ー改変の章13- 【筋肉】
天手力男神の言いに波旬はふうむと息をつく。確かにこの信長と言うニンゲンは【禁忌】の領域に踏み込んだことをやっている。だがしかしだ。こいつは元は自分の魂の一部なのである。ニンゲンの身でありながら神域に達するのは万が一、いや億が一、可能だったとしても、それでも【禁忌】の領域には辿り着けるはずがないのである。
「おい、貴様。現世に居た時に【悟り】を開いたわけではないのであるな?」
「悟りですか?いやだなあ。先生、自慢じゃないですが、欲望まみれの人間ですよ?そんな男が悟りなんて、とてもじゃないですが、無理ですよ。本願寺顕如くんならまだしも」
「であるか。まあ、ひのもとの国全てを手に入れようとする欲望を持ったニンゲンが【悟り】を開けるわけがないのは百も承知なのである」
「えっ?こいつ、国ひとつを丸ごと手にいれようとしていたのでもうすか?どれだけ波旬好みのニンゲンなのでもうすか?」
「ふっふっふ。うらやましいのであるか?我がこのニンゲンと合一を果たせたのは、その欲望の大きさのおかげとでも言えるのである。貴様も相撲が好きで好きで死んじゃううう!と言う男を見いだせると良いのであるなあ?」
「おいおいおい。何を言っているでもうす。確かに我輩は相撲を司る大神でもうすが【理】は少し違うでもうすよ?」
「えっ?」
「えっ?」
「ニンゲンはともかくとして、波旬まで何を言っているのでもうす!我輩の【理】は【筋肉】でもうす!筋肉をこよなく愛し、筋肉のためなら全てを捨てても良いと想っているニンゲンこそ、我輩がもっとも合一を果たしたい相手なのでもうす」
「そう言えばそうだったのである。何故、貴様は相撲を司る大神を名乗っているのであるか?そもそも、筋肉を司る大神と名乗れば良いのである」
「相撲は筋肉と筋肉が激しくぶつかり合うのでもうす。相撲こそ、筋肉の祭典なのでもうす。ならば、我輩は相撲を司る大神として、ふさわしいのでもうす!」
天手力男神の力説に波旬は頭痛がしそうな気分である。
「わかったのである。ならば、貴様が現世でニンゲンを探すのなら筋肉を基準にすれば良いのである。しかし、平和時ならともかくとして、荒れ果てた戦国の世で筋肉を愛するニンゲンなど見つかるのであるか?」
「いやあ、それが現世の時間で言えば40年ほど前から我輩の上腕二頭筋をビクンビクンとさせるようなニンゲンが、ひのもとの国に現れたのでもうす。あいつは我輩のために産まれてきたと言って、過言ではないのでもうす!」
「うーん?筋肉をこよなく愛している人間ですか?それって、もしかして先生の知り合いじゃないでしょうね?」
「おおお!お前、あのニンゲンを知っているのでもうすか?あの男、ニンゲンの癖にニンゲンの持つ筋力を120パーセント解放できるのでもうす!あいつは神域に達しようとしているのでもうす!」
「ああ。はいはい。もう、完全にそのひとが誰だか、先生にはわかりました。先生の家臣の柴田勝家くんです。彼は常々、自分の筋肉量をアップさせることに人生を費やしています。来月にはさらにもう2パーセント解放できそうだと言っていましたからね」
「なあああにいいい?お前の下僕なのでもうすか?くううう。あれほどの筋肉を持ちながら、下僕の身に堕ちているとは想わなかったのでもうす。我輩と合一を果たした暁には、その飼い主を絞め殺してやるでもうす!」
「いやいや。だから、その勝家くんの主人が先生ですってば。先生、現世に戻ったら、天下取りの続きをするんですからね?勝家くんはそのための大切な家臣なのです。勝手にどこかへ行ってもらっては困るのですよ」
「そ、そうなのでもうす?でも、我輩は天下取りには興味がないでもうす。筋肉を育て、筋肉を愛で、筋肉を解放することこそが我輩の【理】なのでもうす」
天手力男神が、がっくりと肩を落としている。その姿を見た信長がはあああと深いため息をつき
「わかりました。天手力男神くんが勝家くんと合一を果たすのを止めはしません。それに筋肉を育て、愛し、解放することも止めません。ですが、その力を先生の天下取りのために使ってください」
「い、良いのでもうすか?我輩、その勝家と言うニンゲンと契約をかわして良いのでもうすか?」
「まあ、契約をかわすうんぬんは最終的に勝家くんが決めることになるでしょうが、勝家くんもあなたと同じ、筋肉を愛する男です。毛嫌いされることはないでしょう」
信長の言いに天手力男神の顔がぱあああっと明るくなるのが見てとれる。信長は、はあああと深いため息をつき、勝家くんの脳みそがとうとう筋肉に変わるのですかと想わずにはいられないのである。
その光景を見ていた波旬が驚きを隠せない。大神はそれぞれ【理】を持っている。その【理】の元、動いているのだ。だが、この目の前のニンゲンは、その大神を従えようとしているのである。
いくら自分と合一を果たしたニンゲンと言えども、イニシエの大神が元はニンゲンであるものに従うのかと。波旬は戦慄を覚える。この男はまさに【理の外】の存在ではなかろうかと。
いや、そんなはずがない。【理の外】の存在ならば、自分とは合一を果たせるわけがないのである。なら、こいつは何なのだ?【理の外】ですら超越した何かなのか?
「さて、天手力男神くんが勝家くんと合一する以上、先生が神気と神力を使いこなせないようでは、お話になりませんからね。天手力男神くん、波旬くん。改めて、先生にご指導、ご鞭撻のほどをお願いしますよ」
「う、うむ。わかったのである。では、特訓を再開するのである。わからないことについては後で考察するのである」
「よおおおし!さあ、とっととおっぱじめるのでもうす!我輩も合一先が決まった以上、こんな才能のないニンゲンに教え込んでいれらるほど時間はないのでもうす!」
「だから違うと何度、言わせるでもうす!ばばばばばああああと神気を膨らませて、どどどどどおおおおんと神力に変えるでもうす!」
「そんなこと言われても意味がわかりませんよ!なんですか、この使えない筋肉だるまは!だれか指導者を変えてください!」
天手力男神による熱烈指導で信長の神気と神力の使い方を身につける特訓が再開された。だが、信長はそれでも全くもって、進歩する様子が見られない。
「腰をこうでもうす!そして、腕をこう構えるでもうす!そして、一気に神気を膨らませるのでもうす!」
「ええと、腰をこうして、腕をこう構えてと、ふぬぬぬぬぬ!」
波旬は、はあああと深いため息をつかずにはいられない。なんで、不可能なことを可能にする力は持っているくせに可能なことはできないのであるのかと。
時は満ちていく。もう残された時間はなかったのである。伊弉冉による【改変された世界】の完成が間近に迫っていたのだった。