ー神有の章 3- 名も知れぬおっさん
「おお。このお茶の茶葉を当てるとは、あなた」
吉祥は思わず、ごくりと唾を飲みこむ。
「食通ですね?」
「へっ?」
目の前の男の台詞に、想わず、すっとんきょうな声をあげてしまう吉祥である。
「そ、そこは台詞が違うでしょ!何、すっとぼけたことを言っているのよ!」
「あれれ?台詞を間違えてしまいました?じゃあ、もう一度、やり直しましょう。おお。このお茶の茶葉を当てるとは、あなた」
吉祥は再び、ごくりと唾を飲みこむ。
「生まれはもしかして、京の都ですか?いやあ、京の都の皆さんは舌が肥えていますからねえ?やはり産地の近くに住んでいる以上は、ごまかしが効きませんから。玉露を用意して正解でしたよ」
「だから、違うって言ってるでしょ!問題は、そこじゃないでしょ!」
吉祥が想わず、声を荒げて目の前の男に抗議するのである。
「年頃のお嬢さんは扱いが難しいですねえ?先生にも娘が居ますが、やれ、嫁ぎ先の旦那が暴れん坊で手がつけれないから、切腹させてほしいのよ!って手紙を送ってきますから。まったく、五徳くんは、徳川家との懸け橋なんですよ?その自覚が無いのには困りものですよ」
なんか、おっさんが自分語りを始めやがったぜ。それが万福丸の素直な感想であった。
「なあ。吉祥。そんな、おっさんと漫才なんかせずに、そろそろ、こっちを感知した奴の情報をくれよ。お前なら視えていたんだろ?その思兼の神力でさあ?」
「ちょっと!何べらべらと敵に僕の大神をばらしているのよ!あなた、前から想っていたけど本当に大馬鹿ね!」
「ば、馬鹿ってなんだよ!そりゃあ、俺は吉祥のお尻をこよなく愛している馬鹿だけど、大馬鹿って言われるほどの馬鹿じゃなと想うんだけど!」
「まあまあまあ。夫婦喧嘩は犬も喰わないって言いますので、喧嘩は布団の中でやってください?お若いんだから、朝までいけるでしょ?」
うるさい!と万福丸と吉祥が目の前のおっさんを怒鳴り散らす。おっさんは、やれやれ困ったなあ?と言う顔付きになるのである。
「はあはあはあ。とりあえず、今は喧嘩はやめましょう?それよりも、万福丸。この目の前の男をどうにかして!このままじゃ、僕たちは大神ごと、存在を消されるわよ!」
「あああん?このおっさんが?この俺たちを?どこからどう見ても、ただの人間にしか見えないんだけど?」
「とりあえず、一発、殴ってみなさい!そうすれば、こいつの正体がわかるはずだから!」
おいおいおい。吉祥。言っている意味がわかっているのか?だぜ。俺は今、神気を発して、神力を身にまとっているんだぜ?この状態で人間なんか殴ろうものなら、こいつ、骨も残さず、死んでしまうことになってしまうんだぜ?
「まあ、良いか。人間だったら死ぬだけだし、仮に大神だったら、どうにかするだろうし。悪い、おっさん。俺と吉祥の明るい家族計画のために死んでくれだぜ!」
誰がお前と結婚するかあああ!と言う吉祥の叫び声を無視して、万福丸は神気をまといし右手で神力に変換する。その瞬間に右手の先から右ひじまでを覆う銀色の手甲が具幻化する。
その銀色の手甲を目の前のおっさんの左ほほにぶち込めば、この任務は達成だ!そう、万福丸は想っていた。だが、次の瞬間、万福丸の眼には信じられない光景が浮かぶのだ。
「うーーーん。神力はそこそこですが、練りが足りていませんね?」
「おいおいおい。何の冗談だよ。なんで、俺の必殺パンチが、人差し指のみで止められてんだよ!」
そう。比喩表現抜きで万福丸が言ったことがそのまま現実として起きているのだ。
「さて、あなたの攻撃はこれで終わりですか?」
くそっ!舐めやがってだぜ!じゃあ、今度は両手で殴って、その余裕しゃくしゃくのおっさん顔をただの肉塊に変えてやるんだぜ!
万福丸は激昂し、さらに神気を膨らませて、左腕にも銀色の手甲を具現化する。そして、左右の手甲を交互に突き出し、目の前のおっさんの顔面めがけて連打するのであった。
だが、そうしても、万福丸の攻撃は、おっさんの左手ひとつで軽くいなされていく。右手で突けば、手のひらで受け止められ、左手で突けば、さらりとその手で流される。
「何してんのよ!ちゃんと当てなさいよ!さっきから、一発も当たってないわよ!」
吉祥が万福丸と、おっさんとの闘いを見守っていた。吉祥の【知る】と言う神力により、万福丸の神蝕率は50パーセントに達していることは知っていた。
それに対して、おっさんのほうは神蝕率が10パーセント未満であり、見た目ではその神蝕の証は数々の万福丸の攻撃を凌いでいる左手のみである。
普通に考えれば神気を神力に変換することすら満足にできないおっさんである。その程度の神蝕率では、下手をすれば、その辺の河童と合一して、神蝕率を90パーセントまで上げた状態のほうがまだ強い。
神気を神力に変えれないと言うのは、それほどまでに大神同士の闘いを左右するのである。だが、神蝕率が20パーセント以下で、満足に神気を神力に変換できなくても出来ることはある。
それは肉体の身体能力を向上させることだ。それならば、新米の大神だとしても合一を果たした大神からの力の供給のみで可能だからだ。
「万福丸!そのおっさんは、神気を神力にうまく変えれないから、身体能力の向上にのみ、力を注いでいるんだわ!」
吉祥の掛け声により、なるほどだぜ!と想う万福丸である。こいつは元々、大神と合一を果たす前は、人間においての達人の領域にまで体術を極めていたのだろう。
だからこそ、大神との合一を果たした今となっては、その体術は達人の領域から神域に達したのだ。そうなれば、あとは身体能力の向上で、肉体の耐久力と防御力を上げておけば、俺の神力による攻撃をかわしたり、防いだりできていると言うわけかと。
ならば、そんな体術や身体能力の向上で補えないほどの神力を叩きこめば、それで終わりだ!
【喰らう】
万福丸はさらに神気を膨らませるために【理】を口にする。
「おや?さらに神気を神力に変換する気ですか?いやあ、これは想定外ですねえ?」
「へっ。泣きヅラになる前に、その弛緩しきった顔を肉塊に変えてやるぜ!今から謝っても遅いんだぜ!おらあああああ!」
万福丸の膨れ上がった神気は左右の両足に収縮していく。そしてそれはつま先、かかと、くるぶし、すね、ふくらはぎ、最後にひざ辺りを覆うように銀色の脚絆として具現化する。
「よっしゃあああああ!きたんだぜ、きたんだぜ!これで俺の速度は、おっさんが体術でさばききれないほどにあがるんだぜ!さあ、死合い再開だぜ!」
「おやおや。これは困りましたねえ?この程度で全神力とか、先生がわざわざ出向くことなんてなかったじゃないですか。もっと、期待していたんですがねえ?もしかして、そこのお嬢さんのほうが、あなたより強かったりします?」
そのおっさんの一言により、万福丸は、ブチッ!と自分のこめかみの血管が切れる音を聞くことになるのであった。