ー神有の章70- 天照の目的
吉祥は天照の背中にお湯で湿らせた糠が入った袋でなぞる。天照の肌が糠の色で染まる。その背中を絹の手ぬぐいで軽くなぞる。
「んんんー。気持ち良いのじゃ。高天原に昇る気分なのじゃ」
そこは極楽じゃないかしら?と想う吉祥であるが、まあ、天照さまだからそれで間違ってないわねと心の中で訂正するのである。
「天照さまって垢とか出る身体なの?デスワ」
「そりゃあ、受肉した身である以上、老廃物は出さねばならぬのじゃ。どこぞの偶像じゃあるまいし、食べればその分、出て当たり前じゃ」
「へー。それは意外だったわ。僕、大神になったら、そういうのなくなると想ってたのデスワ」
「話は変わるが、絹の手ぬぐいは意外と摩擦力が強いゆえ、力を込めすぎないように気をつけるのじゃ。風呂を上がったあと、肌が真っ赤になってびっくりしてしまうことになるのじゃ」
「へー。僕、絹の手ぬぐいで身体を洗ったことがなかったから、それは知らなかったのデスワ。さすが、帝の身分となると、いつも絹の手ぬぐいを使って、身体を洗っているだけあるのデスワ」
吉祥は天照の助言を受け、一層、気を付けて、そっと背中を手ぬぐいでなぞるのであった。
「ふむ。お尻のほうも遠慮なくこすってほしいのじゃ。上ばかりこすられては物足りぬのじゃ」
「女性同士と言っても、少し遠慮がちになってしまっていたのデスワ。でも、なんでこんなに腰がくびれているのデスワ?なにかコツとかそういうのがあるの?デスワ」
「そこは身体能力の向上をうまく使えば可能なのじゃ。腹が出すぎないように筋肉をほどよく発達させておくことじゃ」
無駄に身体能力の向上の御業を使いこなしているのデスワ。さすが、最高位のイニシエの大神だけあるのデスワと想う吉祥である。
「天照さまほどの高位の神格となると、身体能力の向上はお手のものなのかしら?デスワ」
ちょっと嫌味を込めて発言する吉祥である。
「ふむっ。身体能力の向上の御業は神格の高さは関係ないのじゃ。どれだけ、自分の肉体を使いこなせているかが肝心なのじゃ。こう見えても、わらわは戦闘も想いのままなのじゃ」
「意外デスワ。天照さまは椅子にどっかり座って、軍配を片手に指揮を執っているイメージなのにデスワ」
「まあ、そう想われても仕方ないのじゃ。確かに吉祥の言う通り、わらわのイメージはそちらのほうが強いのじゃ。だが、頭でっかちだけでは治められるほど、高天原は甘くないのじゃ」
「なるほどなのデスワ。うーーーん。僕、思兼と合一を果たした身としては、戦闘能力は皆無と言っても過言ではないのデスワ。文字通り、頭でっかちなのデスワ」
「思兼も闘おうと想えば闘えるのじゃ」
「えっ?本当なの?デスワ。僕でも万福丸くらいに闘えるの?デスワ」
「それは無理じゃ。自己防衛ができると言った類までなのじゃ。しかし、思兼は知恵モノじゃ。天岩戸の裏に隠れた、わらわを引きずり出すほどの策を想いつく奴なのじゃ。要は闘い方の違いじゃな。罠を仕掛けたりとかのからめ手においては、思兼は大神の中でも群を抜く大神なのじゃ」
「それはわかっているのデスワ。でも、直接対峙せねばならぬような時には、そのような知恵とか罠の類は役に立ちづらいのデスワ。だから、戦闘技能にも長けているとありたがったのデスワ」
「背中を洗ってくれて、ありがとうなのじゃ、今度はわらわが吉祥の背中を流すのじゃ。ほれ、わらわに変わって椅子に座るのじゃ」
「あ、はい。でも、天照さまにそんなことさせて良いのかしら?デスワ。こんなこと、貴族のひとたちに知られたら、お叱りを受けそうなのデスワ」
「気にするなじゃ。あいつらは居丈高にモノを言いたがる困った種族なのじゃ。だから、今の世では絶滅危惧種となり果てたのじゃ」
天照の言いにぷふっと吹き出す吉祥である。
「絶滅危惧種って、ひどい言い方デスワ」
「なあに。本当のことじゃて。昨今は貴族たちの官位において、従三位から下は第六天魔王とその家臣たちが食い込んでいるのじゃ。これから先、武家によって席巻されていくのは眼に視えているのじゃ」
「武家に官位を奪われたら、それこそ、日々のご飯の種を奪われてしまうのデスワ?信長さまは血も涙もないのデスワ?」
「その代わり、食い扶持として、あまり身分の高くない貴族たちは京周辺の土地を少しだけもらっているのじゃ。さすがに死ねとは言わぬのが第六天魔王なだけあるのじゃ」
なるほどねえと想う吉祥である。
「ところで、天照さま直々に九州の地に来た理由は先ほど、さらっと聞かされたのは良いのだけど、本当に草薙剣バージョン2を直接持ってきただけなのかしら?デスワ」
「ふむ。含みのある言い方なのじゃ。まあ、他に用事もあるのは確かなのじゃ。ちょっとした視察も兼ねてなのじゃ」
「良ければ聞かせてもらえると助かるのデスワ」
吉祥の言いに天照は少し逡巡する。そのため、吉祥の背中をなぞるように動かしていた手も止まることになる。
「まあ、隠しておいても仕方ないのじゃ。草薙剣をどうにか出来ぬかと想って、視察にきたのじゃ」
「草薙剣って、もしかして、オリジナルのほうを指しているの?デスワ」
「そうじゃな。アレがどうしても必要な時が迫っているのじゃ。さて、背中はきれいになったのじゃ。しかし、尻の肉付きが少しばかり貧相なのじゃ。ちゃんと喰っておるのかじゃ?」
「う、うるさいのデスワ!今の若い娘は小尻の方が流行りなのデスワ!でっぷりしたお尻より、ぷりっとした小尻のほうが人気になってきているのデスワ!」
「ほう。それは知らなんだわ。しかし、どこ情報なのじゃ?それは」
「博多女アヌアヌの最新号に書かれていたのデスワ。でっぷりお尻の時代は終わった。これらは木花咲耶姫体型が男受けが良いと書かれていたのデスワ」
「ほう。あの線の細い娘かえ。まっこと男どもの趣味趣向はうつろいやすいものなのじゃ。邇邇芸にも困ったものじゃ。岩長姫を選ばなかったゆえに、ひのもとの国の民と帝の血筋たちは短命になってしまったのじゃ。女は顔だけで選んではいけないのじゃ」
木花咲耶姫と岩長姫。父親の大山祇が邇邇芸に送った2人の娘である。岩長姫は醜女であったため、邇邇芸が実家に送り返したと言う話だ。
それで大山祇は大変残念がったそうで、「長命になれると言うのに」と言う言葉をを残している。
「本当、なんで男って、顔で女性を選ぶのか、不思議でたまらないのデスワ。性格とか価値観の一致も大切だと想うのデスワ」
「そうじゃな。あと夜の営みの相性も大切なのじゃ。邇邇芸はあの時、若かったとはいえ、短慮がすぎたのじゃ」