の人間にはない場所にある目玉を触ってみた。
「痛い!」
普通に痛かった。た。正直僕は、今まで自分の目がいくつあるのかなんて気にしていなかったんだけど――人間としての常識を刻まれたからか、どうにも違和感がある。
「なんで目が三つあるんだろ。他は人間みたいなのに」
「嫌かい?」
銀杏さんは眉を下げた。それはどういう感情で言ってくれてるんだろう。心配かな。でも俺は嫌じゃない。
「むしろ格好いい」
「格好いい?」
「うん。第三の目、開眼って感じ。なんだっけ……漆黒、っていうの。そういうのの波動みたいなのを感じる。これが気高いってやつかな?」
「……定着させた記憶、中学生の子のやつじゃなかったと思うんだけどなあ」
「中学生?」
「いや、気にしないで。君が嫌じゃないなら、それにこしたことはないんだ」
そう答えた銀杏さんは、「あとね」と続ける。




