助け船は少女
「ねえ翼、ほんとにこんなに調べるの?」
渡された紙に書いてあった、とんでもない数の項目数に、僕はうんざりした。僕の車椅子を押す翼は、「恩に報いてくれるんでしょ?」と、僕の痛いところをしれっとついてくる。
「でも、何もこんなに見なくても…」
僕が持っている紙は、これから僕の診断結果を書き込んでいくものらしい。もう、色んな項目が示されている。血圧検査、肝機能、血液、肺、心機能、ウイルス、胃腸、大腸、眼底、腎機能、その他諸々。いくら字が読めるといっても、こんなに細かいと嫌になってくる。
「本当ならもっと見たいんだと思うけどね」
「ええ……どれだけ人の情報は丸裸にしたら気が済むの」
「ま、それに協力するのがアンタのお仕事だからね」
じゃあよろしく。
翼は言いながら、僕の正面に立っていた白衣の人の方に、僕の車椅子を押しやった。眼鏡の男の人だ。線が細くて神経質そう。レンズの向こうの目が、僕を見て細められた。
「はいはい、了解です。……よろしくね」
僕は「よろしく」と返す。でも本音を言えば、あまりよろしくしたくはない。だってこの人は、今から僕を調べる主治医というやつらしいのだ。つまり、僕に注射をする人だ。腕に針を刺して血を取るらしい。鬼みたいだと思うけど、人間にはわりと慣れたことだと翼が言っていた。人間強すぎる。
僕は男の人に連れられて、スライド式の扉の向こうに入った。広々とした部屋だ。よくわからない検査の機械が並んでいる。唯一わかるのは、キリンみたいな機械は身長をはかるものだということだけだ。
「翼は来ないの?」
「……其村さんは女性だからね。君は無性だけど、精神的には男性なんだろう? だから、まあ一種の配慮だよ」
「ふうん……」
別にいいんだけどな。目の前で全裸になるならまだしも、そうじゃないんだし。むしろ、注射だったら誰かにいてほしい。僕の頑張った姿を見て、後世に語り継いでほしいところだ。
僕は黙って車椅子に深く座り込む。男の人は、検査の機械を素通りして、更に奥の扉を開く。長い廊下が続いていた。
「検査、さっきの部屋じゃないの?」
「君の診察室はもっと奥なんだ」
「そうなんだ。結構遠いね」
それとも、一応ケイブを調べるってことで人間と分けてるんだろうか。体の作りはほぼ一緒だとは思うけど、まあ念の為に気を遣うのは悪いことじゃないんだろう。
どんどん車椅子を進められ、男の人の足音が静かに響いている。突き当りの部屋の前でピタリと止まった。観音開きの大きな扉が、僕の目の前にある。男の人がそれを開けた。
そこは、さっきと比べて全然広くなかった。中央に硬そうなベットがあって、それを囲むようにロボットの腕みたいなライトが天井から伸びている。モニターが天井からぶら下がっていて、その下に二人の女の人がいた。
「気付かれてねえだろうな」
腕組みをした女の人が言う。すごく乱暴な口調だ。翼と同じジャージを着ている。灰色の髪の毛はつんつんしていて、ハリネズミみたいだ。顔は、多分美人の枠にはまるんだろうけど、それ以前に怖い。とても人相が悪い。目も鋭いし、薄い唇も不機嫌そうに歪んでいる。ハリネズミそのもののほうが可愛い。
隣にいる女の人は、蜂蜜色の髪をふわふわさせている。ちょっと背は高めで、顔はお人形みたいだ。丸い目に、透き通るみたいな白い肌。可愛い反面、不健康そうなイメージもある。でも、なんだかすごくぼんやりしてる。目の焦点があってない。
「大丈夫ですよ」
僕の後ろで、白衣の人が答えた。
「ですが、早く済ませてくださいね。私達には、乱入を止めることは出来ませんから」
「解ってる、だから苺にやらせるんだ」
「…そうでしょうね。では」
白衣の人は、僕を置いて出て行った。――いや、出て行っちゃ駄目でしょ。あの人俺の注射するのに。
「注射忘れてるよ」
別にやりたくはないけど、一応教えてあげた。でも見向きもされなかった。なんだアイツ。もう嫌いだ。
「んぐえっ」
去っていった方を睨んでいたら、急に体が浮いた。びっくりして変な声出た。真ん中のベットに放り投げられて、僕はようやくハリネズミに抱えられたのだと解った。それでポイされたんだ。
「な、何? 何事?」
意味がわからない。僕は今から注射で血を取られるんじゃなかったのか。混乱する僕を無視して、ハリネズミは女の人に指示をしている。
「さっさと麻酔うっちまえ。暴れたら面倒だ」
何かとんでもない展開になっている。面倒だというので、期待にこたえて全力で暴れてみた。だけど、思いっきり顔を殴られた上に、蹴ろうとした足を逆に掴まれて、懐から取り出したテープでぐるぐる巻にされてしまう。ついでに手首も同じようにされて、僕はもう浜に打ち上げられた魚だ。痛い。だいぶ痛い。なんだこの人。女の人なのにめちゃくちゃ乱暴だし、力強い。
「大人しくしろ。……化物は化物らしく、死んでりゃいいんだよ」
殺される。それを理解してのたうち回る。だけどハリネズミ女が僕をおさえこんでいる。視界のすみっこで、長身の女の人が無表情でなにかの針を用意していた。注射っぽいけど、でも採血じゃないことだけは解る。どうしよう。僕はまだ死にたくない。というか約束破りじゃないのか。僕を保護してくれるんじゃないのか。
人間の嘘つき! 銀杏さんの嘘つき! どうしたらいいんだろう、誰でもいいから助けて――!
「助けてやろうか?」
「……えっ」
――まるで僕の気持ちを読んだみたいなタイミングで声がして、僕は右を向いた。するとそこには、少女がいた。
不思議な少女だった。なんせ……透き通っている。確かにそこに見えるのに、蜃気楼のようにゆらめいていた。金色の髪は、まるで高級な織物に使われている素材みたいだ。真っ白いワンピースの袖から、細い腕が伸びている。見た目は子供だ。僕と同い年くらいかも。
彼女は猫のようににんまりと笑った。
「助けてほしいんだろう?」
「えっ」




