第9章10話 アプシント山脱出
木製の小さな扉、大穴の開いた鉄の扉、泥に沈んだ鉄の扉、砕け散った鉄の扉。これらを再び超えて、魔王たちは薄暗いダンジョンを抜け出し、アプシント教会の聖堂にまで戻ってきた。
「騎士団の援軍は、もうすぐそこまで来ているはずだ。ぐずぐずしている暇はない」
血塗られた、死体に埋め尽くされる聖堂で、魔王は呟く。そして魔力に言葉を乗せ、アプシント山上空にいるであろうベンに指示を下した。
「ベン、聞こえるか」
《迎えじゃな。待っとれ、すぐ行く》
詳しいことを説明せずとも、ベンは魔王の指示を理解したようだ。話が早いのは助かると魔王は感心しながら、転がる死体を横目に、第3魔導中隊が封鎖する教会出入り口へと急ぐ。
途中、ダートは辺りを見渡し、立ち止まった。彼はとある人物の行方を気にしていたのである。
「そういえば、パンプキン、どこ?」
倒れた柱の土煙の中、姿を消したパンプキン。パンプキンの死体を、魔王は確認していない。彼はすでに死んでいるのか、教会から逃げたのか、まだ教会の中にいるのか、魔王は知らない。
パンプキンが消えるという事態に、マットはスイルレヴォンでの出来事を思い浮かべたようだ。マットはニタニタと笑い、ヤクモをからかった。
「ヘッヘ、勇者さんよ、財布盗られてねえか?」
「盗られた」
「そうか、盗られちまったか。……やけに冷静だなおい」
ごく当たり前のように答えたヤクモ。実は、ヤクモは教会での戦闘中に財布を盗られていることに気づいていたのだ。ただ、特に焦った様子もないヤクモに、マットはどう反応すればいいのか分からない。
なぜヤクモは冷静でいられるのか。理由は簡単。焦らずとも財布は取り戻せるからだ。ヤクモは倒れた柱の残骸の側に立つと、残骸の中に腕を突っ込む。
「大丈夫。パンプキンならここにいるから」
そう言って、ヤクモが残骸に突っ込んだ腕を引っ張り上げると、石の破片の中から金髪頭の男が姿を現した。
「おお! やっと出てこられたッス! いやぁ、死ぬかと思ったッス!」
大小様々な石の破片の下敷きになり、暗闇の中、まともに息もできなかったパンプキン。そこから解放された彼の表情は、なんとも清々しい。
残骸から解放されたパンプキンではあるが、ヤクモからの解放は期待できない。ヤクモはパンプキンの肩を強く握りながら、顔を覗き込み、口元は笑いながら、目には怒りをほとばしらせ、口を開く。
「無事で良かったね。でさ、私の財布、盗んだでしょ」
「あっ……」
自分の置かれた状況がどれだけ最悪なものなのか、パンプキンは自覚し、無意識にヘラヘラと笑いだしてしまう。ヤクモはパンプキンを揺すりはじめた。
「100倍にして返してもらうから。ほら、100倍にして返してよ、今すぐに」
乾いた笑みを浮かべるヤクモは本気である。一方で、パンプキンの目は泳ぎ、逃げようにも逃げられず、半泣きの状態で叫んだ。
「100倍!? 無理ッス! そんな金ないッス!」
「じゃあここで死ぬ?」
「もうどうしようもないッス! 死んだほうがマシだったかもしれないッス!」
あのまま柱の下敷きになり死ねば良かった。パンプキンはそんなことを思いながら、絶望に打ちひしがれる。
ヤクモとパンプキンのやり取りを見ていた魔王は、苛立ちを隠さない。こうしている間にも、騎士団の援軍は近づいているやも知れぬのだ。
「金などどうでもよかろう」
そう言ってヤクモをたしなめる魔王。だが、ヤクモはお構いなし。
「よくない! 1000倍にして返してもらわなきゃ気が済まない!」
「増えてるッス!」
いくらヤクモに言っても無駄であると、魔王は諦めた。魔王はパンプキンに期待し、彼に事態の解決を迫る。
「パンプキンよ、どうにかしろ」
「どうにかしろって……ヤクモさんの従者になるぐらいしか解決法が思いつかないッス!」
「いや、あんたみたいなコソ泥、従者になられても困るから」
なぜヤクモの従者になるぐらいしか解決法が思いつかなかったのかは謎だ。ただ、この意味の分からぬ解決法を押し付ければ、ヤクモの思考は停止するのではないかと魔王は考える。
「ヤクモ、パンプキンは今から貴様の従者だ」
「ええ!? 勝手に決めないでよ!」
「パンプキンは貴様の従者。煮るなり焼くなり好きにすれば良い」
「話聞いてる?」
「ヤクモさん! これからよろしくッス!」
「いいなぁ。あたしもヤクモさんの従者になりたいよ」
心の底から困惑し、嫌そうな表情を浮かべ、必死で拒否するヤクモ。魔王は構わず、パンプキンもヤクモの従者になることを受け入れた。リルに至っては、パンプキンを羨ましがる始末。
「はぁ……なんかもう、よく分かんない」
物事が勝手に進み、パンプキンという従者を得てしまったヤクモ。彼女は考えることを止めた。これこそ、魔王の狙いである。
さて、ヤクモとパンプキンの間のトラブルは解決した。魔王たちはようやく教会の外に出て、雪を踏みしめながらスタリオンの到着を待つ。
「あれを見ろ」
スタリオンを待つ間、山道を見張っていたルファールの報告。魔王とダートも山道を眺めた。
「騎士団の、援軍、来た」
「そのようだな」
民間人は避難を終え、聖地らしく静かな山道。そんな、アプシント山を削り作られた細い道に、雪煙が上がっていた。馬にまたがる何十人という騎士団の援軍が、山を登りこちらに向かってくるのである。
「連中は山道を登っている最中だ。一網打尽にする好機ぞ」
「どうすんの?」
「我と貴様で、水魔法を使い山道を濁流に変える」
狭い山道を登る騎士団など、恐るるに足らず。魔王とヤクモが大規模な魔法を使えば、たわいもない相手だ。
魔王の言葉を聞いて、騎士団の散々な未来を予測したリル。彼女は名残惜しそうにしながらも、ついにヤクモの側を離れた。
「あ、それならあたし、もう帰るね。魔王の味方と思われるの、嫌だから」
それだけ言って、リルは大きく手を振る。
「ヤクモ姉、バイバーイ! また会おうね!」
「じゃあね。これが永遠の別れだと良いんだけど」
別れの挨拶を済ませたリルは、第3魔導中隊と共にアプシント山の影に消えていく。魔王の味方になる気はないようだが、騎士団を助ける気もないようである。
リルは去り、魔王は山道を登る騎士団を見下ろし、ヤクモに言った。
「やるぞ」
「分かってる」
魔王とヤクモの2人は両腕を突き出し、魔力の流れに集中。水属性を意識しながら、山道に滝のような濁流を流した。濁流は積もった雪を押しのけ、山道に沿って騎士団に襲いかかる。
「隊長! あれを!」
「なんだ……マズイ! 全軍、退け! 退け!」
「間に合いません!」
山道を駆け上がっていた騎士団は、濁流に自ら飛び込んでしまった。彼らは水の流れに逆らえず、馬と共に次々と山から転げ落ちていく。
「おうおう、綺麗に流れて行きやがった。あいつらも災難だなぁおい」
不運な騎士団に対し、マットは可笑しそうに笑っていた。同時に、魔王たちのもとにスタリオンが到着。開けられた後部ハッチからは、ベンの大声が聞こえてくる。
「迎えに来たぞ! ほれ、乗った乗った」
ベンの言葉に従い、魔王とヤクモ、ルファール、マット、ダート、パンプキンがスタリオンに乗り込む。マットは早速、操縦室の席に座った。
「マット、お疲れのようじゃな。操縦はわしに任せい」
「何言ってやがる。スタリオンは俺の船だ。俺が操縦する」
「お前の船? わしらの船じゃ」
「勝手に言ってろ」
いつも通りの2人。ルファールとパンプキンは席に座り、ヤクモも擦り傷を治療するため、どっしりと席に座った。
「ああ……すっごい疲れた……」
身体中に包帯を巻きながら、今は眠気と戦うヤクモ。そんな彼女を見て、ダートはおもむろに魔王の前に立ち、静かに言う。
「おいら、魔王様、守る」
「どうしたのだ、急に」
使命感に燃えた様子のダート。彼が何を思っているのか。魔王はすぐに気づいた。
「ああ、そういうことか。ダートよ、任せたぞ」
ヤカモトやリルの暗躍、枢機卿の前で見せたヤクモの動揺から、ヤクモが決して魔王の完全な味方であるとは言い切れない。そのヤクモが、魔王よりも強い力を持っているのだ。だからこそ、ダートは魔王を守ると再度決意したのである。
「そういや魔王様、さっきラミーのお嬢ちゃんから連絡があったぞ」
操縦桿を握りながら、魔王に話しかけたベン。忠実な僕の決意に続く、ラミーからの連絡とは何か。魔王は間髪入れずにベンに連絡の内容を聞いた。
「なんと言っていた?」
「魔王様とずっと会えてなくて寂しいです! 早く帰ってきてください! とか言っておった。随分と好かれてるのお」
ニタニタと笑ってラミーの伝言を伝えるベン。魔王は肩透かしを食らった気分である。一方でダートは、真剣な様子だ。
「おいら、作った、魔王様人形、もう、限界?」
「であろうな」
可笑しそうに笑った魔王は、そのまま窓の外を眺めた。曇天の空に沈む祭日のアプシント山は、すでに遥か後方。ヤクモの2度目の魔力奪還が終わった今、魔王の頭に浮かぶのは、2度目の自らの魔力奪還のことばかりである。




