ー神有の章77- 抗い
「てめえに譲るもんなんてひとつもないぜ!」
万福丸が突然、そう吼える。神気を発し、神力へと変換し、己の【理】を口にする。
【喰らう】
万福丸が怒りの表情を顔に浮かべて、その力ある言葉を口から発する。それと同時に彼の両腕に銀色に輝く手甲が、同じく銀色に輝く脚絆が彼の両足に具現化する。
「おや?不思議でゴザル。それがしの【譲る】がまるで利いていないようなのでゴザル」
「俺もよくわからねえけど、俺の心はお前への怒りで気持ち半分、埋まっているんだぜ!おらあああ!」
万福丸が銀色に輝く右のこぶしで、邇邇芸を殴ろうと、庭に居る彼との距離を縮めていく。万福丸は、もらった!と想った。自分のこぶしが弧を描いて邇邇芸へのみぞおち目がけて吸い込まれるように突き進んでいく。
その刹那であった。邇邇芸が神気を発し、神力へと変換し、自分の【理】を口にする。
【譲る】
邇邇芸はニヤリと笑う。彼は口の端を歪ませると同時に、力ある言葉を口から発する。それと時を同じとして、彼の全身を和製の鎧兜が具現化されるのである。さらには、彼は右手に丸い盾をも具現化する。
ガッキャアアアアアアン!
万福丸の右こぶしと、邇邇芸の右手に構えた丸盾とが正面からぶつかりあう。万福丸はそのぶつかり合うエネルギーにより、後方に5メートル吹き飛ばされることになる。
対して、邇邇芸は、地面に2本の線を作り、1メートル半ほど後ろに下がることになる。
「ほう。なかなかの神力なのでゴザル。まさか、それがしの盾で衝撃を受けきれぬとは想わなかったのでゴザル」
「万福丸!何やってんのよ!敵がどんなことをしてくるかもわからない内に、こちらから手を見せたらダメだって、いつも言ってるでしょ!?」
「いたたたた。吉祥。すまねえ。なんか、すっごい、腹が立っちまってよお?なんか、いてもいられなくなって、つい攻撃しちまった。なんでだろうなあ?なんか、誰かの怒りが俺の中に入ってきたっていうかさあ?」
万福丸の言いに吉祥が、はっとなる。まさか、万福丸は知らずにこの場の誰かの怒りの感情を【喰らって】しまい、それが原因で邇邇芸さまの神力に抗えたのかしら!?
だとしたら、万福丸は邇邇芸さまにとって、有効な切り札となりうるわ。これは、邇邇芸さまに決して知られてはいけないことよ。今すぐに、万福丸の戦闘行為を終わらせないとだわ!
「万福丸、お願い。今は抑えて?邇邇芸さまの話を聞きましょう?邇邇芸さま、すいませんなのですわ?」
「ほう。あなたは誰でゴザル?」
「僕は思兼と合一を果たした、吉祥と言う名のモノですわ。思兼の顔に免じて、万福丸の行為を許してほしいのですわ?」
「ほほう。思兼と合一を果たしたのでゴザルか。いやあ、それは、こちらとしても矛を収めざるえないといったところでゴザル。万福丸殿。ここは、争いは避けようなのでゴザル」
「ん?なんで、そんなに吉祥の言うことを素直に聞くんだ?あんたは。それに殴りかかったのは俺だぜ?攻撃を止めるかどうかは俺が決めることだぜ?」
「万福丸!僕の言うことが聞けないの!」
吉祥が強い口調で言葉を発する。
「ご、ごめんなさい。すいません。すぐに具現化を解きます。吉祥、怒らないで?」
万福丸はそう吉祥に謝ると、銀色に輝く手甲と脚絆の具現化を解くのであった。
「ふむ。そこの男は思兼の言うことを聞くのでゴザルな。もしかして、あなたの旦那さまでゴザルか?」
邇邇芸はそう言いながら、自分が身につける鎧兜と丸盾の具現化を解くのである。
「旦那さまではないけれど、友達以上、彼氏未満と言ったところよ?」
「えええ?そこは素直に彼氏以上、旦那未満って言ってくれよおおお」
「うるさいのですわ、万福丸。知り合い以上、友達未満に格下げするわよ?」
「す、すいません。友達以上、彼氏以下にしておいてください」
彼氏以下だと、彼氏も含まれるでしょうが。まあ、良いですわと想う吉祥である。
「でさあ。なんで邇邇芸の野郎は吉祥の顔に免じて、矛を収める必要があるんだ?殴られておいて、はい、終わりにしましょうって、一番納得できないのは、邇邇芸のほうなんじゃねえの?」
さまを一応つけときなさいよ。まだ、怒りが収まってないのかしら?と想う吉祥である。
「それは、思兼殿が、国譲りの際に、色々と助言をくださった経緯があるのでゴザルヨ。だから、おばば様と自分は、思兼殿に多大なる恩があるというわけでゴザル」
「なるほどなあ。まあ、俺も突然、殴ってすみません。何か知らないけど、すっごい怒りの炎が俺の心を支配した感じになって、どうしても身体が動いちまった」
「そうでゴザルカ。まあ、確かにあなたたちに対して腹ただしいことを言ったという自覚があるので、しょうがない部分もあるのでゴザル」
「というわけだから、痛み分けと言うことにしておいてほしいのですわ。邇邇芸さま」
「さまづけじゃなくて、気軽にさんづけでいいでゴザルヨ?思兼殿。いや、吉祥殿と言ったほうが失礼がないでゴザルカナ?」
「どちらでも良いわよ。邇邇芸さん。さて、【話し合い】の邪魔をして悪かったわ。万福丸、ちょっとあとで話があるから、今は大人しくしていてね?」
「う、うん。わかったぜ。邇邇芸さん。すまなかったな。吉祥の顔に免じて、殴りかかったことは謝るぜ」
まだ、ちょっと、怒っているわね、万福丸。でも、誰の怒りを【喰らった】のかしら?天照さまの分かしら?まあ、それは良いわ。今は、この仕掛けを邇邇芸さんに察知されないことのほうが大事だわ?とそう想う吉祥である。
「さて、おばば様。【話し合い】でゴザル。なるべくなら、戦闘行為はお互いに控えるのでゴザル」
「わかったのじゃ。おぬしには聞きたいことがやまほどあるのじゃ。だが、【対話】は行う気はこちらにはないのじゃ」
「まあ、あれのシステムは色々と面倒でゴザルしな。言いたくないことまで無理やり言わされることになって、厄介なのでゴザル」
【対話】。それはお互いが【話し合い】で【円満解決】するために構築されたシステムである。お互いが情報のやり取りを行い、どちらかが一方的に不利益を被らないように考案されたモノである。
だが、その制約は天照や邇邇芸といった、ひのもとの国の最高神たる大神ですら縛る。
お互いの手の内を知られたくない。または一方的に相手が有利となりうる場合に【対話】を行えば、自分の教えたくない情報を無理にでも開示させられる。
「まったく、あの男には困ったモノじゃ。いくら【話し合い】を尊ぶ風土と言えども、まさか、ひのもとの国の民全てと【約束】を交わすとは想わったかったものじゃ」