ー神有の章 2- 【喰らう】
万福丸の問いに吉祥は静かに左右に頭を振る。
「ダメだわ。あそこまで神蝕率が低いと何の大神と合一しているかわからないわ。それこそ、思兼に意識を渡さない限りはね」
「そうかあ。じゃあ、手詰まりだなあ。その男に関しては。まあ、得体の知れないモノは放っておこうぜ?それよりも、他のもっと俺の獲物にぴったりな奴を見繕ってくれよ?」
「そうね。そうすることにするわ」
吉祥がそう言って、望遠鏡を覗いたまま、右方向へと視線を移動しようとした時、彼女は異変に気付くのである。
「えっ?どういうこと?なんで、あの男はまっすぐ、こちらを見ているのよ!」
吉祥の動揺が万福丸にも伝わる。
「ちっ。あちらにはこんなにも離れた場所の神力を感知できるほどの神力を持った大神が居るのかよ!これは不味ったぜ!」
万福丸たちは念には念を押して、あらかじめ、平均的な強さを持つ大神が他の大神の神気や神力を感知できる範囲の2倍の距離を取ってていた。ざっと、距離に換算すると1キロメートルである。肉体を直接、見られない限りは大丈夫だと踏んでいたのだ。
だが、距離を大幅に取っていたのに、それでも万福丸と吉祥の存在を感知されたのである。何て奴がいやがるっ!と、つい、万福丸は毒づくのであった。
「おいっ。吉祥、どいつにばれたんだ!そいつの神蝕率とその大神をすぐに教えてくれ!」
万福丸は怒気をはらんだ声でそう吉祥に告げる。だが、吉祥は望遠鏡を覗き込んだまま、カタカタと身を震わせているのである。
「嘘よ。こんなの嘘よ!」
くっ、この吉祥の怯え方からといい、きっと神蝕率90パーセントを超えた奴に違いない!まさに受肉ぎりぎりまでに大神に神蝕を許してしまった相手との闘いになる。そう、万福丸は想っていた。
だからこそ、万福丸は相手の大神に先手を取られぬようにと神気を膨らませて、叫ぶ。
【喰らう】
その瞬間、万福丸の刈り上げられた髪の毛がみるみる内に伸び出して、腰辺りにまで達する。そして、両腕、両足を渦巻くように蒼黒いモヤが発生する。これこそ、万福丸の肉体に刻まれた神蝕の証である。
「ちょっ、ちょっと、あんた!一体、何をしているのよ!」
吉祥が万福丸に対して大声で抗議する。
「うるせえんだぜ!とっくに相手の大神には、こっちの位置はバレてんだろ?この距離の神力を感知するような相手なんだ。ちゅうちょしてたら、やらちまうだろ!」
吉祥は万福丸に逆に説教をされて、萎縮してしまう。
ちっ。言い過ぎちまったぜ。ったく、神気を解放すると性格と口調が荒っぽくなっちまう。戦闘が終わったあとで、ちゃんと吉祥には謝っておかないとだぜ。だが、そんなことより、今は大神との戦闘を優先するんだぜ!
「おやおや?女性を怒鳴るのは、先生、感心しませんよ?さあ、お嬢さん。立ってください?怖くないですからね?先生が、この大神くんを説教してあげます」
小さくうずくまっていた吉祥の手を取り、立ち上げさせようとする男が現れるのである。
はあ?なんだ、こいつ、いつの間に現れたんだぜ?
「おい。吉祥、そのおっさんは一体、誰なんだぜ?何で、こんなところに俺たち以外の人間がいるんだ?」
万福丸が吉祥にそう尋ねるが、吉祥は、ああ、ああ、ああと言葉にならない小さな声を出している。くそっ。吉祥は思兼の神力で強大な神力を持つ大神を見てしまったために、心神喪失状態なのか?と想う、万福丸であった。
「おい、おっさん。悪いことは言わないから、この場所から消えやがれだぜ。ここは、じきに戦場に変わるんだぜ。お前みたいなおっさんが生き延びれる可能性は、その辺のありんこより、低いんだぜ!」
「うーん。口の利き方を知らない少年ですねえ?良いですか?初対面の美青年に対して、おっさん呼ばわりはやめておきなさい。うちののぶもりもりをおっさん呼ばわりするのは許しますが、先生をおっさん呼ばわりしてはいけません」
美青年?何を言ってやがるんだ、このおっさんは。大体、青年なんて言葉を使っていいのは、20から29歳までだろ。30超えたら、男は全員、おっさんだ!
「おい、おっさん!何度も言わせるんじゃないんだぜ!さっさと、この場を離れろと言っているだろ!これは忠告じゃねえ。警告だぜ!」
しかし、目の前のおっさんは気にした体もなく、大丈夫ですかあ?と呑気に吉祥に話かけていやがる。ちっ、どうなっても知らないからな?
「うーん。お嬢さん、本当に大丈夫ですか?ちょっと、待ってください?今、お茶を出しますんで。ほいっ!よしっと、はい、これを飲んでください?心配しなくても大丈夫です。毒の類は入れてませんからね?」
吉祥が渡された湯飲みを両手で握りしめ、コクコクと頷いている。何やってんだ?あいつ。嫌なら、無理して飲むことなんてないんだぜ?と言いかけた時、吉祥が湯飲みに口をつけ、ゴクコクゴクッ!と中身を一気に飲み干すのである。
「おやおや。そんなに急いで飲まなくて良いのに。それよりも、少しは落ち着きました?」
「あ、あなた。一体、何者なの?」
吉祥、それは俺がさっき聞いたぞ?だけど、口の利き方も知らないって説教されたけどな?
「そう言うことじゃないのよ、万福丸!僕たちの存在に気付いたのは、この男なのよ!」
万福丸は想わず、へっ?とすっとんきょうな声をあげてしまう。
「吉祥、何を言っているんだぜ?こいつからは神気のかけらも感じられないんだぜ?人間オブ人間にしか見えないんだぜ?」
「ああ。お嬢さん、大福も食べます?もちろん、お茶もお代わりも出しますので。えいっ!」
目の前のおっさんが、どこからともなく右手に大福、そして左手に湯飲みを出すのである。
「おいおい。おっさん。手品師か何かなんだぜ?そんなの見せるために、わざわざ、俺たちの前に現れたのか?」
「挑発するのはやめて!万福丸!」
な、なんだよ、なんで俺が吉祥に怒鳴られてんだ?なんか、納得がいかないんだけど?と想う万福丸である。
事態の深刻さをまるで理解していない万福丸に対して、吉祥は苛立ちを隠せないまま、その感情を乗せて万福丸丸に告げる。
「この男は大福と湯飲みを具現化したのよ!しかも、茶葉は京の伏見で採れる高級茶葉の玉露よ!僕、お父さんが清水の舞台から飛び降りてきた気分で買ってきたんやで?って、昔、飲まされたことがあるから、わかるのよ!」
おいおいおい。なんでこんな時にお茶に使われている茶葉の話なんかしてるんだぜ?と想う万福丸であったのだった。