第一話「四人と一人、たまに二人」
「んー……あ、見えた! 俺も見えたよ!!」
「本当?! やったー! 見て見て、もっと見て―!!」
窓際の一角で騒いでいるのは、長い黒髪を揺らして抱いた感情をそのままそっくり前面に押し出したように屈託なく高い笑い声を発する俺の姉である少女、まひる。
そして中学生らしからぬガタイの良さと長身を持つものの攻撃性など母の胎内に残して出てきたと言いたげなどこまでも人の良さそうな笑みを浮かべる友人、中谷慎二。
その二人が何を議題に盛り上がっているのかというと……
「おー、これでうちの学校なら殆どの人に見えるようになったんだね、まひる」
瞳を細めて唇の端を大げさに上げて笑う、青みがかった髪色に黒縁眼鏡の少年。
坂上夏彦がそれに同調するように言葉をかけた。
「すっげぇよなー、俺こんな大人数に見える幽霊って初めてだわ」
そしてまるで自分の事のように喜び、晴れの日の太陽のような明るすぎる笑みを浮かべる小柄な少年、來河圭。
そう、彼の言葉の通り。まひるは幼い頃からずっと側に居る、所謂幽霊という存在なのだ。
入学当初こそ俺と、元々幽霊が見える体質だった者以外には姿も声も確認出来ない存在だったのだが、日を重ねていくうちにまひるの存在を知覚出来る者が増えていき、三ヶ月経つ今では見えない人の方が珍しいという域にまで達していた。
具体的な理由もきっかけも分からないままではあるが、それでもまともな話し相手が俺しか居なかったまひるは大いに喜び、それを見た周囲も引きずられるようにそれを喜んだ。
人間である俺よりも幽霊であるまひるの方が受け入れられているのはひとえに人柄なのだろう。それほどにまひるは人に好かれる性格だった。
「ホント、冬夜の嘘つき疑惑も電波疑惑も晴れて僕は嬉しいよ」
そう言いながら自然な動作で肩に手を回す夏彦。漫画の世界のスポーツ物に似たような熱い展開もない普段の教室内での男同士の距離感ではないのが、夏彦は小学校の六年間海外で過ごしていた帰国子女のため、日ごろからスキンシップが多い。
これがあまり仲良くもないような相手からだったら嫌悪感も湧くというものだが、夏彦とは六年の空白期間があるもののそれまで家族同然に育ってきた幼馴染だ。嫌悪感というよりも、呆れの方が強い。
どうせやめろと言ってもやめない事はこれまでの経験則で分かっているので、小さく屈むことで腕から逃れ、夏彦の発言に関しては余計なお世話だとばかりに顔を背けることで返答を返した。
「あぁ、その疑惑は本当に晴れて良かったぜ……あれ八割は俺のせいだから、なんつーか気になってたんだよ」
同調するように、圭が器用にも片方の眉だけを上げながら肩をすくめる。
圭は霊感が強いらしく、入学当初からまひるが見えていた為にその事に対して深く突っ込んでしまい、結果として俺の小学校時代の悪評を蒸し返す事になってしまったのだ。
……まぁ、当人である俺はもう気にしてもいなかったのだが、その姿にさらに良心が痛んでいたというのは後に聞いた話だ。だからこそ、もしかしたら圭が一番まひるが周囲に見えた事を喜んでいたのかもしれない。
別の理由も、もちろんあったのだろうが。
「そんな事気にする前にお前は公式の一つでも覚えろよ」
「やめろ!! まだ見たくない!! その現実はまだ見たくないんだー!!」
あまりその話題を引っ張られても自分が苦しむだけなので、仕返しとばかりに嫌がるような話題を振ると、大げさなまでに頭を振って体全体で嫌だと表現する圭。それを見てまひるはまるっきり他人事のようにくすくすと笑いながら眺めるだけだが、当事者である慎一と夏彦は少し嫌そうに目線を逸らした。
「えっと……まぁ目を逸らし続けられるものでは、ないよね……」
「いーやーだー! 俺はまだ体育祭しか見えねぇの!」
諦め半分の慎一の声にも拒絶の反応を崩さずにもう数日後に迫った体育祭の事を主張するが、それが終わればすぐに中間考査である事実は変わらない。
学校というのは何故お遊び的な行事の後に悪魔のような行事を入れていく構成なのかと校長でも捕まえて問いただしたい気持ちでいっぱいだとかなんとかを呪詛のように呟き続ける圭の、いっそ哀れなまでの現実逃避の姿を見かねたのかは知らないが、その丸まった背中を夏彦が慰めるように柔らかく叩く。
「夏彦……お前はこっち側だもんな……!」
瞬間、先程までの嘆きを投げ捨てて期待に瞳を躍らせ、破顔する。その様子に夏彦もうんうんと頷き、
「大丈夫だって、体育祭で引き分けたら延長戦制度が適用されてテストが体育のみになるんだから、頑張ろうぜ、体育祭」
「なるほどそんな制度が……じゃあ点数計算を頭いい組に頼まないと…ってんな制度あるかーっ!!」
嘆きも期待も放り投げて一気に怒りを沸騰させている圭に、夏彦は悪戯っ子のように笑い、そしてその場で小さくじゃれ合い始めた。
こんな風景も珍しくないもので、慎一もまひるも軽く笑いながら二人の巻き添えから逃れるように窓の下に設置してある稼働していないストーブにもたれている俺の方へと半歩ほど退避するのもまた、いつもの事だった。
楽しそうに笑いながら教室内での鬼ごっこを楽しむ夏彦には、非常に雑で特に意味のない嘘を隙あらばつくという悪癖がある。それを信じる人こそ少ないものの、恐らくは圭のように一々過剰反応してしまうようなタイプの人とじゃれ合うのが楽しいのだろう。
人を食ったような態度が多いものの、夏彦はこれで案外構ってほしがりなのだ。
「冬夜は出るの借り物競争だっけ?」
「そうだよー、あとねぇ短距離走もだよね? 一人最低二競技だからってぴったり二つしか出ないなんてやる気ないんだから」
そんな鬼ごっこをずっと眺めているのも暇になったのか、慎一は世間話のように話を振るが、その言葉に俺が答える前にまひるが先んじて言葉を返す。
「あはは、でも短距離走かー。足早いもんね。って言ってもあんまり走ってるとこ見た事ないけど……」
「面倒くさがり屋で中々ちゃんと走んないの。体育祭でもちゃんとやるのかどうか……どうしてこうやる気がないかなぁ」
俺が何かを言う前に話が完結に向かっていくのはどういう事なのだろう。加えて後出しではあるが、俺が真面目に走らないのは面倒くさがっているわけではなくて体力がないからだ。一々真面目にやっていては体育の後は毎回保健室のベッドの上で出席日数の心配をする事になるだろう。
「体育祭でくらいならちゃんと走るって……」
マラソンやらバスケットなど長時間の運動は不得意だが、一つ一つの競技に空き時間のある体育祭ならそれなりに真面目にやっても保健室のお世話になることはないだろうし、わざわざ手を抜く理由もないし、むしろ周りが熱に浮かされている中でそんな協調性のない事をする勇気もないのだ。
「えー? やる気出してくれるのはいいけどー…倒れたりしない?」
「えっそんなに体力なかったの……?」
「そんなわけないだろ、大丈夫だ」
冬夜の大丈夫ほど信用出来ない言葉もないんだよねぇとまひるは眉を下げながら肩をすくめ、両手を広げてやれやれのポーズをとる。
……先に言っておくとこの時のまひるの心配は見事に的中するのだが、それはまだもう少し先の話である。
「お前足おっそいなー、大丈夫かー」
「あーあー、いいですねぇー運動得意な人はぁー。体育祭なんて運動音痴にはいじめだよ、いじめ」
ひとしきり騒いで気が済んだのか、全然平気そうな圭と汗ばんで息の上がった夏彦が此方へと戻って来た。
近場の椅子へ崩れるように座って不貞腐れたように唇を尖らせる夏彦の言葉の通り、夏彦と幽霊であるまひるを除く他は体力に差はあれど基本的に運動神経は軒並みいい。その中でもバスケ部に入っている根っからのスポーツマンである慎一は一年にして既にベンチ入りを果たしており、学内でも上から数えた方が早い程度には運動が得意だった。
夏彦も本人が言う程運動が出来ないわけではないが、如何せんスポーツにおいて重要なやる気や根性が備わっていないのだ。それを言うと俺も似たようなものだが。
面倒臭さが闘争心よりも圧倒的に優勢を取る、というマイナスな方向ばかり似た弟の幼馴染にどうにか頑張ってもらおうと……もしかしたら面白がっているだけだったのかもしれないが、まひるは机に顎をつけてダレている夏彦に明るく声をかける。
「まひるちゃんが応援してあげちゃうから頑張って! あ、どうせビリなら転んでからゴールすれば主人公になれるよ!」
「そんな主人公願い下げだっつの」
「じゃあチアガール姿でゴールで待ってるよ! 冬夜が!」
「マジで? 僕死ぬ気でカメラ片手に駆けつけるよ?」
「黙ってろ」
お互いに嘘か誠か分からないノリで話す二人と、会話の内容に笑う二人。
今日も今日とて騒がしい教室の中に、遠慮がちなノックの音が鳴り響いた。
その小さな音は教室内の音に紛れて消えてしまいそうな程度の音量だったのだが、そんな微かなノック音に覚えのある面々は誰ともなく扉へと視線を向ける。扉の前に所在なさげに立っていた丸眼鏡の背の高い少女は、此方の視線に気づくと長い三つ編みを揺らしがらわずかに頭を下げた。
いつもの通りに軽い動作で慎一は扉まで小走りで駆け寄り、彼女とその場で会話を交わすのをどこか生暖かい目戦で眺めていると、やがて俺たち誰も来ていない事に気付いて振り向いた慎一はやっぱりどこか困ったように笑いながら手招きしてきたのだった。
仕方ねぇなぁという圭のぼやいた声とともに俺たちも非常にゆったりとした動作で、歓談する二人の元へ入っていく。
「こんにちは。ごめんなさい、お呼び立てして」
丁寧に謝って来る女子の名前は館川史子。隣のクラスに在籍する、文学少女を体現しているような大人しく控えめな容姿をもった少女である。
彼女がこのクラスに足を運ぶのはよくある事なのだが、
「あれ、ふみちゃん、美琴ちゃんは?」
普段はもう一人、ミルクを入れた紅茶のような髪色の少女も隣に居るが、珍しく今日はその姿がない。
まひるがそれを不思議そうに問いかけると、館川は眉を下げて曖昧な笑みを浮かべた。
「その……今日は美琴は委員会で、別行動なんです。お昼は一緒に食べたんですけど、その後一人になったのでちょっと暇を持て余しちゃって」
扉の前でどこか心細そうにしていたのはそれが原因だったのだろう。
日頃から引っ込み思案な館川を、美琴と呼ばれた少女がぐいぐいと引っ張っているのが常だったせいで、いざ引っ張られるものがなくなると多少不安な気持ちが胸をよぎるのは……多少理解出来る。
「そうなんだ、小鳥遊さんって委員会入ってたんだね」
「うん、美化委員さんなんです。校内のお掃除とか頑張ってるんですよ」
知らなかった要素について慎一が言及すると、館川は何故か誇らしげに笑った。
「ふみちゃんは委員会入らなかったの?」
「うーん、放課後もお仕事あるものも多くてで……放課後は少し忙しいから遠慮したの」
「あぁ、部活忙しいんだもんねぇ」
「あ、思い出した。美化委員って冬夜が入れさせられそうになったとこじゃね?」
聞いたことがあるなと思案顔だった圭が、漸く合点がいったように後方に居た俺に視線をやる。
確かに、その委員会の名前には覚えがあった。
各委員を決めるLHRでの思い出すのも嫌な記憶が頭をよぎり、思わず顔をしかめた。
「え、一くんがですか?」
「勝手に斡旋されたからってだけで夏彦と三日もギスギスしてたんだよ~、心狭いよねぇ」
「あぁなるほど、あの三日間はそれが原因でしたか」
意外そうに瞳を丸くさせたものの、まひるの補足を聞いて顔をほころばせて抑え切れない
笑い声を隠すように手で口を隠して肩を揺らしていた。
いい話が聞けましたと、胸ポケットから取り出した手のひらサイズのメモ帳と小さなペンで何かを書きとどめている。
この少女はそもそも初めて出会った時からこうだった。
ただ廊下でぶつかっただけの出会いとも呼べるかは分からない始まり方には別におかしいところはなかったのだが、ぶつかってそれを謝った後に館川の口から出てきた言葉が……。なんというか、当時の自分には理解の範疇の外だった。
これは攻略対象キャラ必至、乙女ゲームが始まった、クーデレ厨二病。
他にも何個か言われたが、俺の心理的ダメージを増やさないために伏せておくが……今でこそその言葉の意味も半分程度なら理解出来るようになったし、なぜあの時あんな言葉を浴びせかけられられたのかも、その解答を知ることが出来た。
そして、その時もこの少女はメモ帳に何かを書きこんでいたのだ。
「なー、いつも思うんだけど、何書いてんの?ソレ」
「ひぇっ?! こ、これですか?!」
館川の手の中に収まっているメモ帳を夏彦が指をさして尋ねると、なんとも気の抜けた声を出しながら驚いたように体を跳ねさせた。
そのまま暫し答えを迷うように考え込み、散々熟考した上にだされた言葉は、
「こ、攻略本用……みたいな?」
「……なんの?」
要領を得ない返答に首を捻る夏彦と、同じように首を捻る慎一。
ここまででもう気付いているかとは思うが、彼女が文学少女なのは雰囲気だけのものであり、実際は大のゲーム好きで活字はむしろ苦手らしいのだ。その為、館川にとって本と言えばゲームの説明書やゲーム雑誌、そして攻略本。
ちなみに攻略本を見ながらゲームをやるのではなく、一度全部やり終えてからやっと攻略本を開いて楽しむらしい。
「分かった……分かったぜふみちゃん! 冬夜攻略本なんだな?!」
「冬夜攻略本? なにそれ気になる気になる」
「気になる気になる♪」
今にして思うとすぐに圭が正解を引き当てたのも、二人が同じ部活に所属していたからだろう。
それを知らない夏彦とまひるはその中身が気になるのかメモ帳に手を伸ばすが、
「わー!! ダメ!! ダメです!! これはその、ダメなんです!!」
慌てて館川が手を高々と天へ掲げることで一時的に事なきを得たが、そもそも物に触れないまひるはともかくとして、殆ど同じ身長の夏彦相手ではどんなに手を上げようと安全圏はなく、あっさりと夏彦に掻っ攫われたメモ帳。
ある意味夏彦の興味を引いた時点で既に館川の受難は始まっていたのだ。
「どれどれ、えーと……一 冬夜攻略その27。幼馴染相手でも勝手に委員会に入れられそうになると三日ほど怒る……?」
「や、やめてーっ! ほ、ホント前ページそんな感じなんです! ね、もういいでしょう?! 気が済んだならそれ以上深追いしないで……あっあっ! め、めくらないでぇ!」
「ふみちゃん……これ残り56個も全部そうなの……?」
激しく恥ずかしがる館川には同情するが、あからさまに呆れた態度を崩さない夏彦とまひると俺も同じ気持ちだったことをよく覚えている。そして恐らく慎一もなのだろう。何も言わないが明らかに目を背けている。
「その36。猫が好き。犬は普通。爬虫類は無関心。虫が大の苦手。雨の日捨て猫イベントワンチャン。
その29。雨の日は湿度が高いせいで肌が少しべたついて苦手。汗拭きシート常備(敏感肌用)汗拭き系のイベントは不可
その18.タコさんウインナーよりカニさんウインナーが気になる模様。(4月6日タコさんカニさん初対面)尚、手作り品は食べてくれないのでお弁当系のイベント不可。
……マジかこれ」
夏彦はメモ帳を適当に捲り、ランダムに読み上げていくがその中身は本当に同じレベルだった。
恥ずかしさのあまりその場にしゃがみ込んでしまった館川に明らかに同情の目を向けつつメモ帳を閉じる夏彦。
「えっと、大丈夫? 館川さん。ほら、メモ帳返してくれたよ?」
「ありがとうございます……でもあの、ストーカーとかではないので、ちゃんと本人から聞いたことだし、それにまだゲーム化してないんで……」
「まだってなんだ……」
生暖かい目をしながらも夏彦から受け取ったメモ帳を、耳まで赤くしてうずくまる館川に手渡す慎一。
それを受け取ってすぐに胸ポケットへ仕舞いながら館川は弁解を重ねるが、むしろ疑念は深まるばかりである。
「本当に違うんですよ! これは橘先輩の為といいますか、むしろ巡り巡って一くんの為といいますか……そもそも趣味ではなく部活動の一貫で、って圭は知ってるじゃない!!」
そんな必死の言葉で漸く行動の意図が判明したのか、呆れていた二人もなるほどと笑った。
そう、これは決して館川の趣味でやっているわけではなく、彼女、そして圭の所属するアニメゲーム研究部についての活動であり、一応その部活に所属している橘由貴先輩が一枚噛んでいるのならば館川はただの被害者とも呼べる位置づけになる。
なんといってもその先輩は生ける弾丸と呼ばれる程に真っ直ぐすぎる程に真っ直ぐな猪突猛進タイプで、根っからの体育会系なのだ。この時はまだ何度か話した程度だったのだが、それでもあの人は完全に振り回す方の人種だと確信していたくらいなのだ。
典型的な流されタイプである館川ではその大きすぎる波にはとても逆らえないだろう。
「いや知ってるけどよ、ときめき的なのをメモリアルするガールズ版を作るっていう一大プロジェクトの為のネタ調達だろ?でもそれはねぇよふみちゃん、それただの冬夜日記だし。」
どうせ他の奴のもそんなんなんだろ?と話を振られた圭は少し困り顔で、それでも口元には笑みを残しながら言い聞かせるように話すが、館川もそうだけど、と少しまごついたものの、負けじと強く言い返し始める。
「モデルの観察が一番手っ取り早いじゃない! それに、乙ゲーではこういう何気ないイベントの重なりがエンディングに繋がっていくんです! ビッグイベントばかりじゃ大味すぎるでしょう?」
「ビッグイベントいいだろ!! 冬夜なんて虚弱体質なんだから入院させといてその後殺しとけ! 夏彦はヤンデレ心中エンド、慎一はバスケで最後に全国大会だ!!」
「ベッタベタじゃないですかもう!」
廊下で行われる熱い討論にまひるが心底楽しそうに相槌を打ち始める。
結局館川の行動の理由は部活内で作るゲームを作る為のネタ集めであり、俺の事だけではなく、他の男子の観察日記も作っていたのだった。
「まーまーお二人さん」
興奮気味な二人に割って入ったのは意外にも夏彦だった。
いつもならば喧嘩に発展しそうな言い合いが始まった場合それを止めようとするのは慎一だったのだが、慎一は困ったように見守るだけで間に入る気は感じられない。
「んで? その冬夜攻略ゲームはいつ発売?」
「先に言っておくが入手した瞬間壊すからな」
「いいなー、私もやりたぁい」
放って置いたら本気でプレイしだしそうな夏彦に釘を刺しつつ、どこか羨ましそうに呟くまひるには無言で返す。誰かのプレイ画面を見る事しか出来ないのだけどそれをわざわざ指摘するのも意地悪だろう。
そんな対話の最中、此方へ近づいてくる少女が一人。
「やっぱりここに居たのね、史子」
「あ、美琴、お疲れ様」
編み込みの入ったおさげ髪を揺らし、気の強そうな瞳を持った美少女が高めの声を響かせた彼女が先程委員会に行っていると説明された本人、小鳥遊美琴だ。
一人で歩いているだけでは平均身長なのだろうが、長身の館川と並ぶと小柄に見えるその少女は典型的な内弁慶、または猫かぶりとでも言うのだろうか。知り合った当初は甘ったるい笑顔と猫なで声を見せる事の多かったものの、最早この時点から本性を曝け出し始めていた。
「廊下で広がって話してると邪魔よ、邪魔。隅に寄りなさい」
しっしっと猫でも追い払うように手を上下に振り、言い方はともかくその意見には同意した面々はぞろぞろと扉側ではなく窓際へ移動する。
その素直な反応に気を良くしたのか満足そうに笑い、よしよしとペットを褒めるかのごとく軽くうなずいた。
「それで、盛り上がってたようだけど何を話してたの?」
「えっとね、今作ってるゲームがあるじゃない? その話を少しだけ」
「あぁ、あのアドベンチャーゲームね」
今までの話を掻い摘んで教えてもらい、男性陣へと意味深な含み笑いを向ける。
館川に付き合う形で同じ部に所属していた小鳥遊も、この時点でそのゲームの内容を把握していた為の反応なのだが、もちろんこの時にそれに気づいていたのは同じく全てを知っている圭くらいのものだっただろう。
「そうだ、その話とは違うんだけど忘れる前に言っておくわね。今度の体育祭なんだけど、私あまり一緒に行動出来ないのよ」
「え、そうなの……?」
話が変わると前置きされて言われた言葉にそれまで表情を緩ませていた館川の眉が大げさに下がる。
「ちょっと……そんな不安そうな顔しないでよ。たった一日でしょ」
「でも……ちょっと寂しいです」
「仕方ないの、美化委員は行事の時は忙しいって言ってあったでしょう?」
「それは仕方ないですけどぉ……」
仲のいい二人は殆ど一緒に居る事が多いのだが、文目中学校での美化委員は行事中のゴミ回収などが主な仕事であり、中々共に行動は出来ないのだ。なので行事のある時は館川の側にまひるが居る事が常になっていた。
「じゃあふみちゃんのとこには私が居るねっ! これなら寂しくないよね?」
「いいの? 史子一人にすると心配だし、お願いするわ」
「お任せあれ~♪」
「あ、ありがとうまひるちゃん……!あ、でもいいの?一くんとは、」
「いいのいいの、冬夜は全然構ってくれないから暇だもん。それならふみちゃんと居た方が楽しいもん」
「えへへ……じゃあよろしくお願いします」
思い返せばそんなお決まりが出来たのもこの体育祭が始まりだった。俺の背後に居るだけだったまひるが他の誰かと行動を共にするのは何処か寂しくもあったが、でも喜ばしい事でもあった。
こうしてまひるの狭すぎる世界が広がった事を、俺は喜んでいたのだ。
「冬夜、お前今日日直だろ? 黒板消せってよー!」
女性陣の会話の最中、クラスの男子に話しかけられていた圭はその伝えられた内容を近くに居るのにも関わらず大声で伝える。
「うわ、もうこんな時間だ、次の授業始まっちゃうね」
「あ~昼休みが永遠に続けばいいのになぁ~。ていうか次なんだっけ? 英語?」
「数学だアホ。和泉ちゃん絶対来るの遅れないからさっさと用意しねぇと」
「まずい、今日僕当たる。予習してない。やばい」
「は?! お前当たるって事は俺も当たるじゃねぇか!! やべぇ!! 早く戻るぞ!!」
その言葉に現実に戻されたように慎一は時間の経過を嘆き、夏彦と圭は少し慌ただしく授業の準備をするべく教室内へ引っ込む。
「私達も戻らないと、行くわよ」
小鳥遊がそう館川に声をかけると同時に予鈴が鳴り響き、そこで二人と別れ教室に戻る。
俺は先の言いつけ通り残された板書を消す為黒板消しを手に取ると、隣で同じように黒板消しを手に取る影。
「俺上やるね」
思わずそちらに視線を向けると、上の板書を消す手を進めながら慎一が目だけをこちらに向けて小さく笑みを溢した。
ここまで自然に人を助けられる人は中々居ないと今でも思う。
それでも何だか身長が低い事を馬鹿にされた気がしてお礼を言う気にもなれず、黙って手を動かすとその行動すら分かっていたようにまた笑った。
慎一のお蔭で本鈴の前には消し終わり、何でもない事のように席に戻ろうとする慎一に何も言わないのも座りが悪く、
「……ありがと」
「え?」
ほんの少し、聞こえるか聞こえないかも怪しいくらいの音量でお礼を口にすると、しっかり聞こえていたらしい慎一が足を止めた。
「いいよ。これくらい気にしないで?」
そして表情をやわらかく崩し、席に戻っていった。
男として、いや人として完全に負けた感覚に陥りながら自分も席に着き、教科書やノートを机の中から引っ張り出している途中、前の席に座る慎一がノートを片手に振り向く。
「はは……ごめん、ここ教えてくれない? 当たるの忘れてた……」
先程のどこか兄のような頼りがいのある姿は消え、困ったように笑う同級生がそこに居たのだった。
*
「んじゃ、また明日な!!」
授業中の暗澹とした雰囲気もどこ吹く風か、下校時間になった途端圭は肩に鞄を担ぎながらそう明るく言い放ち、我先にと教室を飛び出していった。
「俺も部活行くね、二人ともまた明日。あ、明日体育あるから体操服忘れないようにね。この間も夏彦忘れてきたでしょ」
「はいはい、覚えときますよ」
「もう、じゃあね」
その姿を笑って見送った慎一もその後を追うようにエナメルの鞄を持ち、教室から出る。
一気にまばらになった教室内で残った数人はそれぞれ暇な帰宅部だったり何かしらの用事がある生徒のみであり、俺もまた日直が書かなければならない日誌を書き、職員室へと運搬しなければならない。
普通は日直の業務は二人で行われるものだが、この日もう一人は体調不良で欠席している為一人で行わなければならなかったのだ。
「よっと。なぁ日誌って何書くの? 僕の時女子が書いてくれたから分かんないんだよね」
机の中から日誌を取り出すと、とっくに帰宅したらしく無人になっている隣の席に夏彦が鞄を引っかけながら腰を下ろした。
「その日あった事で何か一つだろ」
「なんかあった?今日」
「別に何も」
「えー! あったよー。ほら二限目の数学でさぁ、圭くんが居眠りして和泉ちゃんにチョーク投げされてたりー」
「高良先生って美人なのに暴力的だよなぁー」
確かに事件と言えば事件なのかもしれないが、まひるが語ったそれを書くのは日誌向きではないだろう。
高良和泉先生というのは文目中の数学教師で薄い金のブロンドに透き通るような碧眼で整った顔をもつ、女生徒からは手の早い王子と呼ばれている。この手の早いとはそういう意味ではなく文字通りの意味で、居眠りすれば容赦なくチョーク投げたり教科書で頭を叩いてきたりと、PTAをも恐れぬ豪胆さをもった男なのだ。
「って、あれ、もう書いちゃったの?」
こんな日誌なんて教員も内容までは目を通さないだろうし、書いてあるという事実さえあれば適当でいいのだ。
とはいえ仮に見た時に流石に問題ありそうな事だと後々面倒になるので当たり障りないもの。
「えぇ~……備え付けのチョークが少なくなってましたってこれ……つ~ま~ん~な~い~!」
「つまんなくていいんだよ」
背後で騒ぐまひるに日誌を閉じながら返答を返し、後はもう職員室に寄って帰るだけなので鞄にも手を伸ばそうとすると、それより先に鞄を持ち上げたのは夏彦だった。
「今日だけ、しかも職員室までな」
頼んでもないのになんて恩着せがましいんだろうか。似たようなことをやっても、それをする人の態度でここまで感じ方が変わるのかといっそ勉強になった。
わざわざ職員室の前で鞄を下ろすのも億劫だし、持ちたいのなら持っていて貰おうと曖昧な言葉を返して教室を後にする。
「なぁなぁ、今日帰りコンビニ寄ろうぜ。なんか甘い物食いたい気分なんだよなー、アイスとかどう?」
「買い食い及び寄り道は校則違反」
「固い事言うなよ~、いいじゃんたまにはさぁ」
「はいはーい! まひるちゃんはクレープが食べたいでーす!」
「はぁー? まひるには聞いてませーん」
「なにをー!!」
両脇から発せられる元気な声を聞きながら、自分たちの教室がある三階から職員室がある二階まで階段で降りていく。
「大体何で食べれないのにお前に合わせなきゃいけないんだよ。結構な人数に見えるようになったからって調子乗ってんの? お前の存在知ってるやつじゃないと未だに見えないのに? 端から見たら男二人でクレープなんですけど。なんの嫌がらせなわけ?」
「だってだって! 帰り道にね! クレープのワゴンが来てるってクラスの女の子が言っててね! 期間限定なんだって、早く行かないともう食べれないんだよ?」
「けっ、一人で行けよ一人で。あ、お前一人じゃ注文も出来ないか」
「う…っ、うわぁあああああん!! 冬夜ぁああ!! 夏彦がひどいの!! 幽霊に言っちゃいけないこと沢山言ってきた!! 怒って!! 怒ってよーっ!!」
「そもそも俺甘いもの食べたくないんだけど……」
「ひどいよね! 夏彦だってクレープ食べたいくせに! 甘い物大好きなくせに! 年から年中甘い物食べたい気分のくせに!」
「僕だって人目くらい気にするっての。クレープとか食うなら冬夜なんて誘いません~、ゆっこでも誘います~」
「私は?!」
「誰がお前なんか誘うか、べー」
「呪ってやるー! 金縛りに合わせてやるー!!」
人の名前は出すくせに会話に参加させる気はないらしい。
もう相手にするだけ無駄だろうと歩む速度を速め、ついでにうるさい二人も置いて行きたいとも思っていたが、ありがたくも迷惑な事に律儀にも速度を合わせてくる。
合わせなくていいのに。
「職員室近いんだからもう喧嘩するなよ……まひるはその教えてきた女子とでも行けばいいだろ」
「冬夜が食べないと私が食べた気がしないんだもんっ! ねぇ食べてよー、いいでしょー? 一個だけー」
「じゃあ俺日誌置いてくるから、ついてくんなよ」
「うわーん! 無視しないでー!」
毎日毎日飽きもせずに似たような喧嘩をする二人を置いて、失礼しますという挨拶もそこそこに職員室の扉を閉める。
そして教員たちは扉を閉めても聞こえてくる男女の喧嘩する声に微笑ましそうに笑っていた。
「今日も元気そうで何よりです。日誌受け取りますね」
「元気すぎるのも考えものだと思いますが……」
扉から近い場所に位置している担任へと日誌を手渡すと、1-C担当教諭である青羽里花はパラパラと軽く日誌をめくり始めた。
「良い事ですよ。逆にこの騒がしい声が聞こえない方が心配になりますからね」
「多少静かになった方がいいんじゃないですか?」
「放課後なので構いません。授業中はそれなりに静かですし、はい、間違いなく受け取りました。日直お疲れ様です。」
本当に確認しているのか不明な確認方法だったが、担任自らがそう言うのならいいのだろう。
「今日はお一人でしたけど、大変ではなかったですか?」
「いえ……」
「黒板の上の方とか届きましたか? 実は困らないようにとそれとなく椅子を用意してみたのですが使用した形跡はなかったもので」
「……て、手伝ってもらったので別に」
「それは良かった」
そういえば朝にはなかったパイプ椅子がいつの間にか置いてあったが、そんな意図で置かれていたのか。
この人はどうにも嫌がらせでしているのかからかっているのか、はたまた本気で心配しているのかが分かりにくい。
「体調の方はいかがですか? 保健室の利用が少し減ったとは聞きましたが、我慢はしてないだろうかと雪代先生が少し心配していましたよ」
「特に、大丈夫です」
「そうですか。あぁ、ごめんなさい、お友達とお姉さんが待っているんでしたね。問題ないとは伝えておきますが、雪代先生はどうせ話相手が欲しいだけだと思うので暇な時にでも顔を見せてあげてください」
「考えておきます」
「えぇ、それでは気を付けて帰ってくださいね。外では寄り道の行き先で大分白熱しているのが丸聞こえなので、立場上真っ直ぐ帰って下さいと言っておきます。そして個人的にバレないようにお願いしますとも言っておきますね」
「す、すいません……じゃあ、失礼しました」
何故俺が謝らなければならないのかと疑問に思いつつも頭を下げ、にこりともせず緩く手を振る青羽先生ともはや笑いをこらえ始めている教員に見送られて職員室を後にした。
「いい加減にしろ、中まで丸聞こえだったぞ」
そして元気に寄り道の行き先を大音量で討論する二人へ注意の言葉を口にすると、
「だってまひるが!」
「だって夏彦が!」
全くもって仲のいい事に、お互いを指さして同時に罪を擦り付け合ったのだった。




