ー神有の章35- 【指切りげんまん】
吉祥はすやすやと寝ていた。散乱した内城の屋敷の一室で倒れ込むようにだ。
「ううん。まんぷくまるううう」
万福丸はただただ優しい眼つきで、愛おしそうに吉祥の左頬を撫でていた。
「帰ってきたら、おしおきでタイキックだからねえええ?」
「ははっ。それは勘弁してほしいところだな。おい、吉祥、そろそろ起きてくれ?」
吉祥は眠そうにまぶたをこすりながら、眼を開ける。すると、そこにいつもの万福丸が居たのである。吉祥は、びっくりして、頭だけをガバッと持ち上げて見上げるように、万福丸の顔を見つめるのであった。
「ま、万福丸ううう。万福丸が戻ってきてくれたよおおお」
吉祥は、想わず、万福丸に抱き着くのである。
「ああ。吉祥、ただいま。なんとか無事に帰ってこれたよ。吉祥、ありがとうな?ずっと俺を呼んでくれてたんだな?おかげで、道を間違えずに帰ってこれたよ」
「まんぷぐまるううう、まんぷぐまるううう」
「おいおい。そんなに泣くことなんてないだろ?俺だって、吉祥に会えてうれしいけどさあ?」
「だっで、まんぷぐまるがもう、ぼぐのところにもどってこないかと想っちゃったんだよおおお!僕だけ置いていくのがど、想っちゃったんだよおおお!」
「はははっ。だから、ごめんって。本当にごめんな?吉祥。俺は吉祥と【約束】しただろう?俺は吉祥が【真実】に辿り着けるように手伝うって。だから、俺、強くならないといけないと想ってさ?」
「べつにまんぷぐまるが強くならなくたって、僕はいいんだよおおお。僕はまんぷぐまるにずっとそばにいてほしいと想っているだけなんだよおおお!」
「でも、ほら?吉祥って、あぶなっかしいだろ?だから、俺、吉祥を守るためにも強くなりたいと想っていたんだ。だから、俺、そう望んだんだからさ?」
「そんなの僕はどうだっていいんだよ。僕は万福丸に消えてほしくないんだよ。万福丸とずっと一緒に居たいんだよ。なんで、それがわからないの?」
「ああ、俺もずっと吉祥と一緒に居たいって望んでいるんだ。だから、俺、吉祥のために強くならないといけないって望んだんだ」
「言っている意味がわからなよおおお。僕が万福丸が弱いとか強いとか、そんなのはどうだって良いんだよおおお!なんで、それをわかってくれないんだよおおお!」
「ま、まあ、良いじゃん?結果的には俺が強くなれば、吉祥は色々と助かるんだからさあ?いい加減、泣きやんでくれよ?吉祥」
「【約束】して?」
「えっ?」
「やーくーそーくー!絶対に万福丸は僕を置いてけぼりにしないって【約束】して?」
「えええ?それだと、【二重約束】どころか、【三重約束】になるだろおおお?それじゃあ、今度こそ、俺、吉祥に【支配】されちゃんだけど?」
「今更、何を言っているの?万福丸は僕の所有物なんだよ?じゃあ、僕に【支配】されたら、万福丸は、晴れて、僕の所有物なんだよ?嬉しいでしょ?」
万福丸は、まいったなあ?と頭を右手でぼりぼりとかく。だが、ふうううと息を吹き
「わかった。じゃあ、吉祥、【約束】な?俺は吉祥を置いてけぼりになんかしない。これは俺と吉祥との新たな【約束】だ」
万福丸はそう吉祥に告げる。吉祥は涙を拭い、笑顔を作り、そして、右手を万福丸の顔の前に持って行き、右手を握りしめた状態から、小指だけ、立てるのである。
「ちょっ、ちょっと!【指切りげんまん】までするの?それって、どうなの?ねえ?」
「何か不満なのかしら?」
「だ、だってよ。【指切りげんまん】は【罰】もセットでついてくるんだぞ?それも、針を三本も一気飲みさせられるようなさあああ!」
「あら?誰が、三本で済ますなんて言ったかしら?僕は針千本の予定だよ?」
吉祥の言いに想わず、顔が青ざめる万福丸である。だが、何かを諦めたのか、彼は自分の右手の小指だけを立てる。そして、その小指の吉祥の小指に絡ませて
「俺は吉祥を置いてけぼりにしないぜ。これは絶対だ。【約束】するぜ!」
万福丸と吉祥はニカッと笑い、声高に宣言する。
「指切りげんまん、嘘ついたら、針千本、のーーーますううう!指切った!」
(【約束】を聞き届けました。2人の【約束】が無事、果たされん事を願います)
どこからともなく、2人の耳にそう言葉が聞こえてくるのである。
「なあ、吉祥。この声、一体、誰なわけ?俺、なんか、どこかで聞いたことがあるような気がするんだけど?」
「うーーーん。色々と説があるみたいよ?イニシエの大神である、伊弉諾さまと伊弉冉さまが【約束】をしたのがきっかけで、それで【指切りげんまん】をする男女の声を聞くとかよ?」
「えええ?伊弉諾と伊弉冉の声なの?これ。通りで、ふたり、いや2柱分の声が混ざったような音に聞こえるのかあ。へえええ」
「まあ、他に素戔嗚さまと、奇稲田姫さまが結婚式の時に、誓いの言葉をかわしあう代わりに【指切りげんまん】をしたと言う説もあるわね?」
「えへへ。結婚式の誓いの言葉の代わりに【指切りげんまん】かあ。結構、イニシエの大神ってのは、ロマンチストなんだなあ?」
「だけど、素戔嗚さまは、奇稲田姫さまとの約束を破って【根の国】で新しい奥さんを作ったから、【罰】で針を1万本飲まされたらしいけどね?」
「うわっ、こわっ!奇稲田姫さまって、そんなに怖い鬼女房だったわけなの?」
「この【指切りげんまん】を破ると【罰】を喰らうってのを実際に体験してくださった、ありがたい例だわ?良かったわね?万福丸。僕との【約束】を破ったら、絶対に、針千本飲んでもらうわよ?」
「は、はい。わかりました。鋭意努力させてもらいます」
「鋭意努力じゃないわよ。良い?絶対なの?絶対に守ってよ?」
「はあーははっ!良いものを見せてもらったのでごわす。いやあ、若いって良いでごわすなあ。おいどんも早く嫁がほしいのでごわす」
「よっ、よっしーさん!生きてたの!?」
よっしーが部屋の壁や調度品の残骸に埋もれながら、頭だけ出して、ニヤニヤとしているのであった。
「生きていたとは失礼な話なのでごわす。よっしー、これでも頑丈なのでごわす。しかし、いくら、若い男女が朝から盛り上がっていると言っても、裸でイチャイチャしているのは、おいどんの眼の毒なのでごわす」
「一体、何を言っているのかしらってえええええ!?」
吉祥は、自分が一糸まとわぬ素っ裸のことに今更ながら気付くのであった。そして、両腕で胸を隠し、その場でへたりこみながら、顔を真っ赤にするのであった。
「ああ、ごめん。いつ言い出そうかと想っていたんだけど、つい、言いそびれちゃった。なんか、【喰らう】のは良いけど、吉祥の服まで【喰らって】しまったぽい」
「あんたのせいかあああああああああ!」
吉祥の見事としか言いようのない渾身の右ストレートが万福丸の左頬に突き刺さるのであった。