第9章3話 クリスマスという名の別行事
午後になり、スタリオンはようやくアプシント山中腹の街、シントに到着した。アプシント山は西方大陸の背骨とも呼ばれるキール山脈に属した、標高約3000メートルの険しい山だ。冬の現在、アプシント山は雪化粧をしている。
アプシント山中腹の斜面は緩やかであり、そのわずかな地域にへばりつくように作られた街がシントだ。普段はケシエバ教徒の街であるのだが、祭日のこの日だけは、観光の街として賑わう。
さて、ここからしばらくは、恋人の集団に紛れ込まなければならない。そこで、魔王とヤクモ、人化したマットとルファールが組になりシントの街に降り立った。ベンは見た目が老人、ダートは人間らしさがまるでないため、スタリオンで留守番である。
ログハウスが立ち並び、街道は人々に埋め尽くされ、多くの出店が客を誘うシントの街並み。『恋人の日』としての祭日に賑わいを見せるシントだが、それでも辺り一面は雪景色、太陽は隠れている。マントをひるがえす魔王はまだしも、ヤクモはあまりの寒さに凍えていた。
「寒い……もっとあったかい格好すればよかった」
胸当てや籠手などの軽鎧は付けながらも、腕と太もも、肩をあまり隠さぬいつもの格好に、陣羽織ではなく少し厚手のコートを着ただけというヤクモ。そんな彼女に対し、厚手の黒い衣装に全身を包み込んだ魔王は、呆れ気味に言葉をぶつけた。
「目的地は雪山であると言ったではないか」
「ケーレスにいると、気温の感覚が狂っちゃって……」
「それにしても、防寒具がコート1枚はなかろう」
「動きやすい方が良いかなって――」
「寒さに手がかじかんで、思うように動かない方が問題だ」
「うるさい」
寒冷地での戦闘に薄着は、最悪の結果を招きかねないことである。だからこそ、魔王は口を尖らせるのだが、ヤクモは反発し聞く耳持たない。唯一の救いは、このちょっとした言い争いにより、ヤクモがしばし寒さを忘れたことぐらいである。
楽しそうな表情で恋人との時間を過ごす数多の男女に囲まれ、言い争う魔王とヤクモ。それを後ろから見ていた、筋肉質の体に無精髭を生やす男、人化したマットは、ニタニタと笑っていた。
「ヘッヘッヘ、まるでダブルデート。しかも元女騎士が俺のデート相手とは、嬉しいぜ。ベンのやつ、ざまあ見やがれ」
ニタニタとしたままそう言い放つマット。これに反応し、言葉を返したのはルファールだ。もちろん、ルファールの表情は冷たい。
「何をそんなに喜んでいるのだ? 私とマットは、仮の恋人関係でしかないんだぞ」
デートだ何だと喜ぶマットに対する、ルファールの疑問。マットは、ルファールは分かっていないなと言わんばかりに、ニタニタとした笑みを絶やすことなく、どこかだらしなく言い返した。
「仮ってのが良いんだよ。なんかこう、いろいろ想像が捗るだろ」
「ますます分からない。仮の恋人関係など、空がらしく虚しいだけじゃないか」
「あ~あ、つまんねえの」
マットの言っていることが、ルファールは心の底から理解できていないらしい。雪景色よりも冷たいルファールの言葉に、マットも興醒めし、お手上げのようだ。
言い争いを終えた魔王とヤクモは、シントの街を見渡す。やはり騎士の姿はない。ケシエバ教の信者たちも、家の中で祭日を祝っているため街には出てこない。
街を歩く人々に、家族連れや独り身の者もほとんど存在しない。街を歩く人間のほんとどは恋人の男女に占められ、残りは、道行く恋人たちに、自分の店で売っている商品を宣伝する商人たちだけだ。
「ほんっと、騎士いないね。カップルばっかり。店の店員も、鼻息荒いし」
街を見渡したヤクモの感想。魔王は嘲笑するように口を曲げ、唾を吐くように言った。
「稼げる時に稼ぐ。商人からすれば、ケシエバ教の祭日は宗教行事ではなく、金稼ぎの良い機会ということであろう」
そんな魔王の言葉も、街を埋め尽くす恋人たちの甘い空気に、あっという間に溶かされてしまう。どうにも魔王は、街の雰囲気に馴染めない。
「なんかあれだな。坊ちゃん嬢ちゃん共はみんな、手なんか繋いじゃって、体寄り添っちゃってよ、楽しそうだなおい」
恋人たちに羨ましそうな視線を向けそう言ったマット。彼はそのまま魔王とヤクモ、ルファールを見て、ため息まじりに言葉を続ける。
「対して俺らはどうだ? 仮の恋人関係とはいえ、これじゃあ冷え切った、お先真っ暗カップルみたいだぜ」
苦笑いを浮かべたマット。魔王もヤクモも、彼の言葉には一理あると思い、ヤクモが顎に手を当てて口を開く。
「マットさんの言う通りかも。恋人の演技ぐらいした方が良いかもしれない」
「では、手でも繋ぐか?」
「引きちぎった私の腕を、あんたが持ってるだけでも嫌」
魔王の提案に強烈な拒否感を示したヤクモ。魔王は鼻で笑い、歩を進める。結局、彼らは〝冷え切ったカップル〟のまま、アプシント教会へと向かっていった。
それからしばらく歩き、シントの街を抜けた魔王たち。すると彼らの目の前には、山頂付近へと続く急勾配の山道が姿を現した。ここが、ケシエバ教の総本山、神聖なる土地への入り口である。
「この山道の先だ。そこにアプシント教会がある。そこに、勇者の魔力がある」
「ここ登るの!? ねえ、ケーブルカーとかないの?」
「あるわけなかろう。行くぞ」
疲れる、ではなく、面倒、という理由で嫌がるヤクモ。強情なまでに魔力を取り戻したいと言ったのは誰であったかと魔王は呆れながら、山道を登りはじめる。
山頂付近に建つアプシント教会までの道のりは長い。多くの恋人たちも疲労に襲われ、山道の途中で座り込んでしまうほどだ。
「遠い……遠い……遠い!」
雲に隠れた山頂が見えぬ長い山道に、ヤクモの愚痴が止まらない。それを魔王たちは無視するものだから、ヤクモの愚痴は溢れんばかり。
「もうさ、なんでこう、変なところに教会を作るわけ? わざわざ山道作って、わざわざ山道登って、わざわざ山の上に建てるとか、面倒じゃん。平地にドカンと建てりゃ良いじゃん」
「おいおい勇者さんよ、それじゃあ修行になんねえし、聖地ってのは険しい場所にあってナンボなんだ」
「じゃあせめて、そんな場所に魔力隠さないでよ。嫌がらせ? まあ、嫌がらせなんだろうけど――」
ヤクモを黙らせるためのマットの横槍は、火に油を注いだだけであった。ヤクモの愚痴はさらに盛り上がりを見せ、魔王はますます口を閉ざす。
耳に入り込む愚痴を聞き流し、ただ前だけを見て歩く魔王。シントの街よりは減ったものの、魔王の視界にはまだまだ恋人たちが群れている。そんな中、1人の金髪男が魔王の目に留まった。
「すみませんッス!」
とあるカップルの男と肩がぶつかり、簡単な謝罪をする金髪男。魔王は見逃さなかった。金髪男がカップルの男と肩がぶつかった瞬間、男のポケットに手を忍ばせ、財布を盗んでいたのを。
「彼奴は……」
「あ!」
肩をぶつけ財布を盗む金髪男の顔は、見覚えがある。これには魔王だけでなく、愚痴にまみれていたヤクモも気づいたようだ。ヤクモは金髪男のすぐ側まで駆け寄り、不敵な笑みを浮かべながら金髪男の肩をたたいた。
「久しぶり、パンプキンくん」
「うわっと! ヤ、ヤヤ、ヤクモさんじゃないッスか! ああ!? 魔王さんも!? ひ、ひひひ、久しぶりッスね……」
まさかの再会に分かりやすく慌てふためき、背中に冷や汗を伝わせるパンプキン。魔王はパンプキンを睨みつけ、ヤクモはパンプキンの着るコートをいじりまわした。
「あれ? なんかポケットがパンパンだね?」
「き、気のせいッスよ」
相変わらずの白々しさには、魔王も苦笑い。対して財布を盗まれたままのヤクモは、ついに怒りを爆発させ、重力魔法を使いパンプキンを宙に浮かべ、振り回す。
「うわわ! やめてくださいッス!」
カップルたちからの好奇の目にさらされ、振り回されるパンプキン。すると彼のポケットから、大量の財布が飛び出してきた。
「ヘッヘ、すげえ量の財布だな」
「やっぱり。私から盗んだ金、10倍にして返してもらうからね」
「ご、ごめんさいッス!」
雪の上にばらまかれた財布に、ようやく堪忍したパンプキン。ヤクモは重力魔法を解き、パンプキンは手荒く地面に落とされる。地面にだらしなく横たわるパンプキンに、魔王はやはり苦笑いを浮かべるしかなかった。




