第7章5話 転生者リョウタ
今頃、青年と少女たちが仮装の準備をするバルコニーから夜空を見上げれば、豆粒のようなスタリオンが見えるはず。魔王とヤクモも準備は万全だ。一方で青年は、迫る魔王の脅威に気づかず、少女たちとの時間を楽しんでいた。
「たまには……みんなでこうやって過ごすのも悪くないな」
何気ない青年の呟き。少女たちはそれを聞いて、今の自分たちがどれだけ幸福なのかを噛み締め、黒髪少女は顔を赤くし、ポニーテール少女ははにかみ、姉妹少女は笑みを浮かべる。残念ながら、幸福な時間もここまでなのだが。
青年の呟きにより、部屋が静まったと同時。突如、空から鎧を着た大岩が降ってきた。大岩はバルコニーにぶつかる直前、速度を緩め、青年と少女たちの目の前に穏やかに着地。大岩の肩には、銀の鎧に身を包む、騎士らしき女性が乗っていた。
「な、なんだ!」
ダートと、ルファールの登場に、青年は驚きながら腰を抜かし、怯える少女たちはソファや机の後ろに隠れる。
「魔王様、どこに?」
「これはどういう状況だ?」
スイルレヴォン産業の社長、指導者、転生者の部屋に降りたはずが、部屋では1人の青年と複数の少女が、仮装の準備をしていた。魔王の姿も見当たらない。ダートと、彼の肩から降りたルファールも、青年ほどではないが、驚くには十分な状況だ。
驚きと恐怖、困惑、沈黙に包まれる青年――転生者の部屋。魔王とヤクモは堂々と部屋の中に入り、ダートとルファールの到着を歓迎する。
「ダート、ルファール、待っていたぞ」
「意外と静かな登場だったね」
「魔王様、ヤクモさん、そんな、ところに」
部屋の入り口から、自然な様子で現れた魔王とヤクモに、青年たちはいよいよ混乱。青年も少女たちも、目をキョロキョロとさせ、首を右往左往させるだけ。魔王は気にせず、青年を指差してダートとルファールに言った。
「そこで地面に転がっている青年が転生者だ。捕まえろ」
そう言われてはじめて、ダートとルファールは青年に向かって歩き出す。すると、意中の人の危機を前にした少女たちが立ち上がった。彼女たちは必死で青年を囲み、大岩と冷たい印象の女から青年を守ろうとする。
「リョウタさんは渡さない!」
「チガサは私たちが守るんだから!」
恐怖に体を震わせながらも、青年への思いだけを胸に、ダートとルファールに立ち向かう少女たち。それは、無力な少女たちのせめてもの抵抗だったのだが、魔王は無駄な足掻きだと一笑に付した。
「君たち、邪魔」
ダートはたった一言だけを口にすると、まるで赤子を持ち上げるかのように、青年の周りから少女たちを退ける。少女たちはルファールの監視下に置かれ、彼女らの抵抗はあっけなく終わった。
少女たちの壁を取り払われ、無防備となった青年。ダートが彼の腕を掴むと、青年は大声で叫ぶ。
「お、おい! 離せ! 誰だお前ら! 何の用だ! 俺はスイルレヴォン産業の社長、この国のトップだぞ!」
肩書きを武器にこの場を切り抜けようとする青年。そんな彼のもとに歩み寄り、マントをひるがえした魔王は、自分の名と肩書きを青年に伝える。肩書きの勝負でも青年に勝ち目はないのだ。
「我こそが魔王、魔王ルドラだ。転生者、お主の名は」
「お、俺が転生者なの、知ってるのか?」
普通ならば、魔王という肩書きに誰もが驚愕し、首を傾けるのだが、青年の反応は違った。青年は、自分の正体が転生者であると知る魔王に興味を持ち、警戒心よりもむしろ、期待感を強めている。
しかし、魔王は青年の心の内など知ったことではない。彼は青年の言葉を押さえ込むように言う。
「名はなんだと聞いている」
「ルーシャス・シイラ……いや、チガサ・リョウタだ!」
最初に名乗ったルーシャス・シイラは、転生先の人間の名、先代社長の後を引き継いだ若き男の名だ。これは転生者の本名ではない。チガサ・リョウタこそが、転生者の本当の名なのだ。
ようやく転生者の名を知った魔王は、部下たちに指示を下す。
「ルファール、お前はここで小娘共を見張っていろ」
「了解した」
「ヤクモとダートは入り口を見張っているのだ」
「分かり、ました」
指示に従い、ダートはリョウタを解放、ヤクモと共に入り口の見張りに着く。解放されたリョウタは、ダートに掴まれていた腕を押さえながら、魔王の言葉を聞いて叫んだ。
「……ヤクモ? もしかして、俺と同郷か!? なあ! 君も転生者なのか!」
こちらに世界に転生して3年。久々に耳にした『日本人名』に、青年の表情はどこか、希望に満ちていた。対してヤクモは、ぶっきらぼうに答える。
「転生者じゃないけど、同郷のはず」
「じゃあ、3年ぶりの日本人ってことか! 俺は運が良い。だったら、助けてくれよ!」
どれだけ少女たちに囲まれようと、少女たちに足りなかったものを見つけ出したのだ。同郷の人物を見つけたリョウタの喜びは、尋常ではない。少女たちもまた、リョウタの笑顔と彼の命が助かる可能性に安堵した様子。
リョウタは満面の笑みを浮かべ、同郷のヤクモへ助けを乞う。それでもヤクモは、ぶっきらぼうなまま、リョウタと少女たちの希望を打ち壊す。
「悪いけど、助ける気はないから」
「は? で、でも、俺たちは故郷が同じじゃないか! ここは俺たちで協力――」
「元の世界とか異世界とか、関係ない」
はっきりとそう言ったヤクモ。もはやヤクモは、元の世界のことなど、どうでもいいのである。彼女は今、この世界に生きている。だからこそ彼女は、この世界で生き抜くと決めた。リョウタが同郷であろうと、この世界で生き抜くことが最優先なのだ。
ヤクモの言葉にリョウタは固まってしまったが、魔王は小さく笑った。ヤクモはこの世界の住人。だからこそ、彼女は勇者としてふさわしい。だからこそ、彼女は自分と対等な存在なのである。
さて、本来の魔力があれば、魔王はここで、リョウタにマインドハックを仕掛け、あらゆる情報を引き出すことができる。今の魔王にそれはできない。魔王はリョウタに質問した。
「チガサ・リョウタ。あの小娘共は、お主が転生者であること、知っているのか?」
「……知ってる。というか、あいつらにしか俺の正体を教えたことはない」
少女たちがリョウタを『チガサ』『リョウタ』と呼んでいたのが気になっていた魔王は、その理由を知り納得する。同時に、リョウタの正体を知る者が少ないことに安心し、本命の質問をぶつけた。
「チガサ・リョウタ。お主はスイルレヴォン産業の社長、ルーシャス・シーラという座を利用して、お主の世界の技術を使った武器兵器を開発してはいないか?」
「狙いはそれか……そうだよ、作ってるよ! 火薬、銃、弾丸、爆弾、爆撃機、無線機器。完成は間近だ!」
魔王への恐怖か、ヤクモという同郷の人物がいることへの油断か。まったくの躊躇もなく、リョウタは異界の技術を使い武器や兵器を開発していることを宣言した。異界の知識を知る魔王は、銃はまだしも、爆弾と爆撃機の開発には驚きを隠せない。
なんとしても、異界の武器や兵器を破壊しなくてはならない。そのため、魔王はリョウタに言った。
「我はお主の作った武器を使い、魔界に奇襲を仕掛けるつもりだ。協力してもらおう」
「なんだ、そういうことかよ。共和国軍じゃなそうだけど、もぐりの兵隊? ま、欲しけりゃ多少は譲ってやるよ」
魔界への奇襲と聞いて、魔王たちが人間界の味方だと判断したのだろう。リョウタはあっさりと魔王に協力することを決めてしまった。魔王は魔王を名乗っているにもかかわらずである。
なお、魔王たちはオガレイラムの研究施設を破壊する予定なのだから、魔界への奇襲は嘘ではなく事実だ。決して魔王は、リョウタに嘘をついたわけではない。
「異界の武器や兵器は、どこにあるのだ?」
「研究棟だ。機密性が高いから、全部研究棟で作ってる」
「では、我を研究棟に連れて行け」
どこまでリョウタは警戒心がないのだろうか。さすがの少女たちも、研究棟への案内は危険だとリョウタに忠告しようとするが、ルファールの鋭い視線に口ごもるだけ。
「こっちだ」
ジャケットを羽織り、部屋の出入り口に立って、魔王たちへの案内を開始する、お人好しのリョウタ。まるで想像力のないリョウタに、魔王はついほくそ笑んでしまった。
「ヤクモ、ダート、我と共に来い。それからパンプキン、お主もだ」
「ぼ、僕もッスか?」
一連の会話から置いていかれ、しかし逃げることもできず、立ち尽くしていたパンプキン。魔王からすれば、魔王たちの狙いをわずかでも知るパンプキンは危険だ。彼を放っておくわけにはいかない。
静けさに包まれたスイルレヴォン産業工場の廊下。そこに、リョウタに案内された魔王とヤクモ、ダート、パンプキンの足音が響き渡る。