ー神有の章30ー 【流す】
吉祥は万福丸であったモノを必死に抱いていた。そして、泣き叫びながら、彼の名を呼び続けるのである。
よっしーはどうしたものかと逡巡していたが、吉祥が万福丸と呼ぶ、赤黒い空気を発するマユが、その空気の渦を伸ばし、吉祥までをも飲みこもうとしていることに愕然となる。
これは危険でごわす!と察した、よっしーは神気を発し、神力へと変換し、その口から【理】を叫ぶ。
【流す】
よっしーがその言葉を口から発すると同時に、よっしーの身体を渦巻く水が具現化する。そして、その水は、よっしーの意思を反映し、吉祥とその赤黒いマユのようななにかを引きはがすべく、盛大な流れとなって、吉祥と、マユの間を押し流れる。
吉祥は水の流れによって、マユから引きはがされる。だが、その瞬間、マユから声とも言えない音が部屋の中に響き渡るのであった。
【奪う】
その音が吉祥と、よっしーの耳につんざくように突き刺さる。思わず、吉祥は両手で耳を塞ぐ。
「くあああああ!何、この音!万福丸、やめて!僕のことがわからなくなったの!?」
マユの変化はそれだけでは無かった。赤黒いその身から、さらにヒトのような餓鬼のような真っ黒な腕を生えさせる。それは1本、2本だけではなく、10数本もの奇怪であり、闇より真っ黒な色をしていたのである。
その真っ黒な腕は力いっぱい手を広げ、伸びて行き、吉祥を捕らえんとばかりに襲い掛かる。
【流す】
よっしーは立て続けに【理】を口から発する。今度は水が畳の上から幅を持ってせり上がる。そして、それは水でできた壁となり、吉祥と真っ黒い腕との間に障壁となるのであった。
「大丈夫でごわすか?きっちゃん!急いで、おいどんの後ろに来るのでごわす!」
「で、でも。万福丸が苦しんでいるの。万福丸が僕の名を呼んでいるの。このまま、万福丸を放っておくことなんて出来ないよ!」
吉祥が涙を流しながら、そう叫ぶのである。よっしーは、くっと唸り声をあげる。まだ、きっちゃんには、この得体の知れないマユが、ぷっくーに見えているのでごわすか。これは、異常事態なのでごわす。ここは、おいどんが、きっちゃんを守るのでごわす!と、よっしーは思考する。
よっしーは、吉祥のもとへと駆け寄り、吉祥の身を自分の両腕で抱き上げる。よっしーに、お姫さま抱っこをされた吉祥は、驚きの表情を一瞬作るが、すぐにまた、万福丸であったモノの方に振り向き、万福丸の名を呼び続ける。
その吉祥の声に呼応するかのように、マユは声ならぬ音を発する。
【望む】
その声ならぬ音は、またしても、吉祥たちの耳をつんざくのである。吉祥は溜まらず、耳を両手で塞ぐ。だが、よっしーは吉祥を両腕で抱き上げていたためにその音をまともに喰らうことになる。
よっしーは、ぐうううと唸り声をあげて、畳の上に片膝をつくことになる。そして、はあはあはあと肩で呼吸をし、吉祥に言うのであった。
「きっちゃん。すまないのでごわす。あのマユのような何かをこのまま放置していては危険なのでごわす。おいどんはあのマユに攻撃を喰らわせるのでごわす。きっちゃん、攻撃許可が欲しいのでごわす!」
「だ、ダメだよ!あれは万福丸なんだよ!万福丸を傷つけるようなことを、僕が認めるわけにはいかないよ!」
「しかし、このままでは、あのマユのような何かは次に何をしでかすのかわからないのでごわす!さきほどの声のような音を発してから、ますます、アレが発する神気の量は膨れ上がっているのでごわす!」
よっしーの言う通り、畳みの上に転がる赤黒いマユからは神気が発せられていた。よっしーの見た目では、この神気の【色】は【祝い】ではない。明らかに【呪い】なのである。数多く大神が世界に存在はするが【呪い】の【色】を持つ大神は、その数は大変少ない。【呪い】の【色】を持つ大神は、その少なさも相まって、忌み嫌われることが多い。
「きっちゃん。ぷっくーは、元々、【呪い】の【色】を持つ【大神】と合一を果たしたのでごわすか?」
「う、うん。そうだよ。万福丸は、犬神の大神と合一を果たしたんだよ。だから、【呪い】の【色】で間違いはないよ?」
「犬神でごわすか。確かに、犬神は忌み嫌われる存在なのでごわす。だが、この【色】の強さは尋常ではないのでごわす。まるで、あの伊弉冉に届かんとばかりの【呪い】の【色】なのでごわす」
よっしーは、額から鈍い汗がにじみ出てくるのを感じるのであった。どうすれば、あの朗らかな少年が、これほどまでに【呪い】の【色】をここまで鮮やかにまで色濃く発することができるのかと。
「きっちゃん。もう一度、言うのでごわす。おいどんにあのマユへの攻撃を許可してほしいのでごわす」
「だから、ダメだって!あれは万福丸なんだって!いくら、よっしーさんの頼みでもそれだけは聞けないよ!」
「大丈夫でごわす。傷つけるために攻撃をするのではないのでごわす。言っていなかったでごわすが、おいどんが合一を果たした大神は闇淤加美なのでごわす。おいどんもまた、【呪い】の【色】を持つ大神なのでごわす。だから、ぷっくーを傷つける気は無いのでごわす!」
「ほ、本当?よっしーさん。僕に嘘をついてないよね?万福丸を傷つけるつもりじゃないんだよね?」
「本当に本当でごわす。ただ、あのマユを無力化するだけでごわす。おいどんの神力によって具現化した水は暗き場所から流れ出る川の水なのでごわす。この神力を持ってして、あのマユを包み込み、きっちゃんに害が及ばぬようにするだけでごわす。【約束】するのでごわす。決して、おいどんは、戦友のぷっくーを傷つけることはしないのでごわす」
よっしーの口から【約束】と聞いて、吉祥は心臓の鼓動がドクンッ!とひとつ跳ね上がるのを感じるのであった。【約束】は【理】すら飛び越えた拘束力がある。よっしーさんは、自分に【約束】をしてくれた。決して、万福丸を傷つけないと【約束】をしてくれた。
「わかったよ。よっしーさん。僕は【約束】を信じるよ。よっしーさん、万福丸を攻撃して!よっしーさんの神力でどうか、万福丸を傷つけないように攻撃して!」
難しい注文をしてくれる、きっちゃんでごわすなと想う、よっしーである。よっしーは、静かに眼を閉じ、そして、再び眼を見開き、神気を発し、神力へと変換する。そして、口から力ある言葉を発する。
【流す】
よっしーの足元から逆巻く水が竜の如く、舞い上がる。そして、水は全てを洗い流さんとばかりの濁流と化し、万福丸であった赤黒いマユへと迫って行くのであった。