第4章9話 クレーターの縁で
一度詰めたヤクモとリルの距離は、リルの放った氷柱によって十数メートルまで広がってしまった。仕切り直しである。
12人の魔導師は、ヤクモを攻撃している場合ではない。彼らはダートの土魔法とマットの素早い攻撃に撹乱され、自分たちの命を守るのが精一杯なのだ。いくら精鋭の第3魔導師団といえども、接近戦は苦手な証拠である。
相手がどう動くのか。その見極めのため、ヤクモとリルの戦闘は一時的に止まった。この短い間に、リルは何かを思いつき、口を開く。
「さすがに魔力を取り返した勇者は強いね。でも、魔王はどうかな?」
リルは杖を突き出し、巨大な氷柱を打ち出した。氷柱の先には、腕を組み、マントをはためかせ、仁王立ちする魔王の姿が。今の魔王では、人間界一の水属性魔法使いの攻撃を止めることはできない。
魔導師を妨害していたダートは、氷柱の存在に気づくのが遅れてしまった。彼が氷柱の動きを止めようとした時、氷柱はすでに魔王のすぐ目の前にまで来ていたのだ。それでも、魔王は仁王立ちをしたまま。
氷柱は魔王の目と鼻の先。あと少しで、氷柱は魔王の顔を突き抜ける。その時であった。ヤクモが一瞬にして魔王の前に現れ、わずか一太刀で、氷柱を粉々に破壊してしまう。
氷の粒が飛び散る中、魔王は表情ひとつ変えることなく、動じることはない。ヤクモに感謝することもない。こうしてヤクモが現れ、氷柱が破壊されたことは、魔王にとっては当然の出来事だったのである。
「本当に勇者が魔王の味方をしてるんだね」
目の前で起きたことが現実であるのを驚くリル。古今東西、勇者と魔王が共に戦う姿など、ありえない光景だ。
「勇者が魔王の味方するなんて、前代未聞だよ」
「勘違いをするな。今は我が、勇者の味方をしているのだ。勇者に味方する数少ない者を、ヤクモがむざむざと殺させはしない」
「どっちみち前代未聞だね」
「我と戦うという使命を果たしただけの勇者を追放した共和国も、前代未聞であるぞ」
すでに魔王と勇者が、世界から追放されるという前代未聞の事件が起きているのだ。今更になって、魔王が驚くことなど何もない。
リルは魔王の言葉に反論できなくなると、今度はヤクモに話しかける。
「ねえ、ヤクモさんは魔王に利用されてるとか考えたことないの?」
「そういうの、どうでもいいから」
ヤクモのにべもない返答に、魔王は笑ってしまい、リルは呆気にとられた様子。どうやら本当に、リルの質問はヤクモにとってどうでもいいことであったようだ。彼女は剣先をリルに向け、今にも飛び出そうと構える。
構えたヤクモの剣には、炎が纏っていた。ヤクモもただ突っ込むだけではリルが倒せないことを悟り、炎属性魔法を使おうとしているのだ。それを見て、魔王は感心する。一方で、リルはヤクモの剣が纏う炎を打ち見し、片側の口角を上げた。
「残念だね、ヤクモさん。あたしの得意な水属性は、炎属性よりも強いんだ」
自信と確信に満ちたリルの言葉。ところがヤクモの表情は微動だにせず、相変わらずの無愛想な口調で、リルに対し言い返した。
「水属性が炎属性より強い? ねえ、バカなの?」
「バ、バカ!?」
「焚き火に水ならまだしも、太陽に水をかけたって、蒸発するだけ。意味ないでしょ」
正面から、このような強気な発言をされた経験のないリルは、どう返せば良いか分からない。彼女ははじめて表情に焦りをにじませ、杖を突き出し、大波を発生させた。
建物ひとつは吞み込めそうな大波は、水しぶきと轟音をあげてヤクモたちに迫る。それでもヤクモは動じず、炎属性魔法『ドレッドフルフレイム』を放った。青く輝く烈火は大波を包み込む。
リルの作り出した大波は、ヤクモのドレッドフルフレイムを前に蒸発。凄まじい音と共に大波は水蒸気へと姿を変え、白い煙が立ち上った。
自らの作り出した大波が、一瞬で水蒸気に変えられ、唖然とするリル。そんな彼女に向かって、水蒸気を切り、剣を突き立てるヤクモ。ヤクモとリルの距離は、瞬く間に詰められていく。
まさかの事態に、リルは魔具を手に取り地面に投げつけ、先ほどと同じように氷の壁を作ろうとする。だが当然、ヤクモの炎魔法を氷の壁が防げるはずもない。ヤクモの剣は、リルの首元に当てられた。
「獲った」
勝利を確信したヤクモの宣告。少しでもヤクモが剣を動かせば、リルは首を掻き切られ、鮮血を吹き出し命を落とすのだ。そんな状況に、なぜかリルの顔はみるみる紅潮していく。
「……ヤクモさん、近くで見ると、すごく綺麗」
「え? ええ!?」
あまりに想定外のリルの言葉。首に剣を当てられ、死を目前にしながら、顔を赤らめモジモジとする彼女に、ヤクモは『綺麗』と言われたこともあって、困惑してしまう。
「な、何言ってんの!?」
「何言ってんだろ……あたし。でもなんか、ヤクモさんの肌、整ったスタイルを見てると、胸がドキドキして――」
「魔王! あの子おかしい! 怖い!」
意味の分からぬ――いや、意味は分かるが理解したくはないリルの言葉に、心底怯えたヤクモ。彼女は思わず後ずさりしてしまい、魔王に助けを求める。魔王はそんなヤクモに対し、リルの首元から剣を遠ざけてしまったことに、不満を抱いていた。
「知ったことか。敵の大将の首を獲る機会を逃しおって……」
己の不満を率直に述べた魔王は、ため息をつき、頭を抱える。せっかくの勝利を、ヤクモは棒に振ってしまったのだ。戦いは、まだ終わらない――。
「隊長、本国から指令が」
魔王が頭を抱えている最中である。マットの撹乱をなんとか切り抜けた魔導師の1人が、そう言ってリルの側に近寄った。魔導師はリルの耳元で、彼女に何かを知らせる。
数秒して、リルは未だに顔を赤らめたままではあったが、魔導師の言葉に正気を取り戻す。そして、部下たちに指示した。
「みんな、帰るよ! 勇者と魔王討伐は中止! 勝負はお預け!」
一体、第3魔導中隊に何があったというのか。戦いの終焉は、あまりに突然であった。第3魔導中隊の魔導師たちは、隊長の指示に忠実に従い、静かに、速やかに暗闇の中へと消えていく。
状況が掴めぬマットは呆然とし、ダートは疲労からか座り込む。ヤクモは例に漏れず魔王に質問した。
「ど、どういうこと?」
「さあな。なんにせよ、敵が退くのだ。我らにとっては好都合」
いくら魔王でも、それくらいのことしか答えられない。少なくとも、敵の方から戦闘を終わらせてくれたのだ。今はそれを受け入れ、喜ぶしかない。
次々と暗闇の中に消えていく、第3魔導中隊の魔導師たち。最後に残ったのは、リルであった。彼女はやはり顔を赤らめたまま、ヤクモの顔を見てとろけたような笑みを浮かべ、照れながら別れの挨拶をする。
「ヤクモさん、また、会えると良いね」
「私は嫌だけどね」
はっきりと本音を口にするヤクモ。これに関しては魔王も同意見だ。この少人数で、今の魔王とヤクモの魔力では、第3魔導中隊を相手にするのは骨が折れる。もちろん、ヤクモがリルとの再会を拒むのは、そんな真面目な理由ではないのだが。
リルが闇に消え、クレーターに再び静寂が訪れた。ヤクモは魔力を取り戻し、共和国軍の罠に負けることなく、勝利を手にしたのだ。魔王たちはラミーを呼び、スタリオンの迎えを待った。
スタリオンの迎えを待つ間、魔王たちは疲労感に襲われ、口数は少ない。その中で、星空を見上げながら、ヤクモはふと呟く。
「ねえ、第3魔導中隊、本気出してなかった気がするんだけど」
「奇遇だな。我もそう思っていた」
「……私たち、なめられてるのかも」
人間界一の水属性魔法使い、共和国軍の精鋭第3魔導中隊が揃ったにしては、おとなしい戦い。それが魔王とヤクモの感想である。なぜ彼らが本気を出していなかったのかは、まだ分からない。
「おいおい、本気出してねえ相手に、ずいぶんと苦戦させられたような気がするぜ」
「でも、おいらたち、勝った」
「まあな」
相手が本気だろうが本気でなかろうが、マットとダートは必死であったのだ。彼らの言う通り、勝てたのだから、今はそれで良いと、魔王も思う。
そうこうしているうちに、魔王たちはスタリオンのエンジンの青い輝きに照らされた。魔王たちの目の前にはスタリオンが着陸し、満面の笑みを浮かべたラミーが、ハッチから手を振る。
「魔王様魔王様ー! ご無事で何よりです!」
スタリオンから降り立ったラミーは、飛び込む勢いで魔王の目の前に立つ。彼女の表情は、ここにいる誰よりも嬉しそうなものであった。
「これで、次の戦いが少し楽になりますね」
「で、あろうな」
「次こそは魔王様の魔力を取り戻しましょう!」
力強く宣言するラミーに、魔王は頷く。そんな彼らの側を素通りし、スタリオンに乗り込んだヤクモ。力の一部を取り戻したというのに、無愛想なままのヤクモを見て、魔王はヤクモが勇者であったのを、つい忘れてしまう。
こうして魔王たちはルーアイの戦いに勝利し、ヤクモは魔力を取り戻した。だが、魔王とヤクモに魔力の差があるのは、魔王にとって好ましいことではない。次こそは魔王――自らの魔力を取り戻す。魔王の決意は、ラミーの宣言と同じであったのである。




