ー神有の章93- 風と女
「ほれ。さっさと尾羽の直剣を拾うのじゃ。何をぐずぐずしているのじゃ」
と、天照が邇邇芸に直剣を拾うよう催促する。天照としても、直剣から禍々しい何かを感じることはないので、そうさせたのである。
邇邇芸は渋々といった表情で、しゃがみこみ、地面に転がる赤黒く変色した直剣を右手の人差し指でつんと触る。
その瞬間、ビリビリッ!と静電気にも似た感触を指先に感じ、想わず、右手をひっこめてしまうのである。
「ほ、本当に大丈夫なのでゴザルか?今、ビリビリッ!ときたでゴザルよ!?」
「大丈夫だと想うよー?多分だけどー」
「小子殿、多分って。わかったでゴザル。自分も男でゴザル。ここで情けない姿をさらしてしまっては、男としての面目が立たないのでゴザル」
邇邇芸は意を決して、一気に、直剣を握る。直剣は一度、ブルブルッ!と身を震わせたが、それ以降は従順な態度を示し、彼の右手に収まるのであった。
「ふむ。見た目は禍々しいでゴザルが、意外とあっさり握らせてくれたでゴザルな。さて、次はどうしたものでゴザルか」
邇邇芸は直剣の柄を持って、2、3度、軽く宙を斬ってみる。するとどうだろう。尾羽の直剣は赤黒い明滅を起こし始めるのであった。だからといって、邇邇芸自身に何か悪さする風もなく
「直剣が明滅しはじめたでゴザルが、何かを訴えかけているようにも想うのでゴザル。はて?それがしに何を望んでいるのでゴザルか?」
邇邇芸が神妙な顔つきで、またもや2、3度、直剣を振るってみる。すると今度は直剣から水気が漂い始めるのであった。
直剣を振るうたびに、その水気が濃くなっていき、ブンッブンッという風を斬る音から段々、シュバッシュバッと言う、水を斬るような音に変わって行くのである。
「ほう。これは面白い現象なのでゴザル。風を纏うはずである尾羽の直剣が水気を纏い始めたのでゴザル」
邇邇芸はこの現象を面白く想い、舞うように尾羽の直剣を振るい続ける。
「あ、あれ?なんだか、邇邇芸さまが尾羽の直剣を使いこなしているように視えるぞ?」
「そうね。万福丸。赤黒い神蝕がまるで、尾羽の直剣と合体して、良い感じに神力の均衡がとれているように視えるわね?」
吉祥が赤縁眼鏡のレンズを通して、邇邇芸の剣舞をじっくり観察する。風と水が融合し、水の粒が風に乗り、邇邇芸を中心として、薄い水の膜が宙に舞い上がって行くのである。
「邇邇芸さま、きれいだねー。まるで、風と水に祝福を受けているみたいー」
小子が邇邇芸の舞う姿をそう評価するのである。邇邇芸が直剣を振るうたびに、剣先から水しぶきが起こり、さらに風に乗って舞い上がる。水のしぶきは風の螺旋に乗り、集まり、水流となっていく。
邇邇芸は幾重もの水流の螺旋と風の螺旋に包まれていく。その螺旋に邇邇芸は少しずつ自分の神力を乗せていく。
今までは尾羽の直剣から発せられる風は無軌道に吹き荒れているように視えていた邇邇芸であったが、水流の螺旋により、風の螺旋も眼に視えるように感じることが出来て、それが良い方向に作用する。
「段々、わかってきたのでゴザル。今まで、無理やりに尾羽の直剣から具現化される風を制御しようとしたことが間違いだったのでゴザル。風が水の粒を運ぶように、それがしの神力もこの風に乗せることが肝心だったのでゴザル」
邇邇芸はただただ、尾羽の直剣が起こす風に自分の神力を乗せていく。風が、水が流れていくように、自分の神力も流していく。
やがて、風の螺旋が、水の螺旋が、神力の螺旋が溶け合っていく。尾羽の直剣を振るい、舞う、邇邇芸は、晴れやかな心持ちになっていく。
「おお。見事なのじゃ。今まで散々に苦労させられてきた直剣を、まるで手足のように使いこなしているのじゃ。さて、その威力はいかに?なのじゃ」
天照は邇邇芸に期待を寄せる。風と水と邇邇芸の神力が合わさったものがいかほどの破壊力を産むのかをだ。
「あ、あれ?うまく3つの力を合わせたのは良いのでゴザルけど、これ、どうやって、攻撃に転嫁するのでゴザル?」
邇邇芸の言いに一同が、はあ?とつい言ってしまうのである。
「そりゃあ、目の前に転がってる岩にぶつけりゃいいんじゃねえの?」
「い、いや。万福丸殿。なんだか、力が岩にぶつけられるのを嫌がっている感じを受けるのでゴザル。ただただ、自由に舞っていたい。そう感じるのでゴザルよ!?」
「えっ?どういうことなのかしら?集まった力が攻撃に使われることを嫌がっているって言いたいのかしら?」
「そうなのでゴザル、吉祥殿。あ、あれ?しかも、それがし、舞を止めれなくなっているのでゴザルよ?さあ、このまま、宙に舞い上がっていきましょうと直剣が語り掛けてくるのでゴザルよ!?」
「あたしにはわかるよー。天之尾羽張神が喜んでるのがー。邇邇芸さまといっしょに羽ばたきたいって言ってるー」
「えっ?それってもしかしてえええええ!?」
邇邇芸は何かを言わんとすると同時に、ついには、両足が地面から舞い上がり、宙に浮き始めるのである。
さらには、邇邇芸自身も水と風と、自分の神力の螺旋に巻き込まれて、ぐるんぐるんと宙で振り回されるのである。
「おおお。邇邇芸さま自身が宙で舞い始めたぞ?これが尾羽の直剣の真の力なのか!」
「すごいわね。尾羽の直剣を使いこなせれば、風の螺旋に乗って、自分も空を飛べるのね。さすが邇邇芸さまだわ」
「そこの2人、感心してないで、助けてほしいでゴザルううう!空を飛べるのは喜ばしいことかもしれないでゴザルが、少しでも、自分の意思を乗せれば、吹き飛ばされる可能性があるのでゴザルううう!」
「ああ、自分の意思で自由自在に飛べるわけじゃないのか。てか、正しく表現すると、飛ばされているっってことか」
「そうね。しかも、下手に色気を出したら、天之尾羽張神の機嫌を損ねて、どこに吹き飛ばされるかわからないってことなのね?さすが邇邇芸さまだわ。そこまで冷静に分析できるなんて、なかなかできないわよ?」
「で?あそこでグルングルン、宙で舞っているのをどうやって止める気なのじゃ?」
天照はやれやれと嘆息しながら、宙に舞い続ける邇邇芸を見つめるのである。
「いい加減、どうにかするのじゃ!女に翻弄されるだけが、男の甲斐性ではないのじゃ。びしっと一言、言ってやるのも、男としては必要なのじゃ!吹き飛ばされるのを恐れてばかりでは女との仲は深まらないのじゃ!」
「女!?女でゴザル!?いったい、何の話をしているのゴザルううう!?」
「天之尾羽張神は大空に吹く風や空を飛ぶ鳥にも似た女神なのじゃ!時には荒い気性を持ち、時には優しき心を持つ女なのじゃ!邇邇芸、おぬしも男ならば、自由奔放な女を乗り回す気概を見せるのじゃ!」
天照の言いに、万福丸が、はっ!という顔つきになる。
「ああ、なるほど。やっとわかったぜ。あの尾羽の直剣は小子ちゃん自身なんだ。小子ちゃんは自由奔放だもんな。おーーーい!邇邇芸さま!小子ちゃんを口説いて、自分の女にする感じで扱えば良いんだよ!」