ー神有の章 5- 神帝暦
神帝暦3年。これは伊弉冉が現世で受肉してから数えて4年後なの。
4年前、武田信玄と言う男が信濃と三河の国境近くで最後の時を迎えようとしていたわ。でも、信玄と言う男は天下取りの欲望を死の淵においても捨てきれなかったの。その信玄の魂の渇望が伊弉冉に利用された。
彼は言った。伊弉冉と契約するために。このひのもとの国を奪うために魂を込めて呪いの言葉を放ったの。それが
【奪う】
その一言により、伊弉冉は信玄と合一を果たしたわ。この時はまだ西暦と呼ばれていた時代であったの。
伊弉冉と信玄との合一が果たされた同時に、太陽は【朔】に襲われ、その姿を黒き穴へと変貌させることになったわ。そして、ひのもとの国の各地で異変が生じたの。それが【改変】よ。
あなたも知っているように、人の世は長く続いた戦国時代により数多の命が黄泉路に旅立ったわ。でも、それはひとの手によるものであって、まだ、神の意思によるものではなかったの。
でも【改変】が行われた世界は違った。伊弉冉の【理】によりたくさんの命が奪われるようになったわ。それも1日に500人の命がよ?え?1日にそれくらいが死んでもどうってことないだろって、あなたは言いたいのね?
僕も最初はそう想っていたよ、あなたと同じようにね。でも、この考え方は多いに間違っているの。古事記を読んだことはあるかしら?そう、イニシエの大神たちから始まるこのひのもとの国の歴史の書物よ。
あの書物にも伊弉冉は1日に500の命を【奪う】と言ったわ。でも、それに対して、夫の伊弉諾は産屋を建てて1日に1000の命を【産む】と宣言したの。
えっ?ここまで言ってもわからないのかしら?そうね。伊弉冉は現世に蘇った。けれど、伊弉諾は、未だに現世へ現れることはなかった。それがどういう意味かわかるはずよね?
はあ?わからないですって?あんた、馬鹿でしょ!伊弉諾が復活しないってことは、この【改変】された、ひのもとの国では新たな命が産まれないってことよ!そんなこと、説明しなくてもわかるでしょ!
はあはあはあ。まあ、いいわ。話の続きをするわね?僕のの神力によって具現化された書物には、こう書かれているの。
新しい命が産まれぬ土地へと変わり果てたことにより、事態を重く見た帝と朝廷が動いたの。そう【伊弉諾復活計画】と世の中に呼ばれているシロモノね。来年のお正月に実行に移すらしいわ。ん?なんでお正月かって?それは、お正月がめでたい日だからよ。
その前に神帝歴の始まりを説明するわね?これは帝と朝廷が【改変】されたひのもとの国をどうにかしようと、まず1番最初に行ったことに由来するわ。
帝はイニシエの大神の血を一番濃く引き継いでいる血脈なの。それくらい知っているわよね?その帝がイニシエの大神である天照さまと契約をかわしたの。これもお正月だったわね。だから、旧西暦と神帝歴に日にちのずれが生じてないわけ。
まあ、閏月の計算が大変だったと言う裏話があるみたいだけど、これは話が横道にそれるから今は説明しないわ。興味があったら、また時間がある時にでも言うわ?えっ?まったくもって興味がない?くっ!この歴史における横道こそが楽しいと言う感覚があなたにわからないのかしら!
はあはあはあ。危ないわ。自分から話を横道にそらそうとしてしまったわ。えっと、どこまで話したかしら?そうそう、帝が天照さまと契約をかわしたとこまでね。天照さまの神力はすさまじいものだったわ。伊弉冉と信玄が契約をかわして以来、ずっと【朔】に囚われていた太陽を取り戻したのだから。
でも同時に帝は神蝕により現世の肉体を完全に失ったの。その代りに天照さまは受肉することになったわ。今、朝廷を支配しているのは帝ではなく、天照さまそのものなの。
でも、帝が天照さまと成り代わっても、天照さまは帝との約束を果たそうとするわけ。それが、さっき言った【伊弉諾復活計画】よ。え?何で天照さまは帝との約束を律儀に守っているかって?
はあああ。なんで、こんな馬鹿が大神との合一を果たしているのかしら。本当に謎だわ。えっ?お前みたいな頭でっかちのほうこそ、大神との合一が信じられないですって!?ちょっと、説教するから、そこに座りなさい!
はあはあはあ。まったく、あなたと話をしていたら、すぐに横道にそれるわね。まあ、いいわ。大神との【約束】について、説明するわ。
良い?これは大事なことだからちゃんと聞いててね?大神は【理】を持っていることは、あなたが契約をかわした大神からも説明を受けているから良いとして、大神はもうひとつ大切にしているものがあるの。それが【約束】よ。
【約束】には拘束力があるの。それも大神の【理】を超えるほどの拘束力よ。大神は【理】によって行動するの。でも、その【理】を捻じ曲げるほどの力を【約束】は持っている。だから、大神はおいそれとは【約束】をしない。
あなたも大神と合一を果たした以上、おいそれとは【約束】をしてはダメよ?大神の神力を奪われかねない事態になるかもだからね?えっ?俺は吉祥と結婚する約束をしたですって?ちょっ、ちょっと待ってよ!あれは小さい時の話じゃない!あれは無効、無効よ!ねえ、聞いてる!?
「んんーーー。むにゃむにゃ。すぴーーー。ぐごーーー。うがが!吉祥、目覚めのちゅう~~~」
ちゅちゅちゅん。ちゅちゅんちゅちゅちゅん!
「うるせええええええええ!今、何時だと想ってんだ!毎朝、ぴーちくぱーちく、我が世の春の如くに鳴き叫びやがって!いい加減にしないと、焼き鳥にして塩をまぶして喰ってやるぞ!このスズメどもが!」
「あっ!ようやく起きたのデスワ!まったく、いつまで寝てるのよ。せっかく信長さまが入れてくれたお茶が冷めてしまったのデスワ?」
「ん?信長?何の話だよ、吉祥。あっれ?俺、あんまり記憶がはっきりとしないんだけど、どういうことなの?」
万福丸が頭をさすりながら身を起こそうとする。
「ダメよ。まだ寝てないと。信長さまの言うには、あなたは伊弉冉の【掻き毟り】を喰らったの。身体に異常は見られないけど、今はまだ、安静にしておかないとダメよ!」
へっ?伊弉冉の【掻き毟り】?どういうことだよ、吉祥!
だが、万福丸丸が声を出そうとしても、ああ、ああ、うう!としか出ない。伊弉冉の【掻き毟り】を言葉にしようとした瞬間に体中に怖気が走り、冷や汗が噴き出るのである。
「お、想い出させて、ごめんなのデスワ!これを飲んで落ち着いてデスワ!」
吉祥は急いで、さきほど信長が具現化した玉露入り湯飲みを万福丸に手渡す。万福丸は震える身体を抑えながら、口を湯飲みにつけて、ずずううう!と一気に飲み干す。
「うえええっ!げほっげほっがほっ!これ、お茶じゃねえよ!青汁じゃねえか!しかも採れたて一番絞りじゃねえか!」
「あああ。先生、うっかりしていました。吉祥くん用が玉露で、そこの口の利き方がなってない少年には、いたずら心で採れたて一番絞りの青汁にしていたのを。いやあ。間違えて、吉祥くんが飲まなくて本当に良かったですよ」
信長は笑いながら2人にそう告げるのであった。