第9章1話 書簡
魔王と騎士団団長ホワイトの会談が終わり、一夜が明けた。会談内容に、特筆するようなものはない。単に魔王とホワイトが顔を合わせただけ、といったものでしかなかった。
魔王が注目したのは会談の日の夜の出来事だ。それによって、魔王は一夜が明けた朝、コヨトからラミーを呼び戻し、ダイス城の会議室にヤクモたちを呼びつけたのである。
「おはようございます。みんな揃いましたね?」
朝日の差し込む会議室に、朝から元気なラミーの挨拶が響き渡る。対照的に、会議室に集まった面々に元気はなかった。マットとベンはあくびが止まらず、ルファールは冷たい表情。ダートはぼうっとし、ヤクモに至っては、寝間着のまま机に突っ伏し、今にも眠ってしまいそうである。
締まらぬ会議室に、椅子にどっしり座り腕を組む魔王は、苦笑するだけ。ラミーは気にせず、話を続けた。
「実は実は、皆さんに集まってもらったのには理由があります」
「そりゃそうだろうな。理由もねえのに朝っぱらから集められちゃ、たまったもんじゃねえよ」
「マットさん、私語は慎んでください」
「はいはい」
話の腰を折るマットの軽口に、ラミーは笑顔を崩さず注意する。マットが素直に黙ると、ラミーはようやく本題を口にした。
「それでそれで、皆さんに集まってもらった理由なんですけど、昨夜、こんな書簡が魔王様のところに届きました。送り主は不明です」
そう言って、1枚の羊皮紙を手に取ったラミー。この羊皮紙――書簡が、今回の会議の主題。
送り主が不明、というのは嘘だ。魔王とラミーは書簡の送り主を知っている。書簡の内容と送り主を重ねたからこそ、魔王はヤクモたちを会議室に集め、魔王とラミーは嘘をついたのだ。
「読みますね。『勇者の魔力の在り処はアプシント教会の地下。明日はケシエバ教の祭日。騎士団は少なく、北部派閥出身者は全員家に帰る。勇者の魔力を取り戻すには、明日が最適』だそうです」
単純に書簡を読めば、魔王たちの戦力増強に繋がる有力な情報だ。だからこそ、書簡の内容を単純に受け取ったヤクモは、眠気を吹き飛ばし立ち上がる。
「ふ~ん。じゃあ、準備しよ」
席を立ったヤクモは、会議を抜け出したい気持ちもあるのか、そそくさと会議室を出ようとした。あまりに予想通りのヤクモの行動。魔王は呆れ顔をヤクモに向けながら、諭すように言った。
「待て。書簡にはいくつかの問題がある」
「なに?」
ヤクモは分かっていない。送り主の名を知らずとも、書簡から読み取れる様々な問題点を、1年と10ヶ月をこの世界で過ごしながら、この世界のことをよく知らぬヤクモは、気づいていない。
問題点の見当すらついていない様子のヤクモ。自分で考えることはせず、何が問題点なのかを質問したヤクモに、魔王は授業を行った。
「アプシント教会のあるアプシント山は、ケシエバ教の聖地。騎士団が本拠を置くのもそこだ。アプシント山で戦えば、あらゆる国や騎士団との関係悪化は避けられぬ。北部派閥との盟約に関する交渉が進む今、それは問題だ」
そもそも、騎士団はケシエバ教の教えのもとに集う集団。多国籍軍である共和国軍内で、騎士団が強い結束力を維持できるのは、ケシエバ教があるからこそだ。
騎士団に限らず、ケシエバ教は人間界に広く分布する宗教。ケシエバ教を国教とする国も多い。そのケシエバ教の総本山に攻め寄せればどうなるかなど、容易に想像できる。
「我としては、今の戦力で我の魔力を取り戻すのは不可能、と判断されるまで、勇者の魔力を取り戻す必要はないと思っている。あらゆる国や騎士団と敵対しかねぬ戦いを、明日にでもやる意味はない。つまり、我はこの書簡を黙殺するつもりだ」
これが魔王の書簡に対する回答だ。このような会議を開かずとも、書簡を握りつぶしてしまえば良かったのだが、魔王はあえてヤクモたちに自分の回答を伝えた。これは、勇者への牽制であるのだから。
魔王が口にした書簡への回答。司会進行役のラミーは、魔王が話を終えたと同時に、大声で会議参加者に質問した。
「皆さんは、どう思いますか?」
笑顔のラミーによる質問に、マットとベン、ダートが答える。
「んなこと聞くために呼んだのかよ……。まあ、俺はなんでもいいぜ。盟約だとかなんだとか、どうでもいいからな」
「わしは魔王様と同意見じゃ。マットはどうでもいいらしいが、盟約は大事だと思うぞ」
「おいら、魔王様、従う」
好きにしてくれ、というマット。魔王に賛同する、というベン。どこまでも従順な僕であるダート。彼らに続いて、冷たい表情のルファールは冷たい口調で言い放った。
「私も魔王と同意見だ。私たちに、二正面作戦は不可能。敵は魔界か人間界か、どちらにかに限定する必要がある。魔王に届いた書簡の送り主が不明では、北部派閥との盟約を阻止するための罠、という可能性だってある」
まさしく魔王が望んだ通りの答え。ルファールの『罠』という言葉が、ヤクモの判断に大きな影響を与えるのは間違いないだろう。
「ヤクモ、貴様はどう思うのだ?」
あのヤクモのことだ。馬鹿正直に周りの意見に従うだろう。魔王はそう思っていた。だが、ヤクモの答えは魔王の望むものではなかった。
「私は……魔力を取り戻しに行きたい。魔力を取り戻せるなら、できる限り早く取り戻したいから」
あれだけ危険だ、と説明されながら、なおも魔力の奪還を望むヤクモ。この勇者はどこまでバカなのか、なぜこれほどの馬鹿が自分と対等なのか、理解に苦しむ魔王。こうなると、魔王は嫌味のひとつでも言いたくなってしまう。
「フン、馬鹿な貴様らしい答えだ」
鼻で笑い、ヤクモの言葉を一蹴した魔王。理論でヤクモの意見を潰すための会議も、これでは台無しだ。
「多数決だと、書簡の黙殺ということになりますね。ヤクモさんヤクモさん、ごめんなさい」
困った挙句に、無理やりヤクモの意見を潰したのはラミーだ。理論が通じぬとなれば、数で押し切るしかない。
ルファールとベン、ダートは魔王の意見に賛同。マットは多数の意見に従うつもりであるから、会議の結果は明らかに、魔王の意見が結論だ。これ以上にヤクモがおかしなことを口にしないよう、魔王は会議を切り上げようと席を立つ。
「では、決まりだな。我らは書簡を黙殺――」
「私の魔力を取り戻さないなら、私はあんたを手伝わない」
魔王の話を遮った、眉を寄せるヤクモの強い言葉。まさかの事態に魔王が呆気にとられる中、ヤクモは逃げるように会議室を去ってしまった。
「おいおい、どうしちまったんだ?」
どうにも様子がおかしいヤクモを、マットとベンは追いかける。ルファールは会議が終わったと判断し、会議室を後にした。ダートは何を思ったか、土魔法で家具を作りはじめる。残された魔王とラミーは、頭を抱えるしかない。
「困りました困りました。どうしましょう……」
「書簡の送り主はヤカモト、で間違いないのか?」
「キリアンさんによると、間違いないそうです」
ヤカモトが書簡の送り主だ。北部派閥の盟主が、魔王とホワイトの会談直後に、書簡を送りつけてきたのだ。
ヤカモトの狙いは、おそらく魔王に対抗するための勇者の魔力の奪還。ゆえに、書簡に応えることも、書簡のお送り主を伝えることもできない。人間界に、勇者の後ろ盾となり得る人物がいることを、ヤクモに伝えるわけにはいかない。
しかし、ヤクモが強情に魔力の奪還を求める以上、魔王は書簡の黙殺を考え直さなければならなくなってしまった。
「ヤクモがいなければ、我の魔力を取り戻すことはできぬ。どのみちヤクモの魔力を取り戻すのならば、条件の揃った日に取り戻すのが最適。仕方あるまい。明日、アプシント山に向かうぞ」
苦渋の決断。危険性すらも孕む決定。当然ながら、ラミーは不安げな表情をして、魔王に正直な意見をぶつけた。
「分かりました。だけどだけど、大丈夫ですか? 盟約の件や罠の可能性は当然として、ヤクモさんが先に魔力を取り戻せば、魔王様はヤクモさんよりも弱い存在になってしまいますよ?」
「盟約については、ラミー、お前の交渉次第だ。罠であるというのなら、罠ごとすべて吹き飛ばす。ヤクモについては、少しばかり気にかかるが、魔力を取り戻すため騎士団の本拠地を叩くのだ。彼奴の居場所はますますなくなる。彼奴は我を裏切れん」
はっきりと答えた魔王も、ヤクモが裏切るかどうかについては確信が持てていない。だが、魔王はアプシント山へ向かわなければならないのだ。今の魔王は、危険な道を切り抜けるための、最良の手段を取るしかないのである。