7 『醒めざめと笑う』
鬱回が前回終わりましたが、この先の話からは流血表現が急にでることがあるのでご了承願います。
いつもお読みいただきありがとうございます。評価や感想等いつでもお待ちしています。
「────っはあ!! はあ、はあ、はあ……あ、おいリーシ……あ?」
──俺は一体何を。
夢だ。俺は夢を見ていた。九年も見ていなかった夢を、唐突に見た。
最初は自分の存在が消えるような消失感に苛まれて苦しんだのを覚えている。
その後、何か大切なことがあったはずだ。忘れるなんてことはおぞましく、許されない。そんな重大なことがあったはずなのに。
「はあっ……くそっ……何で思い出せないんだよ……」
その記憶は一切合切抜け落ちてしまっている。思い出そうにも頭痛が酷く響くだけでとてもできたものじゃない。脳が溶けそうなほど、茉稠惠の自我や理性が蹂躙されている感覚があるだけ。
だが、逆に言えば気持ち悪いものは残っているのだ。それもどろどろに溶けて、混ざり合って、得体の知れない異形の概念になって脳を、心を蔓延るこの気持ち悪さ。
何より、茉稠惠が茉稠惠でないような感覚。
もう一つ人格があって、背中合わせに立っていて、そして代わる代わる『変心』していく恐ろしさ。
そのなかで唯一禍々しさを放たないのは、脳に焼き付いた『白亜』の文字列。
安心感だ。安堵感や、もっと違う癒しのようなものが欠片だけ残っている。
それを思い出すことができない心苦しさが、惠を潰そうとしている。殺そうとしている。
「……もう時間だ。準備しなきゃな」
惠は天井を仰ぐついでに壁掛け時計に目をやった。
時刻は午前七時。登校時間に間に合わせるためには今すぐに支度をして出なければならない。
いつもならもっと早く起きるのに、夢のせいで寝過ごした。困ったな。それなら見ない方がいいかもしれない。今日は忙しい。多忙なんだ。
だから、夢のことは忘れてしまおう。夢なんて見なくても人間は生きていける。
茉稠惠に夢なんか必要ない。
「……おはよう」
誰に向けて言ったのか、惠自身にも分からない。無意味で、無価値で、必要ない言葉を何となく呟いただけだ。
でも、手に残る不思議な冷たさだけは、きっと忘れない。そう惠は心に誓う。
「今日も笑顔でいこう」
笑顔の仮面を被って、『茉稠惠』はベッドから出る。
その歩みは重いが、歩かないわけにはいかなかった。扉まで行けば、扉さえ開ければ後は自然に身体が動くだろうと惠は予想する。
重い。重いが、なんとかノブを回せれば。
案の定扉を抜ければ何かに取り憑かれたかのように動き出すのだから、このときばかりは自分を気持ち悪いと思った惠だった。
そうして冷たい廊下を行く。夏目前と言えど、朝の屋内は涼しいものだ。これが帰る頃には蒸し暑くなるというのだから困りものである。
冷たい廊下の先にあるリビングの扉は、自室の扉とは対照的にすっと開いた。身体も軽い。慣れとは怖いものである。
「おはよう母さん」
いい香りが立ちこめるリビング。いつもどおりの変わらない朝にいる。
台所には機嫌よく鼻歌を歌う惠の母がいた。朝から彼のの収集品であるアールグレイティーを飲む魂胆でいるからだろう。
いつもなら彼の父が新聞紙でも読んで朝食を食べているはずだが、どうもそれだけ起きるのが遅かったらしい。父がいない朝はどうにも久しぶりであった。
「あら、今日は遅かったねー?……顔やつれてるけど大丈夫?」
惠の母は陽気に鼻歌を歌っていたが、惠の顔を見るなりすぐ深刻そうな顔をする。どれだけ酷い顔をしているんだろうか。あとで鏡見て確認しなければ。悲しいかな、朝から惠は自分の顔を嘲笑しなければならなかった。
それはともかくとして、とりあえず惠はこの話題を煙に巻くことから始めようとする。
「昨日は夜中まで勉強してたからじゃない? 別に大丈夫だって」
「そう?……ならいいけど。あっ、ほら早くご飯食べちゃって」
「はいはい……いただきます」
惠にとって誤魔化すのは造作もないことである。嘘を吐くのも、演技するのと同様だ。家族相手でも平気で吐けるほどの悪漢だと自分を卑下するのは日常茶飯事である。
そんな暗いことばかり考えて過ごす快晴の日。惠は躁鬱をできるだけいなし、ダイニングの椅子に座って朝食を口にし始めた。
いつもどおり美味しいので肩をなで下ろし安心する惠。一体何に安心しているのかは分からないが。
しかし、どうしてだか物足りなく感じた。あの夕食と比べたら若干見劣りするのも当然で──
「あれ?」
──何が当然なんだ。
「んー? どうかした惠?」
「いや、昨日の夜って何食べたかと。パンと何かのソテーだっけ?」
「は? 昨日は惠が作ったじゃない。そういえば作り置きだったのにパスタすっごく美味しかったけど、あれどうやって作ったのよ? 腕あげたねぇ」
「……そう、だっけ」
記憶が、ない。昨日は、昨日は何をしただろうか。
何かと混同している。何かが混在している。昨日のことと、他の何かが混ざり合ってどろどろに溶け合い、それが頭のなかで思い返されて。それを自覚できているのがどれだけ不自然なことなのかは明白だ。明白、だが。
混ざり合っている記憶が何なのかが惠には分からないままであった。
「そうだ惠。今日は、その……覚えてる?」
惠の母、茉稠暁葉はもう既に三度も表情を変えている。機嫌のよいときの笑顔と、惠を訝しんだときの表情。
では三度目の表情はというと、それはたまに親が見せるきわめて真剣で厳粛な面もちだった。
今日。何も変哲なき日だ。木曜日で、平日。何かの祝日でもなければ誰かの誕生日でもない。
今日は快晴らしく、夏らしい陽の熱視が人間を見下ろす。取り留めのない、惜しむこともない、無意味に無価値に浪費される日だ。
それでも今日の日付は彼ら茉稠家にとって無視できない数字である。忘れることなどできない、この先も記憶していかなければならない。
そもそも多忙な日々をすごしているが、しかし今日は特段多忙な日である。
惠はこれから支度をして七時間の授業を受けるため高校に出向き、少し遠い場所にある花屋に花を買いに行く。そして夕間の午後六時までに向かわねばならないところがあるのだ。
「……覚えてる。今日は一人で行くから」
「そう……。めぐり、きっと喜ぶわ」
「……これで、十年か」
九年の年月を深い眠りへと落とした、茉稠惠の姉。
──茉稠めぐり。
「……母さんそろそろ行くから、戸締まりだけお願いね? あと今日は二人とも仕事で帰られないから……」
「分かったよ。気を付けてね」
惠は小さく手を振り、母親の背中を見送った。
彼女もまた惠の悲愴に似たものを背負っていて、だがそれは惠のそれとは違うのだ。
年月は目まぐるしく過ぎゆく。過去を連ねて、重ねて、そうして次なるに備える。
それは一部分だけ見れば繰り返しのようだが、全体を見れば長い螺旋でしかない。繰り返しであり、不逆の一途にすぎないのだ。
茉稠めぐりが毎日昏睡を繰り返したと捉えるか、それとも十年間という期間を一回だけ昏睡したと捉えるか。
どちらも同じで、どちらも違う。
今日は茉稠めぐりが昏睡してから丁度十年が経つ日だった。
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どういう表情がいいのか。長きに渡る疑問だが、これは満場一致で笑顔が相応しいらしい。
何処かに行く、留まる。誰かと会う、会話する。それだけのわずかな期間でさえ表情を変えなければいけないと考える自身に、普通は嫌気が差すものだろう。だが惠が嫌気を差すことはなかった。
笑顔を作って接する。これは、別に誰しもがやっていることだろう。体裁良くいようとするのは当然でありふれたこと。
ただ少し、惠は体裁を整えすぎているだけなのだ。
例えば父親に敬語を使うことがそうだろう。これは考古学教授の息子としての体裁だ。
例えば学校の知り合いに敬語を使ったり、或いは遜ることがそうだろう。これは丁寧で誠実な人間という体裁と印象のためであり、延いては一線引くことが目的だ。
そのためならば、茉稠惠は道化を演じることも厭わない。丁度それは太宰治の『人間失格』の主人公のようである。
『茉稠惠』はそういう人間であった。
彼の通う御穣高等学校までの道のりには、歩きと電車が伴う。三十分の時間も要するが、もっと遠くから来ている生徒がいると思えば気が楽になった。
惠が登校時間にすることは、決まって単語を覚えることである。英単語、英文法、古典単語、現代文単語など、文系に偏っていた。
それもそのはずで、彼は公務員として学校の教師を目指しているからだ。なるのであれば国語教師がいいのだが、最悪英語でもよいと考えている。少なくとも周囲にはそう言って生きてきた。
それはともかく、惠は降りる駅の半分まではそうして過ごす。では残り半分はと言えば、高校の知り合いと話して終わるのだ。
惠は読んでいた英文法書を閉じ息をふうっと吐く。すると丁度アナウンスが流れた。件の駅である。
扉が耳につく音と共に開くと、それまで満員だった電車内はがらんどうになった。
じゃあ代わりに同じだけの人間が入るかだが、そうでもない。駅構内からの乗客者は数えるほどだ。御穣生が数人と、社会人だけである。
そのなかに、例の高校の知り合いがいた。そして車内に入るや否や、すぐに惠を捕捉し、突撃。
それをいなすのももう慣れていた。彼是一年以上はこのやり取りをしているのだから、慣れとは恐ろしいもの。本日二回目の慣れに対する恐怖だった。
「やっ、茉稠くんおはよう! 奇遇だね!」
笑顔の眩しい人。笑顔の絶えない人。笑顔を振りまく人。笑顔が似合う人。
自分の仮面など比べる対象にもならないほどの純粋さ。きっとこれに迫る笑顔の持ち主はそういない。白髪の彼女ならまた別の話だろ──
「──白髪って誰だ?」
「え、白髪? どうしたの?」
フラッシュバックが繰り返される。断片的なイメージが頭のなかを浚って、掻き回して、混ざり合って。脳内を、記憶のなかを這いずり回り、のた打ち回って、そうして思い出させようとしている。
断片的なイメージ、或いは忘れ果てた記憶。今朝から付き纏う気持ち悪い感覚。忘れてはいけない何か。大事なもの。それの正体は、それは。
「惠くん? おーい。大丈夫?」
「…………ふぅ」
息を吐く。澱む得体の知れないものを吐き出してしまいたかった。何かもわからないそれは、本当に必要なのかを考えるべきなのだ。それよりも、今は『装う』ことが先決であって、それ以外に優先すべきことはない。『茉稠惠』として生きなきゃ、演じなきゃならない。
「惠くん?……どうしたの見惚れたの? それとも見蕩れちゃった?」
茉稠惠を呪ったのは彼自身だった。
『笑顔の仮面』という『茉稠惠』でいることこそが、彼唯一の存在意義。ならば、それを放棄した瞬間に彼は『茉稠惠』ではなくなる。
それだけではない。『茉稠惠』以外の触れ合い方を知らない彼は、その後どう生きればいいのかという話にもなり得る。
だから惨めで哀れな道化師は、笑顔の仮面を被り続けるのだ。
故に笑うのだ。故に嗤うのだ。救いようもない、愚かしく、死すべき茉稠惠その人を。
「何でもないです。見惚れても見蕩れてもないです。……そんな顔しないでください。えっと、おはようございます藤咲さん。……奇遇って何でしたっけ」
さて、茉稠惠の生活を付き纏って覗くには、彼女について触れることも重要である。
彼女、藤咲瑛那について。
「奇しくもまたもや遭遇したの略だよね?」
笑顔で、勝ち誇ったような表情で答える瑛那。
奇天烈にして奇想天外な返しが返ってきたことに呆れることはあったが、惠が驚くことはなかった。
それは『藤咲瑛那』という人間が悪戯好きで突拍子もない人だと知っていたからである。
その謂われは凄まじいもので。いや、『謂われ』よりも『謳われ』の方が相応しいのかもしれない。
高身長、というのは何より大きいポイントだ。足が長く、白く、細い。世間評価じゃSランクをいただくほど。
それだけではない。可愛いというよりかは美人なのだ。佳人と評価するのは数少ないが、惠ともう一人はそう謳ったことがある。とまれかくまれ、美人で脚が綺麗ときたらやはり人気がでるわけである。主に男子に。
人気の理由はもう一つ。誰にでも優しく、親切で、何より笑顔が素晴らしく可愛いこと。どんなに暗いお通夜のような雰囲気でも、彼女の一声で大きく変わるというのだから凄い。
その笑顔が絶えないことが、何より惠が注視してやまない点であった。
容姿端麗にして博識洽聞。なかなか見かけない人間だと惠は思っているが、実際のところ彼女は惠がそれに当てはまると考えている。
閑話休題。人当たり抜群。誰に対しても笑顔で、誰にでも話しかける。優しく、美しく、褒めることがいくらでもできるような人間で、まさに茉稠惠が目指す理想像。それが藤咲瑛奈だ。
さて、そういう人間にはパターンがある。いわゆる人気者で、そして平等性を求めることだ。
しかし彼女は例外だった。ちょっと残念な男子に肩入れしている節があるのだ。お気に入りで好きな男子ということだろう。それはまた追って説明することになるのだが。重要なのは平等という机上の空論をもっていないこと。そんなところに惠は好感を抱いた。
とにかく藤咲瑛那との関係は清いもので、同じ時間に同じ電車に乗って同じ教室に行くというだけである。実に清い。
「それ邂逅の意味合いでしょうが……」
「じゃあ偶然にも遭遇で偶遇かな?」
誰が上手いことを言えと。いやあんまり上手くないし。偶遇って……偶遇ってなんだよ。
もちろん惠がそれを口に出したりはしないのだが。
「いやいや、うそうそ間違えた。私たちは必遇だよね! きゃっ、言っちゃった!」
一人で何言ってんだこの人……。
「こりゃ一本とられたね! あとで告紀くんにも聞いてみよーっと」
そんな大したこと言ってないからな? 寧ろ下手すぎてっちが赤面するほどだからな?
心の声というやつだが、他愛もない普通の会話にはなるというのに、それを惠が口にだすことはない。
相変わらず内側を見せようとはしない惠である。
「……それはそれは。四条さんお気の毒ですね」
「ちょ、それどーいう意味? もう、ふふ」
前言撤回。頬が紅くなるぐらいわけなかった。
艶やかに微笑まれてしまったらそうなるに決まっているだろ? だなんて、言い訳にしては雑である。
「そんな君にだいれくとあたーっく!!」
照れる惠を見て苛めたくなったというのが本音だろうが、「何照れてるんだよぅー!!」とこちらが照れてますアピールを隠そうとする瑛那。
車内にいる御穣生の人目も憚らず瑛那は惠の首に激しい一撃を放った。判定はクリティカル。会心の一撃が、惠の首を襲う。
どうかとは思うが、実際二人はいつもこんなやりとりばかりしているのでなんてことはないのだ。
今回もいつも同様そうなるはずだった。
「っ……」
────拉げて、中身が止め処なく流れ溢れ、赤く、紅く、朱く、茜く、緋く、丹く。
白亜は、俺の中身で穢れて、染まって────
「め、惠くん? さっきからちょっと……体調悪い?」
瑛那に声をかけられ、はっと我に返る惠。また不明なイメージが脳内を駆け巡った。
意味が、分からない。何故瑛奈のの白く細い手が首に触れたとき、あんなことが脳裏を巡ったのだろうか。
それに、今朝とは違って二回目の『白亜』のイメージはやけに具体的で……ああ、くそ、おかしいぞ俺。
夢を見てから、俺はどこかおかしくなっているってことだろ? 九年越しの夢が、俺を狂わせているのか……?
「…………」
「あ、あれ? 痛かった? ぽんぽん痛い?」
「いや、首狙ってただろうが……。それにぽんぽんって」
自然に口をついてでた言葉。これは惠にとって単なるツッコミであって、皮肉だとか嫌みではない。敬語でないのは心のなかで思ったことだからであって、或いは仮面の下に留めたものでだからあって、外には表れないものだからだった。
だが、口をついてでてしまっている。それが違和感だと気付くのは少し後だった。
「ん……? 今、惠くんタメじゃなかった?」
彼に自覚があったならすぐに訂正や詫びを入れるはず。
それをしないということは、つまり彼には自覚など露ほどもなかったのだ。
「…………あ。ご、ごめんなさい!! そんなつもりなくて、いや、あの、だから違うんで……す」
無意識の言葉。無いはずの言葉。何故そんなものが不意にでてしまったのかが不明で、理由など考えるほどの心の余裕はない。
焦って、今度こそ赤面して、慌てて、どう繕ったとしても、もうやり直せない言葉。
何かが違う。違うのに、茉稠惠に分かるはずのない誤りだから訂正などできない。
いるのは欠けた仮面を被った道化師だけ。
「もう……やっと心開いてくれたかと思ったのに」
いつも敬語の人間がタメ口になる、というだけでそういう評価を得ることができるとは思わなかった惠。ある種有利なのだが、それを甘んじることはしないし潔しともしない。
ただ体裁良くいなければいけないだけだ。そこに友情は不要である。ならば、心を開く必要もない。
かといって閉ざさなかったのは、きっと心のどこかで期待していたからだろう。何かしら、改変を。あるわけがないのに望んでいる、柔な希望を。
「別に、閉ざしているわけでは」
「でも遠ざけてる」
「…………」
図星、だった。
閉ざさない代わりに遠ざけているのはそのとおりで、誤魔化しようのない反応をしてしまい、惠は黙り込んで俯くことしかできなかった。さながら善悪の区別はついているのに謝ることをしない子供のように。
「……ふふ。図星だった? でもほら、私も案外そんな感じだからさ。だから分かったっていうか何というか」
「……冗談。藤咲さんは藤咲さんでしょ」
誰しも、普段見ている姿とは違う部分がある。
そんな、さも当然でありふれていることでさえ、藤咲瑛那にあるだなんてことがあるはずがない。あっていいはずがない。
惠が知っている彼女だけでいい。少なくとも今はそれでいい。惠自身がそうなのだから、それでいいはずだろう。
そう言い聞かせるしかなかった。だから皮肉を笑うように惠は言った。
「そうそう! 私はわーたし、そ、れ、だ、けっ!……でも、君も君。それだけだよ」
「……そうですか」
また考えなければならないことが増えたと懊悩する惠。もっと何か言うべきなのに、簡単な返事だけしかできなかった。
確かに瑛那のことも大事、なのだが。
度々フラッシュバックする記憶らしきものや夢についてを優先しなければ狂ってしまいそうで。
こんな人間だから、こんな人間だからこそ、彼女の優しさは。
「そうだよ! あ、大丈夫? 抱き締めてあげよっか?」
それでも優しい人が、俺は嫌いだ。
「四条さんにやってあげてくださいよ。それに首を絞められるのはもう勘弁です」
「そう? ふふっ」
「……その手をやめてくださると感謝感激なんですが」
「いーやーよ!」
「ぐえ」
──でも、たまらなく好きだ。
太宰治。その人生を追ってみたいと考える時があります。
今作主人公の茉稠惠はやけに『笑顔』や『仮面』、『道化』に拘りますが、それはやはり太宰氏の『人間失格』に大きく影響されたからでしょう。
言及すれば『人間失格』の主人公、大庭葉蔵の考えの一部にシェイクスピアのペルソナやらを足したのが惠ですかね。いや、なんか違うかも。
いや、こういうのは曖昧模糊な方がいいんだろうな、なんて最近は思います。
惠の性格は他でもなく作者に似てしまっているので、解釈のしようなんていくらでもあるでしょう。
ほら、ニーチェ先生も言ってます。『事実というものは存在しない。あるのは解釈だけである』って。




