5 『変哲なき夜半』
「……あのな、内容成分記載とか警告って義務でしょうが」
「……え? いつ起きたんだい?」
「今だよ、たった今」
惠が目醒めてからの第一声がこれだった。そのまま憤りが見て取れる。もちろんお察しのとおり惠はお怒りだ。
リーシアはというと、早く注意しなかったことに反省していたが、惠の怒りが醸し出す威圧感にたじたじになっている。
それにも構わず、惠は口調強く不平を垂れた。
怪しい人から貰ったものには注意しなきゃな、という教訓を得てしまったことに対する苛立ちが詰まっていると言っても過言ではない。
夢だからこそできる八つ当たりだ。
あのあと。リーシアの差し出した薬煎茶を飲み過ぎた惠は、これまた見事に気を失った。
そして気が付くと、またどこかも分からない部屋の一室で目を醒まし、この台詞を言い放つに至ったのである。
「いや、君が思いの外飲むから……」
彼女の言い分はこうだ。もちろん言い訳でもあるが。
曰く、薬煎茶はあまり人々に好かれていないから一口か二口だけしか飲まないと踏んでいたらしい。
故に、リーシアは油断したし、だから忠告も遅れたのだ。
もちろんその予想に反して惠は四口も飲んだ。結果は見てのとおりである。
「言い訳しない!」
夢のなかなのに、俺は何を必死にやっているんだ。
そんな風に惠は自身のしていることへ疑問を抱く。その理由は案外簡単に浮かんだ。
現実にほど近いからだ。夢という実感がないからだ。
だから自然とこんな行動をとっている。それも現実じゃできない仮面を外した自分で。
夢であって現実にほど近い。そんな環境だからこそ、彼は憤慨も隠さずに晒け出せるのだ。
彼は変わることができる。少なくとも夢のなかでは実証された。彼自身は自覚していないようではあるが。
さて、そんな日頃の鬱憤まで晴らされているリーシアは、木製の椅子に座りうなだれてしゅんとしている。
肩をすくめ、落ち込んでいる様子が伺えた。
そんな姿を見て、惠に罪悪感が芽生える。
少し強く言い過ぎたか? しまった、加減が分からない……。
そんな風に思い返すと、止めを刺すような一言が、リーシアの口から緩やかに引き出された。
「あんなに美味しそうに飲む人なんてあんまりいないから嬉しくて……」
俯く彼女の顔には陰りが落ち込み、およそ表情は伺えない。
しかし、悲しそうに笑みを作っているのは感じ取れた。惠にはその形相が、どうにか目に浮かんだのである。
惠はある程度優秀だが、人の気持ちを読みとることには劣っていた。
それは彼自身が感情を大っぴらに晒けださなかったことと、人の気持ちを理解しようとしなかったことが関係している。
中島敦に言わせるなら、『臆病な自尊心』と、『尊大な羞恥心』。
それすら仮面で覆うあたり、彼は本当の意味で猛獣使い、──|道化だ。
今までそれで困ったことはなかったのだが、よもや夢のなかで困ることになるとは思いもしなかった。
「……悪かった。言い過ぎたよ」
惠は頭を垂れた。反省の意を込めて、長く、深く。
多少納得がいかない点はあったが、罪悪感の芽は大きく育ち実を成した。謝るべきと判断させたのは熟れた罪悪感の果実に他ならない。
そんな姿を見て、リーシアは慌てて彼に声をかけた。
「あ、謝る必要はないよ! 薬師としての義務を放棄したのは僕だもの……」
確かにそうだ。客観的に見た場合、非は間違いなくリーシアにある。『薬師』というのが何なのかは分からないが、察するに薬剤師のような職なのだろう。
そうならば、処方した薬剤の説明や使用用途、注意などを伝えるのは義務だ。
間違いない、非は彼女にある。事実、リーシアはそれを認めた。
「それでも、まあ、謝るよ。気持ちも考えず一方的だった」
しかし惠はそれを潔しとはしない。両成敗というやつだ。相手だけが悪くないのだという。
茉稠惠という人間は、これだけでも察せられるように、存外に面倒で、存分に複雑な人間なのである。
「……不思議な人だね、君は」
惠は頭を上げる。微笑むリーシアを見て憤りの熱は冷めきった。
と、ここでようやく彼は気が付いたのだが、そこは見知らぬ家の中であった。
見渡すと木の家具やアンティーク、或いは得体の知れない道具が小綺麗に置いてある。
窓からは日差しが差し込み、オレンジ色の光が影を作っていた。
「……どこだここ。それに、もう夕方か?」
西日が目にちらつく。
確か気絶する前はもう少し陽が高かったはずだが、どうやらそれだけの時間寝ていたらしい。
「ここは僕の家さ。あそこから運ぶのは一苦労だったね、というのは言わなかった方がよかったかな?」
「それ言われると困るぜホント……」
ちょっとした皮肉付きで、リーシアは惠に返答をした。
考えてみれば、惠はそこそこの体格をした男。そしてリーシアの華奢な身体では、運ぶには難しいことは想像に難くない。
どうやって運んだ? と惠は聞きかけたが、どうやらここは何でもありな世界らしいので、訊くに至らなかった。
「それはご迷惑を……。しかし、えっと、あれからどれほど経った?」
代わりに惠は時間経過について尋ねる。これは惠にとって、とても重要なことであった。
「えっと……四時間ほどかな? うん、勇刻から三時間ほど」
「勇刻? まーた知らない単語かいな。絶対カウンセリング行くからな……」
「言ってる間に夜さ。身体は大丈夫かい?」
言っている間に夜になる。ということは、大体今の時間を午後六時として、リーシアの膝枕で目醒めたのが午後二時ぐらいだろうか。
まあそこは大して問題ではない。大きく取り上げるべきは他にあった。
現実では何時間寝ていて、何時なのか。
それが重要な問題なのである。
茉稠惠は一介の高校二年生。
しかもまだ木曜日だ。当然学校はあるし、将来を真面目に考えている彼にとって遅刻は厳禁。
起きなければ。そう思うものの、やはり目醒める兆しはない。
内心、彼は焦っていた。
「大丈夫そうだよ。まあ身体は痛いけどな……」
しかし焦りを隠す惠。相も変わらず平静を『装って』いる。
身体の方は装うも何もなく、寒気やくしゃみのひとつもない。身体が痛いことさえ除けばなんてこともなかった。
「それはよかった。あのまま放置してたら風邪にやられて今頃オゾゼルの楽園にいただろうね」
笑ってそう言うリーシア。
風邪で死ぬというのが未だ信じられない惠にとって、それこそ笑い話だった。
「さて、それでメグミ。これからどうするんだい? 流石に日が暮れてしまったし、その……よければ泊まっていくかい?」
泊まるも何もここ夢のなかだからな?
そんなことは口に出さない、というより出せないのだが、惠のツッコミは彼の心のなかで大きく響いた。もちろんオーディエンスなどいないので歓声などない。代わりに閑古鳥が鳴いた。
「閑古鳥ってどんな風に鳴くんだったかな……」
「かっこー、かっこー」
リーシアは得意げに声真似をしてみせた。恥ずかしげもなく豊満な胸を──訂正。恥ずかしげもなく、普通に胸を張って。
「……実演ありがとう」
まさかそんなことをするとは思うまい。
惠はあからさまに引いており、それを見てリーシアは赤面した。
「もう少し反応してくれないと恥ずかしいのだけど!……まあいいよ。それで、どうしたい?」
「あー……。まあ、行く宛なんかないし、他の場所も知らないし。泊めてくれるってならお言葉に甘えさせてもらおうかな」
夢のなかで泊まることになるとは、これもまた惠が思わなかったことだ。
どちらかといえば、夢の住人が閑古鳥の鳴き真似をすることの方が予測しがたい。何やってんだこの人は。
「じゃあお客様だね! 続けて二人も来ることになるなんて、珍しいことがあるものだ」
「あ……忙しいときにすいません」
客人扱いをされることになった惠の口調は一変して敬語に戻る。
油断するとすぐ癖がでる、と悔やんでいるのは言うまでもないだろう。
しかし、こんな辺鄙なところに客が来るだなんて、その客は物好きな人だな。どうやらもういないようだが。惠は内心でそう思う。
そもそもリーシアがここに住んでいるのが原因の気がしなくもない。
じゃあ湖畔で見たあの白亜の城々は、もしかして首都だったりするのだろうか? というかあれが王都なんじゃ?
そんな疑念が浮いては消える。どうであれ、あの場所とここでは距離が遠いのは明白だ。
「忙しいぐらいがいいのさ。ほら、多忙は多望っていうじゃない」
「城山さんの名言もでてくるのか……」
「シロヤマさん?」
「いーやなにも」
「そうかい? ならいいけど」
まさか夢にまで名言が及んでいるとは露ほども思わず。偉大な作家は大きく影響を与えるのだと感心する。
「……忙しいだけじゃ駄目だけどな」
そんなことを哀愁漂わせて呟く惠。
リーシアは作家の城山三郎の言葉と同じ「多忙は多望」と言ったが、惠の頭には別の言葉が浮かんでいた。
それは「多忙は怠惰の隠れ蓑」という言葉。忙しいのに怠けてるとは、これまた言い得て妙だ。
しかし、その意味を考えれば自然と納得できる部分もある。だから惠はこの言葉の方が好きだった。
「さて、大した料理はできないけれどごゆるりとくつろいでほしい。恥ずかしながら蔵書だけはたくさんあるので、よければ」
「うん、しばしば視界に入る本棚についてはどっかで言及するつもりだったけどね?」
言いたいのをずっと我慢してました! と言わんばかりの勢いの良さ。
リーシアの家にある木の家具やアンティーク、或いは得体の知れない道具。そのいずれよりも惠の興味を引いたのは、間違いなく二メートルを優に越える木製の本棚と、そこに収納されている蔵書の数々だった。
「ふふっ。あれは僕自慢の収集品さ。本は好きかい?」
「人並み以上には読んでる。言っても歴史書とか神話とかばっかりだけど……ああ、もちろん文豪の作品は読むけどね?」
読書家マシゲ・メグミ。
読書は彼にとって数少ない娯楽であり、自身を縛り付けるものから解放してくれるものであった。小遣いの殆どは茶葉か本にあてがわれるほど。
故にリーシアの蔵書に魅せられるのは仕方ないことなのかもしれない。
「歴史書とは恐れ入ったね。過去を記した本だなんて稀少だもの。それに、神話? 君は宗教家なのかい?」
「質問ありがとうリーシアさん。答えておくと俺は無宗教家。父上が考古学者だからその影響で読み耽ってるわけです。ちなみに母上は司書さんな」
「へぇ。考古学者とは今時珍しい。それに、ふむ……司書か。身なりも珍しいものだけど、君は貴族の出なのかな?」
司書という単語を聞いて顎に手を当てるリーシア。
読めない字で綴られた蔵書に目を奪われている惠が気付くことはない。
「庶民も庶民。俺からすれば君の格好の方が珍しいけどね」
重い身体をふらふら動かして、本棚を右往左往しながら物色しそう答える。読めない字で綴られた蔵書には参った様子だ。
リーシアの質問は留まるところを知らない。
身元もよく分からない人間を家に上げるのだから当然のことだろうが、そこに疑惑をもっているわけではなさそうだ。
単に好奇心なのだろう。辺鄙な場所に住む人間の。
「……目醒める気配はない、か」
ふと思い出したように呟く。
それを思い出した途端に、リーシアの思惑や何もかもがどうでもよく思えた。心底どうでもよいと心が染まった。
何故なら、言うまでもなくここは茉稠惠の夢であり、茉稠惠の妄想であり、リーシアは仮想現実の人物であり──
──なのに、だというのに。
では何故ここはこんなにも居心地がよく、そして離れ難いという思いで心が塗り直されるのか。
熟考を繰り返し、思案に暮れても、リーシアの後ろ姿を目に映すだけで積み上げた考えは崩れる。
そして魔女の家にいい香りが漂いはじめ、食欲が誘われるのを感じれば、たちまち考えることすら揺らいでいく。
──別にこのままでいいんじゃ?
あんな意味のない現実をお道化て笑い過ごすよりも。
多忙は多望と信じ込ませて、その実、多忙を隠れ蓑にして怠惰に生きることよりも。
どうせ失うものはない。大事なものなんて近くに作らなかったし置きもしなかった。
せいぜい今までの努力が無駄になる程度で──って。
親や親友、姉よりも優先するあたり、俺も『山月記』の李徴と大して変わらないな。あんなに非難したってのに。なら俺は貝にでもなりたい。
だから、本当にもう、別に醒めなくたって。このまま夢に溺れてしまえば──。
──これ、本当に夢か?
「メグミ、もうすぐできあがるから席にかけて待ってくれるかい?」
「──ああ」
リーシアの呼びかけに、惠はふと我に返る。
一体どれだけの時間を読めない本へ視線を落とし、深考に耽ていたんだ? もうそんなに時間が経っただなんて気付かなかった。
……ああ、今俺は何を考えてたっけ。
そうだった。これは間違いなく夢だ。夢だから、夢なんだよこれは。
これは夢だから自分に都合がよくて、ずっと抑圧してきたものがここに表れているだけで。
大空から落ちたのも、湖に沈んだのも、白亜の城々も、この家も。
俺が心のどこかで見たかった景色ってだけで。
だから、これは夢でいいんだ。
「魔女の食事は禍々しい物が並ぶなんて揶揄されるけれど、僕は違うからね? ふふっ」
鼻歌を歌いながら食器に料理を盛りつけるリーシア。言わずもがな上機嫌さが伺える。
自ら魔女と名乗り出た彼女だが、およそそんなイメージはない。学校でよく見る女子とさほど変わらない。もしくはそれ以上。
「そろそろ 夢刻だね。夕餉には丁度いい時間だ」
見ず知らずの人間を介抱し、あまつさえ家に泊めてくれ、さらには夕食まで作ってくれる、心優しく人当たりのいい性格。
自分よりこんなにも人間らしくて、実際に存在する人間であるべき彼女、リーシア・エメレイルド。
──彼女すらも、夢?
煩慮と葛藤とが茉稠惠を、──いや、マシゲ・メグミを苦しめる。
今の時刻は『勇刻』を過ぎ『夢刻』になったばかり。
まだ世界は夕烙に染まっており、燈赤ま色の光は魔女の家に二人の影を落としている。
燦々と照らす太陽は、未だ落ちる気配はない。変哲なき夜半、というには早いようだ。
しかしすでに登りだした月の、その白燈を覆い隠すように暗雲は蔓延る。まるで、彼らの行く末を、物語を語るかのように。
今回は実際に存在する方を何人かだしました。引用もあるので記載いたします。
中島敦は『山月記』や『光と風と夢』、『李陵』などを書いた小説家です。とあるアニメで有名になりましたねぇ……。ちなみに僕は太宰さんが好きです。入水万歳。
『山月記』は今回使わせていただきました。あの話は面白いです。フランツ・カフカの『変身』同様に楽しんで読みました。
ところで、『変身』したのは李徴やグレーゴル・ザムザなんでしょうか?
もしかしたら周りが『変心』した、とは思いませんか?……なんてね。
それから「多忙は多望だ」と言った作家と言えば、城山三郎さんですね。
城山さんは『そうか、もう君はいないのか』や『少しだけ、無理をして生きる』、『男子の本懐』を書かれた方です。
経済小説の一人者と呼ばれたりもされる方です。笑顔が素敵な人ですから、これで興味持っていただけると違った楽しみもあるかなと思います!!
さて、次話ですが惠くんがアレされたりリーシアがアレされます。ご了承願います。
ご拝読いただいてありがとうございました!! 次もお持ちしております!!




