第12章7話 判断
ストレングが現れてからすぐである。広間の窓に太陽の光が差し込んできた。これは、天気が晴れたのを示すのではない。なぜ太陽の光が差し込むのか、窓から外の景色を眺め、雨雲が下がり行くのを見て、パンプキンが気づく。
「あれ? ミュールン、動いてないッスか?」
空中都市ミュールンは、魔力を強め、高度を上げているのである。空高く浮かび上がるミュールンは、雨雲を抜け、雲ひとつない大空にまでやってきたのだ。
静かに高度を上げ、明るく照らされた広間。空気はさらに冷たくなり、薄くなる中、リルはミュールンが高度を上げた理由を口にする。
「一応、安全も考えなきゃいけないからね」
ラミネイの惨劇を繰り返さぬためにも、地上の近くでは、魔王とストレングの戦いをなるべく避けるべきということか。落ち着き払ったリルと合わせて、自分とストレングの戦いは予定されていた戦いなのであると、魔王は認識した。
魔王は今ある魔力に集中し、ストレングの攻撃を待ち構える。ダートも魔王を守るため、防御姿勢をとった。ルファール、パンプキン、リルは、自分の出番はないと悟り、おとなしく広間の角に引き下がる。
この戦い、どちらがヤクモを味方につけるかで勝敗は決まる。そして当のヤクモは、窓から差し込む光に照らされながら、どちらにも味方しようとしない。ヤクモを味方につけるため、先に行動を開始したのは、ストレングであった。
「お嬢ちゃんよ、何のために魔王よりも早く力を取り戻したんだ? 今のお嬢ちゃんの力なら、魔王を倒すのは難しくない」
そう豪快に言うストレング。彼の話を聞いていたヤクモは、魔王の顔に視線を移し、すぐに視線を逸らした。ストレングは一点の曇りもない瞳でヤクモを見つめ、老人とは思えない、よく通る澄み切った大声で言った。
「本物の勇者になるんだ。俺様と一緒に魔王を倒そう」
光の中に浮かぶ96代勇者ヤクモに、65代勇者の仲間であったストレングが手を差し伸べる。この状況に、思わずダートが叫んだ。
「ヤクモさん、裏切ったら、おいら、容赦、しない」
「逸るなダート」
どんな脅しであろうと、ヤクモには通じないことぐらい魔王は理解していた。だからこそ、彼はあえて、突き放すような言葉をヤクモに投げかける。
「貴様がどのような判断を下すかは、貴様に委ねよう。そしてルファール、パンプキン、お主らも我の味方をするか、ヤクモの味方をするか、好きに決めるのだ」
ストレングのようにいくら説得をしたところで、無駄に終わるだけ。結局は自分がどう判断するかで、ヤクモは動いている。ならば、ヤクモの判断を誘導すれば良い。
「ただ、ひとつだけ貴様に伝えることがある」
人差し指を突き出し、ゆっくりと、腹の底から響く低い声でそう言った魔王。ヤクモが魔王の顔を見ると、魔王は話を続けた。
「今、魔界軍の大軍がケーレスを攻め滅ぼそうと進撃している。今、ケーレスは危機にあるのだ。しかし、魔界軍がケーレス侵攻に兵を割くのは、南部地峡で苦戦する共和国にとっては好都合。つまり、共和国はケーレスを助けはしない」
あのヤカモトのことだ。私怨にかられ多数の魔界軍をケーレス攻撃に割いたヴァダルの愚かさを、彼は笑っているはず。そして、これを機会に、南部地峡で苦戦する共和国軍を立て直そうとするはず。共和国がケーレスを救うつもりはないと、魔王は断言できる。
「いくら勇者の力を取り戻した貴様であろうと、ケーレスを守りきることは不可能だ。その老人も役には立たん」
共和国に見捨てられ、魔王をなくしたケーレスには、ケーレスの人々とヤクモ、ストレングしか残らない。こうなればどうなるかぐらい、ヤクモでも想像できる。ヤクモは魔王の言葉に、気が気でない。魔王は畳み掛けた。
「ヤクモよ、貴様は我を殺すためでなく、何かを守るために魔力を取り戻すと言ったな。そして、その例としてケーレスを挙げた。ならば、どうすればケーレスを救えるのか、よく考えろ」
これだけの情報を与えれば、自ずと答えは見えてくるはず。ヤクモの判断を誘導するのは容易だ。魔王は不敵に笑って、ヤクモの判断を待った。
ストレングも黙ってはいない。彼はなおも、ヤクモを説得しようと、大きな口からうるさいまでの大声を張り出す。
「魔王の言ってることは確かだ。だがなお嬢ちゃん、魔王を生かしておけば、ケーレスはいずれ人間界ごとまとめて滅ぼされる。人間も残らず殺され、あるいは自由を奪われ奴隷になる」
これを聞いて、ヤクモの表情が変わった。ヤクモは疑念と不信感を抱いたのか、唇を曲げたのである。そして、沈黙を破りストレングに問いかけた。
「だから、魔王を倒してケーレスを見捨てろっていうの?」
「ああ」
「それって、魔王のやってることと何が違うの?」
勝つために誰かを犠牲にする。魔王も共和国も同じだ。ならば、なぜ自分を追放した共和国の味方をしなければならないのか。このヤクモの尖った指摘に、魔王の口角はさらに上がった。ヤクモは未だ、こちら側にいるのである。
魔王と同じと言われたストレングは、しかし動じなかった。ストレングは、ただでさえうるさかった語調を強め、共和国と魔王の違いを明確に述べる。
「全く違うぞ。俺様たちは他人を守るために、罪を背負ってでも何かを犠牲にする。魔王は違う。魔王は自分を守るために、全てを犠牲にする。そこに罪の意識はない。魔王にとって犠牲を払うというのは、当然のことなんだ」
だからなんだと、魔王は思う。『魔王たるべき者、生まれた時から、死する時まで魔王でなくてはならない』のであり、『魔王は魔界そのもの。魔王の死は魔界の死そのもの』であるのだから、魔王を守るために犠牲を払うの当然だ。
なぜ、罪を背負わなければならないのか。魔王を守る、ひいては魔界を守るために犠牲になった者は、魔界の幸福のために死ぬ。それは誉れである。誉れのため、喜んで犠牲になっていく者たちを見て、魔王が罪を背負う必要はどこにもない。
すぐにでも反論したい魔王であったが、相手は人間。ヤクモも同じ人間。魔族と人間では、価値観の決定的な違いがある。ヤクモは未だこちら側にいるのだ。下手な口は出さないほうが良いと、魔王は判断した。
魔王が反論しなかったことで、ストレングの話は続く。彼は歯を食いしばり、過去に想いを寄せ、重き荷を背負ったように言葉を引き出していた。
「魔王は災厄だ。倒さなきゃいけない。シュウタもミアも、そのために死んでいった。顔も知らない他人のため、世界のために、命を投げ打った。あいつらの犠牲を無駄にしないためにも、そこにいる魔王は倒さなきゃいけない」
ストレングは、過去の友人たちへの哀傷を隠すことなく、自分の決意を語っている。飲んだくれのうるさいジジイでも、世捨て人のような老人でも、共和国の使者でもなく、65代勇者の仲間、戦士ストレングとして、語っている。
「俺様も、シュウタやミアのために、世界のために、お嬢ちゃんを勇者に戻してやって、魔王を倒す」
自称人間最強、自称喧嘩最強のならず者は、ふとしたきっかけで出会った勇者と共に戦う内、自分の人生の目的を見つけ出した。あれから50年、その目的のため、ストレングは全てを投げ打つ覚悟をしている。
「さあ、お嬢ちゃん。勇者としての責務を果たせ。一緒に魔王を倒そう。世界の崩壊を、一緒に止めよう」
ふとしたきっかけで出会った、孫娘のような勇者となら、もう1度魔王を倒せると信じている。窓から差し込む光の中に立つヤクモに、ストレングは再び手を差し伸べた。
「私は――」
答えに詰まるヤクモ。そんな彼女の前に、魔王は立ちはだかる。魔王はマントをひるがえし、光を遮り、ヤクモを影に沈め、不敵に笑ったまま吐き捨てた。
「ストレングよ。なんであれ、お主はここで死ぬのだ。お主は、先に死んだ友と同じく、ここで無駄死にするのだ」
ヤクモは迷っている。彼女はすぐには答えを出さないであろう。であれば、ストレングを殺せばヤクモも迷う必要はないのだ。
魔王の明確な殺意と重厚なオーラ、黒いマント。これにはストレングも、息を吐くように笑って答える。
「勇ましいな。面白い! お嬢ちゃん! 途中参加を待ってるぞ!」
父の仇の1人を目の前に不敵に笑う若き魔王。40年ぶりの魔王との対決に血を滾らせる老人ストレング。魔王とストレングの戦いが、はじまろうとしていた。