第2章5話 ドーニャ・ウォレス
首と胴体が切り離された死体がいくつも転がる、血の匂いが充満したレストラン。タダ飯を求めてここにやってきた魔王とヤクモは、たった今、可憐な猫耳少女にケーレス領主になるよう懇願されている。
わけも分からず唖然とする魔王とヤクモ。少女は自分が説明不足であるのに気づいたのか、尻尾を山なり持ち上げ、焦ったように小さな口を開いた。
「自己紹介が遅れたニャ。シンシアの名前はシンシア・ウォレス。ウォレス・ファミリーのドンの可愛い1人娘ニャ」
胸を張り、右手を胸に当てた、少女あらためシンシアの自己紹介。これに驚いた様子で反応したのはヤクモである。
「うん!? あのドンの娘!? ってことは、ドンはそこで死んでるから……あなたがウォレス・ファミリーのボスってこと?」
「そうニャ! ドーニャ・ウォレスは今日からシンシアのことニャ!」
さらに胸を張ったシンシア。この可憐な猫耳少女がマフィアのボスとはにわかに信じられぬが、メイテュンのソルジャーを殺し尽くした赤い服の者たちが、シンシアの周りで護衛をはじめると、彼女がウォレスのボスであることは、疑いようのないものになる。
いつの間にやら、レストランにはウォレス・ファミリーの生き残った重鎮たちが集まり、亡骸となった先代のドンに寄り添い、同時にシンシアへの忠誠を誓いはじめていた。
「お嬢、すまねえ。俺がきちんと警護してれば、こんなことには……」
「カウザ、気にしなくて良いニャ。警護をつけなくて良いと言ったのはパパだからニャ」
「本当に、すまねえな。アイギス隊長として、今後はお嬢を死ぬまで守り続ける」
無精髭を生やす、高級軍人のような黒服を着た男。彼はウォレス・ファミリーが所有する私兵『アイギス』の隊長を務める人間で、名はカウザ。今は死体となってしまったウォレスのドンの盟友でもあった人物だ。
彼に続いて、彼の隣に立つスーツ姿の若い男が、中折れ帽を胸に当て、心苦しそうに口を開く。
「父さん……なんてことだ……ひどい……」
「キリアン兄さん、元気出すニャ。パパもきっと、悲しむキリアン兄さんの顔は見たくニャいと思うニャ」
「ああ、そうだな。仇は討ったんだ。これからはシンシア、お前がファミリーを支えてくれ」
「それはこっちのセリフニャ」
シンシアからキリアン兄さんと呼ばれた、金髪の若い男。シンシアに兄さんと呼ばれ、先代のドンを父さんと呼んだ彼だが、彼とシンシアに血のつながりはない。キリアンは先代のドンの養子なのだ。
養子とはいえ、キリアンと先代のドンとの関係は、まるで本当の親子のようであり、シンシアとの関係もまた、本当の兄妹のようである。彼はシンシアが最も信頼する人物の1人だ。
こうした光景から、間違いなく、ウォレス・ファミリーのボスであり、ケーレス領主であるシンシア。そんな彼女からの、ケーレス領主になってくれという頼み。魔王は首を傾げ、シンシアに真意を問うた。
「何故、我らにケーレス領主を譲るというのだ?」
単刀直入な質問。今の魔王は浮浪者の格好とはいえ、世界を闇に包んできた魔王一族だ。このような話とならば、魔王は魔王としての振る舞いに戻り、重くどす黒いオーラを纏っている。シンシアは少し圧倒されながら、淀みなく答えた。
「メイテュンは、新興勢力の中では勢いがあったファミリーだったニャ。だけど、既存のファミリーには足元にも及ばない弱小勢力ニャ。そんニャ奴らに、パパは殺されてしまったニャ。ううん、パパだけじゃニャい。コンシリエーレ(相談役)までやられたニャ」
猫耳と尻尾は力なく垂れ下がり、悲しみがシンシアの顔を支配する。だが、彼女は自分の感情を脇に置き、話を続けた。
「ケーレス最強のファミリーが、弱小勢力にやられた。そうニャると、別のファミリーがケーレス領主やシマをめぐって戦争を仕掛けてくるのは確実ニャわけで、パパとコンシリエーレを失ったウォレス・ファミリーが、それに耐えられるかどうか……」
悔しさのあまり、シンシアは激しく歯ぎしりをし、心を落ち着かせるためだろうか、メイテュンのボスの首を落とした、赤い服を着る猫を抱き上げた。
「復讐は済ませたし、後継者のシンシアは生きてるニャ。ウォレス・ファミリーの私兵『アイギス』も残ってる。だけど、戦争が始まれば、領主を務めている余裕はニャい。だから、ケーレス領主の座を魔王さんと勇者さんにお願いしようと思ったニャ」
それが、シンシアの真意であった。彼女はウォレス・ファミリーの存続とケーレス領主の座を天秤にかけ、ファミリーの存続を選び、ケーレス領主の座を魔王とヤクモに譲ったのだ。
あどけなさの残る顔、ぴくりと動く猫耳と尻尾、そして気の抜けた口調ながら、上に立つ者の責務を全うしようという心構えを持ち、決断を下したシンシア。魔界を統治してきた魔王は、彼女の立場を十分に理解できる。
と同時に、権力者の決断には部下の説得も不可欠であるのも、魔王は知っていた。案の定、シンシアの忠実な部下たちは、忠実がために、シンシアへの反対意見を口にした。
シンシアに真っ向から反対したのは、葉巻に火をつけ煙に浮かぶカウザだ。彼はシンシアの前に立ち、諌めるように反対理由を述べた。
「ケーレス領主は、シンシア様のお父上が生涯をかけ、苦労して手に入れたもの。それを、魔王と勇者などと名乗る怪しげな者に譲るのは、ウォレス・ファミリーの誇りを捨てるのと同じだ。ファミリーを守りたいのなら、ファミリーの誇りも守る必要があるぞ」
「カウザさん……」
シンシアは幼少の頃からカウザに守られ、育ってきた。ゆえに、カウザの反対意見はシンシアの心を大きく揺れ動かす。
「ウチも反対。よく分かんないヤツに領主譲るとかぁ、まぢあり得なくない?」
どこからともなく聞こえてきた、変わった喋り方をする少女の声。一体誰の声なのだろうと、しばらく声の主を探した魔王とヤクモ。ついに声の主を見つけた魔王は、特にこれといった反応を示さず、ヤクモは目を丸くした。
「猫が喋ってる!?」
変わった喋り方をする声の主は、シンシアが抱く、赤い服を着た猫だったのだ。二足歩行をしながら剣で戦い、メイテュンのボスの首を落とした時点で十分におかしな猫ではあったが、ついに喋るとなると、ヤクモも驚きを隠せない。
「なんであの猫……喋ってるの?」
「あの猫はケットシーと呼ばれる魔族だ。珍しいものでもあるまい」
「じゃ、じゃあ、シンシアちゃんもケットシー族? 猫耳と尻尾あるし」
「いや、あの少女は人間とケットシーの混血であろうな」
「なるほど……でも、おかしくない? なんでケットシーの方が普通のギャル語で、人間っぽいシンシアちゃんの方が語尾にニャをつけてるの?」
「そんなことは知らん。我に聞くな」
奇妙なまでに、ケットシーに興味を抱くヤクモ。対してあまり興味のない魔王の返答は、素っ気ない。
シンシアが抱きかかえるケットシー族は、アイギスの隊員であるムーニャだ。彼女はシンシアの警護及びペットであり、友達の1人。そんな彼女にすら反対意見を述べられ、口ごもってしまうシンシア。
ただ、今いるメンバーの中で最もファミリーの運営に携わってきた男、キリアンは、シンシアの決断に賛同している様子。彼はシンシアを擁護し、カウザとムーニャを説得した。
「シンシアの意見はもっともです。現状、激務である領主を兼任する余裕は、今のファミリーにはありません。多少の誇りは捨てでも、ファミリーを存続させるべきでしょう」
「そりゃ分かる。俺もファミリーの一員として、家族をバラバラにしたくはない。ただ、あの魔王と勇者とかいう奴らに任せるのが気にくわない」
「まぢそれな」
「彼らが普通の人物でないのは、カウザさんが一番分かるのでは? 『魔王が死んでおらず、ケーレスに追放された』『勇者らしき人物が、ケーレスに上陸した』どちらも情報だけなら、すでに私たちが掴んでいることです。彼らはその情報が正しいことの証明かもしれません」
「……もしだ、奴らが本当に魔王と勇者だったとする。その場合、奴らを味方にして良いのか? 危険じゃないか?」
「危険は承知の上。短期的には、悪くない選択肢です」
キリアンとカウザの話し合いは続くが、答えが出るまでには時間がかかりそうだ。業を煮やしたシンシアは、尻尾を激しく振りながら、魔王とヤクモの方に体を向け、2人に直球の質問を投げつける。
「魔王さんと勇者さんは、どうニャ? 領主になる気はあるかニャ?」
結局のところ、魔王とヤクモがシンシアに賛同しない限り、ウォレス・ファミリーが議論したところで意味はないのだ。大事なのは、2人の意見なのである。果たしてシンシアの率直な質問に、魔王とヤクモはどう答えるのか――。