ー神有の章76- 邇邇芸(ににぎ)の神力
「おばば様じゃと?わらわに左腕を失くした男を孫に持った覚えはないのじゃ!」
「いやだなあでゴザル。それがしの神気を忘れたのでゴザル?ほら、可愛い孫の神気を感じてほしいのでゴザル!」
島津義久はそう言うと、身体から大量の神気を発するのである。屋敷にいた面々はその神気をまともに喰らい、圧迫される。
「くっ!吉祥、こいつ、やべえぞ!天照さまに匹敵するんじゃねえのか!?」
「ぼ、僕は大丈夫なのですわ。それよりも、宗麟さんが神気に当てられて、吹っ飛んでいったわ!うわっ。障子を突き破っても、まだ転がっていくのですわ!?」
「やばい鳴り。これは相当の大神なの鳴り。我輩でも圧に逆らえないの鳴り!いったい、義久殿は何と合一を果たした鳴りか!」
道雪は額から鈍い汗を流し、義久が発する神気に抗っていた。道雪は建御雷と合一を果たしたモノであり、神格は充分に高いのである。だが、その道雪ですら、まともに動けないのである。
「ぐっ。直茂ちゃん。どうするクマー。俺様はまったく身動きできないんだクマー」
「くふっ。呼吸がしづらいので候。これほどの神気、どうすれば発することができるので候!」
「ハハハッ。隆信殿、それに直茂殿、お久しぶりでゴザルな。息災であったでゴザルか?」
義久は歪んだ笑みを浮かべながらも、さらに発する神気の量を上げ続けるのである。
「ふむっ。しばらく見ぬうちに、これほどの神気を発することができるようになるとは想っていなかったのじゃ。邇邇芸。お神酒はそれほどに美味かったのか?じゃ」
「おおう。やっと気づいてもらえたでゴザルか。まったく、おばば様は歳のせいでボケてしまったのかと心配してしまったのでゴザル」
「邇邇芸!?天照さま、この男が邇邇芸さまって本当なのかしら!?」
「そうじゃ、吉祥。こやつは邇邇芸と合一を果たしたモノじゃ。しかも神蝕率は95パーセントまで達しているようじゃ。だから、邇邇芸の意識がかの男の意識を神蝕しているようじゃ」
「おや?神蝕率までバレてしまうとはさすがは、おばば様でゴザル。いやあ、3年前の九州3大勢力の会合がご破算となったあと、この男と合一を果たしたは良いが、なかなかに神蝕が進まなかったのでゴザル」
「邇邇芸さま。あなたは義久殿の肉体を乗っ取るつもりなの鳴りか!?それは、義久殿本人の意思なの鳴りか!?」
道雪がそう義久、いや、邇邇芸に対して問うのである。
「ああ、この男は譲りたがっていたのでゴザル。左腕を失くしたことにより、将としては満足に闘えぬ身となってしまったゆえに、自分の座を譲りたがっていたのでゴザルよ。だから、それがしが譲ってもらっただけでゴザル」
「ふんっ。何が譲ってもらうじゃ。大方、その男に甘言を弄したに決まっているのじゃ。誰が好き好んで、自分の肉体を大神に譲るモノがいるものかなのじゃ!」
「おっと、それをおばば様に言われるとは想ってもいなかったのでゴザル。おばば様こそ、肉体を譲ってもらったのでゴザルよな?この国の帝に」
「ふざけるなじゃ!わらわが受肉を果たしたかの男は、この国を愛してやまぬ男であったのじゃ。貴様はその肉体の主を騙しているかもしれないが、わらわはかの男に託されたのじゃ。一緒にされるとは不愉快極まりないのじゃ!」
天照は怒りと共にその身から神気を発する。その神気は邇邇芸を遥かにしのぐものであり、同時に、万福丸たちの戒めを解くことになるのである。
「はあはあはあ。助かったぜ。あのまま、邇邇芸さまに神気で圧し続けられたら、呼吸が止まっていたぜ」
「万福丸、大丈夫?身体に異常はない?」
「ああ、吉祥。俺は平気だぜ?ただ、天照さまの怒りが俺にまで伝染しそうだぜ。こりゃ、相当、腹を立てているんだなって、わかるぜ」
「ええ、そうね。天照さまはいつもひょうひょうとして、にこやかな表情だけど、明らかにアレは怒っているわね。それほどまでに、帝を侮辱されたことに腹を立てているのだわ」
万福丸と吉祥はあとずさりをしながら、邇邇芸と天照から距離を空けるのである。対して、道雪、龍造寺隆信、鍋島直茂は、天照の脇に立ち、邇邇芸と向かいあうのであった。
「これは困ったことになったのでゴザル。おばば様を怒らせる気はなかったのでゴザル。どうか落ち着いて話を聞いてほしいのでゴザル」
「ふんっ。そちらから挑発しておいて、落ち着けとは片腹痛しなのじゃ。いくら、わらわの孫とはいえ、しかるべき【罰】を与えてやるのじゃ」
「おお、怖い怖いでゴザル。だが、ひとつだけ言わせてほしいのでゴザル。この肉体の持主は心の奥底から【譲る】と願っていたのでゴザル。だからこそ、それがしはこの男と合一を果たせたのでゴザル」
「ふんっ。何が【譲る】なのじゃ。譲りたいと譲ってもらうでは天と地の差なのじゃ」
「これは手厳しいでゴザル。しかし、これでは押し問答になってしまうでゴザル。ここは譲ってもらうことにするでゴザル」
邇邇芸はそう言うと同時に神気を発し、神力へと変換し、自分の理を口にする。
【譲る】
彼の口の端が歪み、力ある言葉がその口から発せられる。
「ん?なん鳴り?急に心の中から怒気が消えていく鳴り」
「これはなんだクマー?最悪、闘うつもりであったのに、そんな気が削がれていくのだクマー」
「ち、力が抜けていくので候。いったい、どういうことで候?」
道雪、隆信、鍋島が不思議な感情に支配され、さらに自分の身から力が抜けていくのを覚えるのであった。
「ふんっ。【理】を口にしたかなのじゃ。譲歩させる神力は健在なのじゃな」
天照もまた、他の者同様、怒気を抜かれてしまうのであった。
「な、なあ。吉祥。今、邇邇芸さまはいったい、何をしたんだ?」
「僕の眼鏡を通して視た感じだと、戦闘の意思を強制的に解除されたのですわ。すごい神力なのですわ。天照さまから怒気を感じなくなってしまったのですわ」
「吉祥。こやつの神力は【譲る】なのじゃ。【国譲り】を司る大神じゃ、邇邇芸は。それ故、【譲る】ことに関して、こやつは長けているわけなのじゃ」
「解説ありがとうなのでゴザル。おばば様。さて、これで、少なくとも戦闘行為は防がせてもらったのでゴザル。和気あいあいと【話し合い】でもしようなのでゴザル」
厄介だわ、この神力はと吉祥は想う。戦闘の意思を削がれれば、即ち、それは戦闘行為の抑止ともなるわ。しかも、その強制力をこの国の最高神である天照さまにまで行っているわ。これは今まで相対してきたどの敵よりも厄介なのですわ。